2018年2月13日火曜日

国会はかつて学歴不問の“職場”だった。猛獣もいれば、猛獣使いもいた。いま、石を投げれば世襲議員に当たるようになり、海外留学でハクを付けた高学歴の職場に変わったが、果たして「人材の宝庫」になったのかどうか。(1)


 

『自民党秘史』    過ぎ去りし政治家の面影

あの頃の政治家たちは良くも悪くも器が違ったなぁ…

岡崎守恭    講談社     2018/1/17

 

 

 

政治家の「顔」が見えた頃

今の政治記者はつまらないだろう。国民は、有権者はもっとつまらない。

膨れ上がった議席。こんなたくさんの自民党の国会議員がいるのに、その「顔」が見えないのである。

 次をねらう人たちの名前は知っているが、その人たちをめぐるドラマは何も見えない。「一強」の人ににらまれないように、あえて見えないようにしているのだろうか。

 バイプレーヤーと思われる人はなおさらである。こうした人たちの存在こそ面白かったのが自民党である。

「近代政党」なるものに脱皮したのだろうか。そうではないだろう。

野党の分裂や内紛などは見たくも、聞きたくもない。

 野党の役割の第一は政権を倒すことである。是々非々とか、責任野党とかいう言葉に逃げ込み、その使命を忘れ、とりわけその気迫すらない姿はうんざりである。

 

<政治の基本は「人」である>

・一昔前、永田町には、というより自民党には「人」がいて、いろいろな「顔」が見えた。「顔」がしっかりと見える政治だった。もちろん、とんでもない「顔」もあった。

 しかしノッペラボーと金太郎飴ばかりよりましである。

 現代風に言えば、キャラが立っていなければ、ヒール(悪役)にはならないが、主役にもなれない。

 制度的に言えば、小選挙区制の導入で党公認が得られないと新人の当選は難しくなり、しかもそれが執行部の「面接」で決められるとなると、いい意味でエッジの利いた候補者は出にくくなる。

 スキャンダル以外では「顔」はますます見えなくなりそうである。

 

国会はかつて学歴不問の“職場”だった。猛獣もいれば、猛獣使いもいた。いま、石を投げれば世襲議員に当たるようになり、海外留学でハクを付けた高学歴の職場に変わったが、果たして「人材の宝庫」になったのかどうか。

 2017年秋の衆議院総選挙を経て、政治への「あきらめ」と「冷笑」が一段と広がっている

 

<日中「人民」の岩盤>

・中国の指導部はかつてはソ連留学組で占められていたが、今は米国留学組の時代になりつつある。幹部の子弟の留学先も米国が一番、習得を希望する外国語も英語が一番である。

 

<日本留学組>

中国が言いたがらない歴史なので、あまり知られていないが、1921年、中国共産党の第1回全国代表大会が上海で開かれた時、13人の代表のうち4人は日本留学組だった。その前にも周恩来らが日本にやってきたが、結局、フランスに行ってしまう。「日本への留学の機会を得ながら、日本では何も学びませんでした。覚えているのは日本の豆腐が中国のよりおいしかったことくらい」という言葉を残した。

 

・観光のための訪日でも、中国「人民」の印象が変わり、無意識のうちに日中の岩盤が少しずつできていけば、国会議員の訪中ラッシュなどはますます不要になるだろう。

 

<学歴不問>

<「後楽園球場」いっぱい>

かつて国会は日本一の学歴不問の職場というか、平等社会であった。何しろ最高のリーダーである内閣総理大臣が尋常小学校卒だったのである。

 やがて2世、3世議員の時代へと移り、初代は中学卒、高校卒だったが、2代目は大学卒。この大学はあまり聞いたことのないところも多かったが、3代目は一流大学卒。

 が、先々代の時代に比べて、今の方が「人材の宝庫」と言えるのかどうか、ここが悲喜劇である。

 

・新聞社で政治部に配属された時、上司(デスク)にこう言われた。

明日から国会に行ってもらうが、曲がりなりにも最高学府を出た君より頭がいいと言うか、まっとうな議員は10人もいないだろう

 いくら何でもそんなことはないでしょうと怪訝な顔をしていると、先輩記者でもあるデスクは付け加えた。

ただしだ、いまここで5億円のカネをもらったとしても、次の選挙までに後楽園球場いっぱいの5万人に君の名前を書かせることができるか

 中選挙区制の下での平均的な当選ラインは5万票だった

こんな奴が日本の選良なのかと義憤にかられることもままあるだろう。が、みんな後楽園球場いっぱいの人に名前を書かせてここに来ているんだなあと考えると、本当はどこかすごいところがあるはずだと思わざるを得ない

そうとでも思わなければ馬鹿らしくてやっていけないよ

あえて極端に話してくれたわけだが、「5万人」が頭に残った。

 

<真室川音頭大臣>

・それを実感する場面に出くわしたことがある。

 最初に担当した閣僚は行政管理庁長官だった松沢雄蔵氏である。戦時中は満蒙学校本科を出て、そのまま中国大陸で活動、戦後、郷里の山形県に帰って真室川村長になる。

 

・踊り出したくなる粋な「真室川音頭」である。北海道の港町で歌われていた「ナット節」が真室川に入ってはやった作者不詳の山形県民謡というのが公式的な解説。が、永田町や地元では松沢氏が元の歌詞を補作し、世に出したと伝えられ、「真室川音頭大臣」とあだ名された。書や水墨画も巧みで、風流人としても知られた。

 

・ある朝、議員宿舎を訪ねると、部屋から遠いのに松沢氏の声が聞こえる。

「あの地区のだれだれに電話してひっぱがせ」「今日中にだれだれを訪ねて頭を下げてこい」

 普段と違って言語明瞭、声に気迫がこもり、廊下にまで響き渡っていた。

 実は松沢氏の選挙区である山形2区にはイケショーと言われた名物男の池田政之輔氏がいた。その前の選挙で落選はしていたが、ずっと山形県政界の保守陣営を二分する宿敵だった。

 池田氏は日通事件に連座、最高裁で実刑が確定し、病気で服役は免れたものの、政界からの引退を表明した。松沢氏はそれを聞くやいなや、地元の池田氏の陣営に手を突っ込むよう電話で指示していたのである。

「別人」になっている松沢氏を見て、「5万人」を思い出した。

 

<広大な中間地帯>

・新聞社というのは、入ってしまえば、出身校による差別などはない。むしろ取材の動作がのろかったりすると、自分が行けなかった恨みも込めて、「君はひょっとして東大を出ているんじゃないか」などと馬鹿にされる。

 それでも、記者はほとんどが大卒は大卒だが、国会議員は違った。中卒も高卒も大卒も本当に入り乱れていた。

 

・その角栄氏には学歴のないことからくる独自の「多数派工作」とはなんぞやについての考え方があった。角栄氏にとって、頂上を目指すには味方を増やすのではなく、敵を減らすことが基本中の基本である。

「富士のお山を見ろ。峰の白雪、これが味方だ。ふつうはこの白雪を大きくしようとする。しかし俺には難しんだ」

「一高―—東大の奴には仲間がいる。これが白雪になってくれるし、広げてもくれる。一高に行けなくて、静高だった奴にもそれなりに仲間がいる」

 この場合、一高は福田赳夫氏、静高は静岡高校の中曽根康弘氏のことである。

俺にはそういうものはない。だから俺は白雪を増やすのではなく、その下に広がる裾野に目をやる

それでもこの裾野を全部、味方にすることはできない。『田中がいい』と言ってくれなくてもいいんだ。何かの時に『田中だけはダメ』と言わせない。そうした『広大な中間地帯』をつくるために頑張っているんだ

 

<稲門会から三田会>

・竹下登氏が総理・総裁の座を目指している頃、「国会稲門会」の動きも活発になっていった。

 戦後、それまでに総理になった早稲田大学卒の国会議員は石橋湛山氏だけだったが、竹下氏の後は海部俊樹、小渕恵三、森喜朗、福田康夫氏と続いた。当時の民主党からも野田佳彦氏。

 

・その後、二世議員、三世議員が多くなると、慶応大学卒の国会議員が増え、時代は稲門会から三田会へといわれた。総理・総裁になったのは橋本龍太郎、小泉純一郎氏。

 

いまや高校、麻立会

ところが大学卒が当たり前になってきたせいか、今度は高校の同窓会が誕生する。例えば「麻立会」。麻布高校を卒業した衆院議員の集まりとして19883月に発足した。親睦団体を標榜しているのはもちろんだが、ちょうど橋本氏が将来の総理候補としてとりざたされ始めたころだった。

 

<次いで開成、永霞会>

<「有りて無き者は人なり、無くして有る者もまた人なり」>

・このところ東大の合格者数では開成が水をあけている。かつては東京23区のはずれにあるバンカラの開成と高級官僚というのはイメージが湧かなかったが、最近は財務次官を輩出するなど、勢力を拡大している。

 開成出身の国会議員と中央官庁の官僚が集う「永霞会」も発足した。永田町・霞が関開成会の意味である。発起人代表に名があがったのは首相の座をうかがう宏池会会長の岸田文雄氏。国会議員は9人だったが、官僚は退官した人を含めると約600人だという。

稲門会から三田会のように、麻布から開成への時代が来つつあるのだろうか。

 

・今の永田町を眺め渡すと、初当選の時からエスカレーター式に出てきた世襲議員のオンパレードになり、派閥の領袖から政権の座に就くまでの切磋琢磨もかつてのような迫力はなく、情けなくもなってくる。四世議員も出始めて、国会議員がすっかり「家業」になってしまった。

 

・「本を書くことは恥をかくことだ」といわれるが、これからどんどんご指摘、ご叱正を頂いて、一層、恥をかくことになるだろう。

 

<連日、メールが1000通>

・加藤氏が自宅に戻ってパソコンを開くと、そこには全国から軽く1000通を超えるメッセージが届いていた。毎夜、毎夜である。手紙を書いて、切手を貼り、ポストに入れるのと比べて、格段にお手軽な電子メール。匿名性があるだけに、内容も日増しに過激になっていく。2週間足らずの間に届いたメールは15000通。ほぼすべてが応援、支持だったという。

 山崎氏は後に「都市部のインテリ層の考えに非常に影響された。たくさんのインターネットでの激励に、加藤さんの頭と心がいっぱいになったということだ」と振り返った。

 鎮圧した方の野中広務氏も「加藤さんはインターネットに狂わされたのだと思う。私が『何を言っているんだ』と諭そうとしても『俺のところに来ているメールを見てみろ』の一点張りだった。そのメールの多くはまだ選挙権もない若い人たちだったのに」と言う。

 バーチャルな空間での意見を世論の圧倒的な勢力と見たことが、加藤氏の見通しを狂わせ、“暴走”を生んだのだ。

 

24時間政局の始まり>

・インターネットとは無縁だったが、実は携帯電話の方は「加藤つぶし」の中心にいた野中氏の専売特許だった。新幹線の座席に着くやいなや、すぐ携帯電話で話し込む野中氏の写真が新聞に載り、「政治家は車内で携帯を使っていいのか」との抗議が新聞社や野中事務所に殺到したほどである。

 野中氏は四方八方から情報を携帯電話で集め、それを自分の中で撹拌して、また四方八方に拡散する。これはという情報を要所要所にしっかりと打ち込んで、自分の目指す流れをつくる。

「加藤の乱」は「ネット政局」の幕開けであると同時に、「携帯政局」の本格化を告げた。

 

<シンキロウの孤独>

<下足番が絶賛>

・「聞くと見るとは大違い」多くの人がこの言葉で評するのは森喜朗氏である。森氏は大柄で、ガンを患って食事制限を余儀なくされるまでは0.1トンもの体重があり、顔も四角の代官顔で、物腰も何となく傲岸。失言ばかりしているイメージも定着し、悪役を一手に引き受けている。

 ところが間近で会った人の印象は違う。座談はうまいし、気配りは心憎いし、実物は全然違うじゃないかという人が少なくない。

 しかも会った翌日、しばしば「昨日はよくおいでいただいた」「あなたとお目にかかれてうれしかった」「時間がなくて申し訳なかった」というハガキが届く。

 

198111月、東京・赤坂の料亭「大野」で、玄関の下足番として勤めた人が『夜に蠢く政治家たち』(エール出版社)という本を出した。

 頻繁に出入りする政治家や高級官僚の生態を実名で記録し、これを公表することで「公費天国」を告発する結果となった。「大野」の女将は申し訳ないとショックの余り寝込んでしまった。

 

<ドン金丸の「常識」>

<台所記者への道>

一昔前、自民党の派閥記者には「玄関記者」「応接間記者」「居間記者」「台所記者」というランク付けがあった。

 実力者と呼ばれる政治家になると、その自宅へ毎日、「朝回り」する。夜は「夜回り」。いわゆる夜討ち朝駆けである。ここで顔と名前を憶えてもらい、昼間の記者会見などの公式な場では聞けない話を聞く。

 最初のころは、来る日も来る日も政治家が自宅を出る際、玄関脇に立っていて「おはようございます。○○新聞の××です」と挨拶する。ほとんどはこの挨拶だけで終わる。これが「玄関記者」である。

 

・もっと努力と工夫を重ねて、だんだん親しくなって食い込んでいくと、今度は応接間より奥に進んで、居間で政治家が1人で新聞を広げているところなどに入り込める。サシで、つまり2人だけで言葉を交わせる。「居間記者」である。

 究極はそのまま台所まで行って、勝手に朝食を食べてしまう。もう奥さんやお手伝いさんともすっかり顔なじみ。これがゴールの「台所記者」である。

 

<才人と呼ばないで>

<俳句、絵画、ハーモニカ>

政界きっての「才人」は誰だろうか。いい意味でも、悪い意味でも、多くの人の頭に浮かぶのは宇野宋佑氏である。ところが当の宇野氏は「才人」と評されることが少しもうれしくなかった。むしろ大嫌いだったと言ってもいいだろう。

 俳句、絵画、史伝、ハーモニカ、ピアノ……。自己流で何でもこなし、ほとんどがプロ級の腕前だった。特に俳句は高名な俳人にも感嘆され、質、量ともに本格派だった。

 

<努力家と言ってほしい>

・河野氏の秘書としての仲間で、後に文相などを務めた砂田重民氏が「こんなに忙しいのにどうしてあんなに本が書けるのか」と聞いたことがある。宇野氏の答えは「どうということはない。君がゴルフをしている時に書いているだけだよ」。悪気のないことはわかっているにしても、砂田氏は鼻白んだ。

 遅れをとってはならない、落伍をしてはならない—―。裕福だが、厳格な生家の教えと、シベリア抑留の体験から、いつも精進に余念がなかった。議員宿舎の部屋で散らばっていたのは原稿用紙と参考図書だけである。

 

<つなぎの役割、幸不幸>

・就任の記者会見の雄弁ぶりに「大化けするかもしれない」との声もあったのに、最後の最後でまた本当に「つなぎの役割」に終わってしまったのである。この因縁は何なのか。

 東京・神楽坂のカモメと呼ばれる芸者見習いとの関係が問われた女性問題。女性の告白によると、初めてお座敷で会った時、真ん中の指を3本握って「これでどうか」と言われたという。

 そこで1ヵ月のお手当てが30万円。「3本指」が流行語になった。永田町のことである。「カネで女性をとはけしからん」ではなく、内閣総理大臣たるものがたった「3本」なのかという変な批判もあった。

 しかしあえて言えば、金額が少なかったのには理由があった。

 

<わしはずっと元気>

・歴史に「もし」はないにしても、宇野氏も総理に担ぎ出さなければ、女性問題という汚名も着ることなく、わき役であっても何でもこなせる存在感のある政治家で一貫できたはずである。「文人議長」などと呼ばれている姿が想像できる。 

 実際の宇野氏のその後は体調を崩し、引退を余儀なくされ、寂しい晩年だった。だから総理になりさえしなければ、との思いが側近にはずっと残った。

 

<新生クラブの椅子>

<控え目に生くる幸せ>

・「未来の宰相」と大方が想定していた藤波氏。それが一転、リクルート事件の受託収賄罪で逮捕され、奈落に沈むとはだれが思っただろうか。

 金丸信はリクルート事件とは無縁で、他の実力者が総退陣のような形になってしまったため、一頭地を抜く存在になった。当時、「江副(浩正・リクルート会長)は将来のある政治家にカネを回したが、俺のところには来なかった。将来がないというのもいいことだ」と嘯いていた。その金丸氏が藤波氏の逮捕を聞いて「自民党に300人の代議士がいるとして、汚れている順番に並べたら、藤波は299番目だ」と驚いたくらいで、この逮捕には誰もが首を傾げた。

 

・その頃の建設省、運輸省、農水省などには自民党に強力な応援団がいて、予算をまさに分捕っていた。法務省には応援団などいるはずもないが、藤波氏は矯正施設の修復といったどう考えても票にならないところに目配りしていた政治家だった。それだけに「なぜだ」の思いは本人が一番、強かったはずである。

 公判を通じて自分がスケープゴートにされたのだと思っても、一方でその時の内閣の官房長官としてこれを受入れなくてはならないという責任も感じ、煉獄の火に焼かれる苦しさだったろう。

 

<この本の読者の数の上限は「全国の政治記者とそのOBの数プラスαである」ということになろうか。>

・その伝でいけば、筆者も海外勤務などで永田町を離れていた時代や、管理職となって永田町を「遠望」していた時代も含めれば政治取材歴40、安倍晋三首相から数えて22人前の三木武夫首相から取材と長さだけは結構な水準である。

 そのうえ幸か不幸か、野党や労働界を担当したことはなく、政府・自民党、すなわちほとんどすべての期間、政権与党だけを取材してきた。

 くわえて自民党でも実力者といわれるようないわゆる大物と、ちょっと語弊はあるが、規格から外れた政治家の取材に自主的に傾斜してきた。

 

 

 

『なぜいま安倍晋三なのか』

山本一太  リヨン社  2006/8/10

 

 

 

官僚に評判のいい政治家なんて

・「新しい政治文化」というのは何も政治とカネの関係に限ったことではありません。これまでの政治と官僚の関係を見直す、すなわち、旧来の政官の文化を変えるという視点も重要です。

 

・その政策判断がもたらした結果については、当然、政治家が最終責任を負います。

 

 ところが、日本ではこれまで政治家と官僚の間に貫かれているはずの原理原則が、実際には「絵に描いた餅」になっていました。官僚を縦横無尽に駆使するはずの政治家が中央省庁の応援団にされ、逆に官僚に使われるという「主客転倒」の姿になっていったのです。

 

・たとえば、私が、力を注いできた外交、安全保障の分野をとってみても、外交政策決定のプロセスは実質的に外務官僚が独占してきました。これは官僚が悪いというより、政治家の罪だと思います。官僚をコントロールするだけの力量が政治家のサイドになかったということに他ならないからです。

 

・私は、「官僚に評判のいい政治家」をあまり信用しないようにしています。特に外務省に好かれている政治家は要注意です、それは外務省の世界観や常識の枠にとどまっていることを意味するからです。

 

いままでの政治政策決定プロセスはぶっ壊せ

・官僚主導の政策決定プロセスは、この国で過去50年間にわたって続いてきました。このシステムを変えるというのは、決して容易な作業ではありません。政治を官僚の手から取り返す試みは、党と政府の内部で同時並行的に進められています。党においては個々の政治家が族議員として特定の省庁の省益のために行動する「持ちつ持たれつの構造」を打破すること。

 

官僚の「天下り文化」が崩壊しつつある

・「政治家というものは選挙があるから、短期的なことしか考えられない。長期的なビジョンでものを考えられるのは官僚しかない

 

・私は、官僚主導の政策決定と言う構図は変えなければならないと感じていますが、「何でもかんでも官僚叩きをすればよい」という最近の風潮には違和感を感じます。官僚組織のモラルを一気に低下させることは、国益上、得策ではないと考えているからです。

 

・日本が議員内閣制をとっている限り、大統領制をとる米国のように「議員立法」が法案の主流になることは考えにくい気がします。英国と同様、政府提案の「閣法」が今後とも法案の中心を為すとすれば、立法の過程における官僚の役割は引き続き重要となります。実際に成立した法律が機能するかどうかは、法律学者には判断できないからだ。

 さらに付け加えるなら、現段階で官僚組織を代替するようなシンクタンクは育っていません。

 

・安倍さんが党改革本部長として号令をかけた自民党のシンクタンク構想は極めて重要である。

 

私は、マイナーリーグ(参議院)の、大した肩書も持たない「ちび議員」です。が、政治家として自分がやったことに責任を取る覚悟だけは持っています。いつ議員バッジを外してもいいという気持ちで政治活動をやってきました。

 

新しい政治文化と古い政治文化の衝突

政界でのキャリアが長ければ長いほど、「古い政治活動の慣習」に染まってしまうのはある意味当然かもしれません。その証拠に「政治とカネの問題にメスを入れるべきだ」と主張するベテラン議員には、ただの1人も会ったことがありません。

 

理由はいたって簡単です。現在の法律をそのまま厳格に適用すれば、「私の政治活動にグレーゾーンはない。政治資金や選挙活動に関する全てのルールを100%守っている」などと言える国会議員は、ほとんど存在しないからです。少なくとも私が、知る限り、そういう政治家に会ったことはありません。

 

・私は、父親(故山本富雄参議院議員)の地盤を継いで当選した、いわゆる「世襲議員」です。地盤や看板と言う点では、亡父から貴重な「無形の財産」を受け継ぎました。このことには感謝しています。

 しかし、同時に「古い政治文化の尻尾」という負の遺産も引き受けることになったのです。この10年間は、亡父の残した、無形の財産を生かそうと努力しつつ、古い政治文化の尻尾を切り取るための戦いでした。

 

・「おかしい」と思っていることが、なかなか変えられず、「自分には国会議員の資格があるのだろうか」「このまま政治家を続けていいのだろうか」と真剣に悩んだことも、一度や二度ではありません。

 

他の政治家を比較しても何の意味もありませんが、自民党の国会議員の中では「クリーン度」というジャンルで上位5%に入っていると自負しています。

 

 

 

『永田町、あのときの話』  ハマコーの直情と涙の政界史

浜田幸一   講談社        1994/2

 

 

 

謀略の勝者と敗者

 ・青嵐会(せいらんかい)の事務局長までして中川さんを担ぎ上げてきたというのに、結局、私は、昭和54年(1979年)5月に旗揚げされた中川派「自由革新同友会」には加われじまい。

 このあたりから、昭和58年(1983年)19日の中川さんの自殺、それ以後の経過については、拙著『日本をダメにした9人の政治家』(講談社刊)に詳述しているので、そちらを読んでいただきたいが、あとで考えれば考えるほど、中川さんと中川派をめぐる一連の出来事は、福田赳夫・三塚博一派の謀略であったとしか思えない。

 

<池に戻れず干上がった鯉>

・小なりといえ派閥の領袖、閣僚経験(農林大臣、科学技術庁長官)もあり、次代を担うニューリーダーの一角に名を連ねていた政治家・中川一郎の急死は、それだけでも重大なニュースだったが、それがやがて自殺と判明して、国民の間にさらなる衝撃が走った。

 なんの遺書も残さなかったとされるため、死後、その原因をめぐっていろいろと取り沙汰されたが、自民党史の流れの中でとらえるなら、ややきつい言い方だが、結局のところ、派閥抗争の敗者としての死を選んだと言えるのではないか。

 

・そとのとき、私はなにをやっていたか――。恥ずかしながら、ラスベガスでのトバク問題によって、謹慎中の身だったのですよ。かえすがえすも、情けない!

 

田中角栄の“お盆手当・餅代”リスト

・当時、私はまだ駆け出しの1年生議員。

いいか、お前な、天下とりになるためには、こういうことが必要なんだよ。よく見ておけ

 そう言って、田中さんが23枚の紙片を見せてくれた。そこには、国会議員の名前がずらっと書いてあり、その1つの名前の横に、「5百・3」とか、「5百・5」とか記してある。

 聞けば、たとえば「5百・3」というのは、その議員に対し、田中さんがこれまでに5百万円を3回、計15百万円渡したという意味だという。盆暮れに渡す“お盆手当”や“餅代”、選挙のときの陣中見舞などだ。

 5百万円といえば、当時のサラリーマンの平均年収は約120万円くらいだから、約4倍以上の大金だ。最後の部分までは見せてくれなかったからわからないが、私が見せられた一覧表には、1回から5回までの記載があった。

 

派閥の領袖が配下の議員たちに年末に“餅代”と称する金を渡すのは、永田町では常識だが(ただし、23百万円が相場)その田中さんのリストには、田中派以外の自民党議員から、当時の野党議員たちの名前まで、ズラリと並んでいた。

 とくに野党議員の場合、各党の党首、幹部クラスだ。国会議員なりたての私、これにはぶったまげたね。

 ・いまではすっかり様変わりしてしまったが、派閥の領袖たる者、次の4つの条件が不可欠だった。

1に金。盆暮の手当はどこの派閥も同じ。田中さんが金脈の指弾を受け、三木武夫さんや福田赳夫さんらは「クリーン」とか「清貧」とかを売り物にしていたが、田中さんに比べて、金の集め方が下手だっただけの話。

2の条件は、面倒見がいいこと。

3にポストをとってくる力があること。

4が人間的魅力。

田中さんは、これらすべての条件に秀でていた。まさに派閥政治の権化のような人だった。

 

競争心なき政治家は去るべし

・昭和63年(1988年)12月、リクルートコスモスの未公開株の譲渡問題で蔵相の宮沢さんが辞任したのは、私が前々から言っていた「宮沢派(宏池会)は闘争心に欠ける」という弱点が、もろに出た結果だ。

 

・自民党の中にも、根まわしの好きな派閥と嫌いな派閥があり、言うなれば、根まわしと喧嘩が不得意の宮沢派が、野党側から狙われたということだろう。

 宮沢さんは、戦後、日本がまだ4等国と言われていた時代に、日本の国益を背に今日の日米関係を築いた人だ。経済政策にも明るく、通訳なしで、世界の首脳クラスと一人でどんな議論でもできる英才。

 

・しかし、あまりにも遅すぎた春、宮沢さんの切れ味もすっかり鈍っていた。それまでの経緯から、周囲に対する不信感もあったのだろうが、とにかく人の話に耳を貸さない。そのくせ、結論をどんどん先送りする優柔不断さ。

 外交と並んで、経済にも精通しているはずなのに、積極財政への転換の機を失って、不況をますます助長してしまった。

 

宮沢さんはあまりに頭がよすぎたため、他人がバカに見えた。しかし、われわれから見たら、単なる人望のなさにしか映りませんよ。

 

<天才的な衆参ダブル選挙の発案>

・田中角栄という人は、日本の政治史上でも傑出した人物の一人に数えられると思う。

 政治家の能力は、人材の使い方にある。たとえ98パーセントの欠陥があっても、残り2パーセントの才能をうまく使う能力である。

 その点、田中さんの能力は抜群だった。とくに、役人の使い方、若い政治家の使い方が実にうまかった。

そして、派閥内の人事、派閥統制の妙も見事だった。要するに、分断するようで分断しない。ライバル同士を競わせて希望を持たせるなど、のちの竹下さんや金丸さんの人事は、ことごとく田中さんから自然に学びとったものといえる。

それから、田中さんは選挙の神様だった。

 

すべてはウラで決まっている

・ポスト中曽根は竹下――しかし、これがかなり危ういところだった。例の皇民党による“褒め殺し”のせいだ。これには、金丸さんもあわてたようだね。そこで、解決策を東京佐川急便の渡辺広康社長を通じて、稲川会の石井進会長に依頼したということらしいのだが、やはり、政治家としては、そういうやり方はよくない。

 そうした解決方法がどうこうよりも、その問題が起こってきた背景のほうが重要である。

 竹下さんを称して、よく「まめな、つき合いを欠かさない人」と言われるが、マメでそだつのはハトだけ。その実態は「カネのつき合い」にほかならない。

 

ラスベガス・トバク事件の真実

・昭和55年(1980年)3月6日、東京地裁でのロッキード事件に関する公判の中で、聞いたこともないような話が飛び出してきて、私は一躍“時の人”ですよ。検察側の冒頭陳述補充に曰く――。

小佐野被告がロッキード社から受け取った20万ドルは、昭和48年(1973年)113日、ラスベガスのホテルに対し、カジノで負けた借金の支払い保証をしていた分の返済に使われた。カジノで負けたのは、K・ハマダという人で、47年(1972年)の10月のゲームで、150万ドルの借金を負った。小佐野被告は借金の保証人としてホテルと交渉し、120万ドルに値引きしてもらうとともに、支払いを肩代わりした

“寝耳に水”とは、このことだ。これを聞いて、自分でも「ええっ」とびっくりしたほどである。

 

・私はラスベガスへ行ってギャンブルをし、負けた。これは否定のしようもない。

 当時のレートは1ドル367円だから、150万ドルといえば46千万円ぐらいに相当する。一緒に行った人たちの分も入っているのかもしれないが、まあ、この際、そういうことはどうでもいい。

 私がびっくりしたのは、私の借金を小佐野賢治さんが肩代わりしてくれたという点だ。本当にそうなら、どれだけ助かったか知れない。己の不徳のいたすところとはいえ、支払いには大変に苦労したんだから。

 

・小佐野さんが「支払いを肩代わりした」なんて、とんでもない。前にも述べたが、小佐野さんという人は、そんなに気前のいい人ではない。根っからのビジネスマンなのだ。

 私は、そのときの借金の埋め合わせのために、自分が保有していた株や不動産を売却して、やっと金をつくったのである。

 そして、このこともはっきり言っておこう。そのときの不動産の売り先も、小佐野さんの国際興業グループの会社ではない。

 

<金丸事件>

・平成4年(1992年)8月、東京佐川急便からの5億円受領を認めて、自民党副総裁を辞任、同9月、5億円問題で東京地検から出頭要請、同10月、議員辞職、経世会会長解任、そして平成5年(1993年)36日、所得税法違反(脱税)容疑で逮捕。家宅捜索の結果、隠し財産が60億円とも70億円とも。金庫の中からは金塊も出てきた。

 この金丸信さんをめぐる一連の出来事には、私は実に複雑な思いでした。なにしろ、国会議員2期目以来、押しかけ弟子入りのようなものだが、私が一貫して師事してきた人だったのだから。

 

・実は、私が引退を決意した理由の一つは、この金丸事件なのです。

 なにもかも金丸さん一人に罪を押しつけて、頬っかぶりしているヤツが何人もいるわけでしょう。

 

・私は、実際はムジナでいながら、自分だけ清潔そうなツラをして、偉そうな口をきいているヤツが大嫌いなんだ。そんなヤツは、許すわけにはいかない。

 しかし、私だって、金丸さんから“餅代”をいただき、選挙のときには陣中見舞いをもらってきた一人だ。その私が、テメエだけ頬っかぶり、知らんぷりをしている連中を批判しようと思ったら、議員としてとどまっているわけにはいかないでしょう。

 私も国民のみなさんにお詫びをし、公職を辞した上でなければ、目クソが鼻クソを笑うのと同じになってしまう。

 そこで、私は次の総選挙には立候補をしないと明言した上で、在職中から竹下さんや中曽根さんに議員辞職をお願いしたり、小沢くんや三塚博くん、梶山くんを批判したりしてきた。しかし、彼らにいっこうに反省の色が見えないため、引退後、拙著『日本をダメにした9人の政治家』(講談社刊)を刊行した。

 

金丸さんの逮捕だけで終わってしまったのでは、日本の政治は少しも変わらない。逮捕されるべき人は、まだまだいる。手が汚れている人がいくら制度を変えたって、よくなるはずがない。そんなことをしている間に日本はどんどん国際的信用を失い、地球上における日本国民の長期的生存は、どんどん危うくなっていく。つまり、自分たちの子や孫の代に禍根を残すことになるんです。

 

権力亡者による三つ巴の抗争

・ことの真相は知らないが、田中退陣の引き金となった「文藝春秋」掲載の「田中角栄研究」について、当時、三木・福田の謀略だとの説があった。少なくとも、田中さんはそう思い込んでいた。

 

毎朝8時半から勉強している国会議員もいる

・通常、自民党議員の1日の仕事は、午前8時半、東京・永田町にある自民党本部での朝食会からはじまる。議員はすべて自分の専門分野をもち、党内のそれぞれの専門部会に所属している。

 

<選挙に勝つ家>

・余談になるが、政治家の家の建て方というものがあるんですよ。この建て方が選挙の結果にも大きく影響してくるから、無視できない。

 政治家にとって、自分の家は、生活の場であるとともに、政治活動の場でもある。そこで、政治家の家にまず不可欠なものは、50人から百人が集まれる大広間だ。だから、政治家が家を建てるとなれば、まず子供部屋は犠牲にしても、50人以上入れる大広間を中心に考える。

 次に気をつかうのが、台所だ。50人、百人の人間にお茶を出したり、夜食をつくったりするためには、それなりの広さがなければならない。

 次が書生部屋。将来有望な青年を育てていくのも、政治家の義務である。書生の3人や4人、常時手もとに置いていないようでは、政治家とはいえない。

 

<権力欲への度が過ぎて>

確かに、あれだけの才能をもった政治家が、一挙に総理大臣の座に駆け登りながら、「文藝春秋」という1冊の月刊誌に載ったたった1本の記事(立花隆「田中角栄研究――その金脈と人脈」)をきっかけに退陣を余儀なくされた。当人とすれば、さぞや不完全燃焼の感が強かっただろう。

 それだけに、政権の座から下りたあとも、田中さんはなお権力に執着した。いや、ますます権力に妄執した。

 

大学に入って芋づくり

・しかし、母も一緒になってすすめることでもあり、まあ、東京に出るのも悪くはないと思い、日本大学農獣医学部拓殖科へ入学した。

 入学してはみたものの、「いずくんぞ勉学ありや」とスネていたところだから、もちろん満足に大学なんかには行かない。第一、大学で教えていたのは、毎日、水道橋の校舎から大学の農園に行って、芋づくりばかり。

 芋をつくるぐらいなら、なにも学校へ行かなくたっていい、家でもやれると思って、早々に中退してしまった。

 

<賭場通いの日々>

・人生の目標なんてものは、微塵もない。10代の終わりごろから、20代の半ばごろまでは、不良少年、チンピラの時代だった。

 とにかく、一時はものすごくグレてグレて、本格的な不良というか、いっぱしの遊び人で、ほとんどヤケッパチで生きていたようなものだった。

 ヤミ市で本物のヤクザと大立ちまわりをしたり、それが縁で、そのスジの連中とも仲良くなったり、はたまた賭場に出入りしたり……。

 

3畳の畳の上で>

・結局、グレていたころの前歴がわざわいして、料理屋荒らしまで私の仕業であるかのように報道されてしまったが、実際は以上のような経緯なのである。

 ただ、いまでも忘れられないのは、私が逮捕されたとき、町の青年団の仲間たちが、そんなどうしようもない私のために、釈放の嘆願までしてくれたことだ。

 また、私が起訴されたとき、母は少しでも私の刑が軽くなるようにと、あちこち金策に駆けまわって、高い弁護料を工面し、木更津でもっとも有名な弁護士を頼んでくれた。

 獄中にあって、懲役でやらされたのは、味噌や醤油をつくることだった。毎朝早くから、1日に96本のタライを洗い、桶を洗う。麹と塩を混ぜるのは、みな手作業であった。

 

稲川会長の紹介で児玉誉士夫のもとへ

・私は稲川会の稲川角二会長と、私より4歳年上で、のちに稲川会2代目会長になる石井進さんにも、いろいろご面倒をかけ、お世話になっていた。

 若気のいたりで、私が世をスネて、ヤクザの世界でしか生きていいく道はないなどと思っていたときに、「お前のような意気地なしには、任侠はつとまらない。お前は政治の道に進め」と諭してくれたのが、稲川会長である。石井さんはそのころから、「これからは愚連隊ではダメだ」と口癖のように言っていた。

 

・それはともかくとして、昭和35年当時、稲川会長は児玉さんに心酔しているところがあった。そこで、私が国会議員選初挑戦に敗れたとき、国会議員を目ざすのなら、少し児玉さんのもとで勉強でもしてみたらどうかと、すすめられたのである。

 

児玉邸に出入りしていた実力者たち

・児玉さんのところに行って、まずやらされたのは、下足番と電話番。だから、当時、政治家の誰と誰が児玉さんのところに出入りしていたか。みな知っている。

 たとえば、自民党総裁の河野洋平さんのお父さんである河野一郎さんや、当時、河野派のホープだった中曽根康弘さんからの電話を取り次いだこともありますよ。

 とにかく、当時の政財界に対して、児玉さんは睨みをきかせていた。政財界の実力者たちは、児玉さんに対して驚くほど腰が低かった。文字どおり、「三顧の礼」を尽くしていた。

 

 <●●インターネット情報から●●>

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より引用。

「中川一郎」

自殺説と他殺説

 

その死にはいくつかの疑問点があるとして、今もって議論されることがある。

 

遺書もなく、また急ぐように2日後には火葬したことや、死因の変更などでにわかに「他殺説」が浮上した。直前、中川は当時第一秘書だった鈴木宗男と口論した噂はあるが、根拠はない。中川の秘書から北海道選挙区選出参議院議員となった高木正明が、本人の名誉を考え早急の火葬を行う指示を行ったとされる。他殺説は事実無根として、鈴木をはじめ関係者一同が抗議している。

 

内藤國夫 1985, p. 251によると、

中川一郎突然死のあと、巷に流れ出た“噂話”には、さまざまなものがあった。ソ連の対日工作員レフチェンコから中川一郎が巨額な政治献金を受け取っていたのを、中曽根・後藤田ラインに知られ、暴露するぞと脅され、悩んでいたとの話に始まり、総裁選で膨大な金を使いすぎ借金返済に困窮していた、ソ連のKGBに謀殺された、ニュージーランド沖のイカ漁や韓国の水産関係者との利権を“角筋”によって絶たれた、さらには、総裁選挙後に“肝臓ガン”を告げられ悩んでいた等々などが主なものである。いずれも根拠のない、無責任な“噂話”ばかりである」

という。

 

なお、201010月に鈴木宗男は、中川が19757月に世界銀行の招待で南アメリカ諸国を歴訪する出発前日に全日本空輸の藤原経営管理室長と料亭で会食した際に、「餞別」として100万円を受け取ったこと、さらに後の東京地検特捜部による「ロッキード事件」の「全日空ルート」の捜査の過程でこのことが明らかになり、19768月に特捜部からの事情聴取を受けていたことを、月刊誌『新潮45』の記事で証言している。鈴木は、このことを後の1982年に福田赳夫に追及されたことが自殺の原因となったとも記しているが、これに対しては中川の妻の貞子が否定している。

 

中川の死から5日後の1983114日、東京のソ連大使館からモスクワに宛てたKGBの暗号電報に、ソ連のスパイであり、テレビ朝日専務だった三浦甲子二の話として「中川は明らかに他殺だ。CIAの手先に消された」と記されていたことが明らかになっている。ほか、「鈴木はCIAと結託して中川を収賄疑惑に引き込んだ」との記述も確認されている。

 

自殺の原因としては、「しゃにむにニューリーダーの一角に割り込み、13人の少人数ではあるものの、自民党に自分の派閥を作り上げて総裁候補にまでのし上がった。その過程で、人間関係や政治資金などで相当の無理をしており、その心身の疲労が自殺という形で爆発してしまった。」というのが定説である。

 

 

 

『世襲格差社会』 機会は不平等なのか

橋本俊詔 参鍋篤司   中公新書  2016/5/18

 

 

 

<二極化する世襲は、日本に何をもたらすのか!?

・医師、農家、政治家などの職業はいかに継承されているのか。世襲を通して、日本の不平等を考える。

 

<医師の世界における世襲>

・日本において世襲の数が多いのは、前章で見た農家と商家であろう。だが、世襲の意味を際立たせているのは医師である、と言ってよい。

日本の医師の数は2008年度で286699人(男性234702人、女性51997人)である。ついでながら人口10万人あたりの医師の数は200人強であり、先進国の中では非常に低い数となっている。この日本の医師の子どもは、どれほどが医師になっているのだろうか。

 

医師のうち約25%以上が医師の父親をもっていた。そして、その中でも父親と同じ診療科なのは全体の約15%である。つまり、60%前後が同じ診療科を引き継いでいるのである。ついでながら90%が息子であり、そして60%が長子であるために、大半は男性医師の長男が世襲していることがわかる。医師のうち開業医は25%ほどなので、それほど多い数字ではないかという解釈も可能である。

 

・ところで、医師には病院で医師の仕事をする勤務医の形態がある。日本の医師のうち約60%が勤務医である。

 

<医学生の過半数は医師の子ども>

・国立大学医学部に在籍する学生の親の職業が医師である比率は、大学によって差があるので30%から60%、私立大学医学部に在籍する学生にあっては、それは50%から90%の範囲にある。

 

<女性医師の増加>

・医師は現時点で男性23万人、女性5万人の性比である。およそ18%が女医だが、その数はこれから急増が予想されている。なぜなら大学の医学部で学ぶ女子学生の比率は約3分の1に達しており、今後の医師の世界では女医の目立つ時代になることは確実である。

 

<司法の世界>

・親子ともに法曹人である比率を示す数字はない。ただ、かなり信頼性のある資料からそれを類推できる。日本弁護士連合会が発行している『自由と正義』という文献(2011年発行)では、弁護士である人の父母が同じく弁護士である比率は6.4%、おじ・おばが2.9%、おい・めいが1.9%と報告されている。親族の比率は1011%だ。医師と比較するとかなり低い世襲率であることがわかる。

 本来ならば裁判官や検事の世襲率をも視野に入れねばならないが、法曹人では弁護士が圧倒的に多いので、この世襲率で司法の世界を代表させてよいと思われる。

 

日本の国会議員と世襲

日本の国会議員は、いわゆる世襲議員の占める割合が、国際的に見て非常に高いのはよく知られた事実である。

 世襲議員が多いことのデメリットはよく指摘されている。政治を志すさまざまな人間が議員となる機会を奪い、参入障壁を高くする点や、議員にふさわしい能力と意欲を持たないにもかかわらず、世襲によって議員となってしまう点などが議論されている。

 

・しかし、その一方で世襲議員は、ジバン(後援会組織など)・カンバン(知名度など)・カバン(資金管理団体など)のいわゆる「三バン」に恵まれているので、選挙区における冠婚葬祭、地元の行事への出席などに時間を奪われることがなく、本来は国会議員が集中して行うべき、国会における政策論議に集中することができ、政策に詳しくなることができる、という議論もある。

 

・そもそも、政治家のパフォーマンスは、営業利益率などで計測できる類のものではない。また、政治家のパフォーマンスは、その政治家の信念などが一致する評価者から見れば高く、一致しない評価者から見れば低くなるのは当然である。

 

・この定義のもとで、世襲議員が非世襲議員と比べて、どの程度選挙に当選しやすいか、という分析を行うと、世襲1から世襲4(世襲13世代にわたる世襲、世襲22世代にわたる世襲、世襲3=祖父からの世襲(親は議員ではない)、世襲4=おじからの世襲(親は議員ではない))までが、選挙に有利であることを示した結果となっている。世襲5(親が地方議員・首長)と世襲6(配偶者の親が国会議員)は、非世襲議員と比べてとくに選挙に強いわけではなかった。したがって、本書では、世襲1から世襲4までを世襲議員と定義する。

 そして、この定義による世襲議員は、非世襲議員と比べ、第46回衆議院議員総選挙(2012年)において、小選挙区で当選する確率は37%も高かったのである。

 

所属政党については、世襲議員は圧倒的に自民党に多いことがわかる

<国会での活動と世襲議員>

・結果は、中央官僚、地方議員、地方公務員・NPO経験者が活発に活動していた。官僚、地方公務員は、現役官僚に負担の大きい主意書を活動手段としてそれほど用いていない一方で、地方議員経験者は大いに活用している。また、次回選挙において、比例で出馬する人は、質問時間・回数が多くなっていることがわかった。

 

しかし、世襲と非世襲議員の活動量の違いはここでもなかった。結果として、世襲議員は、その再選確率は高く、国会活動に割ける時間が相対的に多いと考えられるにもかかわらず、そうした傾向は観察されなかったと言えよう。

 

・ただ、ひとくくりに世襲議員と言っても、その中には活発に活動をしている者もおり、そうでない者も存在する。当然、世襲議員で活動量が多いのはどのような議員なのか、検討が必要となるだろう。

 その結果、世襲の女性議員のパフォーマンスが高くないこと、そして世襲の官僚出身議員のパフォーマンスが高いことを示していた。また、逆にサンプルを非世襲議員に限定して同様の分析を行った時、女性議員のマイナスは消え、官僚出身者のプラスの効果も消える一方、民間企業経営者出身者の効果はマイナスになる傾向が観察されている。

 

活動量の多い議員に投票すべきか

・世襲議員の支配的な現状が維持されることとなれば、「男性中心・官僚中心」といった政治体制が維持されていく可能性がある。そうした政治が今後の日本にとってはたして望ましいものかどうかという観点から、国会議員の世襲についての議論は必要となる。

 

<政治家と世襲>

・政治家となった初代の人の苦労は、大変なものがあるに違いない。それは多くの政治家の証言としても残っている。

 子どもにはそういう地を這いずり回るような経験をさせたくないので、強固な地元の後援会組織を作り上げ、子どもはその神輿に乗るだけ、という状況が大なり小なり出来上がることになる。

 

・また、政治資金団体の相続は、基本的に無課税である。世襲議員は、そうした地元の集票組織が問題のある行いをしていても、それに気づかず(あるいは気づいても素知らぬ顔をして)、東京で教育を受け育ち、学校を卒業したのちも富裕な人々に囲まれ、そして地盤を引き継ぎ、優雅に暮らすことになる。そうした暮らしを続けていくうちに、世の経済格差、地方と東京の格差などについて、鈍感になっていく。

 

・さらに世襲議員の存在は、一般の国民が議員となるのを妨げている側面もある。非世襲議員は、一度落選してしまうと、その後の生活が成り立ちにくい。日本の大企業ではとくに、まだまだ雇用の流動性が低く、選挙に出場するのはかなり大きなリスクをともなう。ましてや、世襲議員が存在する選挙区に参入することのコストはかなり大きく、そのコストは完全に腐敗してしまい、回収することも難しいだろう。

 

・「普通」の人が、国民の代表たる議員になることは、非常に困難な状況であると言ってよいだろう。世襲議員の存在感が増すことは、その結果、世襲議員自体の質が問題となるだけでなく、「非」世襲議員の質を低めてしまうことにつながり、こうした弊害の方がむしろ大きいと言わざるを得ない。

 

世襲の制限を謳った民主党政権の誕生は、こうした状況を変える契機であった。にもかかわらず、その政権運用のまずさや、経済政策や安全保障政策に対する無理解から、国民の信頼を完全に失ってしまった。そのために、世襲の制限といった話題は、国民の一般的な関心から外れてしまっている。

 その結果として、政治への参入障壁の高さは依然として変わらない、あるいはより高くなってしまい、リベラルな意見が反映される機会も大幅に減少することとなった。それが日本へ及ぼす負の影響は、計り知れないものがあると言わざるをえないだろう。

 

 

 

『よい世襲、悪い世襲』

荒 和雄    朝日新聞出版       2009/3/30

 

 

 

<政界の世襲>

<首相は世襲議員でなければなれないの?>

・プロローグでも悪い例として挙げたが、世襲制の中で最近世間に特に注目されている業界が政界である。日本の政治は、世襲政治家、世襲政治一家によって支配されているといっても過言ではない。

 

・麻生太郎首相の祖父は、吉田茂元首相、その前の福田康夫元首相の父は、福田赳夫元首相、そして三代前の安倍晋三元首相の祖父は、岸信介元首相である。このようにみると日本国の首相になるには、これら三人の首相のように祖父あるいは父が首相になった家系に生まれなければ首相になれないという理屈になる。

 

・国の行政の最高責任者の首相が、元首相の家系、さらには内閣を構成する大臣の半数が世襲議員である現状をみれば、現代日本の政治は、表面は近代民主国家ではあるけれども、中身は世襲議員による世襲議員や世襲一族のための世襲政治といわれてもいたしかたない。

 

これでは、口では「国民の目線で政治を変える」といくら唱えても世間一般の常識から大きくかけ離れ、政治は世襲政治一家の論理や常識がまかり通ってしまうことになる。その上、政治家として出世するには「世襲一家出身であること」が大きなキーポイントになっている。

 

<世襲議員の実態>

・図表は、2005年当時(郵政解散後)の衆議院議員の世襲の実態である。

 この数字でみると、自民党は129名と議席数の半分近くを占め、自民党イコール世襲政党のイメージがわく。

 一方民主党を図表でみると25名、全体の22.5%に達している。まさに第一党の自民党、第二党の民主党も世襲議員のオンパレードといったのが実態である。

 

・党の本部・支部の公認を得て、晴れての出馬となるが、他の立候補する新人と違い、世襲議員には、親から引き継いだ強力な「地盤」「看板」「カバン」という基盤がある。これを武器にしての選挙戦となる。

 

資金管理団体の場合

・今日でも政治家に伴う金銭のトラブルは、毎日のようにマスコミを賑わしている。政治家が政治活動、なかでも選挙活動を行うには膨大な経費がかかるのは多くの人たちは知っているが、健全なる民主主義のために日本では政治資金に関して三つの制度や法律を定めている。

 

 第一は、政党や政治団体などの政治資金の収支の公開や授受等の規正を定めた「政治資金規正法」がある。

 

 第二は、政党助成制度、政党助成法がある。

 

 第三は、政治資金収支報告書・政党交付金使途等報告書の提出の義務付けとその公開がある。

 

<「カバン」の総元締は「資金管理団体」>

政治家の世襲という面で、問題なのは資金管理団体の世襲であろう。政治家の妻子がそのまま資金管理団体を引き継ぐことは、現行法では認められているものの、世襲以外の政治家あるいはそれを志す立候補者からみると、その引き継ぎは当初から大きなハンディキャップを負うことになり、不利であることは明らかである。

 政治活動の公明と公正を確保しつつ、日本の民主政治の健全なる発展に寄与することを考えれば、この資金管理団体の世襲・引き継ぎに関してはその是非について十分なる議論をすべきものといえよう。

 

特に「悪しき世襲族」の代表格ともいえる政界では「地盤」「看板」「カバン(資金)」の三つの基盤を持った世襲議員が長い間にわたって政府や政党の要職を占めている。一体これで日本の政治は、大きな世界的な変革の潮流の中で生き残れるのか疑問を感じざるを得ない。

 折しも米国では100年に一度あるかないかといわれる大不況の中で、黒人のオバマ大統領が誕生、国民に自分の言葉で「変革」への対応や痛みを熱く呼びかけ、共にこの危機を乗り越え、米国の復活を果たそうと最大限の努力を振り絞っている。こうした米国の政治の果敢なる挑戦への現状をみるにつけ、政治制度の仕組みや国民気質や文化の違いはあれ、日本の政治はあまりにもお粗末、国民の意思を如実に反映したものとは程遠い。その元凶の一つは与野党、特に自民党における世襲議員の多さだ。

 政治に「変革」を望む国民は、新しい発想と果敢な行動力を持ち、人望と政策とを抱えた新しいリーダーの登場を待ち望んでいるが、そこには「世襲」という大きな壁が立ちふさがっている。

 

事業承継

・しかし、世襲を一概に「悪」と決めつけてしまうものではない。中小企業経営の研究をライフワークとして事業承継等を通じて長年後継者ら若手経営者を指導してきた筆者が、全国の講演活動や現地での指導・相談を通じて特に強く感じたことは、いま地方経済がピンチに陥り、疲弊している現実だ。特に地方都市にある老舗、商店街や地場産業自体が「後継者不足」を理由にM&A(企業の合併・買収)の危機にさらされ、特色のある企業、元気な企業までも東京系の企業に企業買収されている現実である。

 

<世襲のメリット>

1、 長期的視野に立っての引き継ぎと後継者の育成

2、 経営理念、経営信条、家訓など「ハート」の引き継ぎで盤石な世襲を

3、 世襲を支える社史、自分史の編纂で歴史の一頁を伝える

4、 幅広い人脈、支援団体など組織の引き継ぎとバックアップ体制

5、 後を継ぐリーダーが特定、そのため権力闘争や派閥争いとは無縁

6、 世襲者を中心としての社会的な権力・権限・地位の継承

7、 経済基盤や商圏が確立、時には地域経済振興の地位も継承

8、 家名、世襲名を通じてのブランドの浸透

9、 新規事業・新分野への挑戦の余裕

 

<世襲のデメリット>

1、 人材不足、後継者不在の厳しい現実

2、 支配者を代表する世襲者たるリーダーが能力に欠ける場合、被支配者層は常に下流に漂流させられる

3、 世襲者たるリーダーに対する絶対化、偶像化

4、 特定の地位・肩書き・職業を安易に手に入れることへの不公平感、喪失感

5、 組織の論理や掟によって常に守られている

6、 公平なレースに勝ち抜いてきたとする錯覚と驕り

7、 政治家の世襲化は官僚支配の温床か

8、 家名を継ぐことのみ求め、肝心の「志」や「成果」は二の次

 

・改めて「世襲力」を見直して、よき世襲はさらに伸ばし、悪しき世襲はこれを廃止する、また廃止させるを得ない事態に追い込まれることを世襲者は考え直すべきであろう。

 

<いまこそ「世襲力」の結集を>

・次に企業経営者を中心として「世襲力」を13の要因にしてみよう。

 

1、 兆戦力

2、 家族力

3、 地域力

4、 特定の地位、肩書き、権力、権限の継承

5、 誇り高き由緒ある家名、家訓の継承。それに伴う周囲の尊敬と尊拝

6、 社会のリード役としての誇りと名誉。それに伴う重い責任と義務の自覚

7、 後継者の選択と教育に関しての「ゆとり」のある計画とその実施

8、 有事に役立つ「ピンチ」を「チャンス」に変える最高の英知たる「経営信条・理念」「家訓」の継承

9、 創業家・世襲家中心の結束力、一段と強固な閨閥作り

10、 官庁、業界団体、金融機関、取引先等の「信用」と「信頼」の継承

11、 「ブランド」「暖簾」「家名」一体化による長期間にわたる固定客の確保、安定

12、 豊かな財産、資産の継承による上流社会の生活の維持と安定

13、 「家名」などの信頼から人的ネットワークの構築が安易

 

 

 

『日本政治のウラのウラ』   証言・政界50

森喜朗  田原総一朗    講談社   2013/12/10

 

 

 

<ラグビー部退部>

・ラグビー部を退部する以上、大学も辞めなければいけないと思って、大西鉄之祐監督のところに行きました。「ラグビー部を辞めますから、大学も辞めます」と言ったら、「バカヤローッ」と言われて、ぶん殴られそうになってさあ(笑)。その時、大西先生はぼくにこう言ったんだよ。

「オマエなあ。何を考えているんだ。ラグビーを何だと思っているんだ。ラグビーはなあ、人生の目的じゃないぞ。手段にすぎない。だから、ラグビーがダメだと思うなら、大学で他のことをしっかり学べ。そして、何か大きなことを成し遂げてラグビー部の連中を見返してやれ。大学を辞める必要なんてないから、そうやってラグビーに恩返ししろ。それだけ、きみに言っておく」

 

<早大雄弁会>

・「あのなあ、早稲田の雄弁会は永井柳太郎先生が作った会なんだよ」

 

――石川県が生んだ大政治家の永井柳太郎ね。

 

森 早稲田大学の創立者である大隈重信も仲間で、永井先生が雄弁会を作ったんですね。横山さんに「だから、石川県人は雄弁会に入る義務がある」(笑)と言われて。ぼくも納得したわけです。雄弁会には、石川県人が結構多いんですよ。それで、「雄弁会の役員に知り合いがいる。紹介してやるから明日会ってみな」と言われて、その人に会って話を聞きました。「どうしようかなあ」とまだ迷っていたんだけど、幹事長が面接するというんで第一学生会館の部室に行ったんですよ。「偉い人が出てくるのかな」と思ったら、青白い顔をした小柄な男が出てきました。それが、後に文部大臣や参議院議長を歴任する西岡武夫さんですよ。

 

――西岡さんは森さんより年上ですか。

 

森 ふたつ上です。喘息持ちでね。「森さんって、あなた? ゴホンゴホン。まあ、しっかりやんなさい。ゴホンゴホン」(笑)と言うので、「こんな方がキャプテン(幹事長)をできるなら(笑)、オレもやれるだろう」と思って雄弁会に入ったんですよ。

 

・――森さんは雄弁会に入って政治志向になるのに、代議士秘書にならずに産経新聞の記者になった。これはどうしてですか。

 

森 いや。新聞記者になりたかったんだ。

 

――政治家じゃない?

 

森 政治家になることがいかに大変かを雄弁会の先輩たちから教わったからね。

 

――どう大変なんですか。

 

森 「森くん、地元の政治家の秘書になったら絶対にいかん。もしなったら、つかえている代議士と戦わなければならないからダメだ」とOBの藤波孝生さんが教えてくれたんだね。彼も自分の地元の三重県津市に近い伊勢の代議士の秘書をやっていました。

 

・森 よく世襲が批判されるけれど、詰まるところ、足の引っ張り合いの結果なんだね。自分が出る勇気はないが、あいつをならせたくもないということになると、代議士の息子が出るしかないんです。息子が出れば「まあ、しょうがないか」ということで収まる。だから、よっぽどのことがないかぎり、秘書まで順番が回って来ないわけです。

  藤波さんの場合は、秘書をやった後、県議会議員をしていましたが、親分の代議士が立派な人で藤波さんに禅譲したんです。これは、珍しいケースですね。

 

・森 うちのおやじは田舎町の町長で絶対的な地盤があるわけではなく、金もなかったから政治家になるには秘書になるしかなかったけれども、そういう先輩たちを見ていて、地元の代議士の秘書になるのはまずいと思ってね。そうすると、政治に携わっていて、政治家になれる可能性があるのは新聞記者ですよ。それで、記者になろうと思った。

 

――本当は政治家の秘書になりたかったけれど、先輩たちを見ているかぎり、秘書になっても代議士になれる可能性は少ないと。それなら、政治とも関係のある新聞記者になろうということね。

 

・――こう言っちゃ悪いけど、森さんは産経も早稲田も試験を受けずに入ったわけね。

 

森 早稲田の試験は受けてますよ。運動部の推薦があったんですよ。

 

――試験を一応、受けている?

 

森 そら、ちゃんと試験を受けていますよ。多少は下駄を履かせてくれたと思うけどね。日経新聞の「私の履歴書」でも、ぼくが勉強もしないで入学したということになっていて、大学が大騒ぎした(爆笑)。投書や問い合わせがたくさん来て「森さんはスポーツで入ったんだろう。それなら、うちの孫もぜひ、そうしてもらえんか」(笑)と。

 

 

 

<代議士秘書>

・――それで、日本工業新聞の記者から、あんなに嫌がっていた代議士秘書になりますね。

 

森 井関農機の創業者である井関邦三郎社長が、愛媛県三区選出の今松治郎代議士と小学校の同級生でね。今松さんは東京大学を卒業して内務省の官僚になり、政治家に転身した人ですが、たまたま秘書が辞めることになった。それで、井関専務から「森くん、今松先生の手伝いをやってくれないか」と誘われたんです。「秘書にだけは絶対にならないようにしよう」と思って行ったんだけど、結局、秘書になることになった。

 

・森 そりゃ、そうですよ。前から「そういうことをやっちゃいかん」と言われていたわけだからね。それで、秘書になってしばらくしたら、今松さんが亡くなったんです。そうしたら、地元の支持者たちが大挙して上京してきて、みんなが私に「選挙に出ろ」と言う分け。だけど、ぼくはこんなところでは選挙は絶対にできないと思った。

 

――それは、どうしてですか。

 

森 とにかく金がかかる。金が平然と飛び交うんだね。

 

――どういうことに金がかかるんですか。

 

森 直接、有権者に渡しちゃうのよ。

 

・森 辺境にある田舎町にはそういうところが多かったんですね。愛媛三区というのはね、金に問題のある人ばっかりだった。田原さん、ご存知かなあ。バナナ事業を起こした大和の毛利松平、日大の理事などをやっていた高橋英吉。この人は事務所に「日大受験の方はご相談に応じます」(爆笑)と書いてあったからね。「オレは、50人から入れる枠を持っている」と豪語していましたけど、50人の相手から御礼をもらったら結構な額になるでしょう。そういう時代ですよ。それから、早大雄弁会の先輩の阿部喜元。

 とにかく、金を使う人ばかりでね。今松さんが落選するのも無理ないんですよ。金はない。演説は下手。見栄えもしない(笑)それでも内務省警保局長という肩書で代議士になったわけですな。そんな選挙区で出馬しても、金がないのだから勝ち目がないじゃないですか。だから、ここで出るのなら、地元の石川県で出てやろうと思ったんです。

 

<出馬した理由>

・森 自分たちの自己満足のために出馬する政治家を選んでいましたからね。だから、元知事とか元市長とか、元県幹部とか、そんなのばっかり出してね。政治家に対する尊敬もなく、長老の県議会議員どもが勝手なことをしていたのが、ぼくには我慢ならなかった。

 

・森 ぼくが幸運だったのは、やっぱり小さな田舎町といえども、親父が町長として有名だったことです。何しろ、9期にわたって無投票当選なんです。当選回数なら10回以上の首長がいるけれど、9回の選挙が全部、無投票だった町長はちょっといないでしょう。

 

<いきなり出馬宣言>

<岸信介元総理来る!>

――それで、新幹線と北陸本線を乗り継いで石川県にやって来たわけだ。

 

森 新聞記者に「いいんですか。元総理が非公認候補の応援に来て」と質問された時、岸さんは「いや、私は、事情はわからない。しかし、森くんは東京では大変必要な人物だ。こういう人に国会に来てもらわないと、自民党の将来も、明日の日本もない」なんてことをおっしゃってね。4~5ヵ所で応援演説をしてくれました。

 

――そんなに演説をしたんですか。

 

森 夕方の列車で小松駅から米原に向かったのだけど、ぼくは親父とふたりで小松駅のホームで見送りました。「最後まで、ありがとうございました」と言ってね。岸先生が乗った列車に向かって、赤いテールランプが見えなくなるまで、何度も何度も頭を下げて見送ったんです。

 

<代議士誕生>

・森 公示2日前のことです。地域を回って夜遅く零時すぎに自宅に帰って来ると、親父から家族、親戚一党がみんな揃っているんですよ。シーンと静まり返ってね。「おっ、どうしたのかな」と思ったら「座れ」と言われて「もう降りろ。親戚中、迷惑している」と言うんだな。

 

――親戚がみんな「降りろ」と言ってきたわけだ。

 

森 親父がね、「今までのことはしょうがない、息子がやったことだから親が責任を持つ。しかし、もう金がないだろう。もう精一杯やったから、ここで止めろ」と言うわけ。珍しく頑として譲らない。周りにいるおばさんや親戚がオイオイ泣いて「喜朗ちゃん、止めて~」(笑)。

 もはや命運もこれまでかと思ったのが夜中の2時ぐらいかな。そうしたら突然、バリバリバリという音がするんですよ。窓の外を見ると、赤々とした炎が上がっている。火事ですよ。

 

――えっ!火事!

 

森 火の手がゴーッと上がっているので、ぼくはサッと飛び出した。そうしたら、50メートルほど先の風呂屋が燃えているんだ。選挙で疲れ果てていた連中を「火事だ、火事だ」と叫んで叩き起こし、風呂屋に駆けつけた。風呂屋の女将は腰が抜けて、その場にへたり込んでいた。ぼくは咄嗟に、火中にあった何か黒い物に水をぶっかけて引っ張り出した。そうしたら、それが仏壇だったんですね。

 これが後で評価されるんです。ぼくが行った時にはもう、他に引っ張り出す物が何もなかったんだけれども、新聞記者はそんなことは知らないからね。「森は大した人間だ。仏壇をとにかく引っ張り出した」ということになって、評価が高まった(笑)それどころか、町長の家の近所が燃えたというだけで、町民がみんなお見舞いに酒を持ってくる。見る見るうちに、一升瓶が山積みになって。「おお、これを酒屋に引き取らせれば、ゼニができる」(爆笑)

 家族会議もそのまま有耶無耶になり、2日後に無事、公示日を迎えました。

 

 

 

『民主の敵』 政権交代に大義あり

野田佳彦  新潮社   2009/7/20

 

 

 

世襲はやはりおかしい

・国会議員の世襲を禁止するという話が出ると、憲法で保障された職業選択の自由に反するという反論が必ず出ます。確かに建前としてはそうかもしれません。しかし、現実にはアンフェア、圧倒的な機会の不平等をもっているのです。

 

・実際問題、地盤と看板さえあれば、一番作るのが、簡単なのが、カバンです。自分を支えてくれる支援者の強固な組織、選挙区の誰もが、顔と名前がわかるほどの知名度、この二つは一朝一夕には作れません。

 

現在、衆議院議員480人のうち、世襲は約3割。自民党だけに限れば4割以上です。

 

しかも、二世どころか、三世、四世の時代になっています。小泉さんの息子さんは四世です。これはもう家業です。歌舞伎役者ではないのです。

 

・ごくまれに父親以上にすごい息子が生まれることはあるでしょうから、二世ぐらいはしかたがないかな、とは思います。しかし、三世、四世ともなると私は、弊害のほうが大きいと思います。

 

・最終的に決めるのは一票を投じる有権者の志向によって決まるわけですが、有為の人材が世襲という壁に阻まれることなく国政に参画できる状態を整えておくことこそ、日本の将来を考える政治家のするべき仕事です。

 

・人材の供給ルートが固定化するというのは、長期的に見たら弊害のほうが大きいはずです。

 

 <新日本創成論>

 <師・幸之助さんの願い>

私の師である松下幸之助さんは、1976年に「新国土創成論」を唱えました。日本の一番のボトルネック、諸悪の根源は、狭い国土だということで、山を削って、その土砂を海に埋めて、国土を広げていくというものです。環境に配慮しながら、基本計画を25年かけて制定し、そのあと200年くらいかけて、実現するという大構想でした。私は、そのバージョンアップをやりたいと思っています。「新日本創成論」です。

 

・幸之助さんはそういう問題を気にされていました。1976年からずいぶん時間が経ってしまいましたが、私は、新しいフロンティアを探すつもりです。

 

・狭い国土はある程度仕方がないとして、宇宙と海とハブ化で立体的な発展の方向を考えると日本はもっと魅力ある国になるはずです。

 

・繰り返しますが、社会主義的な統制経済が失敗だったことは、20世紀に証明されました。21世紀初頭を席巻したマーケット原理主義も、やはり駄目だということがわかってきました。だからこそ、重要なのはその中間、中庸です。政府はなんでも民間まかせにするのではなく、公が求められる部分はきちんと責任を持ってやらなければなりません。

 

 

 

『日本の論点  201516

大前研一  プレジデント社   2014/11/14

 

 

 

さて、今の日本にとって最大の論点は何だろうか。>

・種切れのアベノミクス、冷え込んだ中国や韓国との関係、集団的自衛権と日本の安全保障、歯止めのかからない少子高齢化、グローバルな人材を生み出せない学校教育……各論はいくらでもある。しかし論点を整理して一つに絞るならば、約1000兆円(146月時点で1039兆円)を超える巨大な国家債務をどうするか、という問題に尽きると私は考える。

 

・国家債務の問題はこの土砂災害の構造とよく似ている。市場が返済不能と判断したとき、土砂降りのように売り浴びせられて、薄皮のような信用の上に成り立っていた日本国債はズルリと滑って暴落し、日本は財政破綻する。ところが累積債務が危険水域に入っていることを認識していながら、政府はいまだに大型予算を組み、国債を発行し続けている。

 

・大体、世界的に見ても、都市化が進行する中でバラマキをやって地方が“創生”した試しはない。砂地に水を撒くようなものだ。人気取りの無駄なバラマキ政策がまたもや繰り返されて、国の財政基盤はさらにぬかるむ。国債暴落→債務危機という土砂崩れがいつ起きても不思議ではないのだ。

 

40兆円の税収しかないのに、100兆円の予算を組んでいれば綻びが出るのは当たり前である。そうした赤字を埋め合わせるために発行してきた国債や地方債などの債務残高は1000兆円を超えて、世界最大の国家債務を刻々更新し続けている。

 

1000兆円を超える国の借金ということは、国民一人当たり1000万円の借金があるということだ。生まれてきたばかりの赤ん坊もマイナス1000万円の十字架を背負っているわけで、その子たちに返せるわけがない。

 

・一方、少子高齢化で借金を返す立場の就業者は年毎に減っている。就業人口は毎年80万人ずつ減っていく計算になるが、それでは現場が回らなくなるということでリタイアを引き延ばして、かろうじて毎年30万~40万人のマイナスに押しとどめている。国の負債は増え続けているのに、就業人口は毎年30万人以上減っているのだから、“地滑り”のエネルギーはますます蓄積されていく。

 

・国家債務問題を日本が自力で解決しようとすれば、アプローチの筋道は二つしかない。一つは歳出を抑えること。税収40兆円に対して国債の利払いだけで25兆円もあるのだから、実質的に使える税収は15兆円ほどしかない。その範囲の歳出に抑えれば、とりあえず流血は止まる。財政破綻したギリシャ以上の超緊縮財政に移行せざるをえないから、国家公務員の3分の1を削るくらいの抜本的な行政改革が必要になる。

 

・もう一つは歳入を増やすことだ。要するに増税、それとも超増税である。税収が見込めるのは消費税ぐらいしかない。単純計算で消費税を20%ぐらいに引き上げなければならないだろう。

 超倹約か、超増税か、あるいは両方か――。国家債務の解決策はこれしかない。ところが、そうした正論を真正面から訴える政治家はほとんど選ばれないし、マスコミも報道しない。従って、この超難題を解決しようという国民的議論が立ち上がってこない。

 

その手のリーダーによって導かれる「戦争」もまた、国家債務問題を解決する一手段なのである。>

・繰り返すが、今の日本にとって最大の論点は国家債務問題であり、この明らかな物理現象を見て見ぬふりをしてやり過ごしていることである。

 もしアメリカで日本と同じような状況が生まれたら、「20年先には破綻する」という前提で議論が始まって、歳出を抑えようという方向に進むだろう。しかし、日本では散発的な議論が始まって、歳出を抑えようと方向に進むだろう。しかし、日本では散発的な議論しか出てこないし、今なお史上最大の予算を組んでいる。

 

・自民党→民主党→自民党というここ数年の政権交代の流れを見てきてわかったことは、政権党が変わっても、政治主導でも官僚任せでも、永田町と霞が関が主体になっている限りは、国家債務問題は動かないということだ。

 

・では、動かすにはどうすればいいか。解決策の一つは道州制にあるというのが私の考え方だ。

 中央政府が一つの答えを追い求めてもなかなかうまくいかない。それならば10の道州に行政単位を分けて、10個のエンジンでそれぞれにバラバラな答えを出してアイデアを競う。たとえば国家債務の半分を冷蔵庫に入れて、残り半分を人口比やGDP比で割って各道州に負担させるのだ。

 

<大前流「超参謀メソッド」大公開>

<マハティールの参謀として日本を見る>

<中曽根さんの打てば響くような理解力>

・日本の政治家でいえば、中曽根康弘元首相が遜色ない資質を持っていたと思う。中曽根さんの場合、「日本をこうしたい」という自分なりのシナリオを持っていた。こだわっていたのは日米関係をイコールパートナーにすることで、「イコールパートナーはこうあるべきだ」というビジョンが中曽根さんの頭の中に明確にあった。

 

・中曽根さんとの関係は参謀というよりブレーンのようなもので、最初のきっかけは86年の総選挙で自民党の戦い方を提案したことだった。

 前回選挙では、ロッキード事件で逮捕された田中角栄元首相が一審で有罪判決を受けたことで政治倫理が大きな争点になり、自民党は単独過半数を割る敗北を喫した。自身三期目、しかも自民党単独政権を目指す中曽根さんとしては、次の総選挙での必勝を期していたが、事前の票読みでは形勢不利で惨敗の可能性すらあった。

 そこで中曽根さんに授けたアイデアが「衆参ダブル選挙」だった。

 

課題はいつの時代もある参謀のタネは尽きない

30年来の付き合いがある会社の仕事をしていると、課題がますます難しくなっていて、戦略を考え抜いて先方に提示するまで今でも緊張する。

 課題はいつの時代もある。だから参謀のタネは尽きない。『企業参謀』では、「参謀五戒」という形で参謀の心得を説いている。

 

一 参謀たるもの、「イフ」という言葉に対する本能的怖れを捨てよ

二 参謀たるもの、完全主義を捨てよ

三 KFSkey Factors Success 戦略の成功の鍵)に徹底的に挑戦せよ

四 制約条件に制約されるな

五 記憶に頼らず分析を

 

・今の時代にあえて付け加えるなら、「自分のインタレスト(利益、利害)を捨てよ」ということだろう。

 

・自分のインタレスト、自社のインタレストは捨てて、「この人を輝かせるためにどうしたらいいか」だけを考える。ただし、それは自分の理想や要望であってもいけない。無理な戦略を提言して「それはいいけど、俺には無理だ」と言われたら仕方がないし、無理強いして失敗させたら元も子もない。

 大将の能力、力量を正しく見極められなければ、参謀は務まらない。

 

<オリンピックバブルに騙されてはいけない>

<日本を活性化できるのは東京の「西高東低」を是正する大規模開発だ>

<長距離通勤は人生を消耗させる>

・日本の大都市の特徴として、都市の西側のほうが東側よりも地価が高くなるという傾向がある。東京・大手町からJRや地下鉄で15分、30分、1時間というふうに同心円を描くと、同じ時間・距離でも西側と東側では土地の値段が4倍くらい違うことがわかる。

 

・こうした「西高東低」の傾向は、今後大規模開発によって十分に変更可能だと私は考える。

例えば、これから東京都内に家を買おうというビジネスマンが、一切のバイアスを取り除いて通勤の利便性だけで物件選びをするとすれば、絶対に“西側”は選ばないだろう。

 

<職住近接の24時間タウン>

・私は千葉県木更津市から神奈川県横浜市の金沢八景辺りまでの東京湾岸一帯を再開発して、ウォーターフロント100万人都市を誕生させようという「湾岸100万都市構想」をかねてから提唱している。東京都下で中核になるのは、先述の築地、勝鬨、晴海エリアである。

 

・オリンピックのような国家的イベントが成長のきっかけになるのは、途上国においてだろう。本当に日本を活性化できるのは、東京の「西高東低」を是正するような大規模開発だ。

 

<バブル崩壊前夜の中国とどう付き合うか>

1億円以上持つ中国人の50%は国を出る準備をしている>

・「習近平国家主席は日本との関係改善に前向きな気持ちを持っているが、中国の軍事利権とエネルギー利権の関係者は、日本との関係が悪化するほど、予算が取れるから、日中関係を煽っている」

 

巨大市場としての魅力は薄れリスクがクローズアップ>

・しかし10年のワンサイクルを経た今日、中国の巨大市場としての魅力は減退し、逆にカントリーリスクが顕在化し、中国経済はいつバブルが弾けてもおかしくない状況だ。

 

・労働コストの上昇で、中国の生産拠点としてのメリットは失われつつある。逆に政治家や役人の腐敗、先進国から大きく遅れた法整備、当局の不条理な規制や指導など、爆発的な成長の陰に覆い隠されてきた中国経済の暗部が露わになり、チャイナリスクがクローズアップされるようになった。

 

・特に邦人企業の場合は、戦後の歴史問題のために、反日運動や嫌がらせの標的になりやすい。日本政府が尖閣国有化を言い出したときに、さまざまな対日報復措置の指揮を執ったのが習近平国家主席(当時は国家副主席)だった。習近平体制は今後10年続く可能性もあり、当面、日本の企業に中国で浮かぶ瀬はなさそうだ。そのような視点に立って、企業経営はアジア戦略を見直す、リバランスする作業が必要ではないか、と思う。

 カントリーリスクの高い中国のウエートを落として、今後、10年、20年、中国で何が起きても耐えられるくらいまで中国依存を減らし、ほかのアジア諸国の配分を高めていくべきだろう。

 

カリスマ的指導者は中国では出ない

・最近の調査で「修復しがたい敵意」を相手に対して持っている人が日本・中国とも90%という信じられない悪循環に陥っている原因は、尖閣国有化だけではなく、中国共産党の事実を歪曲した広宣活動がその根底にあると知るべきだ。ソ連と比べるとその点がかなりクリアになる。ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)で旧ソ連を否定し、解体に導いたゴルバチョフ、その後のエリツィンやプーチンのようなカリスマ的指導者は中国では出てこない。

 

チャイナリスクと向き合う覚悟を

・共産主義は貴族や資本家から収奪した冨の分配については説明していても、富をどうやって生み出すのか、皆でつくった富をどうやって分けるか、という論理がきわめて弱い。ここが一番の問題で、共産主義とは「皆が貧しい時代の教義」なのである。

 

・当然、中国社会には不満が充満している。これまでにも年間20万件くらいのデモやストライキがあったが、主役は土地を取り上げられた農民など貧しい人たちだった。しかし、成長が止まり、土地バブルが崩壊するとなると先に豊かになった“はず”のインテリ層、小金持ち、中金持ちが不満分子の中核となってくる。

 

・倹約令と腐敗の摘発で民衆の不満をなだめようとしているが、それで改革開放で決定的となった貧富の格差の拡大が埋まるわけではない。結果として、中国の政治と経済の矛盾はますます拡大し、人民の目を外に向けるために周辺諸国との関係が緊張する。

 今の中国指導層にそれ以外の知恵も歴史を見直す勇気もない、と理解すれば、日本企業は中国の次の10年は、チャイナリスクと向き合う覚悟と準備をするべきだろう。同時にアジアの他の諸国との「リバランス」を検討することも必要となる。

 

・(結論!)企業経営はアジア戦略を見直し、リバランスする作業が必要。カントリーリスクの高い中国のウエートを落とし、今後、10年、20年、中国で何が起きても耐えられるくらいまで中国依存を減らして、ほかのアジア諸国の配分を高めていくべき。

 

 <●●インターネット情報から●●>

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より抜粋

 

<大前研一>

<主張>

・移民政策を行うべきだと主張し、1990年代前半より「グリーンカード制」導入を提案している。

 

道州制の導入を主張している

 

18才成人制の導入に肯定的な立場である。

 

2008年、日本経済新聞上にて『これからは韓流。日本は韓国を見習え』と韓国経済を評価する主張をしていたが、6年後の2014年には『サムスン電子と心中か? 韓国経済の暗雲』という表題でPRESIDENT紙上にて「サムスン電子がコケたら皆コケた」という韓国経済の脆弱性を批判している。

 

・北方領土は旧ソ連の“正式な戦利品”であり、「北方領土は日本固有の領土」という日本側の主張は史実を曲げていると主張している。

 

・医療費抑制策として、救急車の有料化を主張している。

 

・地方議員はすべて無給のボランティアにすべきだと主張している。

 

・航空機が東京都心上空を通過するルートをとる、都心の飛行拡大案については、騒音などの問題をきちんと議論するという条件付きで、基本的賛成の立場をとっている。

 

・アベノミクスに対しては20世紀型の経済政策だとし、批判的な立場をとっている。2014年時点で、日本経済の根本的な問題は「低欲望社会」にあり、個人が1600兆円の金融資産、企業が320兆円の内部留保を持っているのに、それを全く使おうとせず、貸出金利が1%を下回っても借りる人がおらず、史上最低の1.56%の35年固定金利でも住宅ローンを申請する人が増えていないことが解決すべき問題だと主張している。

 

・トマ・ピケティの2015年現在「日本は格差が拡大している」という主張に対し、たしかに、「相対的貧困率」や「ジニ係数」など日本で格差が拡大しているかのように見えるデータもあるが、日本で格差が拡大していることを示す現象はどこにもないとし、ピケティは日本に対し勉強不足だと批判している。ピケティは日本に対し、「資産家の高所得層に高税を課し、資産を持たない若者や中低所得層の所得税を引き下げる累進課税にすべきだ」と指摘したが、大前は「日本は世界で“最も社会主義化した資本主義国”だと思う。だから資産家に対して累進課税で高税を課すべきだというピケティ教授の主張は、全く当てはまらないと考えている」としている。

 

・アジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加は愚の骨頂であり検討する価値すらないと主張している。

 

・地熱発電に関して、日本に最も適した再生可能エネルギーであり、注力すべきと主張している。

 

・カネボウ、東芝、オリンパス事件などの粉飾決算事件を指摘し、監査法人は最長でも5年で代えるというルールにすべきと主張している。

 

・首都高の地下化を提言している。

 

・韓国に対しては、いくら日本を批判しても自国の改善にはつながらないことに思い至り、自分たちが真の先進国になるためにはどうすればよいか、冷静に考えられるようになるまで待つほうが良く、それまでは、韓国が何を言おうが無視して、韓国パッシングするスタンスが賢明であると主張している。

 

 

 

COURRiER  April 2016

 

 

 

「無条件に月13万円をお渡しします」人生を変える社会実験が始まった』(ベーシックインカム 貧困対策の“切り札”をめぐる欧州各国の議論沸騰)

何もしなくても最低限の生活費が保障されるとしたら、あなたは働くだとうか?究極のバラマキともいわれるベーシックインカムの影響を調べる実験の結果は、はたして。

 

・すべての国民が無条件で政府発行の小切手を月1000ユーロ(約13万円)をもらえるとしたら、その国はより良い国になるのだろうか?1000ユーロといえば、ドイツ人の月平均所得の半分以下だが、生活保護受給者の給付金の2倍以上の額だ。ベーシックインカム(基本所得)としてその金額が支給されるとしても、人は毎日ベッドから出て仕事に出かけたり、何かの生産的なことをしたりするのだろうか?

 

・ドイツで実際に行われている「メイン・グルンデインコメン(わたしのベーシックインカム)」というささやかな実験は、こうした疑問を検証するものだ。クラウドファンディング型の寄付を財源として民間人が行っており、現在までに26人が、自由に使えるお金として月1000ユーロを受け取っている。

 この実験は、ドイツで続いてきたユートピア論争に新たな展開をもたらしている。欧州各国で貧困が拡大し、ワーキングプアが増加するなか、昨年ドイツが最低賃金制度の導入に踏み切ったことも、議論に油を注いでいる。

 

・フィンランドでは、昨年誕生した中道右派政権が、ベーシックインカム導入に向けて予備調査を開始すると発表した。

 

・フィンランド以外でも、スイスが今年、ベーシックインカム導入の可否を問う国民投票が行われる予定だし、オランダでもこの制度を支持する声が高まっている。

 

月にたった13万円でも、人間は健康を取り戻せるのです

13万円で自由になれる>

・一方ドイツでは、この議論はいまに始まったことではない。ベーシックインカムに対する国民の支持は以前から強い。

 

・“ミニ・ベーシックインカム”とでもいうべき児童手当がすでに機能している。18歳未満の子(学生は25歳未満)が対象で、最低でも月額184ユーロ(約24000円)が給付される。

 だが、日常の生活費を給付する試みは、ベルリンの企業家ミヒャエル・ボーマイヤー(31)が2014年に立ち上げた「わたしのベーシックインカム」プロジェクトが初めてだ。

 

13万円でよく眠れる>

・ボーマイヤーによれば、当選者のほとんどは、その後も仕事を辞めない。だが、当選したことをきっかけに、人生に対する見かたが大きく変わるのだという。

 

<タダ働きにも報いを>

ベーシックインカム制度には4つのポイントがある。全国民に与えられること、個人に与えられること、無条件であること、そして、つつましい生活を送るには充分な金額であること。

 

・現在のドイツ社会では、家族の世話や家事、社会貢献活動、学校の部活のコーチといった目立たない仕事を、無報酬で引き受けている人が少なくない。もしドイツで全国民を対象とするベーシックインカムが導入されれば、きっと良い結果をもたらすだろうとキッピングは考える。

「世の中には、オフィスや工場で発生する仕事よりも、給料が出ない仕事のほうが多いのです」

 

・だが、経済学者の意見は真っ二つに分かれている。なかには「ばかげた制度」だと切り捨てる学者もいる。

 

・「各政党ともまったく意見がまとまらないのです。ベーシックインカムである程度の収入が保証されたら、働く意欲がなくなるのではないか?財源はどうやって確保するのか?こうした点を不安視する声が、どの政党でもあまりにも強いのです」

 

 

 

『原発大震災の超ヤバイ話』

知らない方が幸せかもしれない

阿部芳裕  ヒカルランド      2011/7/12

 

 

 

私が勧めるベスト・シナリオー政府は貨幣を自らの手で発行せよ!

・最後に、まったく検討されていませんが、ベストのシナリオとして私がお勧めするのが、政府の貨幣発行権を発動することです。

 

・日銀券は、日本銀行が持っている国債などの資産の分だけ発行できることになっています。ですから、国債は日本国政府の借用証書ということになります。当たり前ですが。

 

・日本銀行は「銀行の銀行」という役割を持ち、日銀の発行する銀行券を市中銀行が借り受け、融資を通して世の中に流通させます。

 

・銀行は融資において“無”からお金をつくり出しているのです。この融資によってつくり出された預金通貨はすべて借金が元になっています。さて、政府には貨幣発行権があります。何も銀行からお金を借りる必要はありません。

 政府が必要なら、必要なだけお金を作れば良いのです。実際、硬貨は政府が作っています。硬貨は作れば作っただけ経費を差し引いて政府の一般会計の歳入の部に入ります。借金にはなりません。そして、何も10円、50円、100円、500円だけしか作ってはいけないわけではありません。

 

・いくらでも必要な額のお金を作れば良いのです。たとえば、100兆円必要があったら、100兆円札を一枚作って、それを日銀の政府口座に入金します。そうすれば、政府の口座に100兆円のお金が記載されます。政府は必要なときに必要なだけ現金を引き出しても良いし、振込先を指定して送金することもできます。

 

貨幣発行権を持つ政府がわざわざ銀行からお金を借りることは馬鹿げています

・これは単に歴史的な経緯で、銀行家にとって都合の良い通貨制度ができあがってしまっているだけで、本当に馬鹿げたことを全世界で習慣的に行っているのです。

 政府が貨幣発行権を発動したときの経済効果は、日銀の直接引き受けとほぼ同じです。一つ違うのは財政赤字になりませんから、健全と言われる3%程度のインフレになるまではいくら発行しても大丈夫です。むしろ発行すればするほど景気が良くなり財政赤字は解消されます。ですから、復興費用だけではなく、被災者への補償や再生可能エネルギーや新エネルギーへの転換、送電網の整備などに、どんどんお金を発行するべきです。

 

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