2017年6月7日水曜日

能には現在能と夢幻能があるが、夢幻能では生者と死者との交流が演じられる。例えば、『平家物語』を題材とした作品の多くは、死後も修験道で苦しむ武将が亡霊となって現れ、生前の栄華や死の苦しみを語っていく。(1)


 

 

『怪異を魅せる』    怪異の時空2

飯倉義之、一柳廣孝  青弓社  2016/12/1

 

 

 

<『子どもと怪異』>

<――松谷みよ子『死の国からのバトン』を考える

三浦正雄 / 馬見塚昭久>

 

・『死の国からのバトン』(偕成社)、は、『ふたりのイーダ』(講談社)などとともに、松谷みよ子が20年以上の歳月をかけて完成させた「直樹とゆう子の物語」5部作のなかの1冊である。5部作それぞれに直樹とゆう子が登場するものの、11作は完結した物語になっている。

 この5部作は、社会問題を扱った「告発の児童文学」として知られるが、実はもう一つの大きな特色がある。いずれも題材として怪異が取り入れられているのである。特に『死の国からのバトン』は、タイトルのとおり、主人公の直樹が死の国へ赴き、バトンを託されて帰還するという物語で、いわば現代の冥界訪問記である。

 

・向日性や理想主義から脱却し、多様性に富んだテーマを扱うようになった日本児童文学であるが、今日でもなお、本作品は特異な存在である。タイトルに「死」という言葉を使うこと自体がまれであるうえ、その内容も死んだはずの祖先と子孫が交流するという特異な題材を描いたもので、ひときわ異彩を放っている。特異な作品でありながら、従来、その点はあまり注目されてこなかったようである。

 

・また、西田良子の「松谷みよ子論」は、本作品に通じる<根>として、<幼児的心性>と、<古代人的感覚>を探り当てた点で卓越している。だが、「松谷文学の特質である<幼児的心性>は、ややもすると、過度の幼児語使用となったり、<古代人的感覚>が時には呪術的迷信をも伝えてしまう危険性をもっている」とも語っていて、必ずしも肯定的に受け止めてはいない。筆者は「古代人的感覚」こそ、現代児童文学に最も必要な要素の一つであると考えるのであるが、西田はこれを「迷信」のひと事で切り捨ててしまっている。

 

・では、なぜ松谷はこの作品を書いたのだろうか。公害の告発が主目的ならば、わざわざ「死の国」をその舞台に設定する必要はなかったはずである。実社会の被害状況をリアルに描いたほうが、はるかに訴求力のある作品になっただろう。作者の強い思いが込められているのではないだろうか。ここでは本作品の時代背景を探り、怪異の仕組みをひもときながら、作品に秘められた松谷の思いに耳を傾けてみたい。

 

<ムーブメントの交差点>

<公害告発の文学>

・まず、「公害」という視点から、物語の時代背景を探ってみよう。本作品には、各地に伝わる伝説や民間信仰が複合的に組み込まれており、作中に描かれた公害は、阿陀野川に有害物質が流されて発生したという設定である。阿陀野川は松谷による架空の名称だが、昭和電工がメチル水銀を流し続けた阿賀野川を連想させる響きである。本文中には、「やがての、それがおさまると、ねこらは、目をうつろにみひらき、よだれを流し、足を引きつらせ、苦しげな息をはいて死んでいった」など、第二水俣病として知られる水銀汚染による中毒症状らしき記述も見られる。第二水俣病は、いわゆる四大公害病の一つだが、その他にも、高度成長の弊害ともいうべき公害が各地で報告され、1970年代初期には、「公害列島」なる言葉が新聞をにぎわした。

 それに対し、公害問題に対する包括的な法律となる公害対策基本法が制定されたのは1967年、公害防止など、環境の保全に関する行政機関として環境庁が設置されたのが71年のことだった。

 

・このような経過のなかで、公害問題を取り上げた文学も登場した。その先駆的な役割を果たしたのが石牟礼道子の『苦海浄土――わが水俣病』(講談社、1969年)だろう。この作品は、作者が患者たちの声にならない声を受け止め、自身のなかで純化させてつづったことで、比類のない訴求力を持つ作品になった。1974年には、有吉佐和子の『複合汚染』(新潮社、1975年)の新聞連載が始まり、大反響を呼んだ。

 

<民話ブームとニューエイジブーム>

・本作品巻末の解説で、安藤美紀夫は、「「ご先祖」が、けっして遠い存在ではなく、よく見れば、すぐ近くに生きているという実感も、それ[民話採集の旅:引用者注]をとおして得られたものに相違ない」と述べている。確かに、本作品は随所に民話的な要素がちりばめられていて、民話の強い影響を受けていることがうかがえる。

 

・民話運動は1952年、木下順二を中心とする文学者や歴史学者が集まって「民話の会」を設立したのが、その始まりといわれる。松谷はごく初期の段階からこの会に関わり、民話の探訪と普及、啓発に努めてきた。彼らの活動は、民主的な歴史観の確立を目指した運動や、高度成長に対して伝統的な価値を再発見しようとした運動などと接点を持ちながら、日本固有の文化を再評価する機運を高めていった。やがてこの運動の影響によって、民話絵本や創作民話の流行などの「民話ブーム」が起きることになる。

 

<公害と民話の出合い>

・福井県大野郡和泉村に「公害を知らせに来た河童」として知られる民話がある。この村人たちは古くから河童と親しく交流してきたのだが、ある夜、村人たちは河童が悲しい声で「川の水をかえてくれ、川の水をかえてくれ、水がおとろしい、水がおとろしい」「もう住んでおれん」「あの川の水はお前さんらにもようないはずじゃ」と訴えるのを聞いた。だが九頭竜川は何の変わりもなく澄んで流れている。村人たちは相手にしなかったが、ある夜、河童たちは激しい雨のなかをよろよろと山へ立ち去ってしまった。その2年後、村人たちは行政からの知らせで、九頭竜川がカドミウムに汚染されていたことを知る。河童に対して申し訳なく、村人たちが山へ行って呼びかけると、「百年したらもどっていくさかい、それまでに川を綺麗にしておいてくれえ」と返事があったという。

 

<怪異の仕組み>

・本作品のなかで、主人公の直樹は、怪異に3回遭遇する。1回目は、五百羅漢でコドモセンゾの直七たちに出会ったこと、2回目は、崖から落ちて気を失い、直七に死の国へ連れていってもらったこと、3回目は、百万遍の数珠を回して直七を呼び出したことである。

 

<五百羅漢での邂逅>

1回目の怪異は、114日の夕方、祖父母の家についてすぐのことだった。五百羅漢へ行こうとして裏山の雪道を歩いていた直樹は、大勢の子どもたちの歓声を聞く。ところが、声は聞こえても姿が見えない。「だれだい、でてこいよ!」と呼びかけると、五百羅漢の岩々が子どもたちの姿に変わり、直樹は直七と言葉を交わす。だが、そこに妹のゆう子がやってきて気を取られ、もう一度振り向いたときには、子どもたちの姿は消えていた。直樹はなぜここでコドモセンゾに会うことがきたのだろうか。

 

<小正月>

・直樹が直七に出会ったのは、114日の夕方ということになっている。14日の日没から15日までを小正月と呼ぶが、五百羅漢での邂逅はまさしく小正月を迎えようとしているときだった。小正月は元旦の大正月に対する言葉で、いまでも各地で粟穂、稗穂、成木責め、鳥追い、もぐら打ち、ドンド焼きなど、主として農耕に関わる予祝儀礼がおこなわれている。この小正月には、異界から何者かが村を訪れるという信仰があったのである。

 

・来訪神接待の「来訪神」とは、小正月の訪問者と総称されている神霊に扮装した訪れ人のことで、各地各様の呼び方がなされており、名称上、ナマハゲ系、チャセゴ系、カセドリ系、トタタキ系、カユツリ系、トロヘイ系、オイワイソ系、その他(福の神・春駒等)に分けることのできる行事の主人公である。(略)これら来訪神の性格は必ずしも明確にされてはいないが、小正月の代表的な神であることに間違いはない。

 

・直七たちもコドモセンゾも、まれにしか会えない異界からの来訪者という意味では、来訪神と呼んでいいだろう。五百羅漢での怪異は、小正月という特殊な時間の作用があって起きたのである。

 

<夢幻能>


 五百羅漢での邂逅は、こうした夢幻能における生者と死者との交流に通じるものがある。能ではしばしば、亡霊が出現する前触れとして不可解な自然現象が現れ、時空にひずみが生じ、ワキ(死者を弔うべき存在)が死者ゆかりの場所を通りかかることによって、シテ(死者)との交流が引き起こされる。シテは異界からの来訪者なので、時空間を支配する霊力を持っているのである。そこでは、現在から過去へと遡行する時間と、過去から現在へ順行する時間とが融合し、特殊な場が出現する。シテは遺恨を語り、ワキは新たな生を生き直すことができる。

 

<他界の巡歴>

・二回目の怪異は、直樹が直七と会話した直後、ゆう子を助けようとして岸から落ちたことがきっかけだった。直樹は、気を失って夢と現実の間をさまよう。やがて、鳥追いの列に直七を見つけた直樹は、ルウを捜すために、川向こうの「死の国」へ連れていってもらうことにする。「死の国」では、村に水路を引いた農民、直右衛門夫妻を訪ね、次に猫好きの喜平じい夫妻を訪ねる。直樹は、そこで白い猫に導かれ、思いがけず山のばばさに出会う。山のばばさは、死霊となって登ってきた猫たちに乳を飲ませていた。山のばばさは、死んだものの苦しみを和らげる不思議な力を持った存在である。

 

<三途の川>

・崖下へ転がり落ちた後、直樹は花が咲き乱れている野原をひとりで歩き、川の向こう岸に、亡くなったはずの父を見つける。直樹が川を渡ろうとすると、父は、渡ってはいけないと叫ぶ、しかし、どうしても行きたくて、流れに一歩踏み込んだその途端、冷たさと痛さで、直樹は正気づく。

 松谷の手になる『現代民話考』(第5巻、立風書房、1986年)の第1「あの世へ行った話」には、あの世を垣間見た人々の体験談が約260件紹介されている。その多くは、生死の境をさまよった際、三途の川が出現したというもので、向こう岸に知り合いの姿が見えたので渡ろうとすると「渡ってはいけない」と言われ、気がついたら病院のベッドに寝ていた、というような話である。特徴的なのは、川を渡ろうとしたけれども結局渡らなかったということであり、川を渡って向こうの世界へ行って戻ってきたという話は一件もない。

 直樹が見た川も、まさしくこの川だろう。渡ったら最後、二度と戻ってくることはできないはずの川だったのである。

 

<他界巡り>

・ところが、再び意識が遠のいた直樹は、鳥追いの列に直七を見つけ、川までついていってしまう。そこで直七に頼んで向こう岸へ連れていってもらい、直樹は他界巡りを始める。

 

・三途の川は、六文銭を支払い、船で渡るものというイメージが一般的だが、かつては生前のおこないに応じて、横、浅瀬、深瀬のいずれかを歩いて渡るものと考えられていた。

 善人は橋を渡るので川の水には濡れないが、やはり死ぬことに変わりはない。すると、川の水に濡れる濡れないは、生死には直接関係ないということになる。直樹の場合は、直七に負ぶってもらうことによって自分の足で渡らなかった。だから、死なないですんだ、ということになるだろう。

 直七という先祖の協力によって、直樹は生きたまま、この世とあの世の境界を超えることができたのである。これによって直樹は、他界巡りが可能になった。

 

<直七との交霊と空間移動>

3回目の怪異は、足のけががあらかた治った116日の夜更けのことだった。直樹は床に就いたものの寝つかれず、どうしても直七に会いたくなる。彼に言われたとおり百万遍念仏の数珠を回してみると、そこに直七が現れ、雪靴を履かせてくれる。その途端、二人は目もくらむような眩しい雪の上に空間移動するのである。そこは五百羅漢で、直樹はコドモセンゾたちと羽子つきや掛けっこして遊ぶ。帰り道、直樹は亡くなったはずの父にも会い、理不尽なことと戦う覚悟を持つようにと、バトンを託される。この時空を超えた怪異の仕組みは、どのようになっているのだろうか。

 

<百万遍念仏>

・直樹が感じたのはおそらく、長い年月にわたって数珠に込められた、人々の鎮魂への思いなのだろう。直樹は、いまは亡き村の先祖たちと一緒に数珠を回した。蓄積された祈りが直七に届いたからこそ、直七が迎えにきたと考えるのが妥当ではないだろうか。民族行事、仏教行事としての百万遍には、先祖に呼びかける力が込められていて、直樹はその力によって、直七に会うことができたのである。

 

<先祖たちの力>

・百万遍の念仏に応じて現れた直七は、直樹に雪靴を履かせてくれた。その途端、二人は五百羅漢に瞬間移動する。これはどう解釈すればいいのだろうか。

 五百羅漢での邂逅が可能だったように、霊は時空を超える力を持っていて、生きた人間の霊体をも連れ出しうるよう設定されているのである。

 なかでも霊的な力が傑出した存在として、山のばばさがいる。

 

・直七が、「生んで、そだてて、なにもかも土にもどして、またそこから、あたらしいいのちを生みだす」と語っていたとおり、山のばばさに遭遇したとき、ばばさは、公害病で苦しみ喘ぎながら登ってきた猫たちに、乳を飲ませて介抱していた。これは、松谷自身が民話の探訪によって得た胸乳豊かな山姥のイメージとも重なる。

 

<「祖霊信仰による魂の再生」>

・ここまで考察を進めてくると、「告発の児童文学」という世評とは別に、この作品のもう一つの重要な問題を見て取ることができる。松谷は、「祖霊信仰による魂の再生」というバトンを読者に手渡そうとしていたのではないだろうか。

 現代っ子の直樹は、七谷を訪れるまで「先祖」について真剣に考えたことはなかった。ところが、直樹が先祖の地を訪れたことで、祖霊信仰のスイッチが入ったのである。天真爛漫な彼は、土地のお婆さんの話を真に受けて、阿陀野の山でルウを捜そうとした。そこに出現した直七を兄のように慕い、彼を信じて阿陀野の山を遍歴した。そこで、彼は、先祖たちとの交流を通して、脈々と続く命のつながりを知った。先祖たちの郷土への思いや無念を知り、その苦しみに思いを馳せた。一方、コドモセンゾや山のばばさは、村のために鳥追いをしたり、直樹を助けたりして、子孫でもある村の人々に何らかの浄福をもたらそうとしてきたのである。

 

・こう考えると、直樹の他界訪問は、あたかも作品舞台のモデルとなった出羽三山を駆け巡る修験者の修行にも似ている。修験者が、なぜ他界に見立てた山を巡るのか、宮家準は次のように述べている。

 このように修験道の峰入修行は基本的にはこの世から一度山中の他界に赴いて修行をして、再度俗なる里の世界に帰るという形式をとっていると捉えることができるのである。そして全体として見た場合は、修験道の他界観におけるこの世と他界の関係の特色は、このようにこの世の人間が他界に赴いて他界の神格の力を得て、この世に帰るということにあるといえよう。

 

・父から託されたバトンが象徴するように、直樹にとっての「他界の神格の力」は、「現世を生きる勇気」である。阿陀野の公害について知らされなければ、直樹はこれまでどおり、平穏無事な生活を送っていたことだろう。知らなくてもよかった公害の実態と人間のおぞましさを知らされたことで、彼は生きることに疑問を感じてしまった。だが、現世に生き、命のバトンを受け継いでいくべき子孫として、それはどうしても乗り越えなければならない。成長のための試練だったのである。出発の朝から始まった一連の怪異を勘案すれば、この試練は、先祖たちが意図的に用意したものだったのだろう。

 母親が迎えにきて、直樹たちがいよいよ祖父の家を出ようとしたとき、シロが子猫を生んだ。母親は、東京湾が水銀で汚染されていたことを告げ、直樹は、阿陀野で見聞きしたことが夢ではなく真実だったことを知る。この一連の結末は、先祖たちもまた、自己の苦しみを語り、バトンを託したことで、魂の安息を得たことを物語っているといえるだろう。直樹の他界巡りは、生者、死者ともに救われる「魂再生の旅」として提示されたのである。

 

 

 

『河童平成絵巻』

佐々木篤   ピエ・ブックス  2005/10

 

 

 

<かっぱ 〔河童〕>

1.想像上の動物。水陸両性、形は45歳の子供のようで、顔は虎に似、くちばしはとがり、身にうろこや甲羅があり、毛髪は少なく、頭上に凹みがあって、少量の水を容れる。その水のある間は陸上でも力強く、他の動物を水中に引き入れて血を吸う。河郎。河伯(かはく)。河太郎。旅の人。

2.水泳の上手な人

3.頭髪のまんなかを剃り、周りを残したもの。おかっぱ。

4.見世物などの木戸にいて、観客を呼び込むもの。合羽。

5.(川に舟を浮かべて客を呼ぶところから)江戸の柳原や本所などにいた娼婦。船饅頭(ふなまんじゅう)。

6.(河童の好物であるからという)キュウリの異称。

              『広辞苑』(岩波書店)より

 

・日本人にもっとも親しまれている妖怪といえば、「鬼」、「河童」、「天狗」の三大妖怪があげられる。その中の「河童」は水辺の妖怪の代表格である。ただ、「河童」は妖怪というよりは未確認生物の先駆けとして、現代でもその実体が信じられるむきがあり、昭和のはじめまでは目撃の報告も数多く存在した。

現代の河童像といえば、童子のような姿、おかっぱの頭髪、頭上の水をためる皿、黄色でまんまるの目、とがった口、犬のような鼻の容姿にはじまる。そして、体は濡れて生臭く、背中には亀のような甲羅を持っていて、手足の指間には水掻きがあり、小さな尻尾があるとされる。また河童は好んで相撲の勝負を挑み、水中に人馬を引き入れて肛門から肝を抜きとるなど、危害がしきりに恐れられたりもした。ただ、逆に人間に捕らえられて詫び証文を書かされた失敗談、秘伝の秘薬を授けたという伝え、田植えの仕事を手伝った、田の水を引いてくれたとかいう恩徳の伝承も数多く存在する。

 

<河童とは>

・民話とは、口伝えにより、親から子へと語り続ける子供向けのお話です。それは、あるときは娯楽のためのお話であったり、生きてゆくための知恵を、解りやすい話に託しての教育の一環だったりもしました。

そんな民話は、それを語る親や祖父母、あるときは村の長老たち、そんな大人の人生観と、その時代の価値観をも包含した話として語られてきたのです。

よって、時代と共に、また地域により、同一のテーマの話であったとしても、微妙に差異が生まれるのはむしろ当然のことなのです。

江戸時代はもちろん、明治時代に入っても、各地で盛んに民話が語られていました。それが、印刷技術の進歩と普及につれ、しだいに勢いを失っていったのです。子供は、本により学ぶ、そんな時代の流れが生まれたのです。そしてそれは今、テレビ画面やコンピューターモニターを通じての、映像で学ぶ時代へと変わってきているのです。

 

<河童のルーツ>

・数え切れないほどある日本の妖怪の中で、河童ほど全国的に広まっているキャラクターはあまり例を見受けません。河童がなぜ、これほど広まったかの検証は後に譲るとして、河童伝承のルーツを探ってみたいと思います。

神話の時代、日本書紀には、川の神として「みづち」という名称が見られます。みずちは人にとって、フレンドリーな神ではありません。どちらかというと、陰気な川の淵などに棲みつき、通りかかる人に害を与えたり、川の水を氾濫させ、鎮めるために生贄を要求するなど、悪魔的な妖怪に描かれています。水と川に対する恐れが生み出した神なのでしょう。

仏教の伝来と共に、中国からの書物が輸入され、中国の水の妖怪の伝承が日本に伝わりました。中国には、「水虎(すいこ)」と呼ばれる水の妖怪がいます。幼児くらいの背丈しかなく、背中に甲羅のある妖怪です。西遊記にでてくる紗悟浄は、この水虎をイメージしているのかもしれません。

時代が少し下り、11世紀になると、物語文化の普及と共に、水の妖精の話が見かけられるようになります。「今昔物語」には、寝ている人に悪戯する子供ほどの身長の魔物の話があります。捕らえられると、水を入れた盥を要求し、その水の中に飛び込み逃げる水の妖精の話です。

 

<河童のいろいろ>

・全国に残る河童の伝承には、いくつかの系列があります。

山や川に棲み、キュウリを好み悪戯が大好き。悪さをし、捕らえられると泣いて許しを請い、許されると、律儀に、人間との約束を守る河童。実に日本的な性格の河童です。民俗学の生みの親、柳田國男氏の「遠野物語」ほか、広く一般的な河童の世界です。

もう一つは、九州に多い中国から移住してきたと伝えられている河童です。

人間に近く、指導者をいただき、社会を構成している河童族ともいえる河童たち。

そして、その状態はわからないものの、不思議な水辺の変事を、河童のしわざに違いないとして伝承している例もあります。

 

<河童伝承の特異性>

・民話に残る題材は河童だけではありません。道具類が、年月を経て変化する妖怪や狐や狸、兎に鶴などの動物も好んで扱われる題材です。そして、一般的な民話では、その地域特有のストーリーになっていることがむしろ普通なのですが、河童だけは、全国各地に、同じテーマ、同じストーリーの民話が、微妙に趣を違えて存在します。この特異性は重要な意味を持っていると考えています。

かつて、富山の薬売りが全国を廻って商売をしていました。近年になっては、紙風船を配りながら家々を廻っていた。記憶している方も多いと思います。そんな薬売りは、顧客に薬を売りながら、各地で起こったおもしろい話などを話して聞かせていたようです。生まれ育った土地しかしらない普通の庶民にとって、薬売りがもたらす話は、貴重な情報源だったのでしょう。

一枚の木版摺の絵が残っています。各地の河童の姿が描かれた絵なのです。今風に言うと河童のカタログ集なのでしょう。その河童絵と共に、河童の伝承を語って聞かせていたであろうことは容易に想像できます。同じストーリーが、全国に広く伝わっているのは富山の薬売りが、河童伝承を広めたからなのであろうと、私は思っています。

 

 

 

『河童の日本史』

中村禎里  日本エディタースクール      1996/2

 

 

 

<河童の相撲>

・人にたいする河童の攻撃行為には、水中に引きこむ行動のほか、いくつかの特異な方式がみられる。なかでも目立つのは相撲の挑戦である。

 

・河童の行動の第一段階の終わりごろには、河童の相撲好きは、広く知られていたと思われる。

 従来、河童のこの行動は、水神を祀る神示の相撲に由来すると説かれてきた。もちろんそのような由来を否定することはできない。たとえば、愛媛県の大三島町には、精霊と人の争いを演じる一人相撲が知られているが、河童と相撲を取っているという妄想にとらわれた男は、他人の目には、一人で相撲を取っているように見えるだろう。神事の一人相撲においても、古くは相撲者がトランス状態に陥っていたのかもしれない。奈良県桜井市では、二人の男が田のなかで相撲を取り、泥が多くついたほうを吉と判定する泥んこ相撲の神事がおこなわれている。

 

・格闘技一般ではなく、新田がいう相撲の意味の二番目の層、すなわち四つに組み合う型を持つ格闘は、河童が人を水際まで運ぶのに適した恰好な手段であった。

 

・日本以外においても、ヤコブが川を渡ろうとしたとき、水神らしいものが現われ、明け方までヤコブと相撲をとり、ヤコブの股の関節をはずした。『創世記』では、水神はヤコブを祝福してみずから去ることになっているが、より古い話型においては、水中に人を引いたのであろう。またドイツのヴァッサーマンとよばれる男の水精は、女性と手を組みあいダンスを踊ったまま川に入ってしまう。このような他の民族の伝承も、河童の相撲の意味を探る手がかりになる。

 

・土俵が作られた17世紀末に、人と人の相撲が現行ルールに近づいたことは、人と河童との格闘形式にも影響を及ぼしただろう。この変化は、格闘形式の穏和化でもあった。私見によれば、土俵の出現により規定された相撲の特徴は、追い技、つまり寄り切り・押し出し・突き出し・吊り出し・打棄りなど場外に相手を追い払う技の重視である。

 

・中世末になって、京都の相撲人集団に地方の相撲人があつまり、また彼らが地方に巡業に出かけるシステムが形成された。さらに近世の後半、安永・天明のころ(177080年代)、吉田家がほぼ全国にわたって相撲様式の決定権を手中に収め、その門下の行司が各地に配置されると、地方のセミプロ力士のあいだにおいても、土俵の採用など江戸相撲に倣った様式がひろまったであろう。

 こうして相撲が、格闘競技としてはきわめて淡白なルールを採用しはじめたことは、河童の行動の第二段階以後における人と河童との相撲にも反映せざるを得ない。いまや河童は、人を痛めつけ、あるいは水中に引く目的でのみ相撲を挑むとはかぎらない。河童が無目的でやたらに相撲を好むようすは、第5章で1800年前後、筑後川流域の河童の相撲について述べる時に、詳しく紹介する。この変化は、河童の凶怪性の衰退とうまく平仄をあわせて進行した。小妖である河童の戦いにふさわしい、穏やかな格闘としての18世紀以後の相撲が、河童の相撲の第4の源泉であった。

 

・第5に、農民の文化としての相撲が、農民層の共同幻想としての河童の源泉であると考えられるが、この点についても第5章において別に検討したい。

 河童憑きおよび人の女性にたいする河童の姦犯の問題を、相撲とおなじ項で論じるのは場ちがいだと疑われるかも知れない。しかし動物的な妖怪が人を襲うばあい、男性にたいしては外から攻撃し、女性にむかっては内部に入って苦しめるのは、かなり明瞭な傾向である。そして女性に雄性の妖怪が憑くときには、姦犯行為と幻想されやすい。河童をふくめて妖怪は、相手しだいで攻撃方法を自在に変更する。

 河童が「童男と成り人と通ず」という記載が『本草補苴』(神田玄泉、1719年)にすでにみられるが、女性を犯したことを明記する噂話の管見初出は、貝原常春の『朝野雑載』(1734年成立)である。

 

・たとえば豊後岡のある女性のもとに訪れる河童の姿は、他人には見えない。しかし女性の嘻笑するようすによって、河童の淫行が判明する。この例においては、河童が女性に憑いた事件が、姦犯とみなされた。類似の噂話は少なくない。

 

・水神でもあるヘビが女性に憑いたと解される事件は、古代以来の文献に数多く見られる。

 

・河童が、女性に憑きこれを犯すヘビの性行を遺伝したことは疑い得ない。しかし河童が女性を憑き犯す行為は、管見内では河童の行動が第1段階から第2段階に移行するころに始まる。したがって、河童の女性姦犯の習性が、その誕生期にヘビから直接に遺伝されたのか、あるいは河童の評判が世間に喧伝されるようになった段階つまり18世紀に、先祖がえりの現象によって、あらためてヘビの性行を復活させたのか、いずれとも断定できない。ただし管見の外の該当文献がなかったとはいえないし、いわんや口承でそのような噂が語られていなかったと断定することはとてもできない。ただし文献においては、この種の噂話はむしろ18世紀の後半になってから多く現われ、なかでも豊後に集中することは注目される。

 

・近世中期以後、貨幣経済の浸透、新入村者の出現などにより村落共同体の構造に変化がうまれ、社会的緊張が発生した。それが主因になって憑きもの頻発地帯がいくつか出現した。その一つが豊後であった。この地方でとくに犬神憑きが多い。犬神が直接河童につながるとは思われないが、蔓延する憑きもの俗信に触発されて、河童憑きの事件も惹起されたという可能性は捨てられない。かりにそうだとすると、河童憑きの形成期は、近世中期以後であり、ヘビ憑きの直接遺伝ではないという推定が得られる。けれども豊後以外に、山陰・四国・信州・上州などに、著名な憑きもの地帯が分布しており、これらの地域では近世に河童憑きの噂話がさかんであった証拠は、まったく存在しない。

 

・逆にその否定に有利な文献を示すことができる。因幡の人、陶山尚迪は『人狐辨惑談』(1818年刊)において、河童憑きを狐憑きと同レベルで扱いながら、「九州河太郎と呼者……九州の俗、此物の人を悩すことを言へば、彼地にはさだめて此者多かるべし。本藩には居ることなし」と論じた。因幡は、人狐およびトウビョウと称する憑きものが多発する地帯であった。したがって憑きものの俗信は、河童憑きの素地にはなり得るだろうが、これにさらに別の要因が加わらなければ、女性にたいする河童の憑き・姦犯の噂話は盛行しなかっただろう。

 九州は、河童噂話一般についても、そのもっとも盛んにおこなわれた地域であった。これが上記の「別の要因」であったかも知れない。

 

<河童の手切り>

・河童の行動の第3段階で、河童が手を切られ、手接ぎ妙薬の秘伝伝授を条件に、その手を返却してもらうという形式が出現する。これには二つの型があり、そのうち一つは、『博多細見実記』巻14の説話のように、河童が人の尻をなでる型であった。そしてこの型の伝承は、河童よりまえにたぬきを犯人として流布していた。あと一つは、河童がウマを水中に引こうとして、かえって引き上げられ、厩でウマにつかまっているところを発見され、手を切られる型である。『西播怪談実記』巻3の説話はその例であった。

 

・寛永ごろ(162040年代)に成立したと思われる『小笠原系図』に、つぎの伝説が記されている。

 小笠原清宗が廁に行くと怪物がおり、清宗をさえぎろうとする。そこで清宗は、剣で怪物の手を切りおとした。しばらくして窓のそとに声があり、切られた手の返却を乞う。誰何すると「たぬきです」と答える。「切りおとされた手をどうするのか」とたずねると、たぬきいわく。「われに妙薬あり。もってこれを接ぐ。すなわちこれを得させよ。恩のためその妙薬をあい伝えん」。たぬきは翌日手を接いできて、妙薬の効能を明らかにした。小笠原家伝来の膏薬の由来は、これである。

 

 

 

『河童の文化誌』 平成編

和田寛  岩田書院  2012/2

 

 

 

<平成8年(1996年)>

<河童の同類とされている座敷童子(ざしきわらし)>

・ザシキワラシ(座敷童子)については柳田國男の『遠野物語』によって知られていたところである。

 

<アメリカのニューメキシコ州の異星人の死体>

・回収された異星人の姿は人間によく似ているが、明らかに地球人ではない。身長1.4メートル、体重18キロ前後、人間の子供のようだが、頭部が非常に大きい。手足は細長く、全体的に華奢。指は4本で親指がなく、水掻きを持っている。目は大きく、少しつり上がっている。耳はあるが、耳たぶがなく、口と鼻は小さくて、ほとんど目立たない。皮膚の色がグレイ(灰色)であるところから、UFO研究家は、この異星人を「グレイ」と呼ぶ。

 

・異星人グレイと河童を並べてみると、素人目にも、そこには多くの共通点を見出すことができるだろう。

 

 

 

 まず、その身長、どちらも1メートル前後、人間のような格好をしているが、頭部だけがアンバランスなほど大きい。

 大きな目に、耳たぶのない耳、そして、小さな鼻穴と、オリジナルの河童の顔は、そのままグレイの顔である。

 最も注目したいのは、その手である。

先述したようにグレイは河童と同じ鋭い爪、水掻きがある。おまけに指の数が、どちらも4本なのだ!。

 また、グレイの皮膚の色は、一般にグレイだが、ときには緑色をしているという報告もある。

 河童の色は、やはり緑が主体。ただ両生類ゆえに皮膚はアマガエルのように保護色に変化することは十分考えられる。

 

・これらが、意味することは、ひとつ。アメリカ軍は、組織的にUFO事件を演出している。

 捕獲した河童を異星人として演出しているのだ。

 

 

 

『水木しげる』  妖怪・戦争・そして、人間

河出書房新社  2016/5/26

 

 

 

<妖怪談義――あるいは他界への眼差し(水木しげる 小松和彦>

<妖怪と生活空間>

・(小松)それらはみな、各々の村々で作られてきた妖怪なわけですからね。全国どこでも通用する妖怪というのは、なかなかないわけですよ。河童の場合は、民俗学者がその名前をよく使ったし、江戸時代の知識人などもずいぶん使ったおかげで、地方的な固有の名前のほうは次第に人々に忘れられ、河童という名前のほうが、残ったということでしょうね。

 

(水木)それと、日本人は河童好きだったと思いますね。それほど河童の話というのは、上手に作られています。中国などでは、そんなに河童は発達していないんですけど。

 

(小松)なぜ、日本人は河童が好きなんでしょうかね。

 

(水木)大変ユーモラスなものに仕立てられていますよね。きゅうりが好きだとか茄子が好きだとか、相撲が好きだとかね。

 

(小松)それに、河童の各々の属性の中に、日本人が日常生活の中で考えている事柄が、非常にたくさん盛り込まれていると思うんですよ。それがやはり人々を魅きつけたんじゃないでしょうかね。河童は近世になって作られた妖怪なわけですけど…………。

 

<神々と妖怪>

(小松)ところで、日本の民俗社会、歴史社会においては、妖怪の世界と神々の世界とが、対比的に扱われていますね。水木さんが、神ではなく妖怪の世界のほうに魅かれていったのは、どういうことからなんですか。

 

(水木)私は、神と違って、妖怪の方は自分で感じることができたわけですよ。「真を求め、そのために詩を失う」という言葉がありますが、私はどちらかというと真よりも詩を好むのです。そして20歳ぐらいの時に、柳田國男の『妖怪談義』を読んで、「妖怪名彙」の所に出てくるいろいろな妖怪の名前を見て、アッと思ったんですね。もう非常によく分かったんです。それから鳥山石燕ですね。この二つで非常に自信を得たわけです。

 

・私の場合、仕事でも何でも、妖怪となると元気が出てきて、もう一生懸命になってしまうんです。従って、資料のほうも妖怪ばかりがやけに増えちゃうわけです。

 

<<あの世>の世界>

(水木)昔は、お寺なんかに行くと、よく地獄・極楽の絵がありましたね。そのせいか、鬼がいるという印象が強いんです。それと、日本では、お盆の行事などに、やはり“あの世”との関連を感じますね。いろいろなものを船に積んで流すわけですけど、それがどこに行くかというと、十万億土とかいわれるわけでしょう。子供心によく分からないながらも、あの海の先にもう一つの世界があるんだな、と思ったわけです。それからまた、祖先の霊がくるというんで、迎え火とか送り火とかをやりますね。そうすると、我々の目にはみえないけれど、ちゃんときているんだなと思うわけですよ。僕自身は、“あの世”と妖怪との直接の関わりというものを、あまり感じたことはないですけど、日本以外では、あの世から飛来してきた妖怪というのは、結構いるようです。そういう意味では“あの世”に対しては、非常に興味はもっています。

 

<美とグロテスク>

(小松)昔の人たちは、自然の中に神を見、その自然の一部として人間を見ていたわけですから、人間だって同じような霊をもっていると考えていた。自然も人間も神も、いわば同じ一つの土台の上に乗っていたのですが、それが近代になると、人間だけがその土台から降りてしまったわけです。そして、人間は特別な生き物であるという特権を与えられてしまったわけです。

 

<「妖怪の棲めない国はダメになる」水木しげる ロング・インタヴュー>

<人間が妖怪をいじめている>

・日本で妖怪が減ったのは、電気のせいです。電気で世の中が明るくなってしまった。妖怪というのは、やっぱり闇夜が必要なんです。

 

<闇夜が育む妖怪たち>

・水木を運んだのは、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を打ち破った老船「信濃丸」で、彼ら以降、ラバウルに着いた船は一隻もない。すべて撃沈されたため、水木らは永遠に新兵扱いのまま、攻撃の最前線へと送られた。まさに、「死」が必然であった。

 

・水木サンは生まれた時から、妖怪が好きだった。だから、戦争でニューギニアのほうへ行っても、現地の人たちと妖怪の話を自然にすることができた。

 

・約3分の2が敵の領土というニューブリテン島で、水木は最も敵に近いココボの陸軍基地に送られた。水木はここでもマイペースを貫いたため、ビンタの王様のあだ名がつくほど上官から殴られた。そして、さらに危険な最前線基地トーマからズンゲン、バイエンへと派遣され、バイエンでは到着早々海岸の警備を命じられた。不審番もいつもは上等兵が一番楽な早朝の監視をやり、水木たちは夜中に番をさせられる。ところがその日に限って、上等兵が交代してくれというので、早朝の番に変わった。それが運命の分かれ道だった。

 

・左腕を負傷し、生命が危ないからと二の腕から麻酔なしで切り取られたのです。でも、そのおかげで傷病兵を集めるナマレという後方の野戦病院に移送されることになりました。

 その時感じたのは、人間が持つ「運命」です。

 

・トライ族の住民が用いる貨幣は、カナカマネーと呼ばれる貝殻でした。これを丸い大きな輪にし、二つか三つ持てばお金持ち。その貝殻でタバコの葉やパパイヤと交換するんです。

 

・彼らはあまり働きません。皆、慢性のマラリアにかかっているので、疲れないようにしなければいけない。働き者だとすぐ死んでしまいます。怠け者でないと、生きていけないのです。

 

 私も慢性のマラリアということで、しょっちゅう身体がだるいとか何とか屁理屈を言って、半年か1年しか軍隊で仕事をしませんでした(笑)。その間、彼らの集落に入り浸っているわけです。そうやって現地の人たちと交流して、バナナなどをたくさん食べていましたから、栄養がついて元気だった。逆に軍隊で真面目に働いていた兵隊は、終戦になってから帰国するまでにバタバタ死にました。水木サンは日本に帰るという時に、向こうの生活が合っているから、そのまま現地除隊させてくれと言った。でも、「日本に帰ってお父さんとお母さんに顔を見せてからにしたらどうだ」と上官に言われ、それもそうだと思って帰国しました。

 

 

 

『水木しげるの妖怪談義』

水木しげる   ソフトガレージ  2000/7/15

 

 

 

<荒俣宏  世界のミステリー遺跡に残る妖怪の痕跡>

<妖怪とは何かっていうと、自分とは何かっていこうことにもなってくるじゃないですか>

(荒俣)でも、妖怪の音はものすごく重要なテーマですからね。柳田國男にしても、妖怪研究というのは音の研究ですから、逆に妖怪の姿の話っていうのは、彼もほとんどやっていませんし。

 

(荒俣)水木先生は妖怪研究のためにあちこち旅行してらっしゃいますけど、どこへ行ってもお土産は……たまには仮面もあるけれど………CDが多いですものね(笑)。これは、妖怪のイメージである音をいかに身近に考えるかっていう、新しい水木流のスタイルじゃないかと思うんですけど。

 

・(水木)今までは平田篤胤の説いた死後の世界のような、背後霊だの守護霊だのを落ち着いて考えて、死後も転生して生まれ変わるというから、自分もやがては生まれ変わってなんて、楽しく考えていたんです。けれど、自分とは何かを観察してみると、どうもそういうなまやさしいものじゃないような感じが最近はしてきてね。

 

<「妖怪変換」みたいな機能が頭のなかにあって、妖怪の音や名前がそのまま絵に変換されちゃう………>

・(水木)というのはね、「私はなぜ妖怪を描くのか」っていうことを考えていたわけですよ。妖怪とは何か、なぜ描くのか、いろいろ前から気づいてはいたんだけど、結局は彼らにこき使われてるというか、もちろん好きでやってるんだけれども、同時に使われてるんです。(笑)そのために私は、土日も休みなしです。

 

・(水木)そう、死。だから、死をむしろ待ち望んでるような感じがね、ちょっとします。ただ問題は、それほどまでにしてなぜ妖怪に使われなくちゃならなかったのかという思いが私のなかにあったわけです。そこから出発して、自分とは何か、という疑問のほうへ入っていく。

 

<人間は、人間が思うよりもすごく不思議な存在なんですから>

・(水木)それでね、どうして妖怪を……もうとっくに卒業してもいいはずなのにね……まるで鞭を当てられるようにやってこなければならなかったのか、となる。そうすると、自分は何かという問題が起こってくるんです。

 

(荒俣)これは恐ろしいことですよ、本当に。そういえばね、僕もずいぶん古い漫画本のコレクターで、昔の本を集めているんですけど、水木さんの本は昔の貸本時代の漫画を、今、お描きになってるものとつなぎ合わせても、そこに流れる迫力とか、あるいは妖怪に対するアプローチの仕方って、まったく変わらないんですよね。

 

(水木)そうなるとある意味で、そういう宇宙人みたいなやつがいて、私を操っているのかなあ、なんて思ったりもするんです。(笑)

 というのは、やっぱり自分の心のなかにも、こんな苦しいことはやめて、もっと開放された生活をしたらどうかっていうのがいますから。でも、実際はそんな生活にはぜんぜんならないわけです。土曜だろうと日曜だろうと、仕事をする。自分自身で抜けられないから、変だ、変だ、と。だから、妖精とは何かっていうよりも、突き詰めれば自分自身の問題になってしまう。

 

<神の源っていうのは、やっぱり妖怪だったんじゃないかという感じがするね>

(荒俣)つまり、妖怪になっちゃうんですよ。だからおもしろいなあ、と。最初は神を作るつもりだったのが、やればやるほどね。なんていうのかなあ、神の源っていうのは、やっぱり妖怪だったんじゃないかという感じがするんですね。ふつうの感覚ですと、まあ、柳田國男なんかがいっているし、ヨーロッパでも妖怪研究者はだいたい同じようなことをいっていて、「神が零落したのが妖怪だ。だから妖怪ももともとは神で、妖怪を研究すると神になる。神のほうに近づいてくる」っていうんですよね。でも、どうもそうじゃなくて、妖怪は最初から妖怪で、むしろ逆に、人間が神のルーツを探り出していくと妖怪にぶつかるっていうか、妖怪のほうが先にあったんじゃないか、っていう感じですね、シュヴァルの城を見ていてもわかりますし………それをいったのは、結局、平田篤胤ですよね、日本でいえば。平田篤胤が画期的な妖怪学を作ったのは、「すべてのものは最初は神だった」っていう概念よりもむしろ、「すべてのものは最初から妖怪だった」という、この発想法に近いんじゃないかっていう感じがとてもしました。で、水木さんの場合はどうですか?神と妖怪の関係っていうのを、最初はどういうふうに考えてらっしゃいました?

 

(水木)私もね、「妖怪とは何か?」っていうようなことから連想していくと、どうしても精霊ということを考えざるをえないようです。

 

・(水木)それで、「癒し」をしたり、病気を治したりするわけだけど、私はセノイ族のところで病気を治す精霊を呼ぶための音楽というのを聞いてね、「録音しちゃいかん」っていうのを無理に録ってきて、それでいろいろなことがわかったんです。それが実にいい気持ちのする音なんです。木と竹の楽器だけで2時間くらい聞いていると、おかしな気持ちになるわけです。というのは、私自身が木になったり、石になったりすることができる。で、それと同じことがニューギニアに行ったときにもあったんです。

 

(水木)ええ、精霊っていうのは、ものすごく強大ですね。あの、いろんなことをするっていう意味じゃないですよ。それが、東南アジアにでもどこにでもいてくれるから、人も心地いいんです。それがどうも、実在する神々なんじゃないか、ちゅうことなんです。

 

(水木)それで私もですねえ(笑)、「鬼叫山の拝殿」(広島県)、あそこへ行ってから、よく縄文人の出る夢を見るんですけど、縄文人たちは非常に不満なんです。彼らは今の神の扱い方に非常に不満を持っているようなんです。1万年か2万年前の、本当の神は失われているわけですよ。どうもその、素朴な音でやってくる精霊、それが神だってことをいいたいらしくてね(笑)。

 

<「縄文の神を復活させるように」っていう指示がくるんです>

(水木)縄文人は、夢とかなんかで私にしょっちゅう通信をしてくるんです。その、どうも今、日本でいわれているようなものとは、神の本来の姿は違っているような気配なんです。どちらかというと、私が見たような、東南アジアとかニューギニアとかにいた精霊たちが本来の神に近いものらしいんです。それで彼らは、現代のように強大になった神々っていうのを極端に嫌うんです。

 

<妖怪は、おだやかな精霊信仰に入れっていうことを知らせる存在なのかもしれないですよねえ>

20世紀は、霊魂の進歩っていうのは一切やっていなかったんですね>

 

(荒俣)だから、19世紀末ごろにウォーレスとかいろんな人が、人間の霊魂の進歩っていうのは、もう進化論とかそういうものじゃ扱いきれないんで、別のものだっていうヒントをつかんだにもかかわらず、その展開はなかったんですね。

 

<西洋人にとっての妖精は、圧倒的に人魚>

(荒俣)そうですね。よくいわれるけど、日本の妖怪はほとんどは中国がルーツだっていうことがあるでしょう?それと同じようにヨーロッパの妖怪は、イギリスとフランスなんかは特に接近していて、ベースはほとんどやっぱりケルトが持ってきたんです。

 

<エジプトは宇宙人が運んできた文化じゃないか>

(シリウス星人)シリウスは全天でもっとも明るく輝く恒星。そのため古代エジプトではナイル河の氾濫を知らせる星として信仰された。そこから、エジプト文明はシリウス星人によってもたらされた、とする説も一部にはある。

 

<エジプトでは建物を作るという形で精霊と接触する文明ができたんですね>

<魂を飛ばすっていうことが、人類が大飛躍する基本だったのかもしれませんね>

(荒俣)ええ、だから、2万年から1万年前の人々っていうのは、どういう方法でかわからないけれど、精神的には太陽に行ったり月に行ったりっていうのは、自由にやっていたんじゃないですかねえ……

 

<憑依霊っていう現象がまさに「人間は我思うゆえに我ありじゃないんだ」という証明になっている>

 

<人間の脳ではかなりわからん部分が多いってことですねえ>

・(荒俣)その「わからん」という部分というのはほとんど、今お話したような精霊関係につながっているんじゃないんですかね(笑)。

 

(水木)森のなかに住んでるセノイ族というのはね、文字とかはないけれど、とても快適なんです。争いごともないです。

 

<精霊と妖怪の関係っていったいどうなんだろう?複雑微妙ですよ>

・結局、それで妖怪に関心のある人が増えて、精霊とか霊に対する関心も増えることを、きっと背後にいる精霊も望んでるのかもわからんのです。

 

<妖怪城を作るという計画はどうなったんですか?>

・(水木)おっ、『稲生物怪録』!あの、山本五郎左衛門!

 

・(水木)それでね、山本五郎左衛門の話をするけどね、出口王仁三郎は、書いとるんです、山本のことを。

(荒俣)山本のことを、ええ。

(水木)書きましたねえ。山本は霊界にいるんだって。

(荒俣)ははあ……霊界に………王仁三郎は会ったんですか?

(水木)いや、会ったらしい。

(荒俣)あの『霊界物語』に出てくる……?

 

 

(注;出口王仁三郎)大本教のカリスマ的「聖師」。日本の古神道・新宗教に与えた影響は限りなく大きい。

 

『霊界物語』出口王仁三郎が口述筆記した全81巻からなる神の書。

 

<●●インターネット情報から●●>

 

(セノイ族の言葉から)

夢の神秘的な力を信じる人々に、セノイ族における夢の技法について。

 

1.セノイ(Senoi)族とは。

セノイ族はマレーシアのマレー半島に住む原住民です。人口は約49440人(1996年:推定)。マレーシアの山岳地帯のジャングルに住み、バンド単位で生活を送っています。

 

そんな彼らの最大の特徴は、夢に対する態度なんです。

 

1)1日の大半は夢の話をしている。

 

2)村会で夢の討議が行われ、村民全てが自分の見た夢を分かち合い、シンボルや状況の意味を話し合う。日常生活の活動の大半を討議で得た解釈で決定する。

 

3)夢の討議において、夢内容をポジティブな方向に解釈することで、次にみる夢をコントロールする。

 

2.セノイの夢理論の紹介者について。

彼らが注目を集めたのは、キルトン・スチュアート(190265)による「マラヤの夢理論」(1951)が発表されたことによります。スチュアートは192440年にかけて世界中を放浪して、1934年頃マラヤ(現マレーシア)に滞在し、セノイ族の夢の技法の調査をしました。

 

この「マラヤの夢理論」というのがまたUFOから話が始まるという型破りな物なのですが、この論文の趣旨は、セノイ族が平和な部族なのは、彼らが上記の「夢の技法」を用いているから、ということなんです。

 

当初、この論文はそれほど注目を集めませんでした。しかし70年代に一躍有名になります。

 

<●●インターネット情報から●●>

 

【大紀元日本86日】夢を積極的に活用し、自分の感情をコントロールする人々がいる。

 

マレーシアの高原に住むセノイ族(Senoi)だ。

 研究者らの報告によると、セノイ族は夢の中の世界を現実と同じように重要視する。彼らは夢の中で、同じコミュニティーに住む人間と友人になったり、対峙したりしながら様々な経験を重ね、成長していく。

 

その一方で、彼らは現実世界においては精神的に成熟しており、控えめで自己抑制ができるため、争いはほとんど起こらないという。

 

1970年代にセノイ族と長期間過ごした心理学者のパトリシア・ガーフィールド氏(Patricia Garfield)は、彼らのユニークな夢の活用法を報告している。ガーフィールド氏によると、毎朝、親たちは子供にどんな夢を見たのかを聞き、彼らの方法で夢を見るようトレーニングをしていく。たとえば、夢の中で友人を作ったり、敵の集団とも仲良くなって助けてあげたり、それができなければ夢の中の友人と協力して敵を倒したりする。

 

そのほかにも、夢の中を自由に飛び回るなど、明晰夢(夢の中で、自分が夢を見ていると分かっていること)を存分に楽しむ方法を教えるのだ。セノイ族によれば、人間の体にはいくつもの魂が宿っている。主要な魂は額の内側に存在し、その他の小さな魂は瞳孔の中に住む。

 

この小さな魂が、恍惚とした状態や寝ているときに身体を抜け出し、夢の中で活躍するという。

 

セノイ族は、夢の中の友人と敵を大切にし、夢の中では積極的に友人を作ろうとする。夢の中で、敵が自分と友人になりたいと申し出るときは、「敵が自分に名前を明かし、自分のために歌を歌ってくれる」という。

 

もし、夢の中である人物と争いになった場合、夢を見た人は現実世界でそれを解決しようと試みる。

 

彼は争った人物に夢での出来事を伝え、自分に非があれば、相手に賠償することを申し出る。夢を活用することにより、「神経症や精神病といわれるものは、セノイ族の中には存在しない…。セノイ族は、驚くほど感情的な成熟がみられる」とガーフィールド氏は報告している。

 

現在、一部の学者はセノイ族の夢の活用法について否定しており、セノイ族自身も、そのようなことは存在しないと主張している。

しかし、多くの人類学者は、セノイ族が非常に警戒心が強く、外国人をあまり受け入れないことを認めている。

そして、セノイ族が彼らの夢の活用法を隠してしまったとも指摘している。

 

 

 

『妖怪になりたい』

水木しげる  河出書房新社  2003/5/20

 

 

 

<近藤勇と国境線>

・調布というところは、百姓の多いところで、僕は常に狭い土地の境界問題で頭をなやまされた。たとえば、右側の百姓は、茶の木から一尺という領有権をゆずらず、建具屋はそんなことおかまいなしに茶の木のあったらしいところに境界線のマークを刻みこんでいるのであった。そして、そのマボロシの茶の木をめぐって、ソ連と中共なみの国境争いを3年ばかりくり返したのである。

 

・ある夜なぞガタゴト音がするので見ると、その境界線を一尺こちらに穴を掘ってよせていた。僕は、あくる日また穴を掘って一尺むこうにやったが、そんなことを三ヶ月ばかりくり返すうち、五寸のところに自然に境界の石がとまったようだ。

 

・そのあとは、その境界石のかたむきかげんである。むこうは、気づかぬあいだに1センチばかりこちらにかたむけている。僕も30年も絵をやっていてデッサンには自信がある。すぐ、石のかたむいていることが分かる。まっすぐにやればなんでもないのだが、こちらもむこうもわずか1センチぐらいかたむける。といった生活をしているうちに、今度は、うしろの住人が境界の木より13寸入ったところに壁をするといい出した。

 風呂場の屋根がとれることから問題は重大化し、土地をはかる商売の人を呼んで境界線をつくった。

 そのうち左側の百姓がおどりこんできた。「てぇへんだ、てぇへんだ」というわけ。これは長くなるので省略するが、僕は、この町の人間は、特別に欲が深いのではないかと思うようになった。

 

<奇妙な興味と仕事との格闘—―紙芝居時代>

・戦後すぐの頃のぼくの精神状態から説明すると、戦争はかなり強烈な印象だったから、ぼくは復員したときも浦島太郎みたいな気持ちだった。そこで「これからの人生は好きなことをやって死のう」と思った。

 好きなことといっても遊びではない。興味があって、しかも生活できるものではなくてはいけない。

 

・ぼくは武蔵野美術学校に入るのだが、絵かきでは食えないということが分り、2年で中退して神戸で紙芝居かきとなるわけだが、どうして神戸に行ったかというと、神戸に安い売りアパートがあったから。

 10万円だか20万円出すと、あと月賦でいいという、しかも156の部屋があったから、一生寝て暮らすにはもってこいで、わが理想とピッタリだったというわけだ。

 

<妖怪の巣のような世界――貸本マンガ時代>

40年をふりかえって>

・まあ、一口でいうと「えらかった」即ち「苦しかった」ということだろうか。もともと漫画は好きでやったことだったが、職業ということになると、趣味と違って「つかれたな、ちょっと休もう」というわけにはいかない。

 〆切というものがあって、建築業者が建物を期日に間にあわせなければいけないように“品物”をその期日に間にあわせなければダメなのだ。そういう意味で好きでやったとはいっても“漫画家”という職業で“生き残る”には、世間の業種でいわれているようなものと同じで、特別の仕事というわけではなかった。

 表面的には自由でのんびりしているようにみえるが、世の中のシステムに組み込まれ、品物を作るように、何十年も漫画を作るということは、いくら好きでも、そんなにラクなものではない。

 

<言葉の不思議>

・ぼくは、紙芝居、貸本マンガ、雑誌マンガと、毎日机の上の紙と対決する仕事をしていたから、しゃべる言葉なぞはぜんぜん気にしていなかった。

 ところが定年をすぎるような齢になって、言葉の不思議を感ずるようになった。言葉というものは何気なく使ってきたわけだが、これはひとこと多くてもいけないし、少なくてもなおさらいけない。

 

<運不運>

・昔から同じようにマンガを書いている人でも一方は売れっ子になって巨万の富をきずき、一方はいまだにうだつが上がらず、無名のままでいる。作品のほうでも違っているのかと思うと、それほど大差があるわけではない。

運・不運は人だけではなく、建物なんかにもあるらしい。神田あたりによくうすぎたないビルがあるが、そこへはいると必ず倒産する。僕の友人がそのビルにはいり、自動車のガソリンをつけにしてくれ、といったら断られたという。

「あのビルにはいる人は必ず倒産する」とガソリン・スタンドの男がいったというが、友人はそのとおりになり、3ヵ月で倒産した。

 

・そのように人間の成功不成功は大いに運、不運が関係する。ツキに見はなされた人はどんなにあがいてもダメだ。立志伝なんかに、ツキを自分で作ったように書いてあるのをよくみるが、それは逆で、運をつけたのではなく、運がついたのだ。

 

・毎日寝る時、そんなことを考えているのだが、やはり太古の人もソレを感じていたらしく、古代沖縄にセジ、というのがあった。

これは一種の霊力で物についてそのものに霊能を生ぜしめ、人間については霊能を生ぜしめるというが、これは、古代日本のカンナビ(神のいるところ)に移行するのだが、これを運、不運の霊と考えると、前記神田のビルには悪いセジがついており、くだらんマンガを書いて百万の富にありつくのは幸運なセジがついておるのだ。

 

・だからいくら同じような実力があっても、セジについてもらわんことには、幸運はまいこんでこないのだ。

セジは普通巫女の媒介によって招かれたりしたらしいが、セジ自身の働きによって特定の人、あるいは物体、場所によりつき、そこにとどまることがあるという。

 

・すなわち、聖なる森、聖なる石、聖なる場所、すなわち、幸運のいる場所なのだ。僕は昔、月島、神戸、西宮、甲子園、亀戸、新宿などをてんてんとしたが、どこも不運だった。

運命の糸にあやつられて調布なる畑の中の安建て売り住宅に、10年前、着のみ着のままでたどりついたのだが。

それから間もなく幸運がやってきた。マンガの注文がくるようになった。

 

<世の中不思議なことが多すぎて……>

・私は、子供の時に頭の中に入ってきた、カミサマの観念から、いまだに抜け出せないままでいる。

 大人になってから、いろいろな“ヒト”の神様、例えば、菅原道真とか、武将をカミサマにしたものなどは、どうしたわけか、ぜんぜん受け付けない。子供の時、出来上がってしまった、カミサマ観は、アニミズムに近いもので、妖怪とごちゃまぜになったものだった。

 

・神社には、願いごとをかなえてくれるカミサマがいた(それはどうしたわけか、ひげを沢山生やした男の形だった)。お稲荷さんには、狐とおぼしき神がいた(これは狐の形で頭に入ってしまった)。道端によく、団子なんかがおいてあるのは、“狐落し”のまじないであった。また家から千メートル位はなれた“病院小屋”には幽霊に近いものがおり、その近くをながれる“下の川”には河童がいた。従って、この川には小学校5年生くらいまでは、あまり近よらないようにしていた。

 

<おばあさんの死んだ日>

・幽霊とか妖怪といったものは、どうしたわけか子供の時に見ることが多い。これはなにか特別な理由があると思うが、いまのところ分からない。

 僕も小学校3年の時、おばあさんが亡くなって2日目に、便所にゆこうとして前をみると、白い着物をきたものがぼんやり立っていたので、あわてて引き返した。その話をすると、父母は、「やっぱり、出たんだ」

 

・それにしても、奇妙な偶然が、重なりあった出来事の多い日々だった。死後49日、霊魂がとどまるとかいって49日の法事をするならわしがあるが、まんざらいわれのないことでもなさそうだ。

 

<今も聞こえる兵長の「パパイアはまだか」>

・いまから三十数年前、あのいまわしい戦争のさなか、ぼくは名もない一兵卒として南方の前線、ラバウルに駆り出されていました。

 

 

 

 すでに、終戦の近くになった昭和198月の出来事です。暑さと飢えで病人が続出し、兵隊はひとり、ふたりと倒れ、死んでゆきました。

 

・そう思いながら、壕に行くと、見かけた顔があったんです。ぼくをいじめ目の敵にし、ぼくを憎んでいた兵長でした。下半身に腫れ物が出来、そこが化膿し、異臭が漂ってました。

 

・「何か欲しいものはありませんか」と言うと兵長は弱々しい声で、「パパイアを食べさせてくれ。俺、パパイアが欲しんだ」

「パパイアなら、23日のうちに手に入るので持ってきます」

ぼくはそう言って、兵長と分かれたです。

 それから3日後、パパイアが手に入りました。早く、兵長のところへ持ってゆかないと、と思いましたが、なにしろ空腹で、しかも、ぼくはひとより胃の調子がいいので、つい我慢出来ずに、パパイアを食べてしまったんです。

もの凄くうまかったです。ところが、その翌日の夕方、衛生兵が、「お前の中隊の兵長が死んだ」と言ってきたんです。

 

・そうこうするうちに、足元にガツンと物が引っ掛かったような強い衝撃を受け、よろっとしました。足元を見ると、屍となった兵長が、「ぼくの足をつかんでいるんです。ギャー。兵長を遠ざけようと、足で押しても兵長はびくともしません。それどころか、兵長はまるで生きているように、ぼくの体にまとわりついてくるんです。兵長の目は開いていたような気がします。口も開いていました。

「パパイアを、どうして持ってこなかった」

「俺はパパイアが欲しいんだ」

と兵長は呻き声をあげるんです。それでも、ぼくはとにかく穴の外に出ようと必死でもがきました。

 あの地獄から、どうやって這い上がってきたのか、いまでもよくわかりません。ただ考えられるのは、死ぬ直前にパパイアを食べたいといった兵長の願いをかなえてやらなかったために、そのうらみで死者に招かれた、ということです。無我夢中で、気づいたときには自分の病室に戻っていました。

いまでも、夏になるとどこからとなく聞こえてきます。

「パパイアをどうしたんだ」

 

<お化けの話>

<幽霊とチガウ>

・よく幽霊と妖怪――お化け――と混同する人があるが、幽霊というのは、うらみが主な要因となって出てくるおそろしいもので、主として復讐を目的としている。

 ところが、妖怪というのは(水木式の言い方によれば)自然に初めからそこにあるものなので、大した目的もなければ、なんでもない。ただ、奇妙な愛嬌がある。

 それが愛されるといえば、愛されるのだろう。

 

23年前、東北に「ざしきわらし」の出る家というのがあったが、そこの主人は、それを深く信じて疑わず、むしろ喜んでいた。その古い家のたたずまいといい、いろいろと「ざしきわらし」と同居し、だれがなんといっても、いるという信念を変えない。

 そこの主人のフンイキは、正に「ざしきわらし」そのものだった。

そのように、妖怪とは、奇妙なフンイキをかもし出す形なのだ。

人間の気持ちが形になって出てくるのだ。

 

<クマントン(座敷童)>

・座敷童(わらし)というのは、明治の初め頃、東北の小学校に現われて、小学1年生の子供と遊んだが、教師とか村会議員なんかには見えなかった。

 即ち、大人には見えなかった。大騒ぎになりかけたが、童の方で遠慮し、23日で現われなくなったと、たしか柳田国男の本でみかけたが、どうもぼくは座敷童に縁があるらしい。

 10年前、金田一温泉の緑風荘に出るというので、座敷童の親方みたいなそこの御主人と対談させられたが、主人、曰く

「わたすは1回しかみてないす。とにかくそこの奥の間に寝るとときどき出てきます。戦争中、陸軍中佐が泊ったが、なんとその中佐の前に出てきたのです。中佐はこの部屋になにか仕掛けがあるに違いないと騒ぎ出し、軍務そっちのけで天井裏をさぐったり、床下に寝てみたり」したらしいが、謎はつかめなかったらしい。

 

・それから、56年してやはり東北の百姓家で座敷童が出るというところに行ってみた。いまは空家になっている二階家に時々出て、踊る物音をさせるという。要するにしかと見定めようとすると見えなくなくなるらしい。即ち一種のなのである。人間はなかなか霊をみることはできないから、一種の存在感みたいなもので感ずるようだ。

 

・「タイ国にも座敷童がいます」というので、出かけてみた。

タイでは、死体をみんな焼いてしまうらしい。従って、“墓”はきわめて少ない。金持は飛行機で灰になった自分を空からまいてもらうのが夢らしい。そのせいか、やたらに“霊”が空から舞い下りてくるようだ。

“クマントン”と称するタイの座敷童もやはり舞いおりてきて、特定の人につくらしい。

 

<生まれかわり>

・生まれ変わるといえば、アメリカで「前世療法」という、精神科の医療方法があるという。催眠術で前世にまで記憶を進めて、そこでなにが原因かをみつけてなおすという方法らしいが、やはり前世はあるのかなァ、と思ったりする。インドなどでも生まれかわりの話はよくきく。

 僕は偶然、スリランカの生まれかわりに会う機会にめぐまれた。

 テレビの番組ではあるが、極めてめずらしく、本当の生まれかわりというのはかなり迫力があった。

 

・日本の平田篤胤の「勝五郎の再生」そっくりの条件だった。

 即ち、生まれかわった家が近い、生まれかわった子供は勝五郎のようにかしこく、よく生前のことを記憶し家族をうながしてそこにゆく、という全く同じようなパターンだった。

 前おきはそれ位にして、ぼくはスリランカのコロンボの近くの村にバスでゆき、その子供の家に行った。

 子供は4歳でかしこく可愛かった。

 両親は40歳位だったが、とても可愛がっていた。

 まず寝言で前世のことをしゃべるので不思議に思ってきくと、そこへ連れて行ってくれといってきかない。

 

4キロばかりはなれた生垣の囲まれた前世の生家にゆくと、息子は15年前に死んだという。それも交通事故のようなものだったらしい。ところが不思議にも、その子供が事故の様子をくわしく語るので、生家のじいさんばあさんも不思議に思ったが、まさか15年前の息子が生まれかわってここにいる、とも思えないのでポカンとしていたらしいが、決め手となったのは、誰も知らない(今はそこにいない)はずの長男の名前をいい、とても可愛がられた、といったことらしい。

 

・僕が行った時も、むこうの老夫婦はみるなりその子供を抱きしめるのだ。生みの親はあまりなつかしがられるのでオロオロした風体であったが、子供はとてもなつがしがるのだ。

 それをみて僕も「フハッ」と驚いてしまった、

「生まれかわり」それはやはり本当にあるのだと思った。

“百聞は一見にしかず”というが、かなりな迫力だった。

やはり生まれかわりというのはあるとしか思えない。

 

<精霊の呼び声>

・変わり者のM氏は、この12年来、アメリカ・インディアンのホピ族の村で、精霊生活にひたりきっている。

 氏は25年くらい前からわが水木プロに出没していた。

 その頃、夢知らせで氏の生活の面倒をみるようにという告知があったが、その頃は、それほどの神秘主義者でもなかったので、その夢を全面的に受け入れるという気持ちにはなれなかったから、夢の2割くらいを(いや、1割くらいだったかもしれない)提供したことがあった。

 

・氏は20年くらい前、インドに行ってから、精霊の誘いみたいなものを受けたとみえて、それ以前も普通ではなかったが、インドに行ってから一線をこえてしまったようだ。帰ってから初めに訪れたのは沖縄だった。

 そこに、なんでも思うことが出来る、という親方を見つけてひどく尊敬していた。「それがボクの理想デス」

「じっとしていて思うことが出来るなら、それはぼくの理想でもありますよ」と、ぼくはいった。

 

「そうです。親方、いや先生は、世界中に子どもがいるのです」

「というと?」

「カナダに行きたいと思えば、周りがそのようにうごめき、自然にカナダに行けるのです。そこで妻をもらい、子どももいます」

「ほう」

 

「カナダだけじゃありません。世界中に10人くらい妻がいて、子どもは合計で25人います」

「別に金持ちでもない……」

「そうです。要するに、思えばいいのです。もっともそれまでにはかなりの修行を必要とします」というような話だった。

 その時は、おかしな話だと思っていたが、最近愛読している『シンクロニシティ』という本によると、それはありうるということらしい。

 

・わけのわからない感動に包まれながら、M氏は「ゼヒ、ヨロク族のマジシャン(呪術者)に会ってほしい」とのことだったので、カナダ近くにヨロク族を訪ねた。

 大自然の森の中に一軒だけ家があり、そこにマジシャンは住んでいた。ぼくは“ビッグフット”、すなわち雪男ともいい、“サスカツチ”ともいう謎の巨人がいるということ、それとマジシャンの家に小人が出るというので、大いに期待していた。

 マジシャンたちは、川で鮭をとり(1年分油につけておく)、顔みたいな大きさのリンゴが簡単にとれるので、それを食べて暮らしているらしい。

 

・「小人は2階に出る」というので、早速2階に寝た。23時間、ランプをつけたまま待ったが、いっこう現れなかった。朝起きてみたら、毛布があらぬ方向にあった。マジシャンに聞くと、「小人が引っ張ったのだ」の一点張り。「いや、ランプがついていたから」というと、「ランプがついてても出ますョ」という。たぶん毛布を引っ張って23メートル先に置いたのだろう。しかし、目で見て、写真を撮りたかったのだが、失敗した。

 ビッグフット(雪男)は、大きいし、つかまって食べられでもしたら損だと思ったから、あまり会いたくなかった、なにしろというものがいない大自然の中だから、ビッグフットがいるといっても不思議ではない。

 

・マジシャンは、ビッグフットの“家族”を見たといっていた。二人の親と子どもで、話し声はしなかった。間もなく消えたと言っていたから、ぼくはある種の“霊”みたいなものではないかと思った。たとえば沖縄の“キジムン”みたいに……。

 しかし、雪男の足跡というのがたくさん石膏で固めてあるのをみると、簡単に“霊”だとも言い切れないと思った。

 マジシャンは、ほかにも妖怪はたくさん来るといっていた。“妖怪”の大半は目に見えないが、ある種の“霊”である。

 

・というのは、アフリカ、東南アジア、ニューギニア、アイルランドなどを回ってみると、それぞれ名前は違っているけれども、日本と同じ霊が形になっているのに驚く。

 そこでぼくは、世界の妖怪の基本型ともいうべきものは千種でまとまる、形のはっきりしたものはそれぞれの国が350種くらいだということが分かったので、それぞれの国の妖精・妖怪を引っ張りだし、各国のものと比較する本を作って、ぼくの思っていることがどこまで本当か試してみようと思っている。

 見えない世界の人々、すなわち神様とか精霊、妖怪のたぐいは、目に見えないからいあにのではなく、それはいるのだ。ただとらえ方が難しいのだと、ぼくは思っている。

 

・それで、今回の“精霊の歌”を手に入れたことで、ぼくはとてもM氏を尊敬するようになってしまった、どうも“同族”らしい。……というのは、かの尊敬する沖縄の親方と最近なんだか似てきているみたい……知らない間にぼくは沖縄の親方みたいになっているようだ。………ありがたや、ありがたや、合掌……。

 

 

 

『水木しげるの日本妖怪めぐり』

水木しげる  JTB    2001/8

 

 

 

<目に見えないものと目にみえるもの>

・世の中には目に見えないものと目に見えるものがおり、よく気をつけてみると感じられる。

 感じられるというのは見えないからで…まぁ、妖怪とは感じでつかまえるものなのだろう。この感じは日本よりも外国、例えばニューギニアなどでは非常によく感じられるからおかしなものだ。

 土地の人に聞くと、「そんなバカなこと聞くやつがあるか。そこのジャングルにたくさんいるじゃないか」といったぐあいで、そういう存在は自明の理、すなわちあたりまえのことじゃないか……というわけである。そう、それを感じるのは、ごくあたりまえのことなのだ。

 

<山に棲む、長い髪を振り乱す老婆>

・実際山の怪というのはとても多い。これは明暦三年(1657年)頃の秋の話である。陸中(今の岩手県)閉伊郡樫内に鷹狩場があり、足軽長十郎という男がそこへ働きに行っていた。その日もいつもと同じく丑の下刻(今の午前23時頃)に家を出て、明け方に九十九折の細道をあがっていた。すると左の山の草木がわさわさと騒ぎ出した。どうも普通の風ではないらしく、やがて山鳴りが響きわたり雷のように激しくなってきた。

 

・この夜明けに何事だろうと振り返ってみると、そこには背丈七、八尺(210240センチ)もある老婆が、腰まである髪を振り乱し、両眼を大きく輝かせていた。そして、老婆とは思えない風のような速さで走ってきたのである。長十郎はもう逃げることもできなかった。(中略)

 

・これが山に棲む老婆の怪『山婆』で「山姥」ともいわれる。なにしろ背丈がとても大きく、痩せていて、鋭い眼は光り、口は耳まで裂けている。真っ赤とも白髪ともいわれる髪は長く垂らし、ボロを纏っているという。

 

・山婆は「河童」や「天狗」と同様によく知られている妖怪だ。とにかく恐ろしい感があるが、山婆には目撃談が豊富なため説話もまた様々で、人を襲うものと人に福を授けるものとがあるといわれている。

 山に棲む老婆の妖怪は「山姥」だが、これが少し若い女だと「山女」となり、爺だと「山爺」、若い男だと「山男」、子供だと「山童」と、まるで家族のように世代ごとに存在する。本当に山というのはにぎやかだ。

 

<ザシキワラシ(座敷童子)  いたずら好きの愛らしい精霊>

・岩手県を中心とする東北地方に出現する『座敷童子』は、34歳、あるいは56歳の子供の姿をした、可愛らしい精霊だ。男の子の場合もあるが、女の子の方が多いという。女の子は美しい黒髪を長く垂らしていたり、おかっぱだったりする。男の子はザンギリ頭で、赤や白の着物を好んで着ているという。

 

・座敷童子は、その土地に古くからある裕福な家の奥座敷などに棲みつく。童子のいる家は非常に栄えるというから、まるで福の神みたいだ。逆に、童子が出て行くと、その家はあっという間に没落してしまうという。

 

・また、家の中で座敷童子にばったり出会ったりすると、童子はその家を出て行ってしまうという話もあって、これなどはどう気をつけていても避けようのない、仕方がないことに思えてならない。何故家の者と出会うと、童子は家を出てしまうのだろう。

 

・一方で座敷童子が学校に棲みついたという話もある。子供と一緒に遊びまわるけれど、大人や年上の子には、その姿は絶対に見えなかったそうだ。

 

<河童 人間に相撲を挑む水の妖怪の代表>

・全国各地に出没し、誰もが知っているくらい有名な妖怪の一つに、『河童』がいる。河童は主に川や池、沼、湖に棲んでいるが、中には海に棲むものもいるという。

 

 210歳くらいの子供の形をしており、いちばんの特徴は名前のごとく「おかっぱ頭」と、水をためるためのお皿が頭についているところだろうか。お皿の水は河童にはなくてはならないもので、この皿が乾燥したりすると、身動きが取れなくなってしまう。

 

・また、背中にカメのような甲羅があるものとないものがおり、口は鳥のように尖っているものが多い。手足の指の間に水かきがついているのも大きな特徴の一つで、このおかげで泳ぎが得意なのだろう。

 河童は自分の力を自慢したがり、人間にちょくちょく相撲を挑んでくる。これにうっかり勝ってしまうと、もう一回、もう一回と、自分が勝つまでせがんでくる。

 

・時には馬を川へ引きずり込んだりもするが、これは力自慢というよりは、河童が元は中国の馬をつかさどる「猿神」であったからだという説がある。

 中には悪どい河童もいて、人間を水中に引き込み、尻の穴から「尻子玉」を抜く。河童はこの尻子玉が大好物で、食べてしまうのだ。龍王への捧げものにするという人もいるが、どちらにしても、尻子玉を抜かれた人間は死んでしまうのだから、たまったものではない。

 

<天狗 山から山へ、ひらりと飛んでいく剛の者>

・「天狗」は、「河童」と並んで最も世の人たちに知られた、日本の妖怪の代表的存在だ。そして天狗の伝説・伝承の類は、それこそ日本全国にわたって残されている。

 天狗には数多くの種類がある。中でも有名なのが、京都の鞍馬山に棲む「鞍馬天狗」と、同じく京都の愛宕山に棲む太郎坊という、日本最大の「大天狗」だろう。

 

・これら大天狗たちは、自分の持つ知恵や技能を鼻にかけ、慢心したため鼻が高くなったことから「鼻高天狗」とも呼ばれている。

 

・また、するどい口ばしと羽を持ち、空を自由に飛びまわれる「烏天狗」や「木の葉天狗」などの小天狗たち、犬のような口をした「狗賓(ぐひん)」、剣を持って、四肢に蛇を巻きつけた白狐の背に乗った飯綱系の天狗など、枚挙に暇がないほどだ。

 

・大天狗の最大の武器は、その強大な神通力にある。一本歯の高下駄を履いて山から山へと飛び移ったり、手の羽団扇で大風を起こしたりする。

 

・また超人的な怪力の持ち主でもあったようで、紀州(今の和歌山県)などには、天狗の怪力を見たいと願った男の頼みを受け、家ばかりか天地山川までをも震動させてみせたというから、スゴイ。

 

・また、天狗は人間の権力闘争に非常に興味を持っており、劣勢側に味方して戦をわざと混乱させ、楽しむという一面もあるようだ。手裏剣などの様々な武器を作って、忍者たちに伝授したという話も残っている。

 

・源義経が幼少の頃、鞍馬山で天狗に剣術を学んだという話は有名だが、天狗は武術にも長けていたようだ。天狗には○○坊という名前が多いが、義経と生死を共にした、武蔵坊弁慶などは、父親が天狗だったという伝説もある。どうやら天狗は、日本の歴史に深く関わってきたようだ。

 

・今でも、高尾山などに行って天狗の像を見ると、いかにも深山にふさわしく、山の精が化して天狗になった気さえする。

 超絶な神通力といい、一種崇高でもあるその存在感は、もう妖怪というより、神に近い感じさえするのである。

 

<鞍馬寺 牛若丸が夜ごと天狗に武術を習った寺>

・鞍馬山は、愛宕山と並んで、日本で最も多くの天狗が集結する場所として有名。鞍馬山に棲む天狗は「僧正坊」と呼ばれ、日本八天狗の一つに数えられる大天狗である。除魔招福の力に優れていたという。

 

・『義経記』によると、八歳で鞍馬寺に預けられた牛若丸(後の源義経)に、鞍馬寺の天狗が、あらゆる兵法武術を教えたといわれている。

 

 

 

『あなたもバシャールと交信できる』

坂本政道   ハート出版      2010/12/10

 

 

 

<バシャールとは、どういう存在?>

<惑星エササニの生命体>

バシャールはエササニという星に住んでいる地球外生命体です。エササニとは、Place of living light (生きている光の池)という意味です。彼らの世界は、喜びと無条件の愛に満ち溢れる世界とのことです。

 そこには彼らは、数億(人)位いて、その総称をバシャールと呼んでいます。ちょうど我々を地球人と呼ぶようなものです。住んでいるのは、恒星ではなく惑星です。

 

方向としては地球から見てオリオン座の方向です。もちろん、太陽系外の惑星です。地球から500光年ほどのところにあるShar(シャー)という星の周りを回る第3惑星のことです。

 

・残念ながら地球からは見えないと言われています。暗すぎて見えないというよりも、我々とは、微妙に次元、あるいは、「密度」が違うためのようです。

 

・地球は、そして人類は「第3密度」であるのに対して、バシャールとエササニ星の宇宙人は「第4密度」です。

 

・その惑星から数百人?が宇宙船にのって地球にやってきています。現在、彼らは地球の上空にいて、アメリカ人のダリル・アンカという人を通して、チャネリングをしています。

 

<グレイの子孫>

・バシャール自体はどういう生命体なのかというと、実はグレイと呼ばれる宇宙人と地球人の間に生まれた混血だということです。では、グレイとはどういう存在なのでしょうか。ご存じの方も多いと思いますが、グレイはアーモンド型の黒い目をしたちっちゃい宇宙人で、悪いイメージがあります。ネガティブなタイプだといわれています。

 

・ちなみに宇宙人はポジティブなタイプとネガティブなタイプ、それにニュートラルなタイプがいるとのことです。ポジティブなタイプの霊は、プレアデスに住む生命体(プレアデス星人とかプレアデス人)です。アークトゥルスやシリウスの生命体、こと座の生命体の一部もポジティブです。ネガティブなタイプに派、こと座やオリオン、シリウスの生命体の一部がいます。

 

・バシャールによればグレイというのは、本当は宇宙人じゃなくて、「パラレルワールドの地球に住む人類」です。パラレルワールドでは、この世界と併存する世界のことです。

 

・そして、時空間を超えてこの地球にやってきて、人類をアブダクション(誘拐)し、受精して、子孫を作りました。それがバシャールだということです。

 

・ですので、バシャールの先祖というのは、グレイと我々人類ということになります。

 

<地球のまわりに集まる地球外生命体たち>

・バシャールたちは、今アメリカのセドナという場所の上空にいます。ただし、何度も言いますが、宇宙船自体も第4密度ですので、セドナに行って上空を見上げても通常は見えません。

 

・このように、いろんな宇宙船がいろんなところにいるわけですが、ほとんどがポジティブ側の宇宙人たちです。ネガティブ側もいますが、比率としては101くらいだそうです。

 

・ポジティブ側は連合を組んでいるようで、ル-ルがあるようです。そのルールというのは、2012年までは地球人類に直接的には干渉しないというものです。

 

 

 

『地球を支配するブルーブラッド 爬虫類人DNAの系譜』

スチュアート・A・スワードロー   徳間書店   2010/6/18

 

 

 

<リゲル  米政府と協定を結んだオリオン連盟リーダー

・この集団は1954年に米国政府と協定を結び、彼らの技術と科学情報を米国に与えるのと引き換えに、米国民を誘拐する(ただし傷つけない)許可を米国政府から得ている。

 

こと座の内戦とそれに続くこと座星系へのりゅう座人の侵略を通じ、彼らの惑星は戦争で痛ましい損害をうけたため、肉体的にも遺伝子的にも弱々しい存在になっている。

 

彼らは、りゅう座人のために働いている。りゅう座人が攻略の前準備をできるように侵略予定ルートを偵察する仕事である。

 

・軍隊型の厳格な階層制の文化を持っている。特にゼータ・レティクリ12のグレイが絡む場合はそうである。また肉体から肉体へと魂を移す能力を持っている。

 

<シリウスA   イスラエル政府と契約の宇宙の商人>

・背の高い細身のシリウスA人は、青と白の長いローブを着ている。両腕を横にまっすぐ広げると、身体全体でアンク(エジプト十字架)の形になる。これが彼らのシンボルである。宇宙の商人であり、技術と情報を売買して、排他的な取り引きルートと特別な優遇を得ている。彼ら自身に向けて使用される恐れのある技術は絶対に提供しない。彼らは、オハル星人に創作されたが、本来の目的を見失っている。

 

<シリウスB  老子、孔子、釈迦に叡智を与えた銀河の「哲学者」>

・ジャングルか湿地のような惑星の洞窟状空洞や地下で隠遁生活を送っていることが多い。寿命は極めて長い。大半は、家族形態とは無縁である。

 

くじら座タウ グレイ種を目の敵にし、ソ連と協定を結んだ

・この人間のような生物は、グレイ種を目の敵にしている。宇宙のどこであろうとグレイを発見したら叩きのめすと誓っている。

 

地球までグレイを追って来た彼らは、1950年代にソ連と協定を結び、基地と自由に領空を飛行する権利を得た。

 

最近になって、ロシア人はタウ人との協定を破棄し、同じ協定をリュウ座人の前衛部隊と交わしてタウ人を追い払ったと考えられている。

 

<ビーガン   シリウスA人の遺伝子から作られたグレイ

・このグレイ種は、シリウスA人の遺伝子から作られている。シリウス人の船の標準的な乗組員である。主人のために労役、実験、雑用を行う。ゼータ・レティクリ12のグレイは、前向きにビーガンの指揮に従い、人間の誘拐や鉱物のサンプル収集などの特定の任務を行う。

 

<ゼータ・レティクリ1 地球人監視のためリゲル人が作ったグレイ>

・このグレイのエイリアンは、リゲル人が地球の人間を監視するために作った。人間とリゲル人の混合物である。人間の胎児と同じように四本の指と割れたひづめを持つ。ホルモン液と遺伝子実験のために人間を誘拐することで有名である。

 

・遺伝子的・ホルモン的な欠乏症のため、彼らは、急激に死滅している。他者を誘拐することで、自らの種を救う交配種の原型を作ろうとしている。

 

<ゼータ・レティクリ2 遺伝子操作で作られたグレイ。爬虫類人に奉仕>

このグレイは、遺伝子操作で作られた爬虫類人への奉仕階級のメンバーである。完全にマインド・コントロールされており、中央情報(コンピュータ)に接続されている。集団精神で一体となって動く。彼らは、無心になってゼータ・レティクリ1を手伝う。誘拐現場でよく目撃されるが、子供のように純真に行動する。

 

<アンタレス  トルコ人、ギリシャ人、スペイン人のDNAに>

・極めて知識が高く攻撃的である。

 

彼らの社会の最深部まで入り込むことができた者は、ほとんどいない。

 

女がいるところが観測されたことはなく、彼らは、同性愛者で、生殖目的でのみ女を使用すると考えられている。ただ、実は、ある母系集団が彼らの背後で権力を握っているとも考えられている。

 

 

 

『オカルトの惑星』 1980年代、もう一つの世界地図 

吉田司雄  青弓社   2009/2/23

 

 

 

<シャンバラへの旅>―80年代の日本の危うい夢(宮坂清)

<アガルタの首都シャンバラ>

<多彩な表象>

・ところが、1970年ごろを境にしてシャンバラやアガルタは表現の素材として広く用いられ、より大きなマーケットに流通するようになる。

 

・まず、水木しげるは「ビッグコミック」196871日号(小学館)に『虹の国アガルタ』を掲載した。このタイトルからは、先述のディクホフがアガルタを「虹の都」と呼んでいることが想起される。主人公の青年がチベットを訪れ、アガルタを探し求めたあげく、鏡面に現れる女性に誘われてアガルタに消えるという物語である。アガルタがチベットにあるという点は「正確」だが、鏡面をアガルタへの入口にしている点は、管見ではほかに例がなく、むしろ鏡面を異界への入口とする物語(例えば『鏡の国アリス』)を参照したものとみるのが妥当だろう。 

 

・また、石森章太郎は1974から75年にかけて「週刊少女コミック」(小学館)に『星の伝説アガルタ』を連載している。この物語ではアガルタは秋田県のピラミッド型の山の地下空間にあり、金星からやって来た「ヘビ族」の子孫が、そこで「星のしずく」の原料となる薬草を栽培している。登場人物にディクホフの名を語らせているほか、ディクホフにならい「金星からやってきたヘビ族」の若者を主人公に据えるなど、内容とも大きな影響が見られる。また、この物語にはチベットとの関連はほとんど見られないものの、地下都市、UFOや宇宙人、ピラミッド、ポルターガイストなど、オカルト的な要素がちりばめられていて、アガルタが、70年代のオカルトブームに多少なりとも取り込まれていたことがわかる。

 

<チベットに回帰するシャンバラ>

・さて、1980年代を迎えると、シャンバラは新たに表れたオカルト誌「ムー」(学習研究社)によって急速に知られていくことになる。

 

・「ムー」は197911月の創刊号で、すでに「人類最後のロマン 地底世界伝説」(阿基未得)と題した記事を載せ、その冒頭、シャンバラを「地底王国の首都」として取り上げている。この記事は、世界各地の地底世界伝説や地球空洞説を紹介しながら、それらが実在すると主張するものだった。

 

<精神世界の救世主へ>

・「ムー」のシャンバラ熱の頂点は、198411月号の30ページにわたる「総力特集 地底からの救済 シャンバラ大予言」(上坂宏)である。ボリュームもさることながら、注目されるのは、タイトルにも示されているように「救済の予言」がテーマになっている点である。

 

・これらの記事の影響は、例えば、1988年に 高階良子が少女雑誌「ポニータ」(秋田書店)に連載した漫画『シャンバラ』にみることができる。地上、そして地下のシャンバラという二つの世界があり、シャンバラの光(光の御子)が闇(ジャンザ)と闘い、ジャンザに支配された地上世界を救う「どこも内乱や暴動が起こり危険な状態 ジャンザに操られている この内乱は、やがて世界を巻き込み核戦争へと拡がるでしょう 地上は死滅する それを止められるのはあなただけ」と救済を予言している。

 

・しかし、いずれにしても、1980年代に至るまではほとんど知られていなかったシャンバラが、数年の間に現代社会の救済者として大々的に語られるようになったことは驚くべきだろう。

 

・そして、86年にオウム神仙の会(のちのオウム真理教)が「シャンバラ新聞」なる新聞を発行し始めたこと、のちに「日本シャンバラ化計画」を開始したことを考えると、このことが持つ重みはさらに大きなものになるはずである。

 

 

 

『ニッポンの河童の正体』

飯倉義之  新人物往来社    2010/10/13

 

 

 

<宇宙人グレイ説>

・さまざまな河童の正体説の中でも極北に位置するのが、この河童=宇宙人グレイ説である。UFOに乗って地球に飛来し、NASAと取引をしてエリア51に潜んでいるという宇宙人・グレイ。彼らは、1メートル20センチ程度で、メタリックな灰色の肌をし、釣り上がった目と尖った顎が特徴である。彼ら悪の宇宙人グレイこそが太古から日本に出没していた河童であり、河童に尻子玉を取られるとはUFOにさらわれての人体実験、河童駒引とはつまり現在のキャトル・ミューティレーションのことだったのだ、というのがこの説である。

 

・宇宙人という正体不明の存在を河童という正体不明の存在の正体にするというのは、つまり何も判明していないのと同じだというのがこの説の最大の弱点である。

 宇宙人・グレイと河童の不思議な符合は、人や家畜を害するものに対する想像力のありようは、文化が違ってもどこかで似ることがある、と考えた方が合点がいくのではないか。

 

・このグレイ説は雑誌『ムー』誌上で人気を博してさらにもう一段階の進歩を遂げ、実は宇宙人だと思われているグレイは地球固有の異次元吸血妖怪で、アメリカ軍はそれを知りつつ本当の宇宙人のカモフラージュに妖怪・グレイを用いているのだとされる。

 

・世界中でチャパカプラとかスワンプ・モンスターと呼ばれて人や家畜を害しており、さらに彼らはプラズマを操って河童火を燃やす力があり・・・とまあ、八面六臂の大活躍である。この説に従うと、「妖怪だと思われていた河童の正体は、実は宇宙人だと思われていた妖怪である」ということになる。複雑さは増したが、何も言っていないことは同じと言うことになるだろう。

 

<河童で町おこし><町中の妖怪たち>

・日本では各地域に伝わる妖怪伝承をもとにした町おこしが行われている。近年では、鳥取県境港市の「水木しげるロード」が人気を博している。

 

<札幌市奥座敷定山渓温泉>

・札幌市奥座敷定山渓には、「かっぱ淵」の伝承がのこされている。ある青年が豊平川で急に何かに引きずり込まれるようにして淵の底に沈み、発見できなかったが、一周忌の夜、父親の夢枕にその青年が立ち、「私は、今、河童と結婚して、妻や子どもと幸せに暮らしていますから安心してください」といって消えたという伝承である。札幌市奥座敷定山渓温泉は、この「かっぱ淵」の伝承をもとに、河童で町おこしを行っている。

 

<岩手県遠野市>

・岩手県遠野市は、「河童のふるさと」として有名である。遠野市には、柳田国男『遠野物語』に河童の伝承が多くみられるように、河童にまつわる伝承が数多く残されている。

 

<宮城県加美郡色麻町>

・色麻町には、「おかっぱ様」として有名な磯良神社がある。

 

<千葉県銚子市>

・銚子市には大新川岸の河童伝承がある。昭和601985)年に、「銚子かっぱ村」ができた。

 

<東京都台東区「かっぱ橋本通り商店街」>

・「かっぱ橋本通り商店街」では、かっぱ像や、かっぱの絵の看板をたくさんみることができる。

 

<広島県南区段原>

・猿猴川は、猿猴(エンコウ)」という河童の名称がつけられているとおり、河童がいたと言う伝承がある。

 

<熊本県天草市栖本町>

・ガワッポ(河童)の伝承が残されている。

 

<福岡県久留米市田主丸町>

河童の総大将の九千坊が筑後川に棲んでいた伝承がのこされている地域である。

 

<河童愛好家による全国ネットワーク><河童連邦共和国>

・日本全国で河童の町おこしをしている地域や河童愛好家の人々が集まり、「河童連邦共和国」というネットワークがつくられている。

 

 

 

1冊で1000冊』  読めるスーパー・ブックガイド

宮崎哲弥    新潮社     2006/11/15

 

 

 

 

<アドルフの我執――人間ヒトラーの日常を分析する>

・オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督の『ヒトラー~最後の12日間~』

が話題になっている。その焦点は、まずヒトラーの人間的側面を照らし出した戦後初のドイツ映画であること。そして、権勢と栄華を極めた第三帝国が地下壕の密室に追い込まれた後の末路が具に描き込まれていること、だ。

 

・“T・ユンゲ『私はヒトラーの秘書だった』(草思社)は、映画の原作となった最後の秘書の手記。人間観察が面白い。「愛し合っているなら結ばれるべし」と言い張るヒトラーのせっかちな結婚観を「中産階級的!」と嗤ったりしている。ヒトラーのみならず、取り巻きたちの寸評も秀逸。OLからみた独裁者像という感じ。

 

・定評があり、入手し易い伝記ならばJ・トーランド『アドルフ・ヒトラー』(全4巻 集英社文庫)がお勧め。初めて「悪魔に人間の顔を与えた」という評言通りの大作。大部過ぎてとても付き合えないという向きには、水木しげるの大傑作『劇画 ヒットラー』(実業之日本社、ちくま文庫)を。考証の正確さも驚くべき水準だが、史実のマンガ化には留まらない。ヒトラーの人間的魅力までも伝える。

 ヒトラーを信念、実行力、理想を兼ね備えた革命家に他ならないとするのは、M・ハウスデン『ヒトラー ある《革命家》の肖像』(三交社)。

E・シャーケ『ヒトラーをめぐる女たち』(TBSブリタニカ)は、ヒトラーを中心とした女性相関図。

 だが、L・マハタン『ヒトラーの秘密の生活』(文藝春秋)は同性愛者説を検証し、肯定的な結論を引き出している。

 精神分析的アプローチといえば、A・ミラー『魂の殺人』(新曜社)が著名だが、ヒトラーという複雑な現象を「幼児虐待のトラウマ話」に縮退させる。ミラーの単調な正義感、非社会性は、むしろナチズムやスターリニズムに一脈通じる。

 

<アドルフの我執?――今も大衆が好む陰謀論、オカルト……

・映画『ヒトラー~最期の12日間~』のもう一つの原作はJ・フェスト『ヒトラー 最期の12日間』(岩波書店)だ。ヒトラーとその腹心たちの心中には「みずからを神話として、世界の意識の中に刻み込もうとする意図」がみえたという。そうした妄想はやがて、世界観の闘争と現実の戦争との区別を曖昧にしてしまう。

 

・では、ヒトラーの思想、ナチスの世界観とはどのようなものだったか。A・ヒトラー『わが闘争』(上下 角川文庫)は、その最も重要な手懸り。意外に「読ませる」内容である。

 自意識過剰で、反抗的で、嘘や無知が散見され、陰謀論と偏見に満ちているが、そんな質の書跡なら、いまも書店に平積みになっている。大衆は力への屈服を好み、感情で物事を決するという本書の臆見は結構当たっているかも知れない。

 

・同書ではワーグナーの楽劇への心酔が吐露されている。J・ケーラー『ワーグナーのヒトラー』(三交社)はワーグナーがヒトラーに与えた影響に関する珍しい研究書。

 ヒトラーとオカルティズムの関わりは「精神世界」や陰謀史観の世界ではあまりにも著名だ。L・ポーウェル、J・ベルジュ『神秘学大全』(学研M文庫)やT・レヴンズクロフト『ロンギヌスの槍』(学研M文庫)がその代表。なかなか巧妙に書かれているので、真に受けずに楽しむべし。

 

・K・アンダーソン『ヒトラーとオカルト伝説』(荒地出版社)は、正統派史学からは無視され、通俗書の世界では猖獗を極めているヒトラー=オカルティスト説を客観的に検証する。「ヒトラーは極めて実際的な人物」であって、オカルティックなイメージを利用しただけというのが真相らしい。

 そうして捏造された奇怪な妄想体系に対する批判的考察なら、小岸昭『世俗宗教としてのナチズム』(ちくま新書)が優れている。

 各論的だが、藤原辰史『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房)はヒトラーのエコロジズムを詳説。「もったいない運動」の先駆者はナチス!?

 

<空飛ぶお皿顛末記――UFO論議にやっと決着がついた?!>

・イギリス国防省がUFOの存在を否定する報告書を作成していたことが明るみに出た。4年間の本格的科学調査に基づいて、2000年にまとめられたという。

 実は、こういうレポートは1960年代にもあった。アメリカ空軍がコロラド大学に委嘱して組織されたコンドン委員会によるものだ。

 

 邦訳のエドワード・U・コンドン監修『未確認飛行物体の科学的研究 コンドン報告 第3巻』(プイツーソリューション)を読むと、かなり精緻で多角的な研究だったことが」わかる。その結論は今回と同じく否定だった。

 

・ピーター・ブルックスミス『政府ファイルUFO全事件』(並木書房)は、コンドン報告の分析を高く評価している。にも拘わらず「感情的なUFO信者」には「あまりに難解すぎた」のだ。客観的な史料批判に徹した画期的内容。カーティス・ピーブルズ『人類はなぜUFOと遭遇するのか』(文春文庫)と併読すれば、UFO研究史を押さえることができる。

 

・まともな科学が手を引いた後、新たな神話が蔓延った。例えばオカルト心理学の教祖、ユングはUFOを普遍的無意識の象徴と捉えたが、この考え方はニューエイジ方面で広く受容される。キース・トンプスン『UFO事件の半世紀』(草思社)はユング的視点による総括。

 UFOに誘拐されて、外科的手術や性的虐待などを受けた「記憶」を催眠誘導で甦らせるという大真面目な研究書は、ジョン・E・マック『アブダクション』(ココロ)。例のトラウマ記憶回復運動の一環。著者はハーヴァード大学の精神医学教授。超一流大学の研究者が疑似科学に嵌った典型例だ。

 こうした現象のなかに、「社会の心理学化」の徴を看て取るのは、木原善彦『UFOとポストモダン』(平凡社新書)。UFO神話の文化研究。

 UFO陰謀論もお盛ん。マイケル・バーカン『現代アメリカの陰謀論』(三公社)を。

 それらすべてを笑いのネタにしているのが、山本弘、皆神龍太郎、志水一夫『トンデモUFO入門』(洋泉社)。

 

 

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