2017年5月15日月曜日

この「身体検査」という言葉は、安倍内閣のときに一気に有名になった、一種の隠語である。要するに、登用しようとする政治家に金銭や異性の問題はないか、事前に行う調査のことだ。小泉内閣のそれは非常に徹底していたので大きなスキャンダルがなかったのに対して、安倍内閣は甘かったから様々な問題が続出した、とはよく指摘されるところである。(1)


 

 

『堂々たる政治』

与謝野馨   新潮社   2008/4

 

 

 

<官房長官として30日>

・「与謝野さんは事務所費の件、大丈夫ですか」

「うちは事務所費に関しては税理士を入れ、ちゃんと過去の分も監査しているし、いまは1ヶ月に1回、税理士の人が来て、全部点検していますよ」

 

・こうして私は、安倍改造内閣の官房長官に就任した。

 官房長官として第1に考えたことは、私自身が記者会見や何かの発言で、絶対に間違わないようにしようということである。記者会見での言葉遣いには、とくに神経をつかった。

 

・通常の閣僚は、記者会見前に官僚から説明を受けるのだが、私は、とくに必要な時以外はこうしたブリーフィングをあまり受けなかった。

 

・内閣の基本的な方針は総理大臣が決めるものだが、個人的には、永田町を含めた巷にはびこる「市場原理主義」的な考えと戦うということを密かに心に決めていた。

 

<率直さが魅力だった安倍総理>

・このとき信三氏は、ミサイル防衛など専門的な事について、アーミテージ氏とも対等に話していた。アーミテージ氏が「アベさんは、非常によく物を知っている」と驚いていたことは今でもよく憶えている。最新の知識のみならず、戦前も含めた外交史、中国、韓国などの権力構造にまで詳しかったことに、私も驚いた。

 

<官房長官は番頭役>

・官房長官を重要ポストに変えたもう一つの要因として、財務省の力が落ちたことも挙げられる。

 

<梶山氏から学んだ役人操縦術>

・官房長官としての梶山氏は、「良い奴」と「悪い奴」の区別、識別がとにかく早い。そして「悪い奴」と判断した相手は、徹底的にどなりまくって対決していく。官僚の言うことなんか聞かない。ブルドーザーみたいにとにかく推し進める。後藤田氏とは対極のタイプだったという。

 

・梶山氏ならではの手腕で官僚をコントロールする場面は、何度も目の当たりにした。

 

・「与謝野たちの世代は、戦争の本当の悲惨さを知らねえだろう」とよく言われたものである。この言葉は今でも耳に残っている。

 

・梶山氏が亡くなった後、追悼文に思い出話を書けと言われて書いたら、原稿用紙で30枚にもなってしまった。それを届けたら13枚だと言われて書き直したが、私の書いた元の原稿は、聞くところによると、茨城にある梶山氏の家の仏壇に飾ってあるらしい。

 

<天才的なカンとひらめき>

・郵政民営化、構造改革を掲げた小泉純一郎元総理は、55ヶ月という戦後3番目の長期政権を担った。小泉氏の長所というものは、訓練によって得られたものではない。生まれつきもっている天性のカンとひらめきが、経験の中で磨かれていったというところだろう。自分が目指す改革が実現できなければ「自民党をぶっ壊す」。とまで宣言した小泉のやり方を、普通の政治家が真似しようとしても無理である。生まれつきのカンとひらめきが備わっていないから、多分、真似はできない。

 

・後で小泉氏の秘書官だった飯島勲氏に聞くと、小泉政権での登用にあたっては、徹底的に「身体検査」をしたという。この「身体検査」という言葉は、安倍内閣のときに一気に有名になった、一種の隠語である。要するに、登用しようとする政治家に金銭や異性の問題はないか、事前に行う調査のことだ。小泉内閣のそれは非常に徹底していたので大きなスキャンダルがなかったのに対して、安倍内閣は甘かったから様々な問題が続出した、とはよく指摘されるところである。

 しかし、小泉内閣の身体検査は、通常イメージされる金銭や異性絡みのスキャンダル調査だけではなかったようだ。その政治家の主義主張も、国会での過去の質問をはじめ何から何まで全部調べあげたらしい。それが私の登用につながっていた。

 

<肝心な時は人に相談しない>

・要するに、人に相談すると平均的な答えしか返ってこないということが、よくわかっていたのだ。このときに、参院で否決されて衆院を解散などということまで想定していたかどうかはわからない。ただし、小泉氏ほど「自分で決める」という信念を強く持っている人はいないのは確かである。

 この点で思い出すのが、安倍内閣の組閣だ。安倍氏が他人に相談せずもっと好きなようにやっていたら、ああはならなかったのではないか。いろんな人の意見を聞いて話を広げると、往々にして結論は平凡になってしまう。組閣という「肝心なとき」に人と相談しなかった点でも、小泉氏は天才だったのだろう。

 

<ワンフレーズ・ポリティクスの恐ろしさ>

・しかし、郵政という問題にまず熱狂したのは実は、政治家ではないだろうか。それも対抗勢力である郵政民営化反対派が、大した問題ではないのにもかかわらず、これに命を懸けてしまった。それでこの問題が実際よりも大きくなってしまったのだ。

 当時はこんなことを言ったらおかしいと思われただろうが、現実的には、郵便局が民営であろうと公営であろうと、国民の生活を決定的に変えるような話にはならない。少なくとも短期的にみて、国民が不自由するようなものではない。ところがこれを天下の一大事だと、まず政治家が思ってしまった。ここには事実認識、時代認識のずれが相当あったと思う。

 

・しかし、小泉氏に常識は通用しない。ただ、これはほとんど本質的な問題ではないし、今後もああいうタイプの天才がそうそう出てくるわけではないだろうから、あまり考えても仕方がない。

 

・むしろ、このとき改めて感じ、今でも忘れてはならないと思うことは、小選挙区制度の恐ろしさである。以前、カナダの与党が169あった議席を2議席まで落としてしまったことがあった。これも小選挙区制ゆえに起きたドラマである。

 日本の場合は、小選挙区とはいえ比例代表もあるので、そこまで極端なことは起きないだろう。それでもほとんどそれに近い地すべりというか、表層雪崩のような現象が起きたからこそ、自民党が圧勝することになった。

 

・今思えば、解散した瞬間に、国民は勧善懲悪の精神から小泉氏に軍配を上げていたのではないかと思う。

 

<自民党はぶっ壊れたか>

・土木建築業者は、バブルがはじけた時には53万~54万社あった。そのときに補正予算をバンバン使ったものだから、不況下でも土木建築業者だけは増えて58万~59万社になった。約60万社として300の選挙区で割ると、1選挙区に2000社の土木建築業者があることになる。つまり2000人社長がいる。

 ところが、小泉政権以降、その人たちが「公共事業を何とかくれ」と文句を言っても、中央はやらない。地方自治体もロクにできない。仕事も作れない自民党なんか応援できない、という話になる。

 

・こうなったいま、政治家に出来ることは、個人レベルでの努力しかない。当たり前すぎてつまらないと思われるかもしれない。しかし、最終的に問われるのは、政治家としてきちんとしているかどうか、そのことに尽きる。ちゃんと地元を回って、地元の声をよく聞いているかどうか。人格的にも物の考え方も、高い志に支えられているかどうか。

そういうことによって政治家が選ばれる時代になった。

 

<新聞の社説にとらわれない>

・以来、日本の政治は、支持率など世論の動向を見ながら運営される傾向が強まる一方である。世論主導型政治となってしまった。

 

<小泉構造内閣の評価>

・私は今でも、小泉構造改革路線は、あの時点では政策として正しかったと思っている。問題は、この小泉改革の成功によって、「市場原理は常に正しい。小さな政府路線はいつも正しい」ということが「永遠の真理」として証明されたと信じている人々、「市場原理主義」と呼ぶべき輸入品の考えを振り回す人々がいることだ。

 効果的な経済政策の中身は、その時々の世界経済の動きや、国内状況の変化に応じて変わるものだ。いつでもどこの国でも有効な「永遠の真理」のごとき経済政策は、残念ながら人類は発見できていないし、これから先も発見できないであろう。なぜなら、経済の世界を構成する変動要因はあまりに多すぎるのである。

 

<米国は「市場現実主義」>

・少し話がそれたが、アメリカですら、経済を絶対的な市場原理主義に基づいて運営しているわけではないということを再度強調しておきたい。むしろ市場の限界を冷徹に見極め、時々の状況に応じて柔軟に対応している。いわば、「市場現実主義」とでもいうべき立場だと私は理解している。 

 

<落選3回、当選9回>

<結婚と出馬>

・中曽根氏の勧めで、選挙に立候補する決意をしたのは、1971年のことだった。

 

・今考えれば、若気の至りの稚拙な思いつきだったと思う。現に、選挙は得票数4963票の次々点。後になれば、そういうパフォーマンス的な運動だけでは通用しないことがよくわかる。

 それから4年間、私は黙々と選挙区を歩いた。落選とはいえ、次々点になったという実績は大きく、地元の方がようやくまともに私を相手にしてくださるようになってきたのを感じた。四谷の小さな事務所を拠点に秘書何人かと黙々と地元を歩き、地元のあらゆる会合に必ず顔を出した。

 こうして2回目の選挙を迎えることになった。もっとも、4年間も待つことになるのは予想外であった。人気が4年とはいえ、普通は平均すると3年目には選挙が行われていたからである。過ぎ去ってみれば短かったのだが、ひたすら選挙区を歩いて準備をしている身には、途方もなく長く感じられた。

 

<当選、そしてまた落選>

・当時、東京1区の自民党現職は強固な地盤を持っていた。それ以外には共産党、社会党がそれぞれ当選しているという現状の中で、新人の私が議席を得るのは非常に難しいというのは誰しもが認めるところだった。

 

・このときの経験から言うと、いまの小選挙区制は新人が出にくいという欠点があると思っている。あらゆる選挙区であとに続く者が出やすい中選挙区制の方が、自民党としての活力が維持できるのではないか。私はいまでもそう考えている。

 

・大平内閣が一番重点をおいたのは、財政の再建だった。それが1979年に迎えた2期目の選挙では仇となったかもしれない。それでもこの選挙、当初の世論調査の結果は非常に良く、私としてはトップ当選を目指していた。それも驕りにつながったのだろう。結果は、大雨で投票率が下がったこともあり、千数百票の差で次点となってしまった。2度目の落選である。

 この開票日のことは、いまでもよく覚えている。落選を報告しにきた秘書に、私が「ところで島村氏と鳩山氏はどうなっている?」と聞いたところ、2人とも落選した、とのことだった。

 

<身にしみた温かさ>

・落選後3週間くらいは力が出てこなかったが、1ヶ月もするともう一度挑戦しようという意欲が湧いてきて、再び選挙区を歩くことにした。

 

・落選したにもかかわらず、支持者の皆さんは温かかった。70歳を過ぎたあるご婦人は、私を連れていろんな知り合いのところを歩いてくださった。本当にありがたく、そのような方々に連れられて、毎日毎日100150軒も選挙区を歩き続けた。そんな励ましを受けながらも、「これから3年間これを続けていくのは辛いな」とも思っていた。

 ところが、前回は4年間も待たされたのに、今度はたった7ヶ月で次の選挙が行われることになった。

 

 

<野党に転落>

・選挙の後でも自民党は第一党であったが、「政権を作る数にはとても足りない」と思案しているうちに、小沢氏が日本新党の細川護熙代表を担いで、8つの党派による連立政権を樹立し、自民党は野党に転落した。

 その時点で10年以上国会議員をやってきたとはいえ、野党なんてやったことがなかったので、何をしていいのかわからなかった。あるとき、困り果てて中曽根氏のところへ出向き、「先生、野党の仕事って何ですか」と尋ねた。その答えは、

「何が何でもそのときの政権を倒す。政策も何もない。とにかく政権を倒すことが野党の仕事だ」

 という単刀直入なものだった。今の民主党は、ある意味でこの言葉通り、野党の仕事をしていると言える。

 

・帰国しても四谷の事務所で、午後になるといつも本を読んでいた。ふっと見たらウィスキーの瓶がある。昼間の3時ごろ、氷もないので水道水でウィスキーの水割りを作って飲んだ。実にうまい。野党になったときのお酒の味は格別においしいと実感した。以降しばらくは、夕方になると酒を飲んでうさを晴らしていた。

 事務所でひたすら読みふけっていたのは物理学の本だった。マックス・ブランクが創始した量子力学を勉強しようと思って、20冊ぐらい本を買って全部読んだ。

 

<入閣と落選、そしてガン>

振り返れば、七転び八起きの人生である。最初の挫折が駿台予備校の試験で不合格、次に三菱商事の入社試験に失敗、3回目は最初の衆議院で落選、4回目は2期目を目指す選挙で落選、5回目が2000年の選挙で落選、それから6回目はやはりガンになったことだ。6回転んだが、官房長官としてまた起き上がった。

 安倍改造内閣の顛末を7回目と見る人がいるのだろうが、私はそれを挫折に入れていない。あれは自分の挫折ではない。 

 

<政治家の王道>

<中曽根氏の言葉>

私に就職先を世話してくれたのも、政治家としてのイロハを教えてくれたのも、すべて中曽根氏である。様々な局面で言われたことは今でもよく憶えている。

 

・秘書になってからも、いろいろ面白い話を伺った。

「派閥の親分というのは、どういう素質が必要なんですか」

と聞いたら、しばらくして返ってきた答えが、「母性愛だな」続けて、

「いろんな性格の議員が大勢いる。それをみんな抱えていかなければいけないんだから、母性愛がないとやっていけないだろう」

 また、「政治家は、人を突き放すようなことができない。そういう職業なんだ」とも話していた。これは母性愛に通じる言葉だ。

 

・私見だが、田中角栄元首相の派閥のあり方は「父性愛かな」と思うことがある。

 

<熟成ゆえの重み>

・常に我々以上に勉強しており、我々以上に人と会って、我々以上に人の話を聞き、外国の人とも会って話をしている。それは「いつか総理に復帰しよう」というような思いからではないだろう。リタイアしても生活に困るはずもない。誰に文句を言われるわけでもない。それでも、自分なりに日本や世界の将来のことを考えるということが、人生に与えられた使命だと思っている。それが中曽根氏の生きがいなのだ。

 だから、中曽根氏はマージャンをやる人間をものすごく嫌う。「あんな無駄なことはない」と言う。私はマージャンが大好きなので、この点では少々肩身が狭い。

 

・そして、熟成にはやはりある程度の年月が必要だと思う。

 地位が人を作る、ということもあるのだから、安倍氏ももう少したてば地位によって熟成できたかもしれない。その点は惜しかった。一方で、周囲の熟成度も足りなかったとも思う。

 

<小沢・与謝野、囲碁対決の真相>

・小沢氏がまだ自由党党首だったころ、「もう僕の楽しみは、日曜日の12チャンネルの朝の碁とNHKの碁の番組しかないんだよ」なんて言っていたことがある。「囲碁・将棋チャンネルというのがあって、囲碁か将棋を朝から晩までやっていますよ」と教えたら、「本当?」と興味津々である。そこで自由党の本部に私がその囲碁・将棋チャンネルの申込書を届けてあげた。

 その後すれ違ったとき、「ご覧になっていますか」と聞いたら「紹介してくれたのはいいけど、あれを見すぎて腰悪くしちゃった」と言う。そのくらい好きなだけあって、囲碁についてものすごく勉強している。

 

<政治家の王道>

・それでは、政治家にとって一番大切なのは何か。

 それは、肝心なときにものを言い、肝心なときに行動をすることである。清潔であることでもないし、演説がうまいことでもない。そういう些末なことではなく、良い世の中を後の世代に残そうという理想の下で、肝心なときにものを言い、行動すること。

 

<役人は使いこなすべき>

役人は少し褒め、少しおだてて方向性を与え、あとは政治家が責任を取る。そうすれば役人はいくらでも知恵を出すし、いくらでも働く。

 優秀な人たちの能力を活用しなければ、日本国全体として損だ。ずるい言い方をすれば、我々凡人は少々働いて少々遊んでいればよく、優秀な役人たちは遊ばないで働き詰めに働いてもらって、その成果を国民みんなで分かち合う。これがバッシングするよりも利口なやり方だ。

 

・役人の中には立場を利用して悪いことをする者も出てくるが、この種の汚職は何千年も昔からある。なくすように努力しないといけないけれども、とにかく役人を叩けば解決するという話ではない。

 

<国は巨大な割り勘組織>

・国家とは、国民が割り勘で運営している組織に過ぎない。国家の成立は人類史上、何万年もさかのぼれるわけではない。せいぜい5千年ぐらい。人類の歴史のなかでは割合、新しい組織だ。以来、幾多の国家が樹立され、世界中で形を変えつつも続いているのは、国家というものを作っておいたほうが何かと便利だからということに尽きる。

 第一に、かかるコストを割り勘にする上で便利というわけだ。さらに、外交や安全保障上も便利だということがわかってきて、国家が成立していった。あくまでも割り勘でやっている組織なので、国民と遊離したところに国という別の組織があるわけではない。そこのところを、国民の皆様にわかってもらわなければいけない。

 

 

 

『「中国の終わり」にいよいよ備え始めた世界』

宮崎正弘   徳間書店   2015/10/29

 

 

 

<半値8掛け2割引>

・暴落の終着点は「半値8掛け2割引」と昔から言われるように、大雑把に見てもピークから68%下がる計算になる(じっさいに2008年から09年にかけて上海株は71%下げた)。

 

<株式大暴落が次にもたらす災禍とは?>

・次の大暴落は必至の情勢となっているが、中国に残された手段はあるだろうか?可能性は2つあるように見える。

 第1は市場の閉鎖である。1カ月ほど思い切って株式市場を閉鎖すれば、この間に様々な処理ができるだろう。なにしろ一党独裁の国ならばこの緊急事態を乗り切る強引な手段も出動が可能である。

 第2は通貨の大幅な切り下げである。

いまの人民元は完全な変動相場制への移行が難しいうえ、ドルペッグ体制となっているため、対ドル相場を30%程度切り下げるのである。「そんな乱暴な」と思われる向きもあるかも知れないが、実際に中国は1993年にいきなり33%も通貨人民元の切り下げを行った「実績」がある。

 これにより輸出競争力が回復でき、若干の海外企業の直接投資も復活する可能性がある。

 

・デメリットは石油、ガス、鉄鉱石など輸入代金が跳ね上がること、もうひとつは日本に観光旅行へ来る中国人の「爆買い」ツアーが激減することだろう。というより現在の爆買いツアーはもう終わりに近く、中国人の発狂的海外ツアーも沙汰止みになるだろう。

 かくして中国の爆発的投機の時代は終わりを告げ、中国経済全体の崩落が始まる。それは連動して中国共産党王朝の崩壊の始まりとなる可能性が高いのである。

 

米国の親中派学者も「中国崩壊論」へ>

<旧ソ連は国防費の増大に耐えられなくなって潰えた>

米国や日本が衰退する危険性はその原因と考えられる少子高齢化の人口動態よりも、もっと見えない変化、すなわち国防費増加ではなく「エンタイトルメント」費用、すなわち「社会保障、メディケア、保険医療(メディケイド)、所得保険」の急拡大にある。日本はこれに失業保険料が差し引かれ、しかも保険料を支払わなかった人々が月100万円ほどもかかる高額の介護を受けているケースもある。

 かくして日米欧先進国や台湾、韓国などは防衛費拡大に予算を回せない隘路に陥没した。インドも貧困層の食料援助予算があり、タイ、インドネシアも然りだ。しかし中国には国民皆保険制度はなく、介護保険もなければ生活保護もない。義務教育も有料である。だからこそ狂気の軍拡が続けられたのだ。

 欧米先進国が共通して陥没した財政危機とは民主制度のパラドックスかも知れない。

 中国の次なる問題は宮廷の内部争い、権力闘争の陰湿性である。

 

・そして、「宦官と官吏による内戦に近い状況は何十年と続いた。朝貢貿易は崩壊し、比類無き明の艦隊は港で朽ち果てた。一方、海岸地域の町の住民はその後の数十年にわたって対外貿易から利益を得たが、明の宮廷はその繁栄ぶりを不快で脅威をもたらすものとみなした。官吏は近視眼的で経済的知識のない官僚の常套手段をとり、潜在的なライバルの力をそぐことにした。もはや仁の政治どころではなくなった」。

 これまで国家の興亡論については、軍事力や海の支配、地政学的観点が主流だったから右のような別の視座からの切り込みは異色である。

 それにしても明がなぜ衰退したのか。

「宮廷ではライバル関係にある各集団が皇帝の関心を引こうと争いあっていた」

 漢の場合、「皇帝への影響力をめぐって、名門一族、軍当局者、官吏である学者・官僚集団、宮廷の宦官という4つの主要な対立勢力が争っていた」

 なるほどまったくと言ってよいほどに現代中国の様相と似ている。

 

20147月に北京大学中国社会科学研究センターが発表した中国のジニ係数は0.730.4以上は暴動が多発するレベル)。まさに天文学的所得格差の破壊力によって、史上空前の不均衡状態にある現在、中国は国家の財政が一握りの特権階級によって蝕まれつつあり、王朝の崩壊が近いことを物語っている。

 

<鮮明に表れた中国共産党瓦解の兆候>

・このように、米国における対中穏健派が雪崩を打って中国への失望を表明しはじめたのである。

前述したシャンボーは、共産党体制崩壊は次の5つの兆候からうかがわれるとした。

 第1に富裕層の海外逃亡、第2に国内での言論弾圧、第3に誰もが政権のプロパガンダを信じていないこと、第4に共産党と人民解放軍にはびこる腐敗、第5に経済縮小と利害集団による改革阻止である。

 シャンボーはこう結論している。

一度、この体制が崩れ始めると中国は長期的かつ複雑に停滞し、より暴力的な社会となるだろう

 

・――危機管理とは考えられないこと、あるいは考えたくないことを考えることである。

 日本人が嫌がる防衛論議、日本の核武装、戦争、これら考えたくないことを、じつは真に近未来のシナリオとして考えなければならない。それは指導者の役目だ。

 

<迫り来る米中戦争の行方>

<米中戦争は不可避だとするロシア>

・こうなると、米中の関係悪化はどこまでいくか、ロシア紙『プラウダ』(英語版、2015624日付)は米中戦争の蓋然性を検証し、11の根拠を描いていた。

 その行間には米中戦争への「期待」(なぜなら「最大の漁夫の利」を獲得できるのはロシアだから)が滲み出ている。

 

<米国が想定する米中軍事衝突3つのシナリオ>

・南シナ海問題で一歩も譲らす、重大なチャンスを逃がしたのである。

偶発戦争は起こり得ない可能性が高いものの、危機を危機と認識できない指導者が、党内権力闘争の生き残りをかけて軍事衝突に出てくる場合、俄に起こり得る危険性に繋がるのである。

 たしかに国内矛盾を対外矛盾にすりかえることは歴代独裁者の常套手段とはいえ、中国の軍事外交の突出が続けば、いずれ本格的な米中衝突を招来し、結末は中国の敗北が明らかであり、中国共産党の指導力の信用が撃滅され、共産党の一党独裁は激しく揺さぶられることになるだろう。

 

<そして中国に大破局が訪れる>

<機密文書まで海外に持ち逃げし始めた「赤い貴族」たち>

・「これ以上、反腐敗キャンペーンを続行すると、指導部の安全に問題が出てくるだろう。いまですら執行部の安全は深刻な状況であり、反対派は絶滅されていない。もし、キャンペーンを続行するとなると党そのものが深刻な危機に瀕することになり、このあたりで手打ちにしないと、状況は危うくなる」

 

<中国共産党の命運は尽きようとしている>

・黄文雄氏や福島香織氏が口を揃えて言う。反日の中国人と韓国人は本当は日本が好きで、できれば日本人になりたいと願望している、と。

「来生は中国人に生まれたくない」とする若者が3分の1もいて、これは韓国でも同じ比率という。「来世はブタでも良いから中国人には生まれたくない」と回答する者もいる。いや、その数は夥しい。

 

・世代交代が著しくなり、軍人でも朝鮮戦争体験組は誰もいない。

 公式の発表より、民衆は裏の情報を選別して入手している。若者はネット世論の行間を読み、暗号で通信しあう。

 過去の話より現実の腐敗、権貴階級への不満と憎しみが噴出しはじめ、いずれ巨大なうねりとなって、より暴力的になり、社会は乱れきって無法状態に陥るかもしれないという明日への恐怖が中国の統治者の間で認識できるようになった。状況はそれほど悪化している。

 

・国家の基盤が安定を欠いて根本から揺らぎはじめ、特権階級も安穏としてはいられなくなったとき、共産党幹部自らが、「そろそろ俺たちの時代は終わりだな」と自覚しはじめる。だからあれほど夥しい中国共産党幹部が賄賂で得た資金ごと海外へ逃亡を始めたのである。

 余命いくばくもなくなったのが中国共産党である。

 

 

 

『晋三よ!国滅ぼしたもうことなかれ』

~傘張り浪人人生決起する~

亀井静香    メディア・パル  2014/11/29

 

 

 

<小学校3年生のときに迎えた敗戦のショック>

・吉田茂や岸信介は小さな抵抗はしたかもしれないが、大きな流れでいえば従米路線を進め、それが自民党、つまり日本の政治の主流となっていったんだ。

 

<交渉は相手の力を利用して制す合気道の極意で>

・ただ、集団的自衛権はまずかった。

 世論の大方の反対を押し切って、閣議決定で変更することをやってしまったことも。開けてはならないパンドラの箱をいじってしまったんだな。

「実際問題、集団的自衛権が使えるか」って晋三に問い質したが、

彼はただ黙って聞いていた。

使えるわけがないのだ。ダメだと話をしたが、本人も今になって「しまった」と思っているんじゃないかな。

TPPは、大企業含めてそれで得する連中もいるが、集団的自衛権の問題は、カネではなく命の問題であり、日本の平和と秩序の問題だ。

 

<純ちゃんの改革を総括する>

<「政治の従米化」「マスコミの洗脳」「国民の劣化」>

・この章の目的は、俺のほんとうの意味での敵が外来種の新自由主義であることと、その新自由主義の出鱈目な正体を明らかにすることだ。そのためには、どうしても純ちゃんの改革について語らないわけにはいかんだろ。

 あれから10年、郵政民営化とは結局なんだったのかって考えると、「政治の従米化」「マスコミの洗脳」「国民の劣化」を痛感するね。

 政治家は国民のための政治をするのではなく、それを権力におもねったマスコミが情報操作、アレンジして伝え、一方、国民も痛みを痛みとも感じず生体反応を起こさないほど劣化した。それが今も続き、ますます悪くなっている感じだ。

 あのとき純ちゃんは「官から民へ」とか、「改革なくして成長なし」ともっともらしいことを言っていたね。「痛みなくして改革なし」とも言ったが、結局、ほとんどの人に「痛みだけあって改革なし」だったってことだ。

 

・聖域なき改革とか三位一体の改革とか、改革が素晴らしいもののように思わせ、マスコミもそう誘導した。彼らのバックには、郵政民営化で得する大スポンサーがいたから当然だろう。

 郵政民営化だけを争点に、衆議院を解散して選挙に臨んだのは狂気の沙汰だった。法案が参議院で否決されたからといって、衆議院を解散するというのは憲法違反の暴挙だな。民主主義を冒涜する以外の何物でもなかった。自民党内でも多くの人が反対していたが、党執行部は彼らを脅したりあやしたりして鞍替えさせていた。

 俺は郵政民営化が明らかにアメリカからの年次改革要望書(日本の弱体化を狙う勢力や、郵政の財産を狙ったアメリカの保険や金融資本の意図した)に沿ったものであると承知していたので、徹底的に反対した。

 

・郵便にしても、簡保にしても、郵貯にしても、あるいは、それ以外のサービスを含め、郵便局は地域に密着したコミュニティーの拠点だから潰すわけにはいかないんだ。日本の重要な社会基盤の一つなんだが、やつらはそれを壊そうとした。

要は「官から民へ」ということを、十把一絡げでやるのはあまりにも単純過ぎるということ。

「改革」にしたって中身が問題ってことだよ。

 

<結果は「働けど働けど我が暮らしよくならず」>

・この10年、改革によって日本がよくなったと思っている人はほとんどいないだろう。いるとしても1パーセントのカネを握っている連中だけだろうな。あとの99パーセントの人々の生活はますます苦しくなって、全然いいことないと感じているのではないか。

 つまり、その改革が国民のためではなく、自分たちに都合のいい、つまりバックにいる新自由主義のグローバリストたちに都合がいいものだったってことだ。日本の財産が掠め取られ、「働けど働けど我が暮らしよくならず」という風になってしまった。その、日本人の富を吸い上げる仕組みが、この10年でつくられてしまったんだ。

 

<我が反骨と抵抗の半世紀>

・カネがないからアパートにも住めない。それで、東大・本郷のキャンパス内にある合気道部の道場『七徳堂』の隅に布団とミカン箱を持ち込んだ。俺は合気道のヌシだったからできたんだ。

 全日本学生合気道連盟を俺はつくって委員長だった。東大の合気道部を同好会から部にしたのも俺だ。副委員長が大平(正芳元首相)さんの息子だった。彼は慶応の合気道部のキャプテンで金持ちだから、飲んだら全部払ってくれた。

 家から仕送りをしてもらうわけにもいかない。飯が食えない。仕方がないからアルバイトを見付けるしかなかった。石油モーターの消費実験をするアルバイトを見付けてきた。夜間のアルバイトもやって、朝方に帰ってきて、勉強を始めたんだ。

 

<嵐を呼ぶ警察官時代>

<自治省のおごりでピンサロ三昧>

・あまりにやることが派手だったから亀井対策として、後に新党さきがけの代表となる武村正義が自治省から地方課長として埼玉に送られてきたくらいだ。

 で、夕方5時くらいになると、「亀ちゃん、行こう、行こう」とハイヤーを待たせて誘いにくる。俺も嫌いじゃないから、ピンクサロンなんかへ1軒、2軒と付き合ってやった。

 ところがあいつは、「亀ちゃん、もう一軒行こう」って誘うんだ。仕方がないから付いて行ってやったけどね。

 あいつが村山政権で大蔵大臣をしているとき、大蔵官僚のノーパンしゃぶしゃぶ接待疑惑が持ち上がったんだよな。あいつが彼らを、「首にする」と言い出したから、「何言っているんだ。おまえだって、遊びまくったじゃないか」と脅すと、「昔のことは言わないでくれ、言わないでくれ」って懇願してきた。

 結局、懲戒処分にするのを諦めて処分保留にしてたな。

 

<社会のゴミをなくすために国会を目指す>

<誰にも相談しないで出馬を決意>

・いくら警察で頑張っても所詮、社会のゴミ掃除だ。社会のゴミを出さないようにするしかない。そんな考えで政治家になろうとした。

 

<晋三の親父さんから「帰ってこい」と言われ>

・代議士となり、自民党では清和会に入った。俺を推挙してくれた永山先生の流れからだ。当時は晋三の父晋太郎さんが派閥の長で安倍派と呼ばれていた。

 実は一度、清和会(安倍派)を除名処分になっている。

 

<政権内でも暴れまくり>

<今でもスチュワーデスに礼を言われる俺>

・村山政権が誕生して、野坂さんが俺に、「組閣では、好きな大臣を選んでくれ」と言ってきた。俺も久し振りに日の当たるところでやれるんだなあ。よかったわいと思って涙が出たよ。そして運輸大臣になったんだ。

 

・「ダメだ。俺は認めない。日航に取り消させろ。スチュワーデスは、お茶汲みじゃない。あれは重要な安全要員なんだ。同じキャビンで同じ仕事をしているのに待遇が全然違う。更に、安く使おうというのか。そんなことでコスト削減を図ろうなんてとんでもない話だ。ただちにやめさせろ」と指示した。

 

・どの会社でも試用期間っていうのはあるから、3年間は試用期間。アルバイトじゃない。3年経ったら無条件で正社員にする。事故のときは正社員並みに扱うという文言を、自ら書いたんだ。給料も2倍以上に引き上げた。

「これは最終案だぞ。文句があるなら辞めろ」と通達したんだ。今でも、国際線や国内線に乗っていて、年配のスチュワーデスから、

「私は、先生のおかげでアルバイトからスチュワーデスになれて、今は責任者の立場で働いています」と何人も礼を言うんだよ。スチュワーデス神社ができたって言われるくらい、俺は救いの神になったんだ。

 

<ハワイでゴルフをしながら28000億円の財源確保>

・俺がハワイでゴルフをしていたわずか10日ほどで、223事業を中止にし、28000億円くらいをカットしたのだ。

 結果、28000億円の財源をつくったわけだ。財源づくりまでこっちはしてやったんだから、大蔵省がガタガタ言うことではない。そして、建設省、農林省に必要と思われる新規事業をバーンと付けた。

 

<自衛隊全軍をすぐ福島に派遣しろ!>

・「どのくらいだ」

8000名の陸上自衛隊を派遣しました」

「おまえ、何を言っているんだ。こういうときに頼りになるのは、自衛隊と警察と消防だぞ。特に自衛隊だ。陸海空を全部派遣しろ。全指揮を統幕議長にとらせろ」と命じたのだ。その後、菅に、「副総理をやってくれ」と2時間近く口説かれた。菅は、俺が一応剛腕だというイメージがあるから、それを副総理にすることで格好付けようとしたんだ。

 

<真の敵は外来種の新自由主義>

<人類は文明から大反逆を受けている>

・自然環境だけじゃない。人間社会でも異常が常態化し、人々の心も文明から反逆を受けている。原発事故や公害、あるいは薬害問題など、人々の命を脅かすことが頻発している。

 

<人々の幸福や生命までも奪われていく>

・彼らは国を超え自由に経済活動をすることで人類の繁栄をもたらすと考えているようだ。「グローバリズム」(世界主義)とも呼ばれているが、要は自分たちが独占したいだけ。自分たちの価値観やルールを「グローバルスタンダード」とか言って世界中に押し付け、自己の止まるところを知らない欲望を、ただ満足させようとしている連中である。

 

<日本人よ、洗脳から目を覚まして立ち上がれ>

・そんな新自由主義的なグローバリズムに対して、「冗談じゃない!」と声を上げる人々が現れた。何が正しくて何が間違っているかを自己判断でき、行動できる人たちだな。

 お膝元のアメリカでもヨーロッパでも。またアジアの国々でも新自由主義的なグローバリズムに対して、デモや言論による抵抗と反発の動きが起こり始めている。

 

<外来種の思想ではなく土俗の政治が日本を救う>

<地方再生は農漁業がカギ>

<日本人の根っこは農漁村にあるんだ>

・そこにTPP(環太平洋パートナーシップ協定)でしょ。TPPは新自由主義の典型的な政策。日本の農家が大打撃を受けるのは明らか。関税が撤廃された、安い米やら野菜、果物が大量に入ってきたら、間違いなく壊滅する。アメリカやオーストラリア、ニュージーランドといった農業大国と戦ったら、中小零細の日本の農業なんかあっという間に木端微塵だ。

 今でも食料自給率は40パーセントだが、TPPでは10パーセント台になると言われている。文明の反逆を受ける現在、天候不順などで日本に食料が入ってこないと、餓死者が続出することだってあり得るんだ。俺は、農業は森の番人、漁業は水の番人として大切に守らなければならないと言ってきた。これらの風景は日本人にとって心の原風景だけでなく命の支えでもあるんだよ。

 農業と漁業は食糧安全保障の要。それを価格で勝負が決まる自由競争の場に出すということ自体、そもそも考えが間違っている。

 

<狙われた農協と農業潰しの背景にある意図>

・食べるものがなければ、いくら最新の車や電化製品があっても生きていけない。日本にとって大事なのは、TPPで輸出を促進したり安い農作物を輸入したりするのではなく、日本の農業を立て直すことだ。

 

アベノミクスは絵空事だ

<所信表明演説から消えたアベノミクス>

・今まで、わかっていても書かなかったが、各週刊誌もいろいろ書き始めている。隠し子騒動の話まで飛び出した。上り調子のときには書けなくても、今なら大丈夫というところだろう。見るに敏というか、マスコミもいい加減なものだ。

 

<晋三に注意した、博打場となった株式市場>

・だから俺は総理に直接電話でも言ってやった。

「なあ晋三、今、兜町はどうなっていると思ってる。近頃の株式市場は産業資金を調達する場ではなく、ただの博打場になっているじゃねえか」

それに対して信三から特に否定する言葉は返ってこなかった。だから心のどこかでそう思っているのかもしれないな。

 

<株価が上がれば景気がよくなるというのは嘘>

・アベノミクス実施後、株価は上昇し、兜町界隈の懐は暖かいかもしれないが、それ以外の場所で景気がいいという話はほとんど聞かない。むしろ、寂れて荒廃しているのが今の姿なんだよ。

 

今の日本では円安はマイナス要因だ

現在の日本の産業構造では、円安というのは、日本人が一所懸命つくっているものを外国に安売りしていることに他ならない。

 円高対策で数兆円程度の為替介入をしたところでその効果は一時的だ。逆に投機的な動きがある中、「虚の世界」にもてあそばれるだけ。ここでも、まさにグローバルな資金を使った外資たちが、儲けている。

 もちろん為替を安定的に推移させるためにはいろいろな施策をやらなければならない。だが、実体経済を伴わず、ただ日銀がカネを出しまくって円安に持っていくというのは通貨の価値が下がるだけだ。

 

<アベノミクスは日本を叩き売っている>

アベノミクスは円安で日本売りを図る政策だが、バナナの叩き売りみたいもの。日本の財産を投げうっているというもんだ。

 

<黒田の馬鹿たれは欲求不満を爆発させている>

・黒田は財務省では本流から外れていたんだよ。欲求不満が溜まっていたのかもしれないね。いずれにせよ中央銀行の立ち位置を踏み出し、政治的な動きになっている。これは、日銀の独立性を尊重した従来の日銀総裁はやらなかったことだ。前任の白川だって「この石頭!」と言われながらも、一応かたくなに守っていた。

 とにかく日本は、アベノミクスの下、国を挙げてマネーゲームに走っているんだよ。

 

・実体経済は小泉改革以降、ガタガタになっているから、使い道のないカネが結局、兜町に流れたってことだ。日銀の通貨政策で実体経済が上向くというのは、今の日本では絶対に不可能なこと。そんなの現場を見れば馬鹿でもわかる。

 

2本目の矢も結局空振っている>

2本目の矢もひどいんだよ。

 アベノミクスの2本目の矢は、「機動的な財政出動」ということになっているが、空振っているな。これも、晋三とそのブレーンが全く日本の現状を見ないで、外国で聞きかじった経済政策をやった結果だろう。

 

<ドブに向かって跳ぶ矢もある>

・「総理、地方のニーズに合わせた予算を組んで、実際に執行されるような政策をしないと、絵に描いた餅になるぞ」これも晋三に直接言ったことだ。

 何千億、何兆円の予算を組んでも、地域の経済が活性化していく、地場産業が元気になるような具体的な手当てをしないと、スーパーゼネコン向けのムダな公共事業に終わって、カネをドブに捨てるようなものになっちまうよ。

 

<晋三を操る新自由主義者どもの大罪>

<真空地帯にすーっと入ってきた竹中平蔵>

・本当は成長戦略こそもっとも重要なものだが、結局1本目と2本目でカネをばら撒き、株価、物価、消費税は上がり、景気は後退したわけだが、一部の連中だけが潤ったということだ。

 実は、総理は経済に関してはあまり得意じゃない。だから取り巻き連中はやりたい放題。人がいいから任せたという感じだろうが、国民にとってはたまったものではないな。

 だから、始末が悪いことに、小泉改革以来、日本をさんざん混乱させた新自由主義的な政策が始まった。「改革」というまやかしだ。

 

<やつらの規制緩和で日本はガタガタ>

・日本人が得られるべき富が吸い取られ、ますます庶民の生活が苦しくなってしまった。給料も物価も売上も上がらないというデフレスパイラルに陥ってしまったんだ。

 

<新自由主義政策で産業の空洞化が進む>

・新自由主義的経済政策では大企業に有利だが、その大企業だって当時は業績低迷で必死だったから、下請け孫請けのケアどころではなかった。

 

<働く人の懐から掠め取った恥ずべき利益>

そんな外来種の新自由主義に牛耳られつつある今の日本。そこで大企業がやっていることは、非正規社員をどんどん増やして安い労働力を確保し、会社の利益を上げていくというものだ。その利益を社員に還元するのではなく、株主の配当に重点を置いている。

 

<弱い者いじめの税制・年金・社会保障>

<大儲けの企業からは取らずに庶民から取る>

・現在、日本の企業は全体で300兆円以上の、過去最大の内部留保を貯めている。従業員の懐に入ったり、下請け孫請けに回ったりする分を取って貯めた結果だ。今、そこに法人税減税をやると総理自身が言っている。

 結局、税制においても強者から取らないで一般庶民から取るべく、消費税という形で担税させた。しかも更に10パーセントにするという。

 

<弱い者いじめを批判しないマスコミたち>

・社会保障政策だってことごとく弱いものいじめだ。

 介護だって、医療だって、現政府が進めているのは、全部、お年寄りや弱者に対しての負担増だ。大病院に行く場合には、紹介状がなければ初診料を全額自己負担という話も出ている。カネのないやつは病院に行くなという感じだな。

 介護保険にしたって、年金だって受給年齢や受給期間の条件をやたらと厳しくしている。

 

<社会保障に明るいはずの晋三だが>

・重要なのは、その年金の基本理念だ、国民の信用を取り戻す努力とともに、個々の意識改革も大切。

 例えば、年金の必要のない金持ちまで、もらえるものはもらわなければ損だというのでは、いくら納付率を上げようが税収を増やそうがムダなんだよ。富裕層への支給は控える制度設計にしなくてはね。

 いずれにしても超少子高齢化社会を迎える以上、今のままでは持続は不可能になるし、世代間での負担の格差が広がるばかりで若い人には希望が持てなくなる。だから年金だけでなく社会保障制度全体の抜本的な改革が必要なんだ。

 晋三も、俺が自民党政調会長のときに社会部会長をやっていたから、そういう社会保障問題でついては詳しいはずなんだが、弱者をいじめて、反対に富裕層への恩恵ばかり助長するようなことをやっている。

 

この調子では日本はどんどん新自由主義的な、強きを助け弱きを挫く政策に染まってしまう。

 

  

 

『世界を見る目が変わる50の事実』

ジェシカ・ウィリアムズ  草思社 2005/4/28

 

 

 

50の事実>

1.日本女性の平均寿命は84歳、ボツワナ人の平均寿命は39

 

2.肥満の人の3人に1人は発展途上国に住んでいる

 

3.先進国で最も妊娠率が高いのは、米国と英国の10

 

4.中国では4400万人の女性が行方不明

 

5.ブラジルには軍人よりも化粧品の訪問販売員のほうがたくさんいる

 

6.世界の死刑執行の81%はわずか3カ国に集中している。中国、イラン、米国である

 

7.英国のスーパーマーケットは政府よりも多くの個人情報をもっている

 

8.EUの牛は一頭につき1日2.5ドルの助成金を受け取る。年額にすると世界旅行が可能だ

 

9.70カ国以上で同性愛は違法、9カ国で死刑になる

 

10.世界の5人に1人は11ドル未満で暮らしている

 

11.ロシアで家庭内暴力のために殺される女性は、毎年12000人を超える

 

12.2001年、何らかの形成外科手術を受けたアメリカ人は1320万人

 

13.地雷によって、毎時間1人は死傷している

 

14.インドでは4400万人の児童が働かされている

 

15.先進国の国民は年間に7キロの食品添加物を食べている

 

16.タイガー・ウッズが帽子をかぶって得るスポンサー料は、1日当たり55000ドル。その帽子を作る工場労働者の年収分の38年分

 

17.米国で摂食障害を患っている女性は700万人、男性は100万人

 

18.英国の15歳の半数はドラッグ体験済み。4分の1は喫煙常習者

 

19.ワシントンDCで働くロビイストは67000人。連邦議員1人に対し125

 

20.自動車は毎分、2人を殺している

 

21.1977年以降、北米の中絶病院では8万件近い暴力事件や騒乱が起きている

 

22.マグナルドの黄色いアーチがわかる人は88%。キリスト教の十字架はたった54

 

23.ケニアでは家計の3分の1が賄賂に使われる

 

24.世界の違法ドラッグの市場規模は4000億円ドル。製薬市場とほぼ同じ

 

25.アメリカ人の3人に1人は、エイリアンがすでに地球に来たと信じている

 

26.拷問は150カ国以上で行われている

 

27.世界では7人に1人が日々飢えている

 

28.今日の米国に生まれる黒人新生児の3人の1人は刑務所に送られる

 

29.世界で3人に1人は戦時下に暮らしている

 

30.2040年に原油は枯渇するかもしれない

 

31.世界の喫煙者の82%は発展途上国の国民

 

32.世界の人口の70%以上は電話を使ったことがない

 

33.近年の武力紛争の4分の1は天然資源がらみ

 

34.アフリカのHIV陽性患者は約3000万人

 

35.毎年、10の言語が消滅している

 

36.武力紛争による死者よりも自殺者のほうが多い

 

37.米国で、銃を持って登校し退学になる生徒の数は、平均して週に88

 

38.世界には「良心の囚人」が少なくとも30万人いる

 

39.毎年、200万人の女性が性器切除される

 

40.世界中の紛争地帯で戦う子供兵は30万人

 

41.英国では総選挙の投票者数よりも、テレビ番組でアイドル選びに投票した人のほうが多い

 

42.米国のポルノ産業の規模は年間100億円ドル。海外援助額と同じである

 

43.2003年、米国の防衛費は約3960億ドル。「ならず者国家」7カ国の防衛費総計の33

 

44.世界にはいまも2700万人の奴隷がいる

 

45.アメリカ人が捨てるプラスチック・ボトルは1時間に250万本。並べると、3週間分で月に達する

 

46.ロンドンの住民は、監視カメラで1日300回撮影される

 

47.毎年、西欧向けに人身売買される女性は12万人

 

48.英国で売られるニュージーランド産キウイは、その重量の5倍の温室効果ガスを排出している

 

49.米国は国連に10億ドル以上の未払い金がある

 

50.貧困家庭の子供たちは、富裕家庭の子供たちに比べて、3倍も精神病にかかりやすい

 

<「50の事実」に何ができるか>

・読み進めていくうちに、いくつかのことが明らかになるだろう。何より、世界を取り巻く問題の多くは、富める先進国と貧しい途上国との、醜い不平等に起因していることだ。

 

<私は、これら50の事実が世界を変えると確信している。>

・「思いやりがあり、行動力のある人々は、たとえ少人数でも世界を変えられる――それを決して疑ってはなりません。実際、それだけがこれまで世界を変えてきたのですから」

 

<中国では4400万人の女性が行方不明>

200210月、中国の新華通信社は最新の国勢調査を発表した。それによると、2000年には女児100人に対し、男児は116.8人生まれていた。そこには、かすかだがはっきりと警告の響きが感じられた。過去2回の国勢調査と比べても、この男女比は拡大している。『上海スター』 紙は、こうした傾向が続けば、約500万人の中国人男性が結婚相手を見つけられなくなると伝えた。そうなれば、家庭、経済、社会的サービスにも問題が生じるだろう。ある専門家は、自暴自棄になった男性による女性の誘拐が増えるとさえ警告している。

 

・この不均衡は、中国やインドをはじめ、東アジアや南アジアにおいて男の子を望む傾向が強いために生じた。女の子を望まない親たちは、性別診断で胎児が女児とわかると、中絶に走る。実際に生まれても、女児の多くは生後数日から数週間で殺されてしまう。親たちはそれを自然死に見せかけるために、手を尽くして警察や衛生当局の目を欺く。幸いにも生き延びた女児も、出生届は出されない。その結果、教育や福祉ばかりか、充分な食事さえ与えられない日陰の生涯を歩む。

 

・インド、中国、台湾の出生率は着実に下がりつづけて西欧並みになりつつあるが、それでも女児への偏見は根強い。

 

・出生登録をされない子供たちには、どんな運命が待ち受けているのか?法律的には、彼らは存在を認められていない。だから学校に行くこともできず、公的機関の診療も受けられない。彼らの生活条件は、ひどく限られている。

 

<アメリカ人の3人に1人は、エイリアンがすでに地球に来たと信じている>

30%の人々が「これまでに報告されている未確認飛行物体の一部は、他の文明からやってきた本物の宇宙船」だと答えており、45%のアメリカ人が地球外知的生命体はすでに地球に訪れていると回答している。

 

・実際、軍の発表と目撃者の言い分には食い違いがあった。エイリアンの死体が、いまやすっかり有名になったロズウェル空軍基地の「エリア51」に運びこまれるのを見たという人々もいる。1994年には、「エイリアン検死」の様子であるとのふれこみの怪しげなビデオも出回った。

 

 

 

『世界を見る目が変わる50の事実』

ジェシカ・ウィリアムズ  草思社 2005/4/28

 

 

 

70カ国以上で同性愛は違法、9カ国で死刑になる>

・同性愛が死刑の対象になる国が9カ国ある。モーリタニア、スーダン、アフガニスタン、パキスタン、チェチェン共和国、イラン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE),そしてイエメンである。

 

1979年のイランにおけるイスラム革命以来、4000人以上の同性愛者が処刑されたと推計されている。

 

・世界で70カ国以上がレズビアン、ゲイ、同性愛者、あるいは性倒錯者を差別する法律を有している。

 

・社会においては同性愛は「病気」として扱われ、ゲイやレズビアンは精神医療による「治療」を強いられてきた。

 

・しかし、多くの国々で事態は変わりつつある。20036月、米最高裁判所は、同性カップルの性的行為を禁じるテキサス州法に違憲判決を下した。この判決は、テキサスだけでなく、他の13州における類似の法律を一挙に無効にすることになった。

 

・さらに同性愛のカップルも異性愛のカップルと同じように子供を育て、家族の絆を持ち、結婚に関する判断を下すことができるとした。これらは米国憲法に保障された権利と確認したのである。

 

・米国市民自由連合はこの判決を「LGBT(レズビアン、ゲイ、両性愛者、性倒錯者)にとって、これまでで最も有意義な判例」と呼んだ。

 

・国際人権団体も同性愛を公言する人々の保護を求める働きかけで注目を集めており、おそらくはそれがまた保護手段になっているだろう。

 

 

 

『国家の実力』   危機管理能力のない国は滅びる

佐々淳行・渡部昇一   致知出版社     H23/6/30

 

 

 

<中国に対抗するための「核シェアリング」という発想>

(佐々)アメリカは日本のために核戦争はやりません。ただ、ちょっと心配なのはアングロサクソンというのは撤退するときに、焼土作戦をやって引き揚げていくのです。物を残さないで破壊してしまう。だから、日中を軍事的に破壊することはあり得ないけれど、経済的、政治的に破壊していくケースは考えられなくないんです。中国の一部になられたら困るわけですからね。

 

(渡部)日本には「核シェアリング」という発想が重要だと思うんです。そうすると中国と戦争は起きない。にらみ合っているうちに向こうはひっくり返りますよ。中国が総選挙のできるような国になれば、戦争の危険はあまりなくなるわけだから、それまで日本は核シェアリングをしたいというようなことをアメリカに対して表明すればいい。

 

(佐々)ただ、今は運の悪いことに原発事故が起き、国内で反核ムードが高まっていますからね。まず国内を説得しなければなりません。核シェアリング論にとって、これはとても困った状況ですね。

 

<警察官不足で危機に瀕している国内の治安>

(佐々)「ポリティコ・ミリタリー」や「ポリティコ・エコノミー」や「ポリティコ・ファイナンス」を唱えて研究する人は、いるのですが、「ポリティコ・ミリタリー」をやる人はいません。ましてや治安、防衛、外交の三点セットをすべて学んだ人はほとんどいない。私は、たまたまそれを学ぶことになったわけですね。だから、次の総理には治安、防衛、外交をやってくれる人になってほしい。今の内閣は、正反対です。「治安、防衛、外交だけはやらない」という人たちの集まりですから。

 

(佐々)私が、警察に入ったころから警察庁が言っているのは、人口5百人あたり警察官一人が必要である、と。人口が1億なら20万人の警察官が必要だと言っているのですが、なかなか実現しない。

 

・この間の1万人の増員が完成して55人に1人。

 

・しかし、諸外国と比較してみると、イタリアはカラビニエリという警察騎兵隊を入れると272人に1人の割合で日本の倍以上になっています。それから、アメリカは353人に1人。イギリスが366人に1人、ドイツとフランスがそれぞれ314人と286人です。ところが埼玉県などは現在でも639人に1人です。

 

・だから被害者が警察に助けを求めていたのに、警察は忙しいものだから「恋愛沙汰には民事不介入の原則で手を出せない」なんて言って放っておいたら、それで被害者が殺されてしまいました。あの時は、ごうごうたる非難を浴びたけれど、本当に人がいなかったんです。

 しかも、定員を増やさないまま、どんどん仕事が増えました。また、コンピュータ犯罪が出たり、愉快犯が出たり、犯罪の種類もどんどん広がっています。

 

<小泉純一郎元総理の知られざる功績>

(佐々)小泉さんは2回目の自民党総裁選の立会演説会で「空き交番をゼロにする」と言いました。そして、実際に1万人の警察官増員をして平成192007)年までに空き交番はなくなったのです。これはすごいと思いました。

 

 

 

『職場のLGBT読本』

柳澤正和、村木直紀、後藤純一   実務教育出版 2015/7/22

 

 

 

<LGBTを知っていますか?>

・LGBTは、Lesbian(レズビアン)、 Gay(ゲイ)、Bisexual (バイセクシュアル)、transgender(トランスジェンダー)の頭文字をとった、性的マイノリティ(少数者)を表す総称です。

 

・欧米ではアーティストからスポーツ選手、企業経営者や政治家に至るまでさまざまな職業の方が、カミングアウト(LGBTであることを公にする行為)をする例が増えています。みなさんもオリンピックで水泳の金メダルをとったイアン・ソープ選手や、アップルCEOのティム・クック、そして2015年にグラミー賞を獲得したサム・スミスなどのカミングアウトのニュースをご覧になられたかもしれません。

 

<日本でのLGBT事情は?>

・調査によると人口の5%~7%強(電通総研2012年、2015年)はLGBTだといわれます。13人~20人に1人です。日本の苗字で多い「佐藤」「鈴木」「高橋」「田中」さんは、合計600万人いるといわれますが、LGBTの推定人口はその数に匹敵する規模というわけです。

 

・本書が、おそらく日本で初めての、「ビジネス書・人事」の欄に置かれるLGBTの本になると思います。

 

<LGBT人口はどれくらい?>

・性的少数者(性的マイノリティ)と言うぐらいですから、ストレートに比べたら少ないのでしょうが、実際にはどれくらいいるのでしょうか。人口の3%~10%というデータを目にしたことがあるのかもしれませんが、これほどの幅が生まれるのはなぜなのでしょう。それは、LGBT人口の統計というのは、さまざまな意味で正確な数値を出すことが困難になっているからです。

・アメリカではその後、何度も同性愛人口についての調査が行われてきました。最近の2003年の調査があり、性的に活発なアメリカ国民男性の4.9%が18歳以降に同性との性的行為を持ったことがあると回答しました。

 

・イギリスでは、財務省などがシビル・ユニオン制定の影響を調べるため、2005年に行った調査によると、イギリスにいるレズビアン、ゲイの数は360万人で、国民の約6%が同性愛でした。

 

<古代ギリシアからルネサンス期>

・自然界にももともとたくさんあるように、人間界にも古来から同性愛はありました。よく知られているのは古代ギリシアです。プラトンは『饗宴』のなかで少年愛を美と結びつけて賛美しています。ポリス(都市)では、年長者が庇護者として少年を愛することが称揚され、それは少年を立派な市民に育て上げるという教育的な意味ももっていました。

 

・しかし、キリスト教が誕生し、同性愛を退廃とみなす中世の暗黒時代へと入っていきます。聖書の「ソドムの市」の記述から同性愛は「ソドミー」と呼ばれ、火あぶりなどの刑が科せられることもありました。

 

・『ホモセクシャルの世界史』を著した海野弘氏は同書で「キリスト教がホモフォビアを作ったのではなく、キリスト教が生んだ抗争がホモフォビアを助長したのかもしれない」と述べています。

 

・ルネサンス期はネオプラトニズムの影響で同性愛に寛容なムードが広まる一方で、取り締まりも行われました。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロといった芸術家たちの同性愛は広く知られるところです。

 イギリスでは、エリザベス朝時代のクリストファー・マーロウやシェイクスピア、17世紀のフィリップ1世(オルレアン公)、ジェームズ1世、ウィリアム3世の同性愛が有名です。18世紀には産業革命を背景に、今日のゲイバーの原型である「モリー・ハウス」が誕生し、庶民も同性愛や異性装を謳歌するようになったことが知られています。

 

<近代から現代>

・近代になると、家父長制と資本主義、ナショナリズムが結びつき、一夫一婦制が定着し、ジャーナリズムの発展とともに国家と大衆が同性愛者を非難・弾圧するようになり、ホモフォビア(同性愛嫌悪)が蔓延します。

 

19世紀末、オスカー・ワイルドが同性愛のかどで逮捕・投獄され、フランスではヴェルレーヌがランボーとの恋の終幕に拳銃を発砲し、逮捕されました。20世紀初頭には、ドイツで皇帝ヴィルヘルム2世の閣僚や側近が同性愛者として糾弾される一大スキャンダル、「オイレンブルク事件」が起こりました。第1次世界大戦の遠因ともなる、国家を揺るがすような事件でした。イギリスでは、経済学者のケインズ、作家のヴァージニア・ウルフやE・M・フォスターらの同性愛者・両性愛者が中心となったブルームズベリー・グループが活動し、パリではディアギレフやニジンスキー(ともに同性愛者)のバレエ団バレエ・リュスがセンセーションを巻き起こしました。

 

・女性に目を向けると、「ロマンチックな友情」と呼ばれて称賛された女性同士の友愛が19世紀に頂点を迎え、経済的自立を果たした中産階級の女性たちは共に暮らしはじめます(アメリカ東海岸では「ボストンマリッジ」と呼ばれます)。1920年代にはニューヨークなどにレズビアンコミュニティが誕生します。

 

・しかし、精神科医による同性愛者や異性装者というカテゴライズは、のちにそうした人々が異常だとか病気であると見なされることにもつながりました。そしてナチスは性科学研究所を破壊し、何万人もの同性愛者を収容所で虐殺……歴史上類を見ない悲劇が起こったのです。

 

・第2次世界大戦が終わり、男女平等や公民権運動が進んでもなお、依然として同性愛は違法であり、第2次世界大戦の英雄であったアラン・チューリングが同性愛のかどで逮捕され、ホルモン治療を強制され、自殺に追い込まれるという悲劇も起こりました

 

<LGBTの日本史>

・日本は欧米に比べ、LGBTに寛容な国だといわれてきましたが、おそらくその理由には、日本人が異性装、ことに女装が大好きだからということもあるでしょう。三橋順子氏は著書『女装と日本人』(講談社刊、2008年)において、ヤマトタケルの女装を端緒に、古代日本の女装した巫人(シャーマン)、王朝時代の稚児、中世の持者、江戸時代の陰間………と現代まで連綿と続く女装の系譜を検証しながら、日本文化の基層に「性を重ねた双性的な特性が、一般の男性や女性とは異なる特異なパワーの源泉になるという考え方=双性原理」があると述べています。

 

<「男色」大国だった日本>

・そのことも深く関係しますが、かつて日本は世界に冠たる「男色」大国でした。有史以来、日本の歩みは男色とともにあり、日本の歴史は男色文化に左右されながら、時にはそれが原動力となって動いてきました。

 古代の豪族からはじまり、空海が唐から男色文化を持ち帰って以来、稚児を愛するライフスタイルが爆発的な広がりを見せ(稚児は「観世音菩薩の生まれかわり」として崇拝され、僧侶の間では男色は神聖な儀式でした)、僧侶から公家、貴族、そして武士にも伝播しました。室町時代には喝食(かつしき)と呼ばれる美少年がもてはやされ(足利義満と世阿弥が有名)、戦国時代には武将が小姓を寵愛し(織田信長と森蘭丸をはじめ、ほとんどの武将が小姓を抱えていました)、やがて「衆道」へと至ります。「衆道」は念者と若衆の愛と忠節によって成立する崇高な男の契りであり、ちょうど古代ギリシアのように、少年を庇護し、立派な武士に育て上げる(軍の団結を強化する)意味合いももっていました。

 

・日本の男色は、政治をも大きく動かし、独自の文化を花咲かせ、日本的美意識とあいまって「宗道」と呼ばれる武士の人生哲学となり、江戸時代には若衆歌舞伎という一大娯楽産業(そして色子、陰間という売色のシステム)も誕生しました。この時代、色道の極みは男色と女色の二道を知ることだと言われ、陰間茶屋が栄えました。陰間の中には女形を目指して女装した者もいました。稚児などもそうですが、美少年はしばしば女装もしており、男色は現代とは異なり、疑似異性愛的なものでした。日本の男色史は女装史と不可分なものだったのです。

 

<明治以降~現代>

・明治維新以後も「衆道」の名残りが薩摩藩などを中心に見られ、大正時代まで続きました。しかし、明治政府は、江戸以前の男色の文化を封建的な江戸の奇習、西南日本の悪習(それに影響された学生の悪習)、「文明」に対する「野蛮」として周縁化しました。富国強兵・殖産興業の国策の下、どんどん同性愛者は生きづらくなり、戦時中は「非国民」と呼ばれ、弾圧されました。

 

・戦後、待ってましたとばかりに同性愛者や女装者が活動をはじめますが、三島由紀夫の「禁色」に描かれているように、まだアンダーグラウンドなものであり続け(歴史の教科書も男色を隠蔽し続け)、ほとんどの同性愛者は偽装結婚を余儀なくされました。それでも、女装したママのゲイバーやブルーボーイのショークラブ、二丁目のゲイバー街ができ、丸山明宏(美輪明宏)のようなタレントが登場し、ニューハーフやミスターレディがメディアを賑わせるようになり、というかたちで次第に世間に浸透していきました。(その後もカルーセル麻紀、おすぎとピーコ、ピーターらをはじめ、現在のマツコ・デラックスに至るまで、数多くのオネエタレントが活躍してきました)。

 

<同性愛の世界地図>

・西欧や北米、中南米、オセアニアでは同性婚または同性パートナー法が認められている国もありますが、中東やアフリカ、東欧では、まだ同性愛者を弾圧する国がたくさんあります。近年、この二極化が進みつつある一方で、日本をはじめとする東アジア・東南アジアでは、ひどい差別もないが保護する制度もない、という状況が続いています。

 

・同性愛が違法となっている国(国外追放や終身刑、死刑などの極刑に処せられる可能性がある)

イラン、サウジアラビア、イエメン、スーダン、ナイジェリア、モーリタニア、ソマリア。

 

<日本アイ・ビー・エム株式会社>

1950年代には米国企業としてもいち早く、個人の尊重、機会の均等をコーポレートポリシーとして宣言し、すでに80年代にはLGBTにも注目し、差別禁止規定のなかに「性的指向」「性自認」という文言を入れています。ダイバーシティ施策の一環でLGBTへの特化ではなく、人種の違いや障がい、女性と同様に尊重するものでした。

 

 マイノリティの従業員の定着、意識向上を考え、ロールモデルをいかに輩出していくか、平等な福利厚生、継続性、LGBT市場の開拓やブランディング、賛同してくれる仲間の企業をつくる、といったことに取り組んでいます。客観的な調査機関のサーベイ(調査)にも積極的に応じて、差別のない職場環境の整備と維持を心がけています。

 

<さまざまな企業の取り組みを知ろう>

・そこに風穴を開け、いち早くLGBTへの働きかけを行ったのが、今はなきリーマン・ブラザーズ証券でした。2004年に入社したヘイデン・マヤヤスさんが、社内でLBGLN(リーマン・ブラザーズ・ゲイ・アンド・レズビアン・ネットワーク)という当事者ネットワークを立ち上げ、LGBTの従業員同士で親交を深め、同性カップルの結婚を祝福したり、識者を招いて講演会を催したりしていました。そして「多様な人材を抱えることができれば顧客提案の幅も広がる」との考えから、2006年3月には早稲田大学など7大学のLGBTサークルに声をかけ、社内のLGBT支援システムをアピールし、優秀な人材の確保に乗り出しました(2008年以降、リーマン・ブラザーズ証券の取り組みは、野村證券へと受け継がれていきます)。

 

<ゴールドマン・サックス証券株式会社>

・ゴールドマン・サックスは、多くのLGBTが活躍している世界有数の金融機関です。イギリスでは「LGBTが働きやすい会社トップ100」の6位に選ばれています。

 

・日本法人では2005年に社内LGBTネットワークが設立されました。

 

<野村証券株式会社>

2008年9月にリーマン・ブラザーズ証券が破綻したあと、野村證券がリーマン・ブラザーズの欧州とアジア拠点の部門を継承した際に、ダイバーシティ&インクルージョンのコンセプトとともにLGBTネットワークが野村證券に引き継がれることになりました。

 

 

 

『妖怪の理 妖怪の檻』

京極夏彦    角川書店  2007/9

 

 

 

<柳田國男の妖怪談義を巡って>

・現在、“妖怪”を語る時には必ずといっていい程引き合いに出されてしまう柳田國男も、最初から「妖怪」という言葉を使用していたわけではありません。

 例えば、有名な『妖怪談義』(1956/修道社)に収録されている論文の中で一番古い「天狗の話」が書かれたのは明治42年(1909)のことなのですが(それは井上圓了が活躍していた時代です)、その中に「妖怪」の2文字を見出すことはできません。のみならず初期、中期の論文において柳田は、天狗は天狗と記し、大太法師は大太法師と記すだけです。柳田國男がそうしたモノの総称として「妖怪」という言葉を頻繁に使い始めるのは、大正も半ばを過ぎてからのことなのです。

 

・ただ、柳田國男はその学問の創成期から民俗の諸層に立ち現れる“怪しいモノゴト”に深い興味を示してはいました。

 柳田はまた、それを怪しいと感じる人間の心の在りようを研究することに学問的意義を見出してもいたようです。加えて、柳田が比較的早い時期に「妖怪」という言葉を“述語”として採用しようとしていたこともまた、事実ではあります。

 

・そして柳田以外の民俗学者達が「妖怪」という言葉を術語として頻繁に使い出すのは柳田が昭和11年(1936)雑誌『日本評論』(日本評論社)に論文「妖怪談義」を発表して後のことと思われるのです。

 

・また当時流行し始めていた心霊研究、さらには海外のスピリチュアリズムなども、柳田の視野には収まっていたはずです。

 ならば、日本民俗学を学問として確固たるものにするために、そうしたある意味いかがわしさを含んだ学問と一線を画する必要が、柳田には確実にあったはずなのです。民俗の中の“怪しいモノゴト”を扱うにあたって、さらにはそれを“妖怪”と名づけるにあたって――「妖怪」という言葉を術語として使うために、柳田國男は、井上、江馬、藤澤、そして心霊科学、そのどれとも異なった道を模索せざるを得なかったのでしょう。

 

<『古今妖魅考』は平田篤胤が記した書物で、天狗に関する多くの記述がある>

・柳田が“妖怪”と“幽霊”を明確に区別したがったのは、過去(文献)だけを研究対象とした江馬のスタイルと決別するという主張の現れだったのではないでしょうか。それはまた、民俗学を近代的な学問――科学とするための一種の方便として捉えることも可能です。

 

<黎明期の民俗学を巡って>

・柳田は全国各地の習俗や言語など“民俗”に関わる事象をくまなく調査し(必ずしも自らが全国を巡ったわけではないのですが)、蒐集・蓄積した膨大なデータを様々な形で纏め、世に問うています。しかし、纏められた資料や論考を俯瞰した時、“性”と“差別”に関わる記述が驚く程に少ないということに気づくはずです。まったく触れられていないというわけではないのですが、それにしても扱われている情報は僅かで、扱い方も常に淡泊です。

 これは、それらの情報が蒐集の網から漏れた故に生じた“不備”ではありません。

 それはむしろ、意図的に“取捨選択”がなされた結果であるものと思われます。“性”や“差別”に関わる情報は、なにがしかの基準によって選り分けられ、隠蔽されてしまったようなのです。

 但し、その選別作業がどの段階で行われたのかは定かではありません。

 

・柳田の許に届く前、例えば蒐集の段階で捨てられてしまったという可能性も、もちろんあるでしょう。しかし、たとえそうであったのだとしても、何らかの基準なり指針を示したのが柳田であったことは想像に難くありません。

 柳田は“夜這い”などの性に関する習俗や、取り上げること自体があからさまな差別の誘因となり得る事象などに対しては極力言及しない――という方針を持っていたようです。これは柳田個人の(そうしたものを好まない)性質・信条に因るものだという見方もあるようですが、それを踏まえた上での、一種の“戦略”であったと捉えられることも多いようです。

 立ち上げ間もない民俗学を守るための――学問の一分野として成立させるための――それは学問的“戦略”だというのです。つまり民俗学が卑俗なものとして受け取られることを虞れたあまり、誤解を受けそうなテーマを緊急避難的に遠ざけた――ということになるのでしょうか。

 

・ただ、柳田國男が意図的に「妖怪」なる言葉を民俗学用語として採用し、ある程度積極的に使用したことは明らかな事実ですし、その結果として現在私たちが知る“妖怪”という概念が形成されたことも事実でしょう。

 

・性的習俗・差別的文化の取り扱い方が、柳田の学問的“戦略”であったのだとしても、また、単に柳田の個人的な嗜好の発露であったのだとしても、柳田がなにがしかの基準を以て蒐集した情報を取捨選択していた(あるいはさせていた)という事実に変わりはありません。

 そうした事実がある以上、ここでまず問題にしなければいけないのは、その“基準”そのものでしょう。

 それでは、その基準と果たしてどのようなものだったのかを考えてみましょう。

 

・筆者はその基準を、取り敢えず“通俗性の有無”と要約することができるだろうと考えています。

 通俗とは、“下品”であり“幼稚”であり“下劣”である――学問的でない――と言い換えることもできるでしょう。柳田國男は高名な学者であり、官僚でもあり、インテリゲンチャのホワイトカラーであり、現在でも、およそ通俗とはかけ離れた印象を以て受け入れられている人物です。柳田が通俗を厭うたというもの言いは、いかにももっともらしく聞こえることでしょう。しかし、それはあくまで“印象”に過ぎません。

 

・風俗史学が“下品”で“幼稚”だなどと述べているわけではありません。前述のとおり、風俗史学は(民俗学とは以て非なるものではありますが)きちんとした理念や体系を持つ、れっきとした学問です。

 ただ、明治期から昭和初期にかけて、風俗研究の名を借りた通俗的な言説が一種のブームとなっていたこともまた、紛れもない事実なのです。

 

・もちろん、性であれ差別であれ、研究者は決して下世話な興味本位でそれらを俎上に並べたわけではありません。風俗史学の内部では、それらはいずれも学問的な研究対象として、真面目に取り扱われています。しかし、研究者がどれだけ真摯な姿勢でそれらと向き合っていようとも、そうした対象を扱うという行為自体が、好奇=通俗の視線に晒される要因となるのだとしたら――通俗化を回避することは難しいといわざるを得ません。

 戦後のカストリ誌などで好んで扱われたネタの多く(猟奇趣味、犯罪心理、性愛記事、秘境探検記事など――)は、そうした“風俗研究ネタ”の直接的な焼き直しです。

 

・風俗史学が「過去のモノゴトを現代に紹介する」学問だとするなら、民俗学は「過去を知ることで現代を知る」学問です。風俗史学が「特定の場所や時代を研究する」ことに終始するのに対し、民俗学は「古層を探ることで現在を理解する」ためになされる学問なのです。

 実際、柳田以降もその二つは時に混同され、集合離散を繰り返すこととなります。

 

・柳田が“性”や“差別”を禁じ手としたのは、そうした手本があったからなのでしょう。それが柳田の個人的な嗜好であったのだとしても、学問の卑俗化を防ぐための戦略であったのだとしても――柳田の視野に風俗研究が収められていたことは疑いのないことのように思えます。

 

・柳田國男は、どういうわけか「妖怪」という言葉だけは捨て去ることをしませんでした。それどころか、柳田は晩年に至って「妖怪」という言葉に拘泥し始めるのです。先に挙げた基準が正しいものであるならば、「妖怪」は真っ先に捨てられていて然るべき言葉であったのでしょう。

 

<明治の雑誌をなどを巡って>

・明治30年代に入ると、圓了の著作以外の場でも「妖怪」という言葉が使用されるようになります。

 

・明治政府は圓了以上に迷信や旧弊を弾圧しました。明治期には、まじないや因習を禁止した政府令がいくつも出されています。反体制という場所に立って眺めるならば、圓了も明治政府も同じことをしているように見えたはずです。

 

・合理を前面に打ち出した圓了の場合、現象の背後には何もありません。「起こり得るか/起こり得ないか」の二者択一で、非合理なものは「起こらない」「ない」というのが圓了の立場です。

 平井の場合は多少違っています。神霊(心霊とは微妙に違う概念です)の有効性を信じる者にとっては、すべての事象はなにがしかの「意志の結果」なのです。「起こり得ないこと」であっても「起こるべきこと」は「起こる」ということになるでしょう。

 

・二人の違いとは、現象の背後にある“モノ”を想定しているかいないか、ということです。

 平井の文中にそうした“超越者”に対する記述はいっさいありません。しかし、先に述べたように、平井が後に心霊研究の方面に手を伸ばす人物であることは事実です。平井金三にとって大切だったのは、「何が起きているか」「それは起こり得ることなのか」ではなく、「何故起きたのか」、あるいは「何が起こしたのか」だったのではないでしょうか。

 健全な“妖怪”=“神仏”が「在る」のであれば、不健全な“妖怪”もまた「在る」ということになります。

 

・天狗の話も河童の話も、フォークロアや寓話としてではなく「本当にあったこと」として語られているわけです。

 現代に置き換えるなら「私は宇宙人に遭った」「自殺者の霊がトンネルに現れた」というのと同じ文脈で天狗や河童が語られているわけです。天狗も河童も実在するモノゴトとして、要するに“オカルト全般”として扱われているということ――即ち井上圓了の引いた枠組みの中で語られているということ――になるでしょう。

 

・圓了の仕事によって、“妖怪”の名の下にそれまで乖離していたいくつかの事象が統合・整理されたことは間違いないでしょう。それは、後にオカルトなる便利な言葉が一般化したために、超能力やUFO、心霊現象やUMAなど、本来無関係であるはずのものごとがひと括りにされ、新たな体系が編まれた事情と酷似してもいます。

 

<郷土研究の社告を巡って>

・その当時「妖怪」という言葉は、通俗の場においてこそ“化け物”というニュアンスを帯びつつあったものの、学問の場において、また枠組みとしては(結果的に)圓了の独壇場だったといえるでしょう。しかし柳田は(たぶん敢えて)この枠組みから外れた使い方をしてみせます。

 

・民俗学は(というよりも柳田國男は)もちろん近代的学問を目指しはしたのでしょうが、決して前近代を否定する立場をとっていたわけではありません。民俗学にとって前近代は否定するものでも肯定するものでもなく、近代を知るための“研究材料”だったのです。

 

・たしかに圓了といえば迷信否定――今でいうならオカルト否定派の急先鋒です。心霊研究とはおよそ馴染まないように思えます。しかし、繰り返し述べている通り、圓了が厳しく糾弾したのは“前近代”なのです。

 心霊科学という言葉からも判る通り、心霊研究は、“科学的”な発想をその根底に持っています。

 

<再び柳田と民俗学を巡って>

・明治末から柳田が抱えていた「山人」という大きな研究テーマ――『後狩詞記』(1909/自費出版)や『遠野物語』(1910/聚精堂)などを生み出す原動力ともなり、南方熊楠との、いわゆる「山人問答」を通じて明確化したテーマ――に、柳田はここで終止符を打ちます。そして研究対象を平地人=常民へと移して行くのです。

 そうした様々な変遷の中、柳田は「妖怪」という言葉とは距離を置き続けます。と――いうよりも、柳田は、「妖怪」という言葉をまったくといっていい程使っていないのです。

 

・昭和9年(1934)、柳田は現在もなお“妖怪”研究の基本文献のひとつとされる『一目小僧その他』(小山書店)を上梓します。

 一つ目小僧、目一つ五郎、隠れ里、橋姫、ダイダラボッチと――論文中で扱われているのはいずれも(現在の感覚では)紛う方なき“妖怪”ばかりですが、やはり「妖怪」という言葉は一切使用されません。

 

・金城は、最初に挙げた「マジムン」を「妖怪変化の総称」としています。続く「ユーリー」は、マジムンと同義であるとしながらも(那覇では)「人間の死霊」に限定する呼称であると述べています。

 

<様々なコトバを巡った後に>

・柳田は、“妖怪”に対する自らの指針を正当化するために、まず“幽霊”を“お化け”のカテゴリから切り離さなければならなかったのではないか――。

 そのような観点から柳田の仕事を見直した時、“妖怪”と“幽霊”に関する柳田の定義も、かなり脆弱な論拠の上に成立している限定的な言説として捉え直されてしまいます。

 柳田の定義は概ね次のように要約されて、広く人口に膾炙されてしま

います。

 

① 幽霊は人に憑くが妖怪は場所に出る。

 

② 幽霊は深夜に出るが妖怪は薄暮に現れる。

この二点は“妖怪”と“幽霊”の決定的な差異として様々な場面で引用されています。

 

・人に取り憑くモノは“幽霊”ばかりではありません。狸も狐も、鬼も天狗も河童も、わけの判らないモノだって人に憑きます。“憑き物”を外しても、個人につきまとう“幽霊”以外のモノはいます。一方で同じ場所に出続ける“幽霊”もたくさんいます。そうした“幽霊”は不特定多数に祟ることもあります。昨今の言葉でいうなら“地縛霊”ということになるでしょうか。柳田の定義を押し通すなら、“地縛霊”は“幽霊”ではなくなってしまいます。

 また、出現時間に関しても同じことがいえるでしょう。深夜に訪れる恐ろしいモノが、すべて“幽霊”かといえば、そんなことはありません。夕暮れに目撃される“幽霊”も多くあるでしょう。それは今にかぎらず、過去にも多くあったのです。

 定義から漏れるものは認めない、という態度もあるのでしょうが、そうするとかなり無理をして分類し直さなければならなくなります。

 

・ただ、生涯を「妖怪学」に捧げた井上圓了と違い、柳田國男の“妖怪”研究は、その膨大な仕事のうちの、ほんの一部にしか過ぎません。しかし、割合としては少ないまでも、柳田にとって“妖怪”が一種「特別な」研究対象であったことは疑いようがありません。

 

 

 

『遠野物語拾遺   retold

柳田國男 × 京極夏彦  角川学芸出版   2014/6/10

 

 

 

171

この鍛冶屋の権蔵は川狩り巧者であった。夏になると本職の鍛冶仕事にはまるで身が入らなくなる。魚釣りに夢中になってしまうのである。

ある時。

権蔵は山の方の川に岩魚釣りに行った。編籠に一杯釣ったので切り上げ、権蔵は村に向かって山路を戻って来た。

 村の入り口を示す塚のある辺りまで来ると、草叢の中に小坊主が立っている。はて誰だろうと思って見ると、小坊主はするすると大きくなって、雲を突く程に背の高い入道になった。権蔵は腰を抜かして家に逃げ帰ったという。

 

87

綾織村砂子沢の多左衛門どんの家には座敷童衆がいる。この座敷童衆は元お姫様である。これがいなくなったら家が貧乏になった。

 

136

遠野の豪家である村兵家の先祖は、貧しい人であった。ある時。その人が愛宕山下の鍋ヶ坂という処を通り掛かると、藪の中から、「背負って行け、背負って行け」と、叫ぶ声がする。

 

いったい何があるのかと立ち寄って見てみると、仏像が一体あるのであった。その人は言われる通りそれを背負って持ち帰り、愛宕山の上に祀った。それからその人は富貴を手に入れ、家はめきめきと栄えて、後裔は豪家となったのである。

 

88

その遠野町の村兵の家には、御蔵ボッコというものがいた。籾殻などを散らしておくと、翌朝。そちこちに小さな児の足跡が残されているのを見ることが出来たという。後に、それはいなくなった。それから家運が少しずつ傾くようになったそうである。

 

89

砂子沢の沢田という家にも、御蔵ボッコがいたという。人の目に見えるものではなかったようだが、ある時姿を見ることがあった。赤塗りの手桶などを提げていたという。見えるようになったら、竈が左前になったそうである。

 

90

同じ綾織村の、字大久保にある沢某の家にも蔵ボッコがいた。時々、糸車を回す音などがしたという。

 

91

附馬牛村のいずれかの集落にある某の家のこととして伝わる話である。先代の当主の頃、その家に一人の六十六部がやって来て泊まった。

しかし、来たところは見ているが、出て行く姿を見た者がいない。

そういう噂である。それ以来その家が栄えたとかいう話は聞いていない。ただ、貧しかったということもないようである。

 近頃になって、この家に幼い女児が顕れた。十になるかならぬかくらいの齢で、紅い振袖を着て、紅い扇子を持っていたという。女児は踊りを踊り乍らその家から出て来て、下窪という家に入った。

 

これも噂である。しかしそれ以降、このニ家はケェッチャになったと村の者は謂う。ケェッチャとはあべこべ、裏表というような意味であるから、貧富の差が逆転したというような意味なのだろう。

 その下窪の家に近所の娘が急な用で行った折、神棚の下に座敷童衆が蹲っているのを見て吃驚し、逃げ戻って来たという話もある。

 そういう話があるのだから、下窪の家は裕福になったということなのだろう。

 

93

遠野一日市にある作平という家は裕福である。しかし、元々暮らし向きが豊かだった訳ではない。この家には栄え始めた契機があると謂う。

 ある時、土蔵に仕舞ってあった大釜が突然鳴り出した。家の者は勿論、近所の者も皆驚いて見に行ったそうである。音は止むどころか段々に強くなり、小一時間も鳴り続けたと謂う。

 その日から家運が上昇した。作平の家では山名という面工を頼み、釜が鳴っているところの絵を描いて貰い、これを釜鳴神と称して祀ることにしたそうである。今から二十年くらい前のことである。

 

94

土淵村山口にある内川口某という家は、今から十年程前に瓦解した。家屋も一時空き家になっていた。寄り付く者もいないから、当然人気も全くない。しかし誰も住んでいない筈のその家の奥座敷に、夜になると幽かな火が燈る。そして、誰の声かはわからないが、低い声で経を誦むのが聞こえる。往来のすぐ近くの家であったので、耳にする者も多かった。近所の若い者などが聞き付け、またかと思って立ち寄ってみると、読経も止み、燈火も消えている。同じようなことは栃内和野の菊池家でも起こった。

菊池家も絶え、その後に空き家から経が聞こえたりしたそうである。

 

92

遠野新町にある大久保某の家の二階の床の間の前で、夜な夜な女が現れ髪を梳いているという評判が立った。

 近所の両川某という人がそれを疑い、そんなことがあるものかと言って大久保家に乗り込み、夜を待った。

 

 夜になると、噂通りに見知らぬ女が髪を梳いている。女はじろりと両川氏を見た。その顔が何とも言えず物凄かったのだと両川氏は語った。

明治になってからの話である。

 

162

佐々木喜善君の友人に田尻正一郎という人がいる。その田尻氏が、7,8歳くらいの頃。村の薬師神社の夜籠りの日だったそうである。

夜遅くに田尻少年は父親と一緒に畑中の細い道を通り、家路を急いでいた。すると、向こうから一人の男が歩いて来るのに出会した。シゲ草がすっかり取れていて、骨ばかりになった向笠を被った男であった。

 一本道である。擦れ違うために田尻少年は足を止め、道を開けようとした。すると男は、少年が道を避けるより先に畑の中に片脚を踏み入れ、体を斜めにして道を譲ってくれた。

 通り過ぎてから田尻少年は父に、今の人は誰だろうと尋いた。父は妙な顔をして誰も通った者はないと答えた。そして、「俺はお前が急に立ち止まるから、どうしたのかと思っていたところだが」と言ったという。

 

163

先年、土淵村の村内で葬式があった。その夜。権蔵という男が、村の者4,5人と連れ立って歩いていた。不幸のあった家まで念仏を唱えに行く途中のことである。突然、権蔵があっと叫んで道端を流れていた小川を飛び越えた。他の者は驚いて、いったいどうしたんだと尋ねた。

権蔵は、「今、俺は黒いものに突き飛ばされたんだ。俺を突き飛ばしたアレは、いったい誰なんだ」と答えた。他の者の眼には何も見えていなかったのである。

 

137

つい、近頃の話だと謂う。ある夜。遠野町の某という男が、寺ばかりが連なっている町を歩いていた。墓地を通り抜けようとすると、向こうから不思議な女が歩いて来るのに出逢った。男が何故不思議と感じたのかはわからない。しかし近付いて能く見ると、それはつい先日死んだ、同じ町の者であった。

 男は驚いて立ち止まった。死んだ女はつかつかと男に近づき、「これを持って行け」と言って汚い小袋を一つ、男に手渡した。恐る恐る受け取って見ると、何か小重たいものである。しかし、怖さは増すばかりであったから、男は袋を持ったまま一目散に家に逃げ帰った。

 家に戻り、人心地付いてから袋を開けてみると、中には銀貨銅貨取り混ぜた多量の銭が入っていた。その金は幾ら使っても減らない。

貧乏人だった男が急に裕福になったのはそのお蔭だと噂されている。

これは、俗に幽霊金と謂い、昔からままあるものである。

一文でもいいから袋の中に銭を残しておくと、一夜のうちに元通りいっぱいになっているのである。

 

 

 

『遠野のザシキワラシとオシラサマ』

(佐々木喜善) (宝文館出版) 1988/4

 

 

 

<奥州のザシキワラシの話>

<子供の時の記憶>

・私達は、幼少の時分、よく祖父母から炉辺話に、ザシキワラシの事を聞かせられたものである。そのザシキワラシとはどんなものかと言えば、赤顔垂髪(さげがみ)の、およそ56歳の子供で、土地の豪家や由緒のある旧家の奥座敷などに出るものだということであった。そのものがおるうちは家の富貴繁昌が続き、もしおらなくなると家運の傾く前兆だとも言われていたという。私達は、初めはその話を只の恐怖を持って聞いていたものであるけれども、齢がやや長けてくると、一般にこの種のものに対していだくような、いわゆる妖怪変化という心持ではなく、何かしらそのものの本来が私達の一生の運不運と関係があるので、畏敬の念さえ払うようになったのである。世間でもまたこの通りとか、何処の何某の家にそのものがおるといえば、他では羨望に表した、多少の畏服を感じ、また本元でも吉端として、ひそかに保護待遇に意を用い、決して他の妖異におけるがごとく、駆除の祈祷や退散の禁呪などは求めぬのである。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

 

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)から

夜這い(よばい)とは、夜中に性交を目的に他人の寝ている場所を訪れる日本の風習。

 

語源は、男性が女性に呼びかけ、求婚すること(呼ばう)であると言われる。

 

古くは、759年に成立した『万葉集』巻12に「他国に よばひに行きて 大刀が緒も いまだ解かねば さ夜そ明けにける」と歌われており、大正時代まで農漁村中心に各地で行われていた習俗。戦後、高度成長期直前まで、各地の農漁村に残っているところがあった。明治維新の近代化や農漁村への電灯の普及などにより明治以降は衰退する傾向にあった。このため、明治、大正の頃まで盛んだったのは、山深い山間部の村落中心であった。

多くの場合男性が女性のもとへ通うものだが、女性が通う風習を持つ地域もあった。

 

婚、嫁、結婚などの字を古くは「よばふ」「よばひ」と呼んだ。これは「呼ぶ」の再活用形で「つまどい」「つままぎ」などの語と共に求婚のために男が女のもとに通うことを意味した。昔の婚姻は結婚後も男が女のもとに通うのが普通であり、このことも「よばい」と言われた[要出典]

 

古代日本の夫婦関係は妻問い婚であり、男女はそれぞれに住んでいて妻の元へ夫が通ってゆく形態であった。結婚というのは、家族に隠れてこっそりと夜這いを行うのではなく、堂々と通えるようになることを意味した。そもそも各地の共同体(ムラ)においては一夫一婦制と言う概念も希薄で、重婚、夜這いは当たり前であった。

 

かつての農村では、「村の娘と後家は若衆のもの」という村落内の娘の共有意識を示す言葉が聞かれることがあった。近代化以前の農村には若者組があり、村落内における婚姻の規制や承認を行い、夜這いに関しても一定のルールを設けていた。ルールには未通女や人妻の取り扱いなどがあり、この辺りの細かい点は地域によって差がみられた。下川耿史によれば、夜這いが盛んになったのは南北朝時代から鎌倉時代にかけての中世であり、村落共同体の若者組は、風流と呼ばれる華やかな祭りのリーダーだったという。

 

江戸など都市部では、村落と違う形に発達していった。これが、夜這いの衰退に繋がったと考えられるとする見方がある。1876年(明治9年)、現在の新潟県(相川県)で、夜這いを禁止する法律ができた。1938年(昭和13年)に起きた津山事件について、大阪毎日新聞が「山奥にいまなお残されている非常にルーズな男女関係の因習」と報じ、サンデー毎日が「娯楽に恵まれない山村特有の『男女関係』」と報じるなど、夜這いは否定的に見られるようになっていった。

 

津山事件(つやまじけん)または津山三十人殺し(つやまさんじゅうにんごろし)は、1938年(昭和13年)521日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落で発生した大量殺人事件。犯人の姓名を取って都井睦雄事件ともいう。津山市など近隣地域では「加茂の三十人殺し」と呼ばれている(または死者の数に尾ひれがつき水増しされ「三十二人殺し」「三十三人殺し」また「三十六人殺し」とも呼ばれる事がある)

 

2時間足らずで28名が即死し、5名が重軽傷を負う(そのうち12時間後までに2名が死亡)という、犠牲者数がオウム真理教事件(27名)をも上回る日本の犯罪史上前代未聞の殺戮事件である。 事件は犯人の逮捕にはいたらず、現場から逃走した犯人の自殺で幕を閉じた。

 

津山事件は、そのセンセーショナルな事件の内容から、小説・ドラマ・ゲームなど多くの作品で扱われたり、題材・モデルとされている。

 

<『八つ墓村』 横溝正史、角川文庫、1971年 >

・冒頭部で語られる村人32人殺し事件は、本事件がモデルとなっている(小説は事件の後日談の形を取っており、本事件そのものが全体のモデルになっているわけではない。また、犯人の境遇はまったく違う設定である)。

 

<『丑三つの村』 西村望、毎日新聞社、1981年(徳間文庫、1984 ISBN 4195675936)> 本事件を題材にしたノンフィクション小説。

 

1983年に監督・田中登、主演・古尾谷雅人で映画化された。封切り前に映倫が「全編が残虐で非道的」と判断、18歳未満の観覧を禁止する成人映画に指定された。

 

<「負の暗示」『神かくし』所収山岸凉子、秋田文庫、1998 ISBN 4253172466 >本事件を漫画化した作品。

 

『八つ墓村』(やつはかむら)は、横溝正史の長編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一つ。

 

本作を原作とした映画が3本、テレビドラマが6作品、漫画が5作品、舞台が1作品ある(20143月現在)。9度の映像化は横溝作品の中で最多である(次いで『犬神家の一族』が映画3本、ドラマ5本)。

 

1977年の映画化の際、キャッチコピーとしてテレビCMなどで頻繁に流された「祟りじゃ〜っ! 八つ墓の祟りじゃ〜っ!」という登場人物のセリフは流行語にもなった。

 

花街(花町とも書く)(かがい、はなまち)とは、芸妓屋、遊女屋が集まっている区域を指す名称である。花柳(かりゅう)という別称もある。売春防止法(1957年施行)までは多くの花街に芸妓と娼妓の両方がいたが、今日花街と呼ばれている地域は芸妓遊びのできる店を中心に形成される区域である。なお、料理屋・待合茶屋・芸者屋(置屋)がまとめて「三業」と称されるため、花街のことを「三業地」ともいい、地域により茶屋と置屋で「二業地」と呼ぶ。

 

 

 

『文藝春秋』 平成273月特別号

『戦後70年の疲労 今こそ「第4の矢」が必要だ』

牛尾治朗 茂木友三郎 佐々木毅

 

 

 

<財界、官界、学界、労働界の有志が緊急提言>

・「日本アカデメイア」の92人が3年間討議を重ねた日本の未来。その議論が3人の提言となって結実した。

 

・この国は、戦後の日本社会に対する必要以上の幻想、つまり「余剰幻想」から抜け出せずにいるように思えるのです。

 少子化による人口減少、膨大な財政赤字、持続可能性が憂慮される社会保障制度――いずれも、ここまで事態が深刻化したのは、新しい時代にふさわしい思考に切り替えられなかった日本人の「余剰幻想」の産物にほかなりません。

 

・少子高齢化によって、高度成長時代にデザインされた社会を大幅に見直さなければ、社会保障全体の維持が覚束ないことは、ずいぶん昔から明らかでした。すでに、社会保障給付額は14年には115兆円にまで膨らみ、25年には149兆円になるとされています。

 

<「人を説得する政治」へ>

・この政治不信の根底には、「大事なことを本音で語る政治家は少ない」という有権者の悲痛な叫びがある。

 

・このままでは日本は壊れてしまう。そのことに国民は気付いています。従って一刻も早く民主制を作り変えなければなりません。「人を説得する政治」を実現して、シルバーデモクラシーからヤングデモクラシーへというように日本の新しい長期ビジョンを打ち立てなくてはならないのです。

 

<制度疲労を乗り越える「三つの提言」>

<この難局を乗り切るため、2030年の日本の自画像を描く>

<提言1 戦後の生き方・働き方はもう古い>

・日本の会社員は戦後70年もの間、一斉採用、終身雇用、そして定年制という、いわば20世紀型の仕組みのなかにあり続けて来ました。この画一的な働き方が制度疲労を起こし、日本人の幸福を奪っていると考え、これまで当たり前だと思ってきた「定年」という固定観念の見直しを提言します。

 

・年金生活という言葉を死語にし、若い時代から最低70歳、75歳くらいまでは健康でいきいきと働く。そして、社会に対して死ぬまで価値を生み出し続けていく。私たちの提案は、働き方にとどまらず、日本人の生き方の幅を広げる提案でもあります。

 

<若者、女性が社会の主役に>

・人口減少の抜本的な対策は、直ちに各界が始めねばなりませんが、簡単に解決できる問題ではありません。

 

<提言2 情報革命で本気の歳出削減を>

・税と社会保障、そしてその先にある財政再建をどうやって成し遂げるかは喫緊の課題です。毎年、社会保障給付額が2兆円から3兆円増えるといわれる現状では、今のシステムは早晩、行き詰まることが目に見えています。今の水準を維持し続けることはもはやできません。

 

・私たちは、その点を改善する前提として、税と社会保障の透明性を高めること、そのためにIT技術をフル活用することを提言します。日本の徴税システムはまだ抜け穴だらけといわれています。

 

・実は、そのために有効な制度が動き出そうとしています。国民全員に税と社会保障の共通番号を割り当てるマイナンバー制度が161月から本格導入されるのです。

 

<ビッグデータ活用で生活者本位の医療を>

・さまざまなデータを電子化して蓄積すれば、ビッグデータの活用によって、さらなる歳出削減の可能性が広がります。

 

<提言3 政治の時間軸を立て直す>

・政党のガバナンスも根本から見直すべき時期に来ています。例えば、バラバラに規定された今の政党の姿を統一的な政党法制に置き換えることや、現在の政党助成制度の見直しも検討すべきです。

 

<霞ヶ関の整理を>

・その結果、総理大臣、官房長官とその周辺が内閣官房と内閣府の仕事に忙殺される事態となっています。内閣官房と内閣府には、ありとあらゆる業務が乱立しています。

 

・内閣官房・内閣府の肥大化の問題に限らず、省庁の制度疲労は多くの官僚の指摘するところでもありました。機能不全に陥っている省庁については再々編も検討されてしかるべきです。

 

<「見えないもの」の価値を見直す>

・いま日本社会の「品位ある」存続可能性が問われています。国民の中に眠っている潜在力を最大限引き出す時期にきているのです。その意味で、国民の本当の意識の転換なしには、成し遂げられるものではありません。「パンとサーカス」にたとえられる民主政の根源的問題と向き合い、1人ひとりが受け身的な統治客体意識と決別しなければなりません。

 

<日本アカデメイア「長期ビジョン研究会 報告書」主な提言>

<日本力>

・(目標)次世代の生き抜く力を高め、選択の自由を最大にする社会を。文化の特質を軸に総合力としての「日本力」を構想。

 

7075歳までいきいきと働ける多様な労働の場を拡大。年金受給開始年齢引き上げ。

 

② 社会保障・税の抜本改革を行う。負担と給付のバランスを見直し、持続性を高める。

 

③ 基礎科学分野の人材育成を強化。産官学で科学技術力を結集して生産性を高める。

 

④ 農業を6次産業化・知識集約化し、食文化、食産業をグローバル展開。

 

⑤ 伝統的観光資源と先端的文化表現などの革新的観光資源を開拓し、海外に発信。

 

<国際問題>

・(目標)東アジア地域に「安定を提供する日本」。米国と協力、豪・印・アセアンと連携し、中国に呼びかけ、普遍的価値を共有する開かれた「多次元的国際秩序」をめざす。

 

① 日本独自の柔軟な価値観外交を展開。価値観を押し付けるのではなく、民主主義や人権、法の支配等の普遍的価値を辛抱強く説く「ファシリテイター」を担う。

 

② 国内外の歴史的資料のアーカイブを創設。中高等教育で近現代史の歴史教育を充実。

 

③ 課題先進国として医療・福祉・介護問題を解決したモデル国として貢献。

 

④ 対外発信を強化。政府に知的情報発信戦略の中心となる機関を設置。

 

IT技術を活用し日本語遠隔教育を無料提供。日本の放送コンテンツを世界に発信。

 

<価値創造経済モデルの構築>

・(目標)日本の経済社会に日常的なイノベーションを喚起・誘発する価値創造経済をつくる。その中核は個別企業の価値創造。

 

① 資源や労働力などの制約、高齢化など社会的課題のある分野のイノベーションに挑む。

 

② ロボット産業の国際競争力強化。サービス産業等広範な分野で活用し生産性向上。

 

③ 国際競争に打ち勝つ産官学の体制を整備。国際的に整合した知的財産権制度を確立。

 

④ 過当競争防止のため、競争に敗れた企業は退場し、経営資源を解放。

 

⑤ 誰でもイノベーションを起こす「ユビキタス・イノベーション社会」に企業風土を転換。

 

<社会構造>

・(目標)重層的な信頼社会の構築をめざす。各分野で担い手となる中核人材を育成。戦後の生き方・働き方を見直し、人口減少に立ち向かう。

 

① 小中高の各段階で過疎地等で合宿型の長期共同生活学習を実現。

 

② 大学は理系、文系などの2分法から脱却。意欲あるすべての大学生が外国に留学。

 

③ 生涯にわたって複数の学位取得が可能な社会人向け大学・大学院教育を充実。

 

④ 年間有給休暇100%取得、50%時間外割増賃金率など労働条件をグローバル化。

 

⑤ 地方で「準市民」を創設。一定の施策で「ふるさと投票制度」を検討。

 

<統治構造>

・(目標)政党政治の危機克服に向けて、合理的決定と主権者意識の確立を両立させるデモクラシーの構築をめざす。

 

① 各庁設置法を廃止。閣外大臣制の導入。国会審議を計画化し党首討論を定期開催。

 

② 衆議院選挙における惜敗率を廃止。定数是正自動化制を導入。

 

③ 参議院は憲法改正を視野に半数改選制廃止や法案採決儀要件の緩和等を検討。

 

④ 政党法制を検討。政党交付金の配分を得票比率中心に改め、政権交代基盤を安定化。

 

18歳選挙権を早期実現。主権者としての政治教育を促進。立候補支援制充実。

 

 

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