2016年12月24日土曜日

イリュミナティを含む影の集団(闇の勢力)がどんな時代にも「奥に隠れて」シナリオを描いて仕掛ける、その変わらざる仕組みが神示に見てとれます。(3)


 

 

『裏金神―原爆をこの世に送り出した神』

 西郷武士   文芸社   2001/2

 

 

 

<大本開祖ナオ>

・明治25年(1892)、節分の夜、丹波の綾部の町に住むひとりの老婆が、突然激しい神がかりに陥る。腹のなかに何かが宿った感じで、端座したまま身体が上下に揺れ、大きな声で叫ぶこと13日余りに及んだ。そして、ついにその腹中の主は老婆の口を借り自分の素性を明かす。

「艮(うしとら)の金神であるぞよ」

その言葉をナオは信じかねると、その声の主は容赦なく続ける。

「この神は三千世界を立替え立直す神であるぞよ。三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。この神でなければ、世の立替えはできんぞよ」

 この神は、三千世界の大洗濯を行い、万劫末代まで続く神の世にする、と告げた。

 こうして、艮の金神という訳の分からぬものを腹に住ませるようになった老婆は当初、気が触れたように大声で叫んで歩く奇行が絶えなかった。この瞬間に戦前の日本で「大立替え」、「立直し」というスローガンで世の中をにぎわすことになる宗教団体、大本教の開祖・出口ナオが誕生した。

 

・ともあれ、王仁三郎は大本と日本を世界の雛形という特殊な地場であると捉え、大本、日本を舞台に雛形としての神業を仕掛けていたことが後に判明していく。

 王仁三郎は、この現界と神霊世界の因果関係は、まず神霊世界の現象が人間界に投影し、次いで人間の現界での行動が霊界に影響し、霊界にも現実世界に似た現象が生じるのだとする。

つまり、霊界の情勢は現界に写し出され、霊界の状態が現実世界に再現されるという。

 これを大本では「相応の理」とも言い、これがかつて大石凝真素美の唱えた「応分の前兆」とも呼ぶ現象なのである。

 

・その後お筆先は、このご用は「身魂あらための出発のご用でありたぞよ。二度目の世の立替えのことでありたぞよ」と述べ、ナオは変性男子、王仁三郎は変性女子の身魂であると示した。

「艮の金神、変性男子とあらわれるぞよ。つぎに変性女子があらわれて、男子には世界のことを書かす」なり、女子には世界にあるこまかいことを説いてきかせるぞよ。」

「出口は女であれども男の性来、上田は男であれども女の性ざぞよ。変性男子、変性女子の因縁わけて見せて、みなに改心させんと疑いが晴れんから、ぼつぼつ説いて聞かしてやるぞよ。」

 変性男子、変性女子、これは大本の独特の表現である。変性男子とされるナオは肉体的には女の体だが、霊魂は男。王仁三郎は肉体的には男だが、霊魂は女であると示された。

 

<型とは何か>

・この歌でみると北海道は北アメリカ、本州はユーラシア大陸、富士山はエベレスト、能登半島はスカンジナビア半島、琵琶湖はカスピ海、噴火湾はメキシコ湾、四国はオーストラリア、九州はアフリカ、台湾は南アメリカが呼応し合うという。日本は特殊な国であり、霊的にもそうなっていると王仁三郎は断言している。

 

・日本は世界の雛形であるという説を「全地球諸州国の地図を見ればこの国が雛形、その種子であることを悟り、この日本という国を胞として、全地球の諸州国を産んだということを不思議なことだという人がいたならばそれは愚かなことだ」とも王仁三郎は述べている。

 

・神道学者で有名な宮地直一博士も、この宮地家の傍流であり、宮地家は学者としては江戸時代からの名家でもあった。その学者肌として名高い宮地家の中で、異例中の異例として、水位は神界の中心は日本であるが、その神界の実像は中国の道教色を深めている、と唱えている。

 

・それは古来日本では神界との往来の術が途絶え、中国だけにその術が残ったために、神界の実像は道教的な色彩を帯びているのだと説明している。

 日本史の教科書にも登場する国学者、平田篤胤も、最終的には神界の実像は道教にあると道教の研究に没頭するまでの傾斜振りを見せている。だが、この篤胤も元々はまともな国学者ではあったが、天狗にさらわれて当時江戸では評判になっていた寅吉という少年から霊界の実像を聞き、そして『仙境異聞』という書物をまとめ上げている。それ以降、普通の学問からオカルト的な部分に強く惹かれ、最終的に道教に傾斜している。

 異端とされる国学者、宮地水位や平田篤胤にしても異界との接触を持つことにより、神界の実像は道教にあるとたどり着いているのは興味深い。

 

<弥仙山参り>

・王仁三郎の大本内部での役員達の干渉と妨害がなくなるまでには、まだまだ世継ぎの誕生を待たなければいけなかった。

 明治35年(190237日、王仁三郎とスミとの間に長女直日が出生した。ナオはスミが直日を懐妊したとき、「このたびは木之花咲耶姫の宿れる女の子が生まれて世継ぎになる」と言っていたが、果たしてそのナオの言葉のとおり、女子の出産である。

 

・また、王仁三郎は自分はオリオン星から来たと語っているが、事実王仁三郎の背中には、オリオン星座同様の配置でホクロが点在していた。だが、このオリオン星座の形を漢字にすると、因という字になり、囚人を示す形となり、第一次弾圧、第二次弾圧で王仁三郎が入獄されることを暗示していた。

 表鬼門の艮(うしとら)の金神の出現の次に、二度目の岩戸開きで、最後の仕上げとして裏鬼門の坤の金神の出現により、陰と陽が揃うことになる。

 

 

 

『UFOと地底人』

 ついに明かされた異星人と空洞地球の真実

   中丸 薫 GAKKEN   2009/1

 

 

 

<地底世界での生活>

・光の地底都市は、全てあわせると2500以上もあり、それぞれの都市は「アガルタ・ネットワーク」と呼ばれる光のネットワークで統合されている。

 

・テロスの位置は、地表からおよそ1.6キロの地中。またあらゆる都市の中でももっとも優勢な都市は「シャンバラ」と呼ばれ、地球のまさに中央―空洞地球―に位置している。ちなみに、ここへは、北極と南極に存在する「穴」からアクセスが可能になっているという。昔から、極地には空洞地球の入口があるとされていたが、それはこの「シャンバラ」への入口のことだったようだ。

 

・空間を移動するときに使われるのが、UFOだ。このUFOは「シルバー・フリート(銀艦隊)」と呼ばれ空洞地球世界の都市、アガルタで製造されている。

 

 身長4.6メートルの空洞地球人

 <闇の権力が独占するUFO情報>

 <宇宙連合と銀河連邦はまったく違う組織>

・「アシュター・コマンド(司令部)」とは、司令官アシュターと主サナンダ・クマラの霊的な導きの下に存在する「光の偉大な聖職者団(グレート・ブラザーフッド/シスターフッド)の空挺部隊だった。

 

 

 

『日本人の魂の古層』

編著  金山秋男   明治大学出版会  2016/3

 

 

 

<石原莞爾から宮沢賢治へ――古層をめぐって>

・ただ、この二人には共通点も「いくつかあります。どういう点かといいますと、まず、東北人であること。石原は山形で、宮沢は岩手出身です。それから二人は日蓮宗の信徒で、在家の団体である国柱会の会員でした。宮沢も石原も1920年(大正9年)に入会しています。

 

・しかも、ただ入会しただけではなく、彼らは二人ともユートピア志向が強く、石原の方は満州に「王道楽土」というユートピアを求め、宮沢はイーハトヴという理想郷を創作し作品の中で表現しました。

 

<国柱会とは何か>

・石原莞爾と宮沢賢治、この両方を語る上で欠かせない、二人にものすごく影響を与えている人がいます。それは田中智学という人物です。

 智学は、「国柱会」という日蓮系の在家の組織を作った人です。

 

・田中智学は、江戸以来妥協的になっていた日蓮宗を、その本来の性格へと戻そうとしたわけです。これが国柱会の前進である蓮華会とか立正安国会といった組織を彼が作っていった理由です。智学は、折伏主義の立場をとることで、日蓮の教えに帰依しないものを論破して改宗させようとしたのです。

 

<田中智学の「八紘一宇」>

・第1次世界大戦のころ、立正安国会は「国柱会」と名前を変えます。日蓮の教えの中の言葉「我日本の柱とならん」から智学が名づけたものです。主張としては、今ご説明したことの延長ですが、日蓮主義に加え、さらに国体論というのが出てきます。

 

・智学自身は宗教家として戦争を批判していますし、ある意味では平和主義者ともいえます。ただ、「世界の道義的な統一」という大義のためには、武力も肯定するのです。国柱会が満州事変を支持していたのも、こういった考えからです。彼はこの武力の行使が侵略のためのものではないといっていますが、彼の考え方には、今日の視点からすると、やはり侵略戦争自体をも肯定する面があったのではないかと思います。

 この「八紘一宇」ですが、これは田中智学の『日本国体の研究』などに出ている言葉です。

 

・非常に強引な解釈ですが、ともかく、日本の中心が世界の中心になる、こういう考え方なんです。その結果、神武天皇の述べていることと、日蓮の語っていることは同じだ。すべて法華経の真理なんだというのが彼の解釈になるのです。

 そういう発想が根本にあるので、彼にとって「日本の古層」は法華経の教えと同じであるということになります。

 

<石原莞爾『最終戦争論』>

<「最終戦争」とは何だったのか>

・まず、なぜ最終戦争というものが起きるのでしょうか。石原の考えでは、これにはまず軍事上の理由があります。彼はヨーロッパの軍事史をよく研究していまして、ヨーロッパの軍事史を見ていると、必ず最終戦争になるだろうというのが、彼の考え方です。なぜヨーロッパなのかというと、当時もっとも軍事的に進んでいたという理由からです。

 戦争の歴史を観察していくと、決戦戦争と持久戦争の移り変わりがあるというのが石原の持論です。

 

・最終戦争についても、彼は、一瞬にして敵の首都を廃墟としてしまう兵器の開発が必要だといっています。超音速の航空兵器だとか、核兵器、大陸間弾道ミサイルを予測していて、そういうものの開発が行われることで、最終戦争は実現すると考えています。太平洋戦争が始まる前の時点で、未来に開発されるものを予測していたんです。『最終戦争論』を今読んでみても、戦後活躍する兵器をすでに見通している点で、彼の才能には驚かされます。繰り返しになりますが、彼はこういう点では非常に先見の明がありました。石原を評価する人は、満州事変の作戦と、こういうところを評価する人が多いんです。

 

<一瞬にして敵の首都を……>

「一番遠い太平洋を挟んで空軍による決戦の行われる時が、人類最後の一大決勝戦の時であります。即ち無着陸で世界をぐるぐる廻れるような飛行機ができる時代であります。それから破壊の兵器も今度の欧州大戦でつかっているようなものでは、まだ問題になりません。もっと徹底的な、一発あたると数万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もされないような大戦力のものができねばなりません。

 

・飛行機は無着陸で、世界をグルグル廻る。しかも破壊兵器は最も新鋭なもの、例えば今日戦争になって次の朝、夜が明けて見ると敵国の首府や主要都市は徹底的に破壊されている。その代わり大阪も、東京も、北京も、上海も、廃墟になっておりましょう……。それぐらいの破壊力のものであろうと思います。そうなると戦争は短期間に終る。それ精神総動員だ、総力戦だなと騒いでいる間は最終戦争は来ない。そんななまぬるいのは持久戦争時代のことで、決戦戦争では問題にならない。この次の決戦戦争では降ると見て笠取るひまもなくやっつけてしまうのです。このような決戦兵器を創造して、この惨状にどこまでも堪え得る者が最後の優者であります」。(『最終戦争論』37頁)

 

<宗教に支えられた「最終戦争」>

・ただここで問題なのは、こういう非常に合理的な判断をする軍人が、どうして日蓮や国柱会のような宗教的なものの考え方と結びついてしまうのかということですね。宗教的なものの考え方ということでは、日蓮の予言というのが大きな影響力をもっています。石原は、日蓮と智学から末法の世における上行菩薩による救済という考えを学び、次のようにいいます。

 

・そして日蓮聖人は将来に対する重大な予言をしております。日本を中心として世界に未曾有の大戦争が必ず起こる。そのときに本化上行が再び世の中に出て来られ、本門の戒壇を日本国に建て、日本の国体を中心とする世界統一が実現するのだ。こういう予言をして亡くなられたのであります。(『最終戦争論』58頁)

 

・元寇のとき、日蓮は蒙古が日本に侵入してくると予言していましたが、それを田中智学が現代のものとして再解釈したものを、石原がまた持ち出してきます。大戦争が起きて、そのときに、上行菩薩、いわばメシア、救世主が現れて、日本を中心とした世界統一が行われるというわけです。そういう考え方を彼はこの「最終戦争」のバックボーンにしています。そこで、この世界統一、「一天四海皆帰妙法」は日本を中心とした世界の統一と解釈しているわけです。

 

<ドリームランドとしての岩手県>

・この宮沢賢治が、先ほどの、かなり右寄りの国柱会の会員でした。ただ、不思議なことに、彼の著作の中には、天皇崇拝という考えは出てきません。それから、いわゆる侵略戦争、対外的に攻めていくということに関しても言及されていません。また、さっきいった日本国体論とかいったことに対しても、まったく関心がないんです。

 

・彼も石原莞爾同様、ユートピア志向が強い人です。『注文の多い料理店』という童話集の題名には、「イーハトヴ童話集」と付されています。「イーハトヴ」とは何かというと、彼が書いたとされる出版時の宣伝文句では、自分の心象風景としての、ドリームランドとしての岩手県だ、とされています。ここはユートピアのようなところで、ドリームランドであると。なかなか気のきいた、さすがというほかない表現ですね。

 

<イーハトヴ>

「イーハトヴは一つの地名である。強て、その地点を求むるならばそれは、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスガ(原文ママ)辿った鏡の国と同じ世界の中、テバーンタール砂漠の遥かな北東、イヴン(原文ママ)王国の遠い東と考へられる。

 

「実にこれは著者の心象中に、この様な状景をもつて実在した/ドリームランドとしての日本岩手県である。(この行赤刷り)/そこでは、あらゆる事が可能である。人は一瞬にして氷雲の上に飛躍し大循環の風を従へて北に飛躍し大循環の風を従へて北に旅する事もあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語ることもできる。/罪や、かなしみでさへそこで聖くきれいにかゞやいている。/深い掬(ママ)の森や、風や影、肉之(ママ)草(「月見草」の誤植か)や、不思議な都会、ベーリング市迄続々(ママ)(「く」の誤植か)電柱の列、それはまことにあやしくも楽しい国土である。この童話中の一列は実に作者の心象スケッチの一部である。それは少年少女期の終り頃から、アドレツセンス中葉に対する一つの文学としての形式をとつている」。

 

<異界との交流>

・彼のユートピア志向のもうひとつの特徴は、異界との交流です。別の言葉でいうと、生の世界と死の世界の交流ということになるでしょうが、これは金山秋男先生が研究しておられる死生学の問題ともからんできます。

 有名な作品を挙げれば『春と修羅』という詩集です。

 

<森羅万象すべて仏>

・宮沢賢治の場合もそれと似たようなところがあり、彼は菜食主義者ですけど、他の人とのつきあいや自分の好みから肉を食べたりするところもあって、決してゴリゴリの菜食主義者ではなかった。しかし、この菜食主義が彼の長生きしなかった原因のひとつになっているのも確かでしょう。

 

・「注文の多い料理店」では、狩人の二人が食事をとるために、山猫軒というお店に入っていく。「注文が多い」というのは流行っているんだろうと狩人たちは勝手に解釈するのですが、「注文が多い」というのは要求が多いということで、やれ靴はちゃんと脱げとか、泥を払えだとか、裸になれとか、体に塩を揉み込めとか、そんな要求が次々と来て、それを自分に都合のいいように解釈していたら、最後に食べられるのは自分たちだと気づいて怖がっていたところに、自分の飼い犬が来て追い払ってくれて助かるという話です。こういうところにも狩猟で獲物を殺すことに対する宮沢賢治の怒りが現れています。

 

<人間は世界の中心ではない>

・田中智学や石原莞爾の古層とはだいぶ違って、すべての動物、植物、異界の住人までを巻き込んだような古層。これがそこにあるのではないでしょうか。決してどこかに中心を置くようなものではなく、人間中心でもなければ、日本中心でもない。こういうものの考え方が賢治の中にあることが、彼が今でも評価され、僕らの心を打つゆえんではないか、と思うわけです。

 

<自己犠牲と他力>

・日本人の魂の古層といったとき、日蓮の教えと法華経はそれにあてはまるでしょうか。ふつうに考えればちょっと違うのではないかということになります。しかし、田中智学は近代の天皇制と法華経の教えを結びつけながら、『日本書紀』の中の神武天皇の言葉という「古層」に至りました。これが「八紘一宇」です。石原莞爾は忠実にこれを実現しようとしました。満州事変を引き起こした、最終戦争と絶対的な平和の考えは、この「古層」と関係しているのです。

 

・それに対し、宮沢賢治は智学の「八紘一宇」の思想にも影響を受けつつも、日本中心、天皇中心、人間中心の発想を捨て去り、洋の東西を問わずいろいろな人々、動物、植物、異界の住人を含んだハイブリッドな共同体を夢見ます。これは智学の見つけた「古層」が、賢治のもつ素朴な世界観や自然観の中で、変容したものなのではないでしょうか。それによって、もっと古い古層が見つけられたのだと僕は思います。自然と人間のあり方、動物と人間のあり方、共同体のあり方が再び問い直されている今日、僕は宮沢賢治の文学は21世紀の僕らのあり方を再び考え直す重要なものになっていくのではないかと思っています。

 

 

 

『近現代の法華運動と在家教団』   シリーズ日蓮4

責任編集  西山茂     2014/7/25

 

 

 

『国家改造と急進日蓮主義――北一輝を焦点に』 津城寛文

 

・ほとんどの宗教には、平和的な理想とともに、闘争的な種子が含まれている。とくに、理想を実現するための手段として、「聖戦」「正義の戦争」などの語彙を持つ思想は、内外の一定の条件が揃えば、急進的に闘争化する。非暴力の原理を打ち出した宗教ですら、人間集団のつねとして、一部が暴力化することは避けられない。

 本稿では、1930年代(昭和10年前後)の日蓮主義の急進化を、北一輝(18831937)に焦点を絞り、さまざまな「法」「仏法」や「国体思想」などの宗教的世界観、「世法」と呼ばれる実定法、「心象」と表現される私秘的ビジョン、考え、思想・行動の根拠・原理となる規範体系)の交錯する情景として描いてみる。

 

<時代状況>

・「右翼テロ」の出発点とされる1921(大正10)年の安田善次郎刺殺事件の犯人、朝日平吾は、社会に害をなす「吝嗇」な「富豪」を殺害するという暗殺思想を単独で実行し、「右翼テロリズムの偶像」となった。朝日が『改造法案』の影響を受けており、遺書の一つは北一輝宛であったこと、それを受け取った北が読経中に朝日の幻影を見たというエピソードは、随所で語られる。

 

・「国家改造」「昭和維新」という言葉が流行した時期、国内ではテロやクーデターのうねりが高まっていた。北一輝を迎えた猶存社(1919年結成)は、その震源の一つであり、「国家組織の根本的改造と国民精神の創造的革命」を宣言し、綱領の七点の内には「改造運動の連絡」が謳われており、指針として配布された北の『国家改造法原理大綱』という政府批判の強力な「魔語」、「霊告」などが絡み合い、事件が相継ぐ。このように、一連の事件の出発点から、北一輝の関与が見え隠れしている。

 

・北一輝は、「北の革命思想と宗教というテーマに取り組んだ研究は、まだ見当たらない」と指摘されるように、政治と宗教の関係に「謎」が残る人物である。またその「宗教」は、西山茂氏によって「霊的日蓮主義」と表現されるように、「社会」的側面だけでなく、「他界」的要素に光を当てねば理解できない部分がある。

 

・「日蓮主義」とは田中智学が造語し、その影響で本多日生も用いた言葉で、「法国冥合(政教一致)」による理想世界の実現を最終目標とする、社会的、政治的な志向性の強い宗教運動を指し、1910年以降の社会に大きな影響力を及ぼした。統一閣を訪れた中には、のちの新興仏教青年同盟の妹尾義郎、いわゆる「一人一殺」を標語とする「血盟団」の首謀者の井上日召(18861967)、いわゆる「死のう団」の指導者(盟主)の江川桜堂(190538)などがいた。狭い意味での日蓮主義は、この智学と日生、およびその周辺を指すが、従来の研究では近現代の日蓮信奉者や日蓮仏教を広く取りまとめる用語としても拡大使用される。そのような(不正確かもしれない)傾向との連続性のため、本稿では敢えて広義の日蓮主義を採用する。急進日蓮主義とは、この広義の日蓮系の思想運動が急進化、かつ事件化したものを指しているようであり、血盟団事件、死なう団事件、226事件が目立っている。

 

<血盟団事件と死なう団事件>

・井上日召が日蓮宗に惹かれたのは30代半ばからで、国柱会その他の法華宗や日蓮主義の講演を聴き回り、日蓮関係の書籍を読むことで、「自分の肉体を武器として、日本改造運動の一兵卒」になることを志すようになった。やがて日蓮主義や日蓮各派から離れ、改造運動指導者を別に求め、40代を超えて「国家改造の第一線に立とうと決心」し、茨城県の立正護国堂で実行者たちを育成することになった。

 

・戦後に発表された「血盟団秘話」では、当時は語られなかった経緯も出てきて、暗殺という直接行動については、「悪いに決まっている。テロは何人も欲しないところだ。私は政治がよく行われて、誰もテロなどを思う人がない世の中を、実現したいものだと念じている」と述べている。

 

・江川家の墓所を預かる三有量順氏は、江川桜堂の関係者から託された一次資料をもとに、「日蓮会」および「日蓮会殉教青年党(いわゆる「死なう団)」の当事者側の情景を描き出している。夭逝した桜堂を、三友氏は「哀悼の会」をもって「市井の熱烈な日蓮主義者」と呼び、「純粋な法華・日蓮信仰は周囲の人々に感化を及ぼした」こと、「自ら書画をよくした」ことなどを資料で跡付けている。そこに像を結ぶのを抱いて強化活動に邁進しようとする、若き宗教的指導者」としての桜堂である。

 

・それによると、血盟団事件や515事件で東京の警視庁がめざましい活躍をしていたので、神奈川県警も手柄を立てようと焦り気味であったところに、恰好の事件が起こった。日蓮会は「政治的、思想的、反社会的団体ではない」ことを井上が説明したが、県警は「死なう団は右翼テロ団」という報告書を出して、事件はまったく違ったものになったという。この間の県警による捏造や隠蔽などの不祥事も、淡々と語られている。

 

226事件>

226事件は、先行する血盟団事件や515事件と同様、「その後の用意・計画がない」とされる一方、綿密な計画を持つクーデターともされ、別のあり得たシナリオもさまざまに描かれている。夥しい研究によっても全容が解明されているとは言い難く、とくに北一輝の思惑や関与については、定説がない。そのようなわかりにくさの集約した場面が、226事件後の北の「無為無策」という「謎」である。

 

・考えられる別のシナリオについて、首謀者の一部にそのようなプランや思惑がじっさいにあったという指摘が散見する。筒井清忠氏によれば、血盟団事件や515事件は、「暗殺を行なうことそれ自体が目的」の「捨石主義」的なテロであったが、226事件は「政権奪取計画」を持ったクーデターだった。

 この事件の「成功」の可能性を検討」するために、筒井は青年将校を、「斬奸」のみを目的とする「天皇主義」グループと、「政治的変革」を目指した「改造主義」グループに二分する。磯部浅一らを中心人物とする後者は、『改造法案』を「具体的プログラムとして」、「宮城占拠」や工作により、「皇権」「政治大権」を奪取奉還することを目指していた。

 

・政府や軍部内にさまざまな動きがある中で、天皇の意向を受けた木戸が合法的な手続きを踏んで「鎮圧」を決定した、というわけだが、別の「法」に基づく合法性があり得たとすると、これは「合法性」の戦い、さらには「法」そのものの戦いと言える。この「磯部と木戸の戦い」というところを、背後まで突き詰めて「北と天皇の戦い」と言い換えても、同じことが言えそうである。

 

<北一輝の社会思想>

・「非合法、合法すれすれ」の煽動家とされる北は、若き日の社会思想では、その理想とするところも、論説による啓蒙や投票といった手段についても、合法的なもので一貫していた。

 初期の論考「咄、非開戦を云ふ者」や「社会主義の啓蒙運動」そして集大成『国体論及び純正社会主義』においては、「国家の力によりて経済的平等を実現」「鉄血によらず筆舌を以て」「立法による革命」「純然たる啓蒙運動」「普通選挙権の要求」「「投票」によりて」など、「方法は急進的にあらず、手段は平和なり」と主張される。その「理想を実現」するため、対外的には「帝国主義の包囲攻撃の中」において「国家の正義を主張する帝国主義」の必要が説かれる。戦争の擁護というリアル・ポリティックスも、好き嫌いはともかく、現代においてすら、非合法な主張ではない。

 

・『改造法案』には、巻一で「憲法停止」「戒厳令」、巻二で「在郷軍人会議」(検閲を憚ったもので、実は「軍人会議」とされる)の革命思想が出ている。「啓蒙」と「投票」という平和的手段による「革命思想」から、革命は合法的にはできないというリアリズムに変わった転換点は、『支那革命外史』の前半部と後半部のあいだに求められている。北自身、このころから「信仰」に専心したと供述し、また暗殺された友人・宋教仁の亡霊が現われた、というエピソードもしばしば語られている。

 

<「霊告」という私秘的ビジョン>

・北一輝の影響は、「統帥権干犯」といった政治的「魔語」の操作だけでなく、「霊告」という呪文となって、財界や軍部に浸透していた。法華経読誦を手段とする「霊告」については、以前から断片的なエピソードとして言及されてきたが、松本健一氏が、『北一輝 霊告日記』として編集刊行して以来、全貌が知られるようになった。1929年から1936年まで記録されている「霊告」について、松本氏の最も短い説明は、北が法華経を読誦していると、その横に座っていた妻すず子が何か口走り、それを北が解釈、筆記したもの、となる。

 

・シャーマン研究の用語を使った説明では、「シャーマンの言葉」を「プリースト」が聞き取り、読みとったものとされる。「プリースト」という言葉の使い方はやや不適切であるが、これは「霊告」がシャーマニズム研究の対象となるべきことを指摘したという意味で、重要な説明である。その機能については、「北の漠然とした思いや心理に、表現を与える」「神仏の名を借りて誰かに自分の思いや考えを述べる」もの、とされている。松本氏が強調しているのは、「霊告」と前後の事件を読み合わせると、それが「幻想」の記述ではなく、「時々の事件をふまえての記述」になっていることである。たとえば、「軍令部の動きと政友会、そして政治の裏面における北一輝の暗躍とは、明らかに連動する」として、ロンドン海軍軍縮条約が調印された際の、「朕と共に神仏に祈願乞ふ」という明治天皇名の霊告は、「明治天皇の名を借りて……国家意志を体現しようとしたもの」とされる。515事件に際しての山岡鉄舟名その他の霊告が、どれも「まだ時期が早い」といって止めるのは、明治維新の「事例」を引いて「忠告」するもの、と解釈している。

 

・「霊告」という「宣託」の出所について、北一輝研究では「想像力」「無意識」といった心理学用語で済まされる一方、「心霊学」といった分野が示唆されることもある。北一輝研究の一里塚とされる田中惣五郎氏は、「お告げ」や「亡霊」について、「心霊学の域にぞくする」として、そのような説明を求めている。

 

・大正半ば以降の北が法華経読誦に没頭したこと、「亡霊」と語り始めたこと、とくに「霊告」を綴ったことについて、これまで多くの論者によって二つの契機が指摘されている。一つは、暗殺された友人、宋教仁の幻影を見たことである。もう一つは、法華経読誦による神がかりを永福虎造という行者に習ったことである。どちらも、弟・昤吉の記録が重要な典拠になっている。

 

・こういう問題を考えるときに、最も巧みな用語を工夫しているのは、やはりC・G・ユング(18751961)である。ユング的な解釈では、無意識は集合的無意識にまで拡大し、「漠然とした思いや心理」の範囲は限定が難しくなる。藤巻一保氏は霊告について、北の自我が後退し、「神仏」=「深奥の闇に形成された意識化の影の自我」が前面に出てきた者、と説明する。「影」とはユング心理学の用語である。『霊告日記』を、「その特異な性格から、アカデミズムが言及を避けてきた著作」「霊界通信録」と位置付けた藤巻氏の著作は、たしかに「まとまった分析は、筆者の知るかぎり、本書が最初のもの」とは言える。

 

・藤巻氏は北昤吉の記述などから、北の特徴を八つにまとめている。そのうち、「神秘的性質」「霊感」「神憑り的」「幻視者」の四つは「作家や詩人、画家」などとも共通し、五つ目の「法華経の「狂信者」」も少なくないが、六つめから八つめの「霊界通信ができる」「ウィルソンを呪殺したと確信する呪術者である」「予言者である」の三つについては、これらは「シャーマニズム研究に共通する難問であり、藤巻の説明もその前で足踏みしている。そこから一歩でも踏み出せば、ウィリアム・ジェイムズらの心霊研究が待っていることに気付くだろう。

 

<「法」のせめぎあい>

・西山茂氏の言う「霊的日蓮主義」には、日蓮的な仏法(宗教的世界観)、世法(実定法)に加え、さらに私秘的なビジョンという、三つめの「法」が関わる。この私秘的ビジョンを「心象」と呼ぼう。宮沢賢治が「自分の目に映る情景」を他人に伝えるときに用いた言葉を、用語として採用するものである。

 

・この三つの法は、宗教とまとめられる世界に、さまざまな組み合わせで交錯している。北一輝の場合、霊告(心象の範囲)は、法華経読誦(仏法の範囲)を手段として、国家改造(世法の範囲)に関与している。国体論の中にも、記紀神話(宗教法の範囲)、と統治(世法の範囲)と、各人のビジョン(心象)が交錯している。

 

・北夫妻のシャーマニズム技法について、藤巻氏の指摘で、最も重要なのは、永福から伝えられた「神懸かり」は「安直な方法」「興味本位の見世物」「民間巫覡や「霊術家」の降神法」「催眠術で身につけた精神統一」および自己暗示」であり、「複雑な手続きと厳格な次第」を持つ「日蓮宗の寄祈禱」とは異なる、という点である。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)

 

北一輝(きたいっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)、1883年(明治16年)43 - 1937年(昭和12年)819日)は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。二・二六事件の「理論的指導者」として逮捕され、軍法会議の秘密裁判で死刑判決を受けて刑死した。

 

1920年(大正9年)1231日、北は、中国から帰国したが、このころから第一次世界大戦の戦後恐慌による経済悪化など社会が不安定化し、そうした中で1923年(大正12年)に『日本改造法案大綱』を刊行し「国家改造」を主張した。

 

その後、1936年に二・二六事件が発生すると、政府は事件を起こした青年将校が『日本改造法案大綱』そして「国家改造」に感化されて決起したという認識から、事件に直接関与しなかった北を逮捕した。当時の軍部や政府は、北を「事件の理論的指導者の一人」であるとして、民間人にもかかわらず特設軍法会議にかけ、非公開・弁護人なし・一審制の上告不可のもと、事件の翌1937年(昭和12年)814日に、叛乱罪の首魁(しゅかい)として死刑判決を出した(二・二六事件 背後関係処断)。

 

死刑判決の5日後、事件の首謀者の一人とされた陸軍少尉の西田税らとともに、東京陸軍刑務所で、北は銃殺刑に処された。この事件に指揮・先導といった関与をしていない”北の死刑判決”は、極めて重い処分となった。

 

これ以降、梅津美治郎や石原莞爾など陸軍首脳部は、内閣組閣にも影響力を持つなど、軍の発言力を強めていった。

 

なお、北は、辛亥革命の直接体験をもとに、1915年(大正4年)から1916年にかけて「支那革命外史」を執筆・送稿し、日本の対中外交の転換を促したことでも知られる。大隈重信総理大臣や政府要人たちへの入説の書として書き上げた。また、日蓮宗の熱狂的信者としても有名である。

 

 

 

『シリーズ日蓮4   近現代の法華運動と在家教団』

西山茂 責任編集    春秋社   2014/7/20

 

『石原莞爾と「世界最終戦争」・「東亜連盟運動」  仁科悟朗』

 

 

 

<最終戦争論>

・最終戦論が世に出たのは、1925年、ドイツから帰国の途中のハルピンでの国柱会の講演会であった。その後、1940年9月発表の『世界最終戦論』で、広く知られるようになる。

 過去の歴史をいろんな分野で探って見ても、今や人類の前史は終わろうとしている。そして絶対平和の第一歩になる、人類の最後の大戦争が目前に迫る、と将来を予想する壮大な理論であった。

 それは「Ⅰ.真に徹底する決戦戦争なり。Ⅱ.吾人は体以上のものを理解する能わず。Ⅲ.全国民は直接戦争に参加し、且つ戦闘員は個人を単位とす。即ち各人の能力を最大限に発揚し、しかも全国民の全力を用う」とされる。そしてこの戦争が起こる時期は、「Ⅰ.東亜諸民族の団結、即ち東亜連盟の結成。Ⅱ.米国が完全に西洋の中心たる位置を占むること。Ⅲ.決戦用兵器が飛躍的に発達し、特に飛行機は無着陸にて容易に世界を一周し得ること」で、間もなくやってくる、と考える。過去の戦争から何を学び、何を為すべきかの実践的な対処、決断を要請する理論でもあったのだ。

 

・「私の世界最終戦争に対する考えはかくて、1.日蓮聖人によって示された世界統一のための大戦争。2.戦争性質の二傾向が交互作用をなすこと。3.戦闘隊形は点から線に、さらに面に進んだ。次に体となること。の三つが重要な因子となって進み、ベルリン留学中には全く確信を得たのであった」

 

・石原の信仰への動機は、兵に、「国体に関する信念感激をたたき込むか」にあった、という。そこでその答えを神道に、または本多日生に求めたりして、模索を続け、遂に1919年に入信を決意する。日蓮の『撰時抄』中の「前代未聞に大闘諍一閻浮提に起こるべし」は、軍事研究に「不動の目標」を与えた、という。

 

・国柱会の創始者の田中智学(18611939)は在家で、日蓮信仰の改革、高揚を目指すと共に、「八紘一宇」の旗の下、日本国体を強調して明治・大正・昭和時代に、仏教関係者に限らず、多方面に大きな影響を持ち、一つの枠に入りきれぬ人物であった。高山樗牛、宮沢賢治の師としても知られている。

 

1938年、石原は舞鶴要塞司令官時代に、信仰上の危機に襲われる。その衝撃は日記にも残っていた。「仏滅年代に関する大疑問!人類の大事なり」、「本年は仏滅242670年以内に世界統一???」。

 石原は大集経による正法の時代、仏滅後1000年、次いで像法の時代、1000年、これら二つの時代の後に末法の500年が来る、という信仰を持っていた。石原は信じる。日蓮は自分こそ、この最後の500年、つまり末法の最初の500年に釈尊から派遣された使者、本化上行なのだ、と自覚する。そして日本を中心に世界に未曾有の大戦争が必ず起こるが、そこに本化上行が再び出現し、本門の戒壇を日本に建て、日本の国体を中心とした世界統一を実現する、と予言したのだ、と。同時に石原は確信する。だがしかし時はまだ来ていない。その末法500年まで、つまり仏滅後2500年までに実現する、いやさせなければならない。それをこの日までの石原は疑っていなかった。

 

・それが仏滅の年代が後年にずれた結果、日蓮誕生が今まで自分が信じて疑わなかった末法の時代ではなく、像法の時代であることになる。それで信仰が根底から揺らぐ衝撃をうけたのだ。

 苦悩の末、日蓮の『観心本尊抄』の一節、「当に知るべし。この四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成りて愚王を誡責し、摂受を行ずる時は、僧と成りて、正法を弘持す」を支えにすることで、この危機を脱したのである。

 石原の言葉を引用しよう。「本化上行が二度出現せらるべき中の僧としての出現が、教法上のことであり観念のことであり、賢王としての出現は現実の問題であり、仏は末法の五百年を神通力を以て二種に使い分けられたとの見解に到達した」のであった。

 

・「五五百歳二重の信仰」である。この考えは以来、国柱会を始め、先学の批判にあっても、生涯変えようとはしなかった。石原の堅い信仰になる。西山茂氏が指摘する通り、アドベンティストの予言である。明確な年代表示に拠る信仰は、厳しい現実に直面することになる。日記にあった、仏滅年代が西暦前の486年とする。『衆聖點記』に従えば、没後2500年は間もなく到来する。中村元説に拠れば、釈尊入寂は、西暦前383年なので、現時点では必ずしも破綻したとは言えないのだが。

 

 

 

『最終戦争論  戦争史大観』

石原莞爾    中央公論社  1993/7/10

 

 

 

<最終戦争論>

・昭和15529日京都義方会に於ける講演速記。

 

<戦争史の大観>

<決戦戦争と持久戦争>

・戦争は武力をも直接使用して国家の国策を遂行する行為であります。今アメリカは、ほとんど全艦隊をハワイに集中して日本を脅迫しております。どうも日本は米が足りない、物が足りないと言って弱っているらしい、もうひとおどし、おどせば日支問題も日本側で折れるかも知れぬ、一つ脅迫してやれというのでハワイに大艦隊を集中しているのであります。つまりアメリカは、かれらの対日政策を遂行するために、海軍力を盛んに使っているのでありますが、間接の使用でありますから、まだ戦争ではありません。

 

・戦争本来の真面目は決戦戦争であるべきですが、持久戦争となる事情については、単一でありません。これがために同じ時代でも、ある場合には決戦戦争が行なわれ、ある場合には持久戦争が行なわれることがあります。しかし両戦争に分かれる最大原因は時代的影響でありまして、軍事上から見た世界歴史は、決戦戦争の時代と持久戦争の時代を交互に現出して参りました。

 

・戦争のこととなりますと、あの喧嘩好きの西洋の方が本場らしいのでございます。殊に西洋では似た力を持つ強国が多数、隣接しており、且つ戦場の広さも手頃でありますから、決戦・持久両戦争の時代的変遷がよく現われております。日本の戦いは「遠からん者は音にも聞け……」とか何とか言って始める。戦争やスポーツやら分からぬ。

 

<最終戦争>

・単位は個人で量は全国民ということは、国民の持っている戦争力を全部最大限に使うことです。そうして、その戦争のやり方は体の戦法即ち空中戦を中心にしたものでありましょう。われわれは体以上のもの、即ち4次元の世界は分からないのです。そういうものがあるならば、それは恐らく霊界とか、幽霊などの世界でしょう。われわれ普通の人間には分からないことです。要するに、この次の決戦戦争は戦争発達の極限に達するのであります。

 

・戦争発達の極限に達するこの次の決戦戦争で戦争が無くなるのです。人間の闘争心は無くなりません。闘争心が無くならなくて戦争が無くなるとは、どういうことか。国家の対立が無くなる――即ち世界がこの次の決戦戦争で一つになるのであります。

 これまでの私の説明は突飛だと思う方があるかも知れませんが、私は理論的に正しいものであることを確信いたします。戦争発達の極限が戦争を不可能にする。

 

・この次の、すごい決戦戦争で、人類はもうとても戦争をやることはできないということになる。そこで初めて世界の人類が長くあこがれていた本当の平和に到着するのであります。

 要するに世界の一地方を根拠とする武力が、全世界の至るところに対し迅速にその威力を発揮し、抵抗するものを屈伏し得るようになれば、世界は自然に統一することとなります。

 

・一番遠い太平洋を挟んで空軍による決戦の行われる時が、人類最期の一大決勝戦の時であります。即ち無着陸で世界をぐるぐる廻れるような飛行機ができる時代であります。それから破壊の兵器も今度の欧州大戦で使っているようなものでは、まだ問題になりません。もっと徹底的な、一発あたると何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もされないような大威力のものができねばなりません。

 

・飛行機は無着陸で世界をグルグル廻る。しかも破壊兵器は最も新鋭なもの、例えば今日戦争になって次の朝、夜が明けて見ると敵国の首府や主要都市は徹底的に破壊されている。その代わり大阪も、東京も、北京も、上海も、廃墟になっておりましょう。すべてが吹き飛んでしまう…。それぐらいの破壊力のものであろうと思います。そうなると戦争は短期間に終わる。それ精神総動員だ、総力戦だなどと騒いでいる間は最終戦争は来ない。そんななまぬるいのは持久戦争時代のことで、決戦戦争では問題にならない。この次の決戦戦争では降るとみて笠取るひまもなくやっつけてしまうのです。このような決戦兵器を創造して、この惨状にどこまでも堪え得る者が最後の優者であります。

 

・もう一つは建設方面であります。破壊も単純な破壊ではありません。最後の大決勝戦で世界の人口は半分になるかも知れないが、世界は政治的に一つになる。

 

・そこで真の世界の統一、即ち八紘一宇が初めて実現するであろうと考える次第であります。もう病気はなくなります。今の医術はまだ極めて能力が低いのですが、本当の科学の進歩は病気をなくして不老不死の夢を実現するでしょう。

 

・それで東亜連盟協会の「昭和維新論」には、昭和維新の目標として、約30年内外に決勝戦が起きる予想の下に、20年を目標にして東亜連盟の生産能力を西洋文明を代表するものに匹敵するものにしなければならないと言って、これを経済建設の目標にしているのであります。その見地から、ある権威者が米州の20年後の生産能力の検討をして見たところによりますと、それは驚くべき数量に達するのであります。詳しい数は記憶しておりませんが、大体の見当は鋼や油は年額数億トン、石炭に至っては数十憶トンを必要とすることとなり、とても今のような地下資源を使ってやるところの文明の方式では、20年後には完全に行き詰まります。この見地からも産業革命は間もなく不可避であり、「人類の前史将に終わらんとす」るという観察は極めて合理的であると思われるのであります。

 

<仏教の予言>

・仏教、特に日蓮聖人の宗教が、予言の点から見て最も雄大で精密を極めたものであろうと考えます。

 

・しかしお釈迦様は未来永劫この世界を支配するのではありません。次の後継者をちゃんと予定している。弥勒菩薩という御方が出て来るのだそうです。そうして仏様の時代を正法・像法・末法の三つに分けます。正法と申しますのは仏の教えが最も純粋に行われる時代で、像法は大体それに似通った時代です。末法というのは読んで字の通りであります。それで、お釈迦様の年代は、いろいろ異論もあるそうでございますが、多く信ぜられているのは正法千年、像法千年、末法万年、合計12千年であります。

 ところが大集経というお経には更にその最初の2500年の詳細な予言があるのです。

 

・そして日蓮聖人は将来に対する重大な予言をしております。日本を中心として世界に未曾有の大戦争が必ず起る。そのときに本化上行が再び世の中に出て来られ、本門の戒壇を日本国に建て、日本の国体を中心とする世界統一が実現するのだ。こういう予言をして亡くなられたのであります。

 

<結び>

・今までお話しして来たことを総合的に考えますと、軍事的に見ましても、政治史の大勢から見ましても、また科学、産業の進歩から見ましても、信仰の上から見ましても、人類の前史は将に終わろうとしていることは確実であり、その年代は数十年後に切迫していると見なければならないと思うのであります。今は人類の歴史で空前絶後の重大な時期であります。

 

《解説  五百旗頭 真》

<原体験としての日露戦争>

・多感な十代半ばの時期に、軍人の卵たる仙台幼年学校の生徒として目撃し体験した日露戦争こそは、石原の生涯のメインテーマを決定した。

 

・石原にとって日露戦争は、国家の存立と偉大さのために身命を捨て一丸となって戦うナショナリズム原体験だったのである。

だが、それは何という悲惨さだったことであろうか。

「銃後の生活は日一日と苦しさの度を加え、至る所に働き手の不足と物資の欠乏とがめだってきていた。仙幼校においても、もはや炊事夫や小使までが次々と招集されてゆき、……兵舎内はもう老兵ばかりだ。……そして教練には銃はもちろん木銃さえが少ない。軍服も靴も少なく、全く人も物も一切が瀬戸際に立っていた」。

この追いつめられた第2師団の銃後体験のなかで、石原は「負けるのではないか」と思わずにはおれなかった。軍人石原も、軍事理論家石原も、国防政策家石原も、実はこの危機認識から出発するのである。本書収録の石原軍事学の自伝ともいえる「戦争史大観の序説(由来記)」の冒頭の一文がかくて生まれる。

「私が、やや軍事学の理解がつき始めてから、殊に陸大入校後、最も頭を悩ました一問題は、日露戦争に対する疑惑であった。日露戦争は、たしかに日本の大勝利であった。しかし、いかに考究しても、その勝利が僥倖の上に立っていたように感ぜられる。もしロシアが、もう少しがんばって抗戦を持続したなら、日本の勝利は危なかったのではなかろうか」。

 

<戦争進化・終末論>

・石原の「最終戦争論」は、マルクスの共産革命史観やヒットラーの人種淘汰史観などとともに、現代史が生んだ世俗的終末論である。

 キリスト教の母胎となったユダヤ教は、典型的に終末論の構造を示す。原初の楽園における人類の幸福な生活が原罪によって失われ、苦難の歴史を歩むが、やがてメシアが現れて救いを示す。「改心せよ、神の国は近づいた」との終末論的呼びかけがなされるのである。この宗教上の終末論の構造が、マルクス主義においては現実の歴史に適用され、原始共産主義→階級闘争と収奪→共産革命による国家権力の死滅、という世俗的終末論が説かれるのである。弁証法的ダイナミズムを内蔵したユダヤ教の進歩・終末史観が、マルクス主義、ヒットラー主義をはじめ様々な人類史の局面についての歴史観として姿を現わし、それぞれに現実世界の救いを語りそのための改心と決断を迫る。

 

・石原莞爾の「最終戦争論」は、まさに軍事を言語とした世俗的終末論の一つといえよう。彼がドイツ留学中にこの史観を形成したことを想起すれば、ユダヤ教を原型とする西洋終末史観の影響が推測されるかもしれない。事実はそうではない。石原の場合、歴史観の基本構造が、ユダヤ=キリスト教=西洋思想からではなく、日蓮=仏教思想から与えられた点で注目される。正法→像法→末法→妙法という転落と逆転再生の歴史観が、通常は輪廻史観において理解されがちな仏教にも存するのであり、石原はその信奉者である。日蓮『撰時鈔』の「『前代未聞の大闘諍一閻浮提に起るべし』は私の軍事研究に不動の目標を与えたのである」と本人が語る通りである。

 

・僅かに英仏海峡を挟んでの決戦戦争すらほとんど不可能の有様で、太平洋を挟んでの決戦戦争はまるで夢のようであるが、既に驚くべき科学の発明が芽を出しつつあるではないか。原子核破壊による驚異すべきエネルギーの発生が、巧みに人間により活用せらるるようになったらどうであろうか。これにより航空機は長時間素晴らしい速度をもって飛ぶことが出来、世界は全く狭くなる事が出来るであろう。またそのエネルギーを用うる破壊力は瞬間に戦争の決を与える力ともなるであろう。

 

・飛行機は無着陸で世界をグルグル廻る。しかも破壊兵器は最も新鋭なもの、例えば今日戦争になって次の朝、夜が明けて見ると敵国の首府や主要都市は徹底的に破壊されている。その代わり大阪も、東京も、北京も、上海も、廃墟になっておりましょう。すべてが吹き飛んでしまう……。それぐらいの破壊力のものであろうと思います。そうなると戦争は短期間に終る。

 

・さて、「世界最終戦争」の起る時期について石原は様々に述べている。

関東大震災の報をドイツで聞いた時には、終末的情景の現実化を想像し、妻への私信では「230年」でその時が来るかもしれないと書いている。それだと第2次世界大戦末期から10年ほどの時期ということになる。核兵器開発の時期はまさにその通りであった。

 

・他方、本書が書かれた194042年の時期には、以後30年ないし数十年としており、それで見れば1970年頃から冷戦の終結する90年頃ということになる。一応の基準として、第1次世界大戦開始後50年と戦争史の進化動向から算定しているのに従えば、1964年、キューバ危機の頃となる。石原の示した条件のうち、互いの首都が一瞬のうちに灰になる破壊兵器の登場と、飛行機が地球を無着陸でグルグル回る時期ということになれば、およそ妥当するであろう。

 つまり、石原の軍事手段の発展の展望は意外に正確なのである。そして、そのような兵器の登場が全面戦争を不可能にするという基本状況の認識についても誤ってはいないのである。それなりの分析と研究をもって、このような洞察をなしえた石原は、やはり天才的と言うべきであろう。

 

・誰も石原以外にこのような展望を示しえなかったのであるから、石原が誤っていた、もしくは不十分であった側面を、歴史の後知恵をもって批判するのは詮なき所業と言うべきであろう。しかし、問題点と評価を過不足なく示すことは、同時代および後代の識者の尊い務めであるから、やはりふれねばなるまい。

 

・石原の想定が見落としている点は、「全面戦争の不可能」という状況と「世界の統一」・「絶対平和」の到来との間に、巨大なグレイゾーンの存在することである。石原が正しく指摘した「戦争の不可能」状況は、世界統一を20年ほどでもたらすのではなく、冷たい平和(冷戦)、限定戦争あるいは地域紛争を持続させ、戦国時代の日本が統一され刀狩りが行なわれたように行かない。共通の歴史的・文化的基盤を持たない世界の諸民族は、全面戦争が不可能になったからといって、一つになりはしないのである。ヨーロッパ文明の共有があってすら、EC市場統合がやっとのことで、共通単一通貨も政治統合もまだ先のことである。

 

<アジア主義・国体論>

・最終戦争が日米間で行われるとした点には、微妙なねじれが感じられる。第1次世界大戦後のヨーロッパでは、次の戦争が日米間で行われるという議論が流行しており、石原もそのことを記している。石原にもともとあった反米論が、ヨーロッパの侮米論もしくは日米離間論と共鳴した面があるかもしれない。

 

・石原は対米戦略計画の不成立を認めず、日本国体論者の使命感を優先させる。昭和3年に志願して関東軍参謀となり、対米最終戦争の準備戦として満州事変を開始するのである。

 それでいて、本書の随所に見るように、昭和161941)年時点での日米開戦に石原は明瞭かつ合理的理由をもって反対するのである。核兵器はもとより、地球を無着陸でめぐる航空機も持たず、生産力拡充計画も東亜連盟も愚かな対中戦争によって頓挫した状況での対米戦争は、石原の説いてきた最終戦争とは無関係であり、敗北確実な早漏的戦争でしかないのである。

 それゆえ、あの日米戦争の推進者ではなく反対者であった石原に責を問うことはできないと考えられよう。

 

すべての世俗的終末論が例外なく事実によって裏切られるように、「最終戦争論」についても、その予言の通りにその後の歴史が運んだわけではなかった。しかし、戦争術の極度の発展が戦争を不可能にするという根本認識は、きわめて正確な洞察であり、近代史におけるもっとも独創的にして刺激的な史論の一つであることは疑えないのである。

 

・石原莞爾は明治22年(1889)山形県に生まれる。陸軍中将。関東軍参謀時代には満州事変を主導、昭和陸軍の異端児として頭角を現す。参謀本部作戦部長時代には日中戦争不拡大を主張。舞鶴要塞司令官を経て京都第16師団長を最後に東条陸相との衝突により昭和16年予備役となる。日蓮信仰にもとづく独特な国防・歴史観と人格的魅力があいまち賛仰者が多い。

 

 

 

『超常科学謎学事典』

―最新科学と秘教科学が謎と不思議を完全解明―

 

編者 秘教科学研究会   小学館  1993/1/10

 

 

 

<ディクソン(ジーン・)>

1918年生まれのアメリカの水晶占い師。現代最高の予言者といわれている。

 彼女は8歳のときに、街で出会ったジプシー老婆から水晶球とその占い法を伝授されたといわれている。第2次世界大戦中にはアメリカ政界に出入りしてさまざまな予言を行なった。その当時、ルーズベルト大統領に初めて会ったとき、半年後の大統領の死を告げたことで有名となる。しかし、彼女をほんとうに有名にしたのは、1952年に予言したケネディ大統領の暗殺だろう。「1960年の大統領選挙で選ばれるのは民主党の若いリーダーであり、この大統領は在職中に暗殺されるだろう。その犯人の名はOSで始まりDで終わる」。

 

・この予言どおり、1960年に選ばれたケネディは43歳という若い民主党のリーダーだった。そして1963年に暗殺されたのだが、その犯人とされているのは、OSで始まりDで終わるオズワルドという男だった。

 彼女の予言で的中した主なものは、ハマーショルド国連事務総長の事故死、ロバート・ケネディの暗殺、キング牧師の暗殺、アポロ4号の事故、ソ連軍のアフガン侵攻など。ニクソン大統領に対してウォーターゲート事件を予告したこともあった。

 

・今後の未来について、彼女は次のような予言を行なっている。1995年に中東で大事件勃発。米英仏や日本等、10か国が連合軍を結成。

 1999年に連合軍が中東に侵攻。それに対してソ連が核戦争を仕掛け、全人類の生存が危ぶまれる大戦争が開始される。

 2005年には、両陣営が力を失ったとき、中国が世界制覇に乗り出す。これに対して連合国も応戦し、2020年にはハルマゲドンで最後の戦闘が行われる。

 

 2020年から2037年の間に、ユダヤ人は真のキリストの再臨を迎える。その後世界は真に光り輝く時代に向かう。

 

・彼女の予言は、米ソ対立、米中対立という古い構図から作られており、何より全体像はユダヤ=キリスト教系予言の枠組みから一歩も出ていない。したがってこうした予言にはほとんど意味がないと考えてよいだろう。いっぽう、個人的な出来事については、的中例が多い。これはいわゆる霊能者的予言の特徴と合致する。水晶球を使用した波動による予言の域を一歩も出ていない占い師が、ユダヤ=キリスト教予言体系を学んだが、あるいはその波動とアストラルのレベルで感応した結果、こうした予言が生まれたものと思われる。

 

 

 

『現代世界と日蓮』  シリーズ日蓮5

上杉清文・末木文美士   春秋社  2015/5/25

 

 

 

『修羅の科学者  宮沢賢治      斎藤文一』

 

<修羅とは何か>

・本稿に課せられた命題は、「科学者たる宮沢賢治を通して現代科学の諸問題を論じる」というものである。それにあたって筆者は、法華経を通して「極大(マクロ)」から「極小(ミクロ)」なるものへ、およびそれらの活動を論じたいと考えている。

 

<銀河系に散らばって>

・賢治には銀河系や星の話がじつに多い。これはまさに驚くべきほどである。異常な、というべきか、それこそ賢治らしいというべきか。

 たとえば、白鳥座、マゼラン星雲、暗黒星雲、みなみ十字座、さそり座、北極星などがあり、さらに何よりも「銀河鉄道の夜」があって、そこでは地質学者が地層(銀層というべきか!)を掘ったり、星の世界へ信号をおくって鳥を探る人がいたりする。

 

 そこで気のつくことは、星の世界のルールと人間の世界のルールとが同列に置かれ、さらにそのあいだで相互に「交流」していることである。これは独創的なことといってよい。

 私は、これを、かのゲーテにもつながると考えている。これを例えば「コスミック・ユニファイの原則」とでも名づけたい。ゲーテという人は生きた天然自然に直面したとき、大から小までさまざまな分野のものが構造的に同一なものであることにたいして深い感動を覚えたという。そして、崇高なる自然の全貌を一つに心霊のひたむきな活動が予感したものである、と書いた。人間が自然を理解したいと渇望するとき、いっぽうの天然自然のほうもそれにこたえて理解されることをもとめるのではあるまいか。

 

・このようなことを、賢治に即して表現するとすれば、そこで登場するのが「コスミック・ユニファイ」である。

それは、

1) 宇宙は2つの部分からなり、極大のマクロ界と極微のミクロ界である。

 

2) 両界は開かれており(境界が閉じられておらず、外部と接続し、たえずエネルギー、物体のやりとりがおこなわれること、進化をつづける。さらにそれは散逸的(エネルギーが外部にむかって散逸する)な構造ゆらぎによって、自己創出(自己の固有な秩序のなかに異質な系が創出されて、新しい秩序を生む)を生み出す。

 

3) このように宇宙は無数のレベルがあって分化し、ダイナミックな自己組織をつくっているように見えるが、両界とも相手をもとめあって統一世界をめざしている――というのである。

 

 

『霊性の宇宙――宮沢賢治    安藤礼二』

 

 

<透明な幽霊の複合体>

・宮沢賢治は、決して長くはないその生涯のうちで、ただ2冊の書物だけしか世に問うことができなかった。『春と修羅』という一冊の詩集と、『注文の多い料理店』という1冊の童話集である。ともに大正131924)年、4月と11月に刊行されている。

 詩集ではなく『心象スケッチ』と称された『春と修羅』の「序」は、こうはじまっている――。

わたくしといふ現象は

仮定された有機交流電燈の

ひとつの青い照明です

(あらゆる透明な幽霊の複合体)

 

・賢治は、表現する「わたくし」を「あらゆる透明な幽霊の複合体」と考えていた。「心象スケッチ」とは、このような「透明な幽霊の複合体」として存在する「わたくし」から生み出されたものなのだ。それが『春と修羅』のみならず賢治の思想の出発点となっている。なぜ、「わたくし」は複合体として、しかも、「幽霊」の複合体として存在しなければならなかったのか。おそらく、そこには一つの重要な源泉が隠されていたのだ。

 

・現在のところ最も新しく、また最も網羅的に、賢治作品にあらわれる語彙の源泉を探った原子朗の『定本宮澤賢治語彙辞典』(筑摩書房)によれば、「わたくし」を「あらゆる透明な幽霊の複合体と定義したとき、賢治の頭のなかにあったのは小泉八雲ことラフカディオ・ハーンのエッセイ「塵」であった可能性が高いという。ハーンはこの短いエッセイのなかに「霊魂(幽霊)の億兆の複合体」という記述を残している。「幽霊」、あるいは「霊魂」の複合体として成立する「わたくし」というヴィジョンは「塵」という一つのエッセイを超えて、ハーンの大乗仏教理解の根幹をなす。しかも、ハーンが理解する大乗仏教は、当時最先端の科学であった進化論と切り離すことができないものであった。

 

・「あらゆる透明な幽霊の複合体」として存在する「わたくし」というヴィジョンが、賢治の思想のみならず、ハーンの思想にとってもきわめて重要な位置を占めているとはじめて明確に述べてくれたのは、後の独創的な哲学体系を築き上げる西田幾多郎であった。西田は、第四高等中学校の教師時代の同僚であり、ハーンの教え子でもあった田部隆次が著した『小泉八雲』に「序」を寄せる。西田は、『善の研究』を書き上げる直前に田部にともなわれてハーンの東京の遺宅を訪れてさえいた。その際、二人に同行したのが、10年以上にも及ぶアメリカ滞在を引き上げ、日本に帰国したばかりの高等中学校以来の西田の盟友、鈴木大拙であった。鈴木大拙と西田幾多郎、そしてラフカディオ・ハーン。この邂逅もまた偶然である。しかし、そこには間違いなく近代という時代だけが可能にした必然がある。

 

・決して長くはなく、また、ハーンの文学的な営為を無条件で評価しているわけでもないが、西田が「序」のなかで的確にまとめたハーン思想の核心は、西田哲学の起源のみならず、賢治文学の起源の姿も明らかにしてくれる。西田は、こう記していた――。

 ヘルン氏は万象の背後に心霊の活動を見るといふ様な一種深い神秘思想を抱いた文学者であった、かれは我々の単純なる感覚や感情の奥に過去幾千年来の生の脈搏を感じたのみならず、肉体的表現の一々の上にも祖先以来幾世の霊の活動を見た。氏に従へば我々の人格は我々一代のものでなく、祖先以来幾代かの人格の複合体である、我々の肉の底には祖先以来の生命の流が波立って居る、我々の肉体は無限の過去から現在に連なるはてしなき心霊の柱のこなたの一端にすぎない、この肉体は無限なる心霊の群衆の物質的標徴である。

 

<光炎菩薩とヘツケル博士>

・宮沢賢治の『春と修羅』には無数の固有名詞が記されている。それらの固有名は現実に存在するものもあり、フィクションとして創り上げられたものもある。なかでも二つの固有名が、賢治の作品世界の独創性、賢治の思想の特異性を浮かび上がらせてくれる。一つは「小岩井農場」のパート4に登場する「光炎菩薩」、もう一つは「オホーツク挽歌」の冒頭に据えられた「青森挽歌」に登場する「ヘツケル博士」である。

 原子朗の『語彙辞典』にもとづいて、それぞれの固有名の成り立ちを明らかにすれば、以下の通りである。まず「光炎菩薩」については、「華厳経世間浄眼品第一に出てくる浄慧光炎自在王菩薩あたりが発想源か」と書かれ、太陽の仏たる毘盧遮那仏の「像を表している」としている。つまり、仏教的な語彙を換骨奪胎した賢治のフィクションだというのだ。もう一方の「ヘツケル博士」は実在する人物である。

 

・「小岩井農場」の文脈では天人であり獣である「ひかり」のこどもたちのイメージを集約するようなかたちでテクストに召喚されており、しかも「イーハトーボ農学校の春」を参照すれば、おそらくは理想の労働、理想の共同作業の「歌」とともに出現する何ものかである。

 

「小岩井農場」はこの後、パート56はそのタイトルのみが記され、従前からの心象スケッチに戻ったパート7を経て、最終部であるパート9へと続く。「小岩井農場」を締め括るパート9はパート4と密接な関係をもっており、「ひかり」のこどもたちに「ユリア」と「ペンペル」という名前が与えられる。「小岩井農場」の先駆形を参照すれば、ユリアとペンペルは中央アジアにその面影を残した光の天人であることが分かる。それとともに、その名前自体から、太古からの時間経過そのものを体現する存在であったことも、また。ユリアは太古の恐竜たちが生きていた侏羅紀(ジュラ紀)を象徴し、ペンペルは二畳紀(ペルム紀)を象徴しているとされる。古生代の最後である二畳紀を経て中生代の三畳紀、ジュラ紀、白亜紀に至るまで「億兆」という年月を経て現代にまで伝わる生命の証し、それがユリアであり、ペンペルであり、「ひかり」のこどもたちであった。

 

・登張は、この一節の注釈の冒頭でも、日蓮を引き合いに出す。光炎菩薩はツァラトゥストラであるとともに日蓮でもあった。登張は、超人への道を、まさに人間的な条件を超えて仏(如来)となることであると説く。超人を「仏」と等しいものとしたのは、自分独自の解釈によるのだ。登張はそう強調している。賢治もまた、友人への書簡のなかで、自分たちが実現を目指す文学を「如来の表現」と定義していた。賢治にとっても、登張=ニーチェにとっても、人間とは、如来になる可能性を蔵した、如来のための土台となる生命体だった。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿