2016年6月28日火曜日

犬神が四国なら、イヅナは東北、オサキの中心は関東で、狐は全国に点在し、クダは愛知県から東北方向に、新潟まで帯状に散らばっている。(1)


 

 

『霊能動物館』

加門七海   集英社   2014/11/5

 

 

 

<憑きものの部屋>

 

1、    どこかから来て、縁もない人に取り憑くもの。

2、    ひとつの家系が血筋によって受け継ぎ、増やすとされるもの。

3、    祈祷師などが使役する、式神的な働きをするもの。

 

『狼の部屋』にて、私は憑きものを大きく3種類に分類した。

今回、俎上に載せるのは、主にこの中の23だ。

 

・何種類もいる憑きもののうち、オーサキについては『狼の部屋』にて少々取り上げた。このオーサキをはじめ、憑きものと呼ばれる動物達のほとんどは地域や家筋に属している。『憑きものの部屋』を記すに当たって、一番厄介な問題は、これらにまつわる差別の話だ。

 如何にのらくら躱そうと、憑きものを持つとされる家系の多くは、その地域において差別を受けた。理由はこれも前に記した。彼らは憑きものを使って人の富を盗み、場合によっては人命を脅かすとされてきたからだ。

 

『憑きもの持ち迷信 その歴史的考察』(明石書店)を記した速水保孝氏は、自身が出雲地方にて「狐持ち」といわれる家の出だった。

 ゆえに、その著書には、研究書という枠を超えた生々しい差別の実態が描かれている。

 

・憑きもの筋に対する差別のほとんどが、新興富裕層に対する妬みから生じたという見解は、現在、定説にもなっている。が、これこそ速水氏の研究と分析がもたらした成果でもある。

 氏はまた、出身地である出雲地方にて、狐持ちについて記された存在自体にさしたる歴史がないことをも明らかにした。

 『人孤物語』には、狐持ちの起源は享保頃にあり、「狐持ちに指定される家は、金持ちの家で、指定する者は、この金持ちによって搾取され」(速水氏)た没落農民であることが記されている。そして、この金持ち達は皆、性格が悪いことにもなっている。

 要は、搾取された側にとって邪悪な存在となる成功者が、憑きもの筋とされたわけだ。

 

・『「3匹のクダ狐を持ちこんだ男がいてね。狐のヤツが、村中の人間に取り憑いてしまったのさ。みんな、気が触れたようになったり、魂が抜けたみたいになって……村にいた祈祷師が21日間お祓いをして、狐を竹の筒に入れ、村の奥に封じたんだよ。

 で、なんとか正気に戻ったんだけど、祈祷に来なかったヤツらは到頭、ダメになっちまったっけ。………それから暫くしてのことさ。狐なんか信じないって馬鹿がいて、筒を埋めた塚を掘り返したんだな。そうしたら狐が逃げてしまって、またまた村がおかしくなった。祈祷師はそれも捕まえたけどね。今、氏神様の裏山に、小さな祠が遺っているよ」』

 

『黄金結界』(河出書房新社)という著作の中で、私は右のごとく記している。

 

しかし、何年経っても、私は憑きものの実在を信じきれない――いや、幽霊に似た不可視のものだという考えから離れられない。

 

・まず、『日本の憑きもの 俗信は今も生きている』(石塚尊俊著 未来社)を参考に、憑きものの種類を並べてみよう。日本全国、実に多くの憑きもの達が存在している。

 狐、イヅナ、オサキ、クダ、オトラ、トウビョウ狐、ニンコ、ヤコ、狸、蛇、トウビョウ(トンベ、トンボカミとも)、犬神(インガメ、イリガミとも)、外道、猫、猿、蛭、カッパ、ゴンボダネ。

「オサキ、クダ、オトラ」は、語末に狐をつけて記される場合が多い。「トウビョウ狐」はもう一種の「トウビョウ」と区別するために「狐」がついているようだ。

 

だが、この話の場合、狐を見るのは、ある種の特殊能力だ。見える人と見えない人がいるというのは、ほかの憑きものにも出てくる話だ。この説によると、憑きものは実体を持たない妖怪や精霊の部類に分けられる。

 

・しかし、本来、憑きものはそんなに単純なものではない。確かに似たものもあるけれど、ちょっと資料を当たってみれば、憑きもの達にはそれぞれ豊かな個性があることが見えてくる。

 そのすべてを記すのは難しいので、代表例をいくつか示そう。先述した速水氏は「狐持ち」の家系であった。

 出雲地方にいるこの憑きものも、当然、ただの狐ではない。

「ネコよりは小さく、ネズミよりは大きく、脚が短く、尾の長い、胴体が細長く、耳の尖っていない動物で、色は茶色あるいは茶褐色で、黒身がかった班入りのもいるといわれ、イタチとよく似ており、ときどき後脚で立ちあがったり、小手をかざして見るくせがあるといわれる。」

『日本の憑きもの 社会人類学的考察』(吉田禎吾著 中公新書)では、そう記されている。

 

・「1963年の冬、私は鳥取から遠くない所にある退休寺を訪ねたが、そこは明治以来、狐憑きの患者の憑きものおとしで有名であった。日露戦争にも出征したことのある年老いた僧侶は、疑いもなく高い教育を受けていた。しかし彼は誰が狐持ちの家族かを告げるのは訳ないことです、狐が軒先に座っているのが見えるのだから、と私に語った。夕方散歩に出た時に、彼は狐どもが烙印を押された家の外で遊んでいたり、軒先に並んで座り、前脚で眼を覆っているのを何度も見たそうである。彼らはよく彼の傍らに飛んで来て、うなったり衣の端をひっぱったりしたという。そして、狐どもが見えるのは彼ばかりではない。村の誰にもそのように見ることができるという。

 

1963年に出合った鳥取の学校長である生田先生もまた、この地方の多くの村をまわって狐持ちの邪悪な迷信を棄てるようにと説いて歩くのに時間をかけてきたと話してくれた。しかし、彼はほとんど説得できなかった。講義の後で彼はいつも村人の1人から挑戦された。これに関してよそから来た人が一体何を知っているというのだ。村の人は皆、その家の外で狐を見ることができるのだから、誰が狐持ちの家族なのかを知っているのだ。」

 つまり、この地方の狐は、村人には見えるけど、「よそから来た人」には見ることができないモノということになる。

 記された証言のすべてを信じて、ここにサイキック村がある!と驚いてもいいのだが、もしも前述したごとく、狐持ちの家が元来は余所者であるというのなら、村人は余所者と自分達を二重の構造で区別していることになる。

 

・それはともかく、ここに出てくる退休寺は、鳥取県大山町に現存している。

 

『日本の憑きもの』(石塚尊俊著)に載っている「憑きものの呼称による分布」地図を見ると、彼らにはそれぞれ明確な縄張りがある。

 犬神が四国なら、イヅナは東北、オサキの中心は関東で、狐は全国に点在し、クダは愛知県から東北方向に、新潟まで帯状に散らばっている。

 また、気になる特徴が3つある。ひとつめは、愛知県より北はオサキ以外、クダとイヅナとゴンボダネしかいないということ(新潟には、例外として佐渡島に狸がいるが、島であることと、流刑地だったという特殊な事情が働いている可能性がある)。

 ふたつめは、古代の宮都があった京都、滋賀、大阪、そしてなぜか福島にも、憑きものがいないこと。

そして最後。京都、滋賀、大阪の三府県以西の西日本一帯には、そのほかの憑きもの達のすべてが生息していることだ。興味深い調査だが、私はこの空白地帯が、妙に気になった。

 

 

 

『日本妖怪大事典』

画◎水木しげる  編者◎村上健司  角川書店 2005/7/20

 

 

 

<犬神(いぬがみ)>

・中国、四国、九州の農村地帯でいう憑き物。中国地方では犬外道、九州、沖縄ではインガメというように、名前や性質は地方ごとでさまざまに伝えられている。

 犬神には人の身体に突然憑く場合と、代々家系に憑く犬神持ちとがあり、狐憑きとほぼ同じような特徴が語られる。

 犬神に憑かれると、さまざまな病気となり、発作を起こして犬の真似をするなどという。これは医者では治らず、呪術者に頼んで犬神を落としてもらう。

 

・犬神持ち、筋とは、犬神がついた家系のことをいう。愛媛県では、犬神持ちの家には常に家族の人数と同じ数の犬神がいるとし、家族が増えれば犬神の数も増えると思われている。

 

・愛媛県周桑郡での犬神は鼠のようなもので、犬神筋の家族にはその姿が見えるが、他人にはまったく見えないという。

 

<オサキ>

・埼玉県、東京都奥多摩、群馬県、栃木県、茨城県、新潟県、長野県などでいう憑き物。漢字ではお先、尾裂きなどと表記され、オーサキ、オサキ狐ともいう。

 憑かれた者は、発熱、異常な興奮状態、精神の異常、大食、おかしな行動をとるといった、いわゆる狐憑きと同じような状態になる。

 

・また、個人ではなく家に憑く場合もあり、この場合はオサキ持ち、オサキ屋、オサキ使いなどとよばれる。オサキが憑いた家は次第に裕福になるが、その反面、周囲の家には迷惑がかかるという。オサキ持ちの者が他家の物を欲しがったり、憎悪の念を抱いたりすると、オサキがそれを感じ取って物を奪ってきたり、憎く思っていた相手を病気にしたりすると信じられていたからである。

 オサキの家から嫁をもらうと、迎え入れた家もオサキ持ちになるというので、婚姻関係ではしばしば社会的緊張を生んだ。

 

<おさん狐>

・主に西日本でいう化け狐。とくに中国地方に多く伝わり、美しい女に化けて男を誑かす。鳥取県では、八上郡小河内(八頭郡河原町)から神馬に行く途中にガラガラという場所があり、そこにおさん狐が棲んでいたという。

 

 与惣平という農民が美女に化けたおさん狐を火で炙って正体を暴き、二度と悪さをせずにここから去ることを条件に逃がしてやった。

 数年後、小河内の者がお伊勢参りをしたとき、伊賀山中で出会った一人の娘が、「与惣平はまだ生きているか」と尋ねるので、生きていると答えたところ、その娘は「やれ、恐ろしや」といって逃げていったという。

 

・広島市中区江波のおさん狐は、皿山公園のあたりに棲んでいて、海路で京参りをしたり、伏見に位をもらいに行ったりと、風格のある狐だったという。おさん狐の子孫といわれる狐が、終戦頃まで町の人たちから食べ物をもらっていたそうで、現在は江波東2丁目の丸子山不動院で小さな祠に祀られている。

 大阪府北河内郡門真村(門真市)では、お三狐として、野川の石橋の下に棲んでいるものとしている。「お三門真の昼狐」ともよばれることがある。昼狐とは昼間に化ける狐で、執念深く、人を騙すものだという。

 

<狐憑き>

・全国各地でいう憑き物。いわゆる一般的な狐の他、オサキ、管狐、人狐、野狐、野千といったものも狐と称され、それらの霊が人間に取り巻くことをいう。

 大別すると、1、個人に憑くもの、2、家に憑くもの、3、祈祷師などが宣託を行うために、自分あるいは依代に憑かせるものの3つに分けられる。

 

 1は狐の霊が何の予告もなく、あるいは狐に悪戯した場合に取り憑くもので、原因不明の病気、精神の異常、異常な行動をとるなど、個人や周辺に多大な迷惑をかけるやっかいなものとされた。

 

 2に挙げた、家に憑く狐は、家に代々受け継がれるもので、管狐、オサキ、人狐というのはこれである。繁栄をもたらす反面、粗末に扱うと祟りを及ぼし、家を滅ぼしてしまう。他家から狐が物を盗んできたり、家の者が憎く思う相手に憑いて病気にしたりするので、周辺から敬遠されてしまう。また、嫁ぎ先にも狐がついて行くと信じられたので、婚姻が忌避されるなどの差別を受けた。

 

 3は稲荷下しなどといって、祈祷師たちが狐の霊による宣託を行ったものである。

 

<座敷わらし>

・岩手県を中心とした東北地方でいわれる妖怪。名前が示す通り、家の中にいる子供の妖怪で、3歳くらいから11歳、12歳くらいの男の子または女の子で、髪形はオカッパとされることが多い。

 

・座敷わらしにも階級のようなものがあるそうで、上位のチャーピラコは色が白く綺麗だとされ、階級の低いノタバリコや臼搗きわらしといったものは、内土間から這い出て座敷を這いまわったり、臼を搗くような音をたてたりと、なんとなく気味が悪いそうである。

 

・座敷わらしというよび方は東北地方でのことだが、この仲間というものはほぼ全国的に分布している。北は北海道のアイヌカイセイ、南は沖縄のアカガンターと、多少の性質の違いはあるが、家内での悪戯、例えば枕を返すとか、金縛りにするなどといったことが共通して語られ、家の衰運などにも関わることもある。韓国の済州島に伝わるトチェビなども、座敷わらしに似た性質を有しているという。

 

<寒戸の婆(さむとのばば)>

・『遠野物語』にある山姥の類。岩手県上閉伊郡松崎村の寒戸にいた娘が、ある日、梨の木の下に草履を脱ぎ捨てたまま行方不明になった。

 

 それから30年後、親戚が集まっているところへ、すっかり年老いた娘が帰ってきた。老婆となった娘は、皆に会いたくて帰ってきたが、また山に帰らねばといって、再び去ってしまった。その日は風が激しい日だったので、それ以来、遠野の人々は、風が強く吹く日には「寒戸の婆が帰ってきた日だな」などといったという。

 『遠野物語』は柳田国男が遠野の佐々木喜善より聞いた話をまとめたものだが、遠野には寒戸という土地はなく、これを登戸の間違いではないかとされている。語り部役を務めた佐々木喜善は『東奥異聞』に登戸の茂助婆の話として記している。

 

<オマク>

・岩手県遠野でいう怪異。生者や死者の思いが凝縮した結果、出て歩く姿が、幻になって人の目に見えることをいうもので、「遠野物語拾遺」には多数の類話が見える。

 

 

 

『日本の幽霊』

池田彌三郎   中公文庫  1974/8/10

 

 

 

<憑きものの話>

・「憑きもの」に関する俗信は、もちろん社会心理現象であって、今日の社会においては実害のともなう迷信である。四国を中心にした「犬神持ち」の俗信や、山陰地方に多い「狐持ち」の俗信などは、今日においてもなお実害のともなっている、はなはだしい例である。

 

 昭和2811月に公刊された『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生まれて――』という書物は、島根県大原郡賀茂町神原出身の速水保孝氏の著書である。著者自身狐持ちの家に生まれ、自身の結婚

にあたってもそれによる障害を体験され、迷信打破の為にその講演に歩くと、狐持ちなどの憑きものを落とすことをもって職業としている「祈祷師」らから、生活権の侵害だと脅迫がましい投書が来たり、と言った貴重な経験を通じて、これに学問的なメスを入れておられる。

 

・東京のような都会に育っている者には思いもよらない生活経験が語られているが、その書物の、私は狐持ちの家の子であります。だからこの本をどうしても書かずにはおられません。という書き出しの文句なども、都会にいるわれわれの受け取る受け取り方では、ともすれば、こう書き出した著者の勇気を、感じとらずに読みすごしそうである。それほど「憑きもの」信仰などはわれわれ都会育ちのものには遠い昔の話になっている。だが、現にこの迷信は、島根県下において、末期の症状ながらも生きていて、その撲滅運動が度々繰り返されている、当事者にとっては真剣な問題である。

 

・しかし、他の様々な迷信の打破と同じように、それは結局、教育の普及にまつ以外に、根本的解決策はまずなかろう。そして、この速水氏の本の序に、柳田国男先生がよせられた序文にあるように、

 教育者たるべきものは、俗信を頭から否定することなく、それに関する正確な知識を与えてやらねばならない。結局事実を提示して、各自に判断させてゆくというより他に方法は無いのではなかろうか。

 

・その一つの方法としては、こういう問題を大胆に話題にして、そこに正しい判断と批判力を養うことの必要を先生は説いておられる。幽霊も妖怪も、むしろわれわれが大急ぎで話を集めておかないと、もうほとんど出て来てくれそうもなくなったのに、「家に憑く怨霊」の庶子のような「憑きもの」だけが、まだ生き残って人間を苦しめているなどというのは、まことに残念であり、学者の怠慢だと指摘されても致し方ない。

 

・犬神というのは憑きものの中でも有名なものの一つで、四国がことにその俗信の盛んな土地である。――四国には「狐」という動物そのものがいないと言われている――しかし中国にも九州にもないことはない。四国で一般的に言われているのは、鼠ぐらいの大きさの小さい動物であるというのだが、近世の書物、たとえば『伽婢子』などでは、米粒ぐらいの大きさの犬だという。だから、近世の随筆家などになると、早く興味本位になり、一そう空想化していたということになる。

 

・犬神持ちがいやがられるのは、この犬神を駆使して、他人に迷惑をかけるからである。犬神持ちの人がある人を憎いと思うと、たちまちに犬神が出かけて行って、その相手にとりついて、その人を苦しめたりする。だからこういう点、平安朝の怨霊などのように、生霊死霊が自身で現われて人を苦しめるのに比べると、動物が人間並みの感情を持っていてとり憑いたり、あるいはさらに、そういう動物を人間が使役したり駆使したりして、人に損害を与えるなどということ自体、怨霊から言っても末流的であり、そこにこういう憑きものなどを一笑し去るべき要点がはっきり露出しているように思う。

 

・東京の銀座の真ン中に育った私にも、たった一つだけ、狐憑きの話を身近に聞いた経験がある。幼稚園の時から一緒で仲よくしていたTという友人の母親が急死した。私の小学校5年の時だから、大正14年のことだが、私は受け持ちの先生と、組の代表で告別式に行った。数日たって学校に出て来たTは、僕のお母さんは狐憑きに殺されたんだ、だけどこれは誰にも言わないでくれよ、と言った。

 

・Tの父親の親戚の女の人に狐がついて、Tの叔母をとり殺した。そのお葬式の時、狐憑きなんかあるわけはないとTの父親が言ったら、その親戚の女についている狐が、うそかほんとか、今度はお前の細君を殺してやると言った。Tの父親は「殺すなら殺してみろ」と言った。そうしたら、ほんとに僕のお母さんは死んじゃったんだ。あの時「殺すなら殺して見みろ」なんて言わなければよかったんだ。Tはこんな話をした。

 

・何しろ二人ともまだ子どもの時で、その上今から三十数年も昔のことで、ほかのことは知らない。Tの母親のお葬式の時にも、ケロリとして、その狐のついた親戚の女は手伝いに来ていたと、Tがにくにくしそうに言ったのを今でも覚えている。大正14年と言えば、前々年に関東の大震災があって、銀座はすっかり焼け野原となったのだが、そのあとしばらくのバラックずまいの町の中で、こんな生活の経験のあったことを、今ふと思い出したのである。

 

 

 

『陰陽師(おんみょうじ)』  安倍晴明と蘆屋道満

繁田信一       中公新書 2006/4

 

 

 

<安倍晴明と蘆屋道満>

<英雄の誕生>

<「道の傑出者」「陰陽の達者」>

・安倍晴明という陰陽師は、その活躍を直接に知る平安時代中期の貴族層の人々にとって、「道の傑出者」であり、「陰陽の達者」であった。

 

<名人から英雄へ>

・安倍晴明が他界してから百年ほど後に編纂された『今昔物語集』に登場する清明は、幼い頃より鬼を見ることができた天才的な陰陽師であり、呪術によって二人の人間の生命を交換することさえあった。そして、そんな清明に術比べを挑んだ法師陰陽師は、手も足も出ずに最後は泣く泣く許しを請う始末であったという。だが、この清明は、いまだ単なる名人でしかない。『今昔物語集』の清明には、特に英雄らしい活躍は見られないのである。

 

・しかし、その死から二百年余年の後に編まれた『古箏談』や『宇治拾遺物語』に登場する安倍晴明は、確かに、朝廷を守護する英雄としての役割を果たしている。すなわち、『古事談』『宇治拾遺物語』の清明は、朝廷の事実上の最高権力者である藤原道長を呪詛の危機から救い、かつ、その呪詛を行った法師陰陽師を追い詰めるのである。ここでの清明は、まさに朝廷=道長を守護する英雄であった。また、『古箏談』の清明は、花山天皇を苦しめる不治の頭痛を鎮めることでも、朝廷=天皇を守護する英雄の役割を果たしている。

 

・また、江戸時代初期に刊行された『安倍晴明物語』は、安倍晴明を神の落胤とする。同書が清明の母親として伝えるのは、よく知られた信太の森の狐である。が、その狐の正体というのは、信太の森に鎮座する信太明神に他ならなかった。

 かくして、安倍晴明という陰陽師は、その死から六百余年後の伝承の世界において、半神半人の超人として語られる身となり、ギリシア神話的な英雄になっていたのであった。

 

<安倍晴明を超える名人>

・この一件が明らかにしてくれるのは、安倍晴明が没してから三十年と経たない頃の貴族社会には「当朝は保憲を以て陰陽の基摸と為す」という風潮が強かったということである。そして、それは、当時の遺族社会において、賀茂保憲が安倍晴明を上回る名人として位置付けられていたことを意味していよう。

 ところが、その賀茂保憲が伝承の世界において英雄としての位置付けを得ることはなかった。もちろん、保憲も死後には伝承の世界の一員となっている。『今昔物語集』などは、言を尽くして彼がいかに優秀な陰陽師であったかを語ってくれている。しかし、それでもなお、『今昔物語集』の保憲は、単なる名人でしかないのである。

 

<保憲流賀茂氏と晴明流安倍氏>

・ここに明らかなように、平安中期終盤の貴族社会が最も権威を認めた陰陽師の家系は、晴明流安倍氏ではなく、保憲流賀茂氏であった。『新猿楽記』において陰陽師の理想像を描いた明衡は、その架空の陰陽師を権威付けるのに最もふさわしい家系として、晴明流安倍氏ではなく、保憲流賀茂氏を選んだのである。

 

・周知のごとく、安倍晴明の家系は、平安中期以降、賀茂保憲の家系とともに、「陰陽道宗家」とでも呼ばれるべき立場を占めるようになった。つまり、保憲と晴明との活躍があって後、陰陽師の家系としての権威は、保憲流賀茂氏と晴明流安倍氏とによって独占されることとなったのである。しかし、賀茂道世の例に明らかなごとく、平安貴族の見るところ、その権威において、晴明流安倍氏は保憲流賀茂氏よりも劣っていたのであった。

 

・そして、平安貴族が保憲流賀茂氏の権威を晴明流安倍氏のそれよりも高く見たのは、おそらく、保憲と清明との間に師弟の関係があったためであろう。すなわち、保憲は晴明の師であり、清明は保憲の弟子だったのである。だからこそ、平親信の『親信卿記』に見えるごとく、天延二年(974)の五月十四日、保憲が堂舎建立の適地を選ぶ卜占のために比叡山に登った折、清明は「小姓」の一人として保憲に付き従ったのであった。

 だが、こうした現実の世界とは裏腹に、後世、伝承の世界において名人から英雄の成長を遂げたのは、安倍晴明であって、賀茂保憲ではなかったのである。

 

<創出された英雄>

・そうはいっても、賀茂保憲が英雄にならなかったのは、その必要がなかったからなのではないだろうか。

 賀茂保憲という陰陽師は、後世の貴族社会の人々にとって、陰陽師の規範とされるべき存在であった。先に見たごとく、「当朝は保憲を以て陰陽の其模と為す」というのが、平安時代中期以降の貴族社会における共通認識だったのである。つまり、保憲の場合、わざわざ英雄などにならずとも、すでに陰陽師として最高の権威を認められていたのであった。

 

・ただし、こうして英雄に祀り上げられた安倍晴明は、やがて、その祀り上げを企図した晴明流安倍氏の思惑をも超えるかたちで、伝承の世界において一人歩きするようになる。すなわち、名人であることを越えて英雄になった清明は、室町時代中期までには「化生の者」となり、江戸時代初期までには半神半人となったのである。こうして、伝承の中の安倍晴明は、人間であることをも超越したのであった。

 

<悪役の誕生>

<悪逆非道の法師陰陽師>

・伝承の世界の安倍晴明は、朝廷を守護する英雄の地位を確立した後、ついには自己の死すらも克服してしまう。彼を半神半人の英雄とする『安倍晴明物語』には、その死と再生とまでもが描かれるのである。

 

『安倍晴明物語』では、蘆屋道満という法師陰陽師が安倍晴明に弟子入りする。その道満法師は、播磨国印南郡出身の優れた陰陽師であったが、あるとき、晴明に術比べを挑んで徹底的に打ち負かされてしまい、それを機に晴明の弟子となったという。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

 

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より

 

<蘇民将来>

・蘇民将来(そみんしょうらい、蘇民將來)とは日本各地に伝わる説話、およびそれを起源とする民間信仰である。こんにちでも「蘇民将来」と記した護符は、日本各地の国津神系の神(おもにスサノオ)を祀る神社で授与されており、災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神として信仰される。また、除災のため、住居の門口に「蘇民将来子孫」と書いた札を貼っている家も少なくない。なお、岩手県南部では、例年、この説話をもとにした盛大な蘇民祭がおこなわれる。陰陽道では天徳神と同一視された。

 

 

 

<●●インターネット情報から●●>

 

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より

 

<聖神社>

(伝説)

 昔、摂津の国住吉の里に、阿倍保名(やすな)という人があった。妻は葛葉姫(くずはのひめ)といったが身体が弱く、たびたび里に帰って養生していた。保名は日夜心を悩まし、神の助けによって一日も早く妻の全快と俊児を授けられんことを、当時最も信仰者の多かった信太明神(聖神杜)に祈願し、三十七日間おこもりをし、白玉を得、斉戒沐浴して池の堤に立っていた。すると水面に白狐がうつり、不思議に思って後ろを見ると一匹のねずみ(実は傷ついた白狐)が走ってきたので、このねずみを袖にかくまい、しばらくして山中に逃がしてやった(聖神杜境内には、この伝承に由来するねずみ坂と鏡池ー現在は神杜の所有ではないーが残っている)

 

 保名は満願の夜、疲れて社殿でいねむりをしていると、冠をかぶった白髪の老人が夢にあらわれて、「汝の日頃の信仰はほとんど寝食を忘れるほど誠意であり、願いは必ず成就する。妻の病気は全快し、俊児も近々賜るる、すこと憂うることはない」とお告げがあつた。保名は神心肝に銘じ、なおも深く祈願をこめて家に帰ったが、翌日の夕方に妻は元気な様子で帰ってきた。保名は本当に信太大明神のお告げどおりだと、たいへん喜んで妻を迎えた。それからというものは楽しく日力を過ごし、妻はまもなく懐妊し・月満ちて男児が生まれた。夫婦の喜びはひとしおで、掌中の珠として愛育した。

 

 百余日を経たある夜、家中が光り輝き、驚いて眺めていると、妻は白狐神となって「我こそは信太大明神と議(はか)り仮に汝の妻となり願いの如く俊児を授けたる。今は神のおぼしめし告げる時が来て帰らねばならない。大切に育てるべし」と告げるやいなやいずこかへ消え失せた。保名はありがたさにむせぶうちに夜が明け、雨戸を開いて障子を見ると、文字が書き付けてあった。これが世に知られる「恋しくば尋ね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」の和歌である。その後、本当の妻も病気が治り帰つて来て、二人でその子を大切に育てた。この子が非凡の天機を発揮し、成長ののちには陰陽博士として天下にその名を知られた安倍晴明であるという。

 

 

 

『お稲荷様って、神様?仏様?』

支倉清 + 伊藤時彦       築地書館  2010/10/14

 

 

 

<狐は神の使い>

・狐は稲荷の使いであると古くから信じられてきた。

 

・春先に山から里に下りてきて秋の終わりにまた山に帰るという狐の習性が、田の神が春先に山から下りてきて秋の収穫後に山に帰るという動きとぴったり一致すること。

 

・つまり、狐は単なる稲荷の使いという以上の存在なのである。人々は狐そのものに霊力があると信じたのである。

 

<狐憑きと流行り稲荷>

・狐はなみなみならぬ霊力の持ち主であり、人間にのり移ることがあると、古来より広く信じられてきた。江戸時代に書き残されたものを見ると、狐に取り憑かれ、のり移られるのは、若い女性か年季奉公人の小僧であることが多い。

 

・「江戸本所に住む旗本の下女に狐が憑いた。しばらく苦しみが続いたが、狐が落ちて本心に返った後、屋敷の隅に小さな祠を建てた。その後、下女は人の吉凶などを祠に伺った。その語る様子はまるで神のようであった」

 

・狐憑きをきっかけにして創建された稲荷は「流行り神」的に繁盛することが多かった。

 

・もっとも狐に憑かれるのは、一般的にいいことではない。人格が変わったりおかしな言動をしたり錯乱状態に陥ったりするので、狐に取り憑かれたときは、なんとかして狐を落とそうとした。

 

<東の稲荷、西の地蔵>

・日本中に8万を超す神社がある。その中で圧倒的に多いのが稲荷社である。その数、実に32千社。次いで多いのが八幡宮で25千社。この2社で神社総数の6割に達する。ところが、稲荷社が多いのは関東を中心とする東日本で、西日本は少ない。とりわけ江戸のまちは稲荷が多かった。

 

<あらゆる願いに応えるお稲荷さま>

・稲荷は、もともとは稲の豊作をもたらす農耕神であった。ところが、室町時代になると都会では商売繁盛の神として信仰されるようになり、漁村では漁業の神として信仰されるようになった。

 

・幕末近くになると、江戸では「太郎稲荷」「お岩稲荷」「お玉稲荷」「定吉稲荷」など憑きものと関係する流行り神的な稲荷が次々と誕生する。

 

<三囲神社(墨田区向島)>

・江戸の数ある稲荷社の中でも最も名の知られた稲荷社の一つである。

 

・神社の伝える言い伝えによると、弘法大師(空海)の創建であるという。

 

<豪商三井の守護神>

・「(其角の雨乞いの俳句が詠まれた)後に京都の豪商三井氏が江戸に進出するとその霊験に感じ、江戸における三井の守護神と崇めて社地の拡張、社殿の造営を行った。今も年三回は三井関連会社による祭典が執行され、また三越の本支店にも当神社の分霊を祀っている」

 

 

 

『わが深宇宙探訪記』 著者自らUFOを操り、ETを友とする

(オスカー・マゴッチ)(加速学園出版) 1991/8

 

 

 

<自由な世界次元間連盟>

・地球人類の起源は、プレイアデスの散らばった系に由来する。地球人類が地球に移住してきたのは『多数の千年期』の昔である。それ以来私達の『後に残された』人間の祖先たちは、銀河系と他の次元領域の至る所に広がった。

 さまざまな次元に存在する何千という星系からなる彼らの緩やかな『共通利害団体』は、『自由な世界次元間連盟』と呼ばれ、多次元宇宙の33の広大な領域に及んでいる。

 

・シリウスは、私達に向けた「連盟」の送信センターとして使われている。私達を高め、迫りくる宇宙的なコンタクトと、その結果として起こる変貌に対して、この世界を準備させるためなのだ。何千年にもわたってシリウス人は地球人とコンタクトしてきたが、その際、彼らとその仲間は『ホルスの目』という印(三角形の中に目を配したデザイン)を用いてきた。

 

・『暗黒の勢力』とその地球の『光明派』の召使達は、シリウスのセンターから来た『善玉』になりすましている。これは地球人を混乱させ利用せんがためで、本来のシリウスからの送信内容を歪めたものに変え、自分たちの悪の教えを植えつけようとしているのだ。そのために、シリウスの『ホルスの目』のデザインの印も使っている。『暗黒の勢力』に支配されているのはメン・イン・ブラック(MIB)たち、すなわち、あの恐ろしい『黒服の男達』は、一つの目ないし一条の稲妻を中に配した例の古典的な三角形を自分たちが使用する黒塗りのキャデラックのドアにつけている。

 

 

 

『安倍晴明伝説』

諏訪春雄     ちくま新書     2000/12

 

 

 

<近世晴明伝説の漂流『安倍晴明物語』>

・江戸時代の寛文二年(1662)に刊行された、作者不明の仮名草子『安倍晴明物語』は安倍晴明の一代記をつづった小説であり、そののちの小説、歌舞伎、浄瑠璃などの文芸の晴明物に大きな影響を与えた。

 

<「由来」から生まれた『安倍晴明物語』>

・仮名草子の『安倍晴明物語』の作者は不明であるが、有力な説として浅井了意をあてる考えがある。浅井了意はもともと武士であったがのちに浄土真宗の僧侶となった人で、当時としては膨大な著作をのこした、第一級の知識人であった。当否の決定は今後の研究にまたなければならないが、『安倍晴明物語』は了意のような知識人の手になった作とかんがえるにふさわしい内容の作品である。

 

<動物と人間との結婚>

・民間陰陽師系晴明伝説の最大の特色は晴明の母親が狐であったという異常出生譚にある。伝説や説話の類型に異類婚姻譚とよばれる一群がある。人間と人間以外の動物・精霊・妖怪などとの結婚をかたる話で、異類求婚譚、動物結婚譚などともよばれることがある。狐を母とする晴明の出生物語はこの異類婚姻譚に属する伝説の類型である。

 

・超越的な力をもつ自然物の化身との結婚は多くの場合に人間に幸や福をもたらし、異常能力をうけついだ幼児の誕生をうながした。日本では三輪山の神オオモノヌシとイクタマヨリヒメとの結婚が三輪の君、鴨の君の祖先となる三輪山神婚譚やホホデミ(山幸彦)と鰐の化身トヨタマビメがむすばれて皇室の祖先になったという海幸山幸の神話などがその典型例である。

 

・鶴と人間との結婚は破局におわり、鶴が夫のもとに二度とかえってくることはなかった。人間が自然を抑制し、自分たちの力に自信をもちはじめると、動物の超越的な力にたいする信仰はうしなわれ、人間と動物の結婚に不自然さを感得する合理的思考が芽生えてくる。その段階がきたとき、異類婚姻譚は不幸な結末をむかえるようになった。

 

<晴明の母はなぜ狐なのか>

・日本の異類婚の形態は関敬吾の『日本昔話大成』によると22種もの多数が存在する。それなのになぜ陰陽師の職に従事して晴明を始祖としてあがめた被差別民たちはそのなかから狐女房譚を選択したのであろうか。蛇や鶴であってはならなかったのか。

 

・この問題を解くヒントになるのが、晴明誕生伝説にむすびつく諸国の神社に稲荷神社が多いという事実である。第7章冒頭で全国12か所のこの種の神社やゆかりの場所をあげた。そのうちの半数の6か所までが稲荷社であった。晴明信仰は稲荷信仰とむすびつく傾向があったことがあきらかである。

 

・聖神社は別名を信太神社といった。いつごろからこの信太明神という名称が定着したかはあきらかでないが、神社社宝の後白河法皇の直筆とつたえられる「正一位信太大明神宮」がそのままに信じられるとすれば平安時代の末ころまでにはそのよび名が生まれていたことになる。中世以降の信太妻伝説とむすびついて、この神社が登場するときはきまって信太明神の名でよばれていて、聖神社の名があらわれることはなかった。中世末に晴明誕生伝説が形成されたときにはすでに信太明神の名が確定していたとみてよい。

 

・信太明神という名称が確定したとき、聖神も稲荷神とみなされ、狐を眷属神とするようになった。すこし時代はくだるが、江戸時代の寛政七年(1795)成立の『和泉名所図会』には、「今信太社の稲荷の社壇に、葛の葉明神とて、一座を祀る」という記述があり、信太明神が稲荷社として理解されていた。

 

 この稲荷信仰を解明することによって、安倍晴明の母が狐でなければならなかった理由があきらかになり、さらに晴明伝説の本質についての知識もさらに加えられることになる。

 

・稲荷信仰は本来は稲に象徴される穀物神、農耕神にたいする信仰であり、その名前も「稲成り」に由来するといわれるが、さらに複雑な信仰がそこに習合させられたためにかんたんには把握できない内容をもつようになった。

 

<非合理にあこがれるオカルト志向>

・本書は、オカルト志向、超人待望のいずれとも無縁である。むしろ安倍晴明の真実の姿をあきらかにすることによって、その虚飾性をはぎとることに精力がそそがれている。しかし、本書はたんなる破壊の書ではない。虚像として結晶した安倍晴明伝説の形成過程を丹念に究明することによって、伝説に託された多くの人々の願望と悲しみに陽の光をあてている。それは、もう一つのあたらしい晴明像の創出である。

 

・本書で私があきらかにした諸点はつぎのようにまとめられる。

 

1) 安倍晴明の実像は職務に忠実な国家公務員であった。ただ彼の

従事した職務が陰陽道という、科学と呪術のむすびついて特殊な用途をもつものであったために、彼は代々の権力者から重用された。

 

2) 陰陽道は、中国から伝来した当時の科学、宗教、呪術の先端知

識を総合して、日本で誕生した。その先端知識は、単独で、あるいは道教や仏教の枠組みにつつまれて日本へつたわった。

 

3) 晴明にかかわる数々の伝説は、大きく二つにわけることができ

る。一つは宮廷の陰陽寮から発して、京都、奈良、大阪などの中心地域にひろがった上級の陰陽師たちがそだてた、晴明の超人的な呪術力を称揚した伝説群である。式神も、道教の役鬼をベースに、この人たちが生みだした。もう一つは民間の下級陰陽師たちがそだてた信太妻伝説である。前者の素材となったものは、中国伝来の神仙譚であり、後者の素材は民間の異類婚説話であった。

 

4) 民間下級陰陽師たちは、大陸伝来の陰陽師の伝統をまもった人た

ちであったが、陰陽術の日本化をはかった上級陰陽師たちの陰にかくれて、上級陰陽師系の伝説の中では、敗者、悪者の役割を演じることが多かった。彼らは渡来した被差別民であり、中世以降、歴史の表に登場するようになったとき、信仰する和泉国の信太明神の縁起譚として、晴明異常出生譚を生みだしていった。

 

 

 

『円盤に乗った青年のマジメな話』 

(昭和49年、北海道宇宙人事件の真相)

(平野威馬雄)(平安書房) 1974

 

 

 

<ニコロでの記者会見>

田中:「小人の丈がだいたい1メートルくらい」

 

<タコのような宇宙人>

平野:「こんな感じ?・・・へえ、こんな、タコみたいなの?・・・そして、こんな、体中にブツブツのイボがあったの?」

 

田中:「ブツブツがいっぱい体中にあったのです」

 

藤原:「このブツブツは、ずーと体中、イボみたいになっていたんです」

 

平野:「ぼくもずいぶん宇宙人について書いたし、いろんな宇宙人の画も見たが、やっぱり、これと似ていたな」

 

<私の住む町に円盤か!?>

よく『狐つき』に間違われたアブダクション(誘拐)・ケース

 

<藤原由浩君の独白><動き始めたマスコミ>

・藤原君を無理矢理、12チャンネルのテレビに出演させることになり、25日に数名のUFO関係者が集まった。四国までわざわざ介良村での怪小型円盤飛来の顛末を調べに行った林一男君、UFOの権威・荒井欣一氏、宇宙人らしいものをカラーで撮った浅野良雄君、日本大学教授・川範行氏、そして藤原君と小生が出た。『奥さん二時です』という川口浩司会の番組だったが、ほとんど時間がないので、何もいえずかえって誤解をまねくことになるのではないかと終って思った。

が、とにかく出演後、放送局のロビーにNTVの矢追純一さんらがいてくれて、日本テレビか矢追さんの指揮のもとに、本格的な取り組みをして、適切な方法で取扱、放送ということに話が決まった。

 

 

 

『知っておきたい世界の幽霊・妖怪・都市伝説』

 一柳廣孝  西東社   2008/7

 

 

 

<神隠し>

<突然その姿を消した村人たち>

 ・人間が何の前触れも理由もなく、忽然と姿を消すことを「神隠しにあう」という。姿を消した人物は、そのまま戻らないこともあったが、数日(数十年という例もある)してからまったく違う場所で発見されることもあった。戻ってきた人の多くは、神隠しにあっていたときのことを覚えておらず、「気がついたらここにいた」というように話す。村の誰かが消えてしまったときは、村中総出で探しまわる。そのとき、これ以上犠牲者が出ないように、長い布を全員がつかみながら進んだり、太鼓を叩きながら進んだりしたそうだ。これは一種の儀式のように変化していった。

 

・人が突然消えてしまうことも不思議だが、その間の時間の感覚や経験が、通常では考えられないことから、当時の人々は、天狗や鬼、山姥のしわざだと考えた。神隠しの多くが山で起こったため、人々は山の妖怪のせいという理由をつけることで、事を済ませようとしたのだった。つまり、神隠しにあった人は、人間の住む世界ではなく、神や妖怪の住む「異界」に踏み込んでしまったと考えられていた。現在では、単なる「失踪」と捉えられている事象のことを、昔は神や妖怪のせいにして、理由付けていたのである。

 

<おかっぱ頭の子供の妖怪 座敷わらし>

 <夫婦の座敷わらしもいる>

 ・座敷わらしは年少の子供の姿で現れる。また、ふたりひと組で行動している夫婦の座敷わらしもおり、ときどき夫婦喧嘩をしていることがあるという。特に座敷わらしは女の子が多く、おかっぱで赤い着物を好んで着ているという。その姿は、赤みを帯びた顔で、透き通るような白い肌をしていて、いつもにこにこしている。

  豊かな家に棲みつくことがほとんどで、成り上がりなどの家には、棲みつくことはないという。その姿は、なかなか見ることができないが、夕方に現れることが多く、かわいい声や足音が聞こえるそうだ。ごくまれにその家の者に見えることがあるらしい。

 

<おならが苦手でいたずら好きな妖怪 キジムナー>

 ・沖縄に生息している妖怪で、河童によく似た姿をしている。

  キジムナーは、人のことをだますのが好きな妖怪で、赤土を赤飯と勘違いさせて食べさせたり、狭くて出られないような場所に閉じ込めたり、眠っている人を上から押さえて苦しめたりする。キジムナーと縁を切るためには、タコやおならなど嫌いなものを近づけたり、キジムナー

 が宿っている老木を焼いたり、釘を撃ち込むとよいそうだ。

 

  また、キジムナーは火と関わりが深く、原因不明の怪火をキジムナ火といい、それが屋根から出ると、その家の誰かが死ぬ予兆だといわれている。

 

<天狗 時代と共に姿を変える妖怪>

 <天狗伝説の始まり>

 ・天狗といえば、山伏のような恰好をしていて、顔は赤く、高い鼻、高下駄を履いている。そして、自由に飛び回ることができ、手には羽団扇を持つ、山の中にいる妖怪を想像するのではないだろうか。しかし、私たちが考えるこの天狗像は、江戸時代に定着したもので、元来のものとは違っていたようだ。実は、天狗の姿は時代と共に変わっている。

 

・日本で初めて天狗が登場したのは『日本書紀』だといわれている。舒明天皇九年(637年)に、唐から訪れていた旻僧が、雷のように音を立てる流星を天狗星と呼んでおり、流星が落ちた場所には犬がいると考えられていた。

 

・その後平安時代になると、天狗は山中の妖怪で、姿のない霊的な存在として考えられるようになった。さらに仏教の影響から、天魔と同様、災害をもたらす存在と信じられるようになり、鳶のような半人半鳥の姿で描かれている。

 

 ・一方、修験道においては、山伏(修験者)を守護する山の神として考えられていたようだ。また人々が昔から持っていた、山の精霊や山の神に対する信仰心を、「天狗」という具体的な姿や性質にしたともいわれている。

 

  江戸時代の天狗は、祭の先導者として登場している。私たちがイメージする赤い顔で鼻の高い天狗は、日本神話で天孫降臨の際に道先案内役であった。猿田彦命の鼻がモデルになったといわれている。この鼻高天狗像が主流となり、現代もこれを引き継いでいるのだ。

 

 <各地に伝わる天狗伝説>

 ・日本各地には、さまざまな天狗伝説が残っている。

 

  東北地方に伝わる羽黒山三光坊という天狗は、羽黒山の修行者や山の守護をする天狗である。秋の夜更けに、修行者は人の姿が見えないのに、笛を吹くだけを聞いたそうだ。人々はこれを天狗の仕業だと考えていたという。

 

・愛媛には、石鎚山の烏天狗の仕業が末広昌雄の『伊予路の天狗噺』に残っている。これによると、ある者が子供をつれて石鎚山に登ったとき、子供とはぐれてしまい、いくら探しても見つけられなかったそうだ。家に戻ってみると、なんと子供が先に帰っている。子供がいうには、山頂の祠の裏で小便をしていると、黒い顔の大男がやって来て「こんなところで小便をしてはいかん。家まで送ってあげよう」といわれた。そして、子供が目を開けると家の裏庭に立っていたそうだ。

 

・また『天狗経』によると、日本の天狗世界には48の親分天狗がいるといわれている。そして、より多くの家来を持った天狗ほど、力があると考えられている。中でも近畿地方には多くの親分天狗が存在しており、特に鞍馬山の天狗は護法魔王尊、魔王大僧正と呼ばれ、トップを争うほどの大天狗であった。護法魔王尊は人類を救うために金星からやって来た使者で、サナートクマラという名前を持っているという説もある。偉大な除魔招福の力があり、今でも多くの崇敬者がいるそうだ。

 

<現代にみる天狗>

 ・平安時代に始まった天狗伝説を、今もなお感じられる場所がある。

 

  東京都八王子市に位置する高尾山がそのひとつで、天狗にまつわる話や遺跡、建造物などが多く残っている。薬王院には、飯綱権現と呼ばれるカラス天狗にも似た、とがった口が特徴的な像が祀られており、まさに高尾山に住む天狗を表しているようである。

 

・また、群馬県沼田市では、毎年8月に巨大な天狗面のみこしを女性がかつぐ「沼田祇園祭」が行われている。約4百年前に、迦葉山弥勒寺のお天狗様にあやかって祭が行われ、1959年に天狗おどりが、1972年にみこしが始まった。

 

<水神として祀られる妖怪 河童>

<河童はどこからきたのか>

 ・日本各地にはさまざまな河童の説がある。渡来説や人形化生説、平家の怨霊説、渦巻き説、水神零落説などが有名だ。渡来説は熊本に伝わっており、河童は中国から泳いで渡って来て、九千匹まで増殖したので、その頭領は「九千坊」と呼ばれていた。

 

・水神零落説は、かつての水神が零落して河童になったというものであり、実際に河童を水神として祀っている地方も多い。また、東北には河童のことをミズチと呼んでいるところもある。これは、『日本書紀』などに登場する水神ミズチに由来する。人に毒気をもたらす川の蛇神が退治され、神の立場を奪われた結果、妖怪としての河童に変じたと考えられている。

 

<河童の姿>

 ・河童の身体的な特徴として有名なのは、頭にあるお皿。このお皿は、水がなくなると生命の危機に瀕するといわれる。また、赤ん坊のような薄い髪の毛が生えている河童の像もある。さらに、体毛があるという説とカエルのようにヌルヌルしているという説があり、大きさは、人間の3歳児くらいの小さな姿から、10歳児くらいまでとさまざまである。

 

<命を奪うこともある河童の本性>

 ・水がきれいな川に棲んでいるといわれている河童は、大変いたずら好きな性格をしており、川の近くを牛や馬などが通ると引きずり込もうとする。また、人間が川の近くを通ると、その人がほしいと思うものに化けて川におびき寄せ、水の中に誘い込み、肝や臓器を肛門から引きずりだして溺れさせる。

 

・河童が人間にとり憑くこともある。これを河童憑きと呼ぶ。西日本に伝わっており、九州では、若い女性に憑くことが多いという。河童は、水辺でふしだらにしている若い女性を見ると、恋しく思い、そのままその女性に憑くそうだ。そして、憑かれた女性はたとえ普段は物静かでも、男性にいい寄る淫らな女性になってしまうそうだ。大分県の伝承では、憑かれた女性が心身共に消耗してしまい、死に至るケースもあったという。憑いた河童を落とすためには、祈祷師にお払いをしてもらうしかないらしい。

 

<鬼 日本に深く息づく闇の存在>

 <日本人の持つ鬼のイメージ>

 ・日本人にとって鬼は非常に身近な存在である。鬼を「おに」と呼ぶようになったのは、平安時代からであるといわれている、疫病や天災など、姿を見せないが災いを成すものを「隠」といっていたそうだ。考証学者である狩谷棭斎の『箋注倭名類聚鈔』には、「鬼は物に隠れて顕わることを欲せざる故に俗に呼びて隠と云うなり」とある。つまり、「オニ」とは「隠」の訛りであるのだという。そしてだんだんと姿が見えないが恐るべきものとして、「鬼」が定着していった。

 

 <日本各地の鬼>

 ・各地で、鬼にまつわるさまざまな話が残っている。一番有名なものが、酒呑童子である。酒呑童子は南北朝時代の絵巻『大江山絵詞』に初めて登場した伝説の鬼で、丹波の大江山に住む鬼の頭領であったという。乱暴な性格で、都に出ては婦女や財宝を奪っていたそうだ。勅命により、源頼光が四天王を率いて退治したという伝説が残っている。

 

・また、大分県の由布岳には、塚をつくった鬼の話がある。由布岳に鬼がはびこり、人々は大変困っていたのだという。

 

・石川県の能登半島には、角が生えた猿のような鬼がいたという。人々を困らせていたこの猿鬼に、能登一の宮の気多大名神が率いる神軍が戦いを挑み、毒を塗った矢を猿鬼の目に射って退治したそうだ。猿鬼の目に矢が当たったところを当目、矢に千種もの毒を塗ったところを千徳(毒)、倒れた猿鬼の血で水が真っ黒になったところを黒川などと、伝説にちなんだ地名が今でも残っている。

  このような話は、各地で数多くみられるが、その多くが鬼を「悪しきもの」「恐るべきもの」とするという点では共通している。

 

<犬神 人間に取り憑く犬の霊>

<憑かれると発狂、高熱、腹痛などで苦しむ>

 ・中国、四国、九州の農村地帯に出没する憑き物。近畿地方より東ではほとんど見られない。犬神には人の体にとり憑く場合と、代々家系に憑く犬神持ちとがあり、狐憑きとほぼ同じような特徴が語られる。憑かれると、原因不明の高熱が続く、ひどい腹痛になる、発狂して犬のまねをするなどの症状が出る。

 

  一説では驚くほど飯を食べるようになるとか、死ぬと体に犬の歯形が残るともいわれている。憑かれたら、呪術者に頼んで犬神を落としてもらうほか方法はない。

 

<犬神持ちの家系>

 ・犬神が憑いた家系のことを、犬神持ち、または犬神筋という。愛媛県では犬神持ちの家には家族の人数と同じ数の犬神がいるとし、家族が増えれば、犬神の数も増えると考えられている。嫁いだ場合は、犬神がその嫁ぎ先までついて行き、婚家までがたちまち実家の犬神と同じ数になるという。ほかに、犬神持ちの家系が他家の所有品を欲しいと思っただけで、犬神はたちまちその家に行って品物を奪ったり、あるいはその家の者に憑いて病気にさせる。

  愛媛県周桑郡での犬神はネズミのような姿で、犬神筋の家族以外にはその姿がまったく見えないという。犬神は不従順な性格をしており、時には家族の者にかみつくこともあるという。

 

 

 

『日本の民俗信仰』

 宮本可袈裟雄・谷口貢  八千代出版  2009/6/30

 

 

 

<巫女とシャーマニズム>

<神がかり>

 ・日本では神霊が人に乗り移ることを「神がかり」と呼んできた。古くは「かむがかり」「かんがかり」ともいい。漢字では「神懸」とか「神憑」などと表記されてきた。

 

・こうした「神がかり」現象は、歴史的な文献記録から現代の新宗教に至るまで、さまざまななかたちで見出すことができ、日本の宗教史を考えるうえでも重要な意味をもつ宗教現象の一つであるといえよう。この「神がかり」は、シャーマンのトランス、つまり変性意識状態の一種であるとみられる。

 

・日本の巫女には2種類がみられるとして、神社に所属して神前で鈴を振って歌舞を奏し、湯立などの神事に関与する巫女と、村の外から訪れ、人々の求めに応じて口寄せなどを行う歩き巫女を挙げている。これらの巫女は、いわゆる「神社巫女」と「口寄せ巫女」である。

 

<「憑霊型」が圧倒的な優位性を占めている>

 ・シャーマンが超自然的存在と直接交流する際に陥るトランスの内容解釈には、大別して「脱魂型」と「憑依型」がみられる。前者は、シャーマンの魂が身体から離脱して他界などの超自然界に飛翔し、そこで神霊などと直接交流するとされるタイプで、「エクスタシー」(ecstasy=脱魂)と呼ばれる。それに対して後者は、シャーマンの身体に神霊などを憑依させるかたちで直接交流するとされるタイプで、「ポゼション(possession=憑霊)と呼ばれている。

 

・それから、神霊が人に憑依するという問題では、動物霊などが特定の人や家に取り憑くとされる「憑きもの」もシャーマニズムと関連する信仰である。実際、憑依している霊を特定したり、取り除いたりする儀礼にシャーマン的職能者が関与してきた。このようにシャーマニズムは、日本の民俗信仰の多様性を炙り出す重要な宗教および民族文化の一つであるといえよう。

 

<沖縄の民族信仰><ノロとユタ>

 ・霊的職能者にはもう一つの系譜があり、ユタ、カンカカリヤー、ヤーザスなどと呼ばれ、ノロが公的であるならば、こちらは私的な占い、呪いなどの呪的な信仰領域に関与している。琉球王府はこれらの影響を排除するために何度も禁令を出しているが、効果はなかった。

 

・ユタの職能は、人の体内にあるマブイ(霊魂)は驚いたり事故に遭うと脱落するので、それを身体に戻すマブイグミ、呪いによる病気の治療、屋敷の御願、墓の落成祈願、家内安全の祈願、聖地の純拝や位牌の継承についての判断など多岐にわたる。

 

・依頼者は女性が多く、女子大生が恋愛の相談をするならば、3000円程度の料金であるため手頃なのかもしれない。

 

・周囲の人々によって霊的能力の強さが評価されてユタとして認知されるのである。

 

・ノロとユタを概念上で区別することはできるが、現実の態様を観察すると職能は相互に入り組んでいる。

 

・ノロその他の神役やユタになるのは生まれつきサー(霊力)が高いためであるといわれ、小さい頃からの言動が他の者と異なっていたりすると、周囲の注目を集める。その人が体調不良になると複数のユタを回って神役になるべきであるとか、ユタになる運命にあるとか、本人を方向づけて就任させる。体調不良は後からカミダーリ(巫病)と意味づけられる。

 

<●●インターネット情報から●●>

 

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)から

 

<狐憑き>

狐憑き(きつねつき)は、キツネの霊に取り憑かれたと言われる人の精神の錯乱した状態であり、臨床人狼病(英語版)の症状の一種である。また、そのような精神状態にある人、そのような事が起こり得ると信じる信仰、迷信をもいう。

 

(民間信仰)

民間信仰においては、狐憑きの話は日本全国各地に見られる。キツネに憑かれた者は精神病のように異常な状態になるものと考えられている。

 

個人だけでなく、キツネが守護霊のように家系に伝わっている場合もあり、地方によっては管狐、オサキ、野狐、人狐が憑くことも狐憑きと呼ばれる。これらの家はキツネを使って富を得ることができるが、婚姻によって家系が増えるといわれたため、婚姻が忌まれた。また、憎い相手を病気にしたり、その者の所有物、作物、家畜を呪うこともできるといわれ、他の家から忌まれた結果、社会問題に繋がることもあった。

 

これらのほか「稲荷下げ」などといって、修験者や巫者がキツネを神の使いの一種とみなし、修法や託宣を行うといった形式での狐憑きもある。

 

キツネに対する信仰の厚さは、キツネを稲荷神やその使いとみなす稲荷信仰、密教徒や修験者が行う荼枳尼天法、巫者や行者がキツネを使って行う託宣に示されており、これらの信仰を背景として狐憑きの習俗が成立したものと見られている。

 

<憑依>

憑依(ひょうい)とは、霊などが乗り移ること。憑(つ)くこと。憑霊、神降ろし・神懸り・神宿り・憑き物ともいう。とりつく霊の種類によっては、悪魔憑き、狐憑きなどと呼ぶ場合もある。

 

「憑依」という表現は、ドイツ語の Besessenheit や英語の (spirit) possession などの学術語を翻訳するために、昭和ごろから、特に第二次世界大戦後から用いられるようになった、と池上良正によって推定されている(#訳語の歴史を参照)。ファース(Firth, R)によれば、「(シャーマニズムにおける)憑依(憑霊)はトランスの一形態であり、通常ある人物に外在する霊がかれの行動を支配している証拠」と位置づけられる。脱魂(英: ecstassy もしくは soul loss)や憑依(英: possession)はトランス状態における接触・交通の型である。

 

宗教学では「つきもの」を「ある種の霊力が憑依して人間の精神状態や運命に劇的な影響を与えるという信念」とする。

 

(日本語における憑依の別名)

神宿り - 和御魂の状態の神霊が宿っている時に使われる。

 

神降ろし - 神を宿すための儀式をさす場合が多い。「神降ろしを行って神を宿した」などと使われる。降ろす神によって、夷下ろし、稲荷下ろしと称される。

 

神懸り - 主に「人」に対し、和御魂の状態の神霊が宿った時に使われる。

 

憑き物 - 人や動物や器物(道具)に、荒御魂の状態の神霊や、位の低い神である妖怪や九十九神や貧乏神や疫病神が宿った時や、悪霊といわれる怨霊や生霊がこれらのものに宿った時など、相対的に良くない状態の神霊の憑依をさす。

 

ヨリマシ -尸童と書かれる。祭礼に関する語で、稚児など神霊を降ろし託宣を垂れる資格のある少年少女がそう称された。尚柳田國男は『先祖の話』中で憑依に「ヨリマシ」のふりがなを当てている。

 

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