2016年5月4日水曜日

熊楠は、この熊野山中を歩きまわったおりに、不思議な体験をしています。しばしば霊魂が身体から抜け出す幽体離脱体験をしたり、昼夜を問わず死者の霊を目撃したりします。


 
 

 

『あの世はあった』  文豪たちは見た!ふるえた!

三浦正雄 矢原秀人   ホメオシス   2006/12/25

 

 

 

「日本にミナカタあり」と世界を驚かせた博物学・民俗学の巨星、南方熊楠

<――父母の霊に導かれて次々と新種を発見!――>

<ロンドンでネイチャー誌に論文を発表>

・明治の時代に「日本にミナカタあり」と世界を驚かせた熊楠の業績はあまりにも膨大で、「現在もその全容は解明されておりません」と財団法人南方熊楠記念館(和歌山県白浜町)が言うほど、その活動、研究範囲は広範囲にわたり、日本の生んだ博物学、植物学、民俗学の巨星というべきでありましょう。

 

南方熊楠は民俗学の祖として有名な柳田国男と並び称される存在でしたが南方がこれまで柳田に比べて低い評価しか与えられていなかった理由は、彼が自ら体験した霊的な現象を誰にも隠すことなく、当たり前のように人に伝えていた変人だったからだと言われています。

 

現に、熊楠は、この熊野山中を歩きまわったおりに、不思議な体験をしています。しばしば霊魂が身体から抜け出す幽体離脱体験をしたり、昼夜を問わず死者の霊を目撃したりします。

 

・熊楠の体験は、幽体離脱だけではありません。次に、幽霊を見た体験をご紹介しましょう。知人に出した手紙の最後につけ加えるような形で書いたものです。共通の知人の消息を終わりに伝えるという調子で、幽霊が会いに来たことを伝えたものです。その何気なさは熊楠にとっては、それが日常的なことに近いことを示しているようです。

 

<幽霊に教えられ貴重な発見>

・熊楠の友人知人に宛てた書簡には、あちらこちらに不思議体験が素直に書かれております。両親の幽霊に教えられて、多くの貴重な発見をしたことをありのままに書いた書簡もありますのでご紹介します。原文は古風で読みづらいので、意訳でお読みいただきたいと思います。

 

・(意訳)外国にいた時期も熊野にいた時も、亡くなった二人(父の生家のある日高郡中の北塩屋の高名の医師で豪家の羽山家の早世した優秀な美男の長男・次男=著者註)の事は片時も忘れたことはない。自分の亡くなった父母とこの二人の姿が昼も夜も自分の近くに見える。言葉は話さないけれど、以心伝心でいろいろなことを伝えてくれる。幽霊たちに言われた通りの所を訪ねてみると、たいてい言われた通りの珍しい物を発見する。

 

幽霊というのは、心理学にいえば、潜在意識の中にいるといわれます。そういうと、一見科学的な感じがしますが、では潜在意識とは何か、脳を解剖して調べてわかるというものでもありません。現代人は、一見科学的な言い方をされると、正しいことのように思い、そうでないと、疑わしく思うようです。けれども、どう表現してみても、事実は変わらないはずです。

 心理学者ユングは、潜在意識と神秘現象をともに認めていました。霊現象は、心の中の潜在意識の現象であると同時に、それが現実の現象でもあるのです。

 

<霊となった長姉が毎夜……>

・また、母の死去も、熊楠は、連絡を受ける前にすでに感知してしまっていた、とも書いています。

 ある朝、父の幽霊を目撃した際に、母も側にいるのを見ました。

 そののちに、故郷から母の訃報を知らせる手紙と葬式写真を受けとったという日記が遣されています。年を加えるにつれ、このような経験が増していくのでした。

「与父の膝前の衣を手でおし見るに抵抗力あり」と、ある夜まどろんでいる間に、現れた亡父の幽霊の着衣にふれてみたところ、はっきり圧力を感じたという体験も書き遺されているのです。

 

・また、熊楠の研究成果の整理を手伝い、その熊楠の最期も看取った長女の文枝は後にこう語っています。「友達が亡くなる時は、夜中に風が玉になってサーッと西の方に突き抜けて行くんですって。ええ。父が『あいつが死んだぞ』というと、きっと死の知らせが届きました」と。

 

・南方熊楠の霊体験は晩年ますます増えてきて、幼い頃に別れた長姉や乳母の幽霊も現れてきます。

 

・そういう思考法を持っている科学者である熊楠が、不思議体験をすんなりと受け入れ、彼の中で何の矛盾もなく科学の世界と神秘の世界が共存、共生しているのです。熊楠の実体験と彼の生き方を見ていると、この二つの世界は実は相反するものではないのかもしれません。

 

 

 

 

『現代世界と日蓮』  シリーズ日蓮5

上杉清文・末木文美士 編集  春秋社  2015/5/25

 

『修羅の科学者  宮沢賢治      斎藤文一』

 

 

<修羅とは何か>

・本稿に課せられた命題は、「科学者たる宮沢賢治を通して現代科学の諸問題を論じる」というものである。それにあたって筆者は、法華経を通して「極大(マクロ)」から「極小(ミクロ)」なるものへ、およびそれらの活動を論じたいと考えている。

 

<銀河系に散らばって>

・賢治には銀河系や星の話がじつに多い。これはまさに驚くべきほどである。異常な、というべきか、それこそ賢治らしいというべきか。

 たとえば、白鳥座、マゼラン星雲、暗黒星雲、みなみ十字座、さそり座、北極星などがあり、さらに何よりも「銀河鉄道の夜」があって、そこでは地質学者が地層(銀層というべきか!)を掘ったり、星の世界へ信号をおくって鳥を探る人がいたりする。

 そこで気のつくことは、星の世界のルールと人間の世界のルールとが同列に置かれ、さらにそのあいだで相互に「交流」していることである。これは独創的なことといってよい。

 私は、これを、かのゲーテにもつながると考えている。これを例えば「コスミック・ユニファイの原則」とでも名づけたい。ゲーテという人は生きた天然自然に直面したとき、大から小までさまざまな分野のものが構造的に同一なものであることにたいして深い感動を覚えたという。そして、崇高なる自然の全貌を一つに心霊のひたむきな活動が予感したものである、と書いた。人間が自然を理解したいと渇望するとき、いっぽうの天然自然のほうもそれにこたえて理解されることをもとめるのではあるまいか。

 

・このようなことを、賢治に即して表現するとすれば、そこで登場するのが「コスミック・ユニファイ」である。

 

それは、

 

1) 宇宙は2つの部分からなり、極大のマクロ界と極微のミクロ界である。

 

2) 両界は開かれており(境界が閉じられておらず、外部と接続し、たえずエネルギー、物体のやりとりがおこなわれること、進化をつづける。さらにそれは散逸的(エネルギーが外部にむかって散逸する) な構造ゆらぎによって、自己創出(自己の固有な秩序のなかに異質な系が創出されて、新しい秩序を生む)を生み出す。

 

3) このように宇宙は無数のレベルがあって分化し、ダイナミックな自己組織をつくっているように見えるが、両界とも相手をもとめあって統一世界をめざしている――というのである。

 

 

 

『霊性の宇宙――宮沢賢治    安藤礼二』

 

 

 

<透明な幽霊の複合体>

・宮沢賢治は、決して長くはないその生涯のうちで、ただ2冊の書物だけしか世に問うことができなかった。『春と修羅』という一冊の詩集と、『注文の多い料理店』という1冊の童話集である。ともに大正131924)年、4月と11月に刊行されている。

 詩集ではなく『心象スケッチ』と称された『春と修羅』の「序」は、こうはじまっている――。

 

わたくしといふ現象は

仮定された有機交流電燈の

ひとつの青い照明です

(あらゆる透明な幽霊の複合体)

 

・賢治は、表現する「わたくし」を「あらゆる透明な幽霊の複合体」と考えていた。「心象スケッチ」とは、このような「透明な幽霊の複合体」として存在する「わたくし」から生み出されたものなのだ。それが『春と修羅』のみならず賢治の思想の出発点となっている。なぜ、「わたくし」は複合体として、しかも、「幽霊」の複合体として存在しなければならなかったのか。おそらく、そこには一つの重要な源泉が隠されていたのだ。

 

・現在のところ最も新しく、また最も網羅的に、賢治作品にあらわれる語彙の源泉を探った原子朗の『定本宮澤賢治語彙辞典』(筑摩書房)によれば、「わたくし」を「あらゆる透明な幽霊の複合体と定義したとき、賢治の頭のなかにあったのは小泉八雲ことラフカディオ・ハーンのエッセイ「塵」であった可能性が高いという。ハーンはこの短いエッセイのなかに「霊魂(幽霊)の億兆の複合体」という記述を残している。「幽霊」、あるいは「霊魂」の複合体として成立する「わたくし」というヴィジョンは「塵」という一つのエッセイを超えて、ハーンの大乗仏教理解の根幹をなす。しかも、ハーンが理解する大乗仏教は、当時最先端の科学であった進化論と切り離すことができないものであった。

 

「あらゆる透明な幽霊の複合体」として存在する「わたくし」というヴィジョンが、賢治の思想のみならず、ハーンの思想にとってもきわめて重要な位置を占めているとはじめて明確に述べてくれたのは、後の独創的な哲学体系を築き上げる西田幾多郎であった。西田は、第四高等中学校の教師時代の同僚であり、ハーンの教え子でもあった田部隆次が著した『小泉八雲』に「序」を寄せる。西田は、『善の研究』を書き上げる直前に田部にともなわれてハーンの東京の遺宅を訪れてさえいた。その際、二人に同行したのが、10年以上にも及ぶアメリカ滞在を引き上げ、日本に帰国したばかりの高等中学校以来の西田の盟友、鈴木大拙であった。鈴木大拙と西田幾多郎、そしてラフカディオ・ハーン。この邂逅もまた偶然である。しかし、そこには間違いなく近代という時代だけが可能にした必然がある。

 

・決して長くはなく、また、ハーンの文学的な営為を無条件で評価しているわけでもないが、西田が「序」のなかで的確にまとめたハーン思想の核心は、西田哲学の起源のみならず、賢治文学の起源の姿も明らかにしてくれる。西田は、こう記していた――。

 

 ヘルン氏は万象の背後に心霊の活動を見るといふ様な一種深い神秘思想を抱いた文学者であった、かれは我々の単純なる感覚や感情の奥に過去幾千年来の生の脈搏を感じたのみならず、肉体的表現の一々の上にも祖先以来幾世の霊の活動を見た。氏に従へば我々の人格は我々一代のものでなく、祖先以来幾代かの人格の複合体である、我々の肉の底には祖先以来の生命の流が波立って居る、我々の肉体は無限の過去から現在に連なるはてしなき心霊の柱のこなたの一端にすぎない、この肉体は無限なる心霊の群衆の物質的標徴である。

 

<光炎菩薩とヘツケル博士>

・宮沢賢治の『春と修羅』には無数の固有名詞が記されている。それらの固有名は現実に存在するものもあり、フィクションとして創り上げられたものもある。なかでも二つの固有名が、賢治の作品世界の独創性、賢治の思想の特異性を浮かび上がらせてくれる。一つは「小岩井農場」のパート4に登場する「光炎菩薩」、もう一つは「オホーツク挽歌」の冒頭に据えられた「青森挽歌」に登場する「ヘツケル博士」である。

 

 原子朗の『語彙辞典』にもとづいて、それぞれの固有名の成り立ちを明らかにすれば、以下の通りである。まず「光炎菩薩」については、「華厳経世間浄眼品第一に出てくる浄慧光炎自在王菩薩あたりが発想源か」と書かれ、太陽の仏たる毘盧遮那仏の「像を表している」としている。つまり、仏教的な語彙を換骨奪胎した賢治のフィクションだというのだ。もう一方の「ヘツケル博士」は実在する人物である。

 

・「小岩井農場」の文脈では天人であり獣である「ひかり」のこどもたちのイメージを集約するようなかたちでテクストに召喚されており、しかも「イーハトーボ農学校の春」を参照すれば、おそらくは理想の労働、理想の共同作業の「歌」とともに出現する何ものかである。

 

「小岩井農場」はこの後、パート56はそのタイトルのみが記され、従前からの心象スケッチに戻ったパート7を経て、最終部であるパート9へと続く。「小岩井農場」を締め括るパート9はパート4と密接な関係をもっており、「ひかり」のこどもたちに「ユリア」と「ペンペル」という名前が与えられる。「小岩井農場」の先駆形を参照すれば、ユリアとペンペルは中央アジアにその面影を残した光の天人であることが分かる。それとともに、その名前自体から、太古からの時間経過そのものを体現する存在であったことも、また。ユリアは太古の恐竜たちが生きていた侏羅紀(ジュラ紀)を象徴し、ペンペルは二畳紀(ペルム紀)を象徴しているとされる。古生代の最後である二畳紀を経て中生代の三畳紀、ジュラ紀、白亜紀に至るまで「億兆」という年月を経て現代にまで伝わる生命の証し、それがユリアであり、ペンペルであり、「ひかり」のこどもたちであった。

 

・登張は、この一節の注釈の冒頭でも、日蓮を引き合いに出す。光炎菩薩はツァラトゥストラであるとともに日蓮でもあった。登張は、超人への道を、まさに人間的な条件を超えて仏(如来)となることであると説く。超人を「仏」と等しいものとしたのは、自分独自の解釈によるのだ。登張はそう強調している。賢治もまた、友人への書簡のなかで、自分たちが実現を目指す文学を「如来の表現」と定義していた。賢治にとっても、登張=ニーチェにとっても、人間とは、如来になる可能性を蔵した、如来のための土台となる生命体だった。

 

 

 

 『宮澤賢治とでくのぼうの生き方』

(話 桑原啓善)(でくのぼう書房)  1995/9

 

 

 

<宮澤賢治の4次元宇宙>

・「<宮澤賢治の作品の素晴らしさ>なぜ宮澤賢治の詩だとか童話が素晴らしいのかと申しますと、その秘密は、賢治は、物質世界だけでなくて、彼に言わせると『第4次元世界』、わたしたちから言うと『死後の世界』を見る霊能力を持っていたこと、これは私の見方なんですよ。

 

・であるので、彼は私たちの目には見えない高次元の、はっきり言うと高いあの世の風景だとか、あるいは、そこにある原理とかを見ることが、とらえることができまして、それを詩や童話の中に映し出すことができた。それから大事なことは、ただ向こうの風景を映し出しているだけじゃなくて、その中にある原理、原理といいますと、実はあの世もこの世も実際は一つにつながった世界でございましてね。賢治のような、そういう能力のある方は、他界の姿、4次元の姿を見ることによって、そこに流れている宇宙の法則、人生を動かしている法則、そういうものを見て取ることができた。

 

・要するに賢治が『銀河鉄道の夜』で見たものは、宇宙の根本的な真理である。それは何かと言いますと、仏教的な表現で言いますと「色即是空、空即是色」である。空というのは宇宙の中にある根本原理ですね。それは目には見えないんですけれども、それはまた形をとることもできる。物質であるものの原理は、源は空であるというのです」。

 

 

 

『あの世はあった』  文豪たちは見た!ふるえた!

三浦正雄 矢原秀人   ホメオシス   2006/12/25

 

 

 

<宮沢賢治、山中で平安時代の僧侶に遭遇――聖者は時空をこえる――>

<霊媒体質の賢治に見えたもの>

・宮沢賢治といえば、「永訣の朝」「雨ニモマケズ」「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」「セロひきのゴーシュ」「注文の多い料理店」など数々の名作を残し、詩人・童話作家として現在ではあまりにも有名になりました。賢治の故郷岩手県花巻には、未だに賢治を慕って訪ねてくる老若男女が毎年30万人もいるとか、賢治人気は衰えません。しかし、その宮澤賢治は生前、ほとんど無名の教師・農業技術者でした。

 

・宮澤賢治は、なぜこれほどまでに人気があるのでしょうか?賢治の人気の秘密は、二つあるように思います。一つは彼のひたむきで純粋な生き方がとても魅力的であるということ、もう一つは、「不思議」というキーワードがぴったりくるような彼の作品の特徴にあるのではないでしょうか。

 

賢治は、少年時代から霊媒体質とでもいうべき特異体質だったようで、少年時代に書かれた作品からすでにさまざまな超現実的な不思議な事物が登場しております。また、彼の不思議な作品に登場するさまざまな超現実的な現象はつくり事ではなく、実際に見聞したものだとしばしば語っています。

 生前たった2冊だけ刊行された作品のうちの1冊、童話集『注文の多い料理店』の「序」には、次のように記されています。

 

 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。

 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。

 

・宮澤賢治は、「どうしてもこんなことがあるようでしかたがない」どころか「どうしても見えてしまってしかたがない」ことに終生悩み続けた人でした。後述しますが、彼がこのような控えめな言い方をしたのは、旧家である宮沢家と地域社会のタブーのためのようです。

 生前に刊行されたもう一冊の作品は心象スケッチ『春と修羅』です。賢治は、「詩集」という言葉を使わず「心象スケッチ」とあえて主張しています。つまり心に見えたもの、聞こえたことをそのままスケッチしたものであって、いわゆる詩ではないというのです。

 

・ちなみにこの「心象」という言葉が、霊や超能力などをふくんだ「心の世界の全体像」を表すことは、後に触れます。

 

 つまり、賢治の作品に登場する神秘体験は、想像力によるフィクションではありません。生来の霊媒体質によって、実際に山野を散策するおりに見えた様々なものを作品中に描いているのです。山野の闇に棲息する魑魅魍魎の類から神仏のような高い存在まで、普通の人の肉眼には見えない様々な存在が、賢治の目には見えていたのです。それは異常心理とか想像力とか幻想とか幻覚とかでは片づけられないような切実でリアルなものだったのです。

 

<旧家と地域社会のタブーの中で>

・こうした不思議な世界について、賢治は、先に紹介したように生前に刊行された2冊のうちの1冊心象スケッチ『春と修羅』の「序」で、

 

 ただたしかに記録されたこれらのけしきは

 記録されたそのとおりのこのけしきで

このように述べておりました。

 

ひかえめな表現ではありますが、旧家の出で厳格な知識人の父親をもつ賢治にとって、自分の著書の序としては、これが精一杯の書き方だったのでしょう。そう、賢治は、不思議な世界がどうしても見えてしまってしかたがない人だったのです。

 

・詩人桑原啓善は、宮澤賢治の弟清六を訪ねて、興味深い言葉を聞いたと言います。「賢治が死後どんどん有名になったのは、また、賢治のことを書く人達が、それぞれ良い仕事をして著名になるのは、『賢治があちらで一生懸命努力しているから』と、繰り返し述べた」というのです。このことから、賢治同様に清六が異空間のことがわかると考えた桑原が、「『鬼神』のことに話題を向け」てみると、「途端に、清六氏の顔がひきつり、『それはタブーですから』と語ろうとしなかった。」と、その著書(『宮澤賢治の霊の世界』)の中で語っています。

 

 賢治が不思議な世界を見たままに描きながら、ワンクッション置いてまるで創作のようによそおっているのは、どうやら厳格な父親や地方社会のタブーなどへの気がねに原因がありそうです。

 

 

 

・先天的な霊媒体質に加えて、こうした山伏修行のようなことを行って霊感を高めた賢治の目には山野の間に棲息する魑魅魍魎の類から、神仏や昔の聖者まで、さまざまな肉眼では見えないものが見えていました。

賢治は、若い頃よりこの特殊能力に向き合い、悩み葛藤しています。『春と修羅』の中のいくつかの作品、例えば詩「小岩井農場」の中には、はっきりとこの葛藤ぶりが描かれています。どうしても見えてしまう天人の子どもの存在に深刻に悩んでいるのです。

 

・こうした宮澤賢治の神秘体験の中で特に鮮烈なものは、「河原坊」という詩(心象スケッチ)に描かれた一場面でしょう。

例によって、山野を踏み歩いていた賢治は、山奥で不思議な体験をするのです。野宿しようとして、金しばりのような状態になり、かつて何百年か前に、ここの河原にあった坊に住んでいたとおぼしき若い僧侶たちの姿を見るのです。

 

<何百年も前の若い坊さんたちに出会う>

<賢治が出会ったさまざまな怪異>

・森荘巳池は、この解説の中で、賢治と会って賢治から直接聞いた言葉を回想して記しています。

 

――早池峰山へ登った時でしたがねえ、あすこの麓に大きな大理石がごろごろ転がっているところがありましてねえ、その谷間は一寸した平地になっているのですがそこの近所に眠ってしまったんですよ。お月さまもあって静かでよい晩でしたね、うつらうつらしていましたらねえ、山の上の方から、谷あいをまるで疾風のように、黒いころもの坊さんが駆け降りて来るんですよ、念仏をとなえながら、またたく内に私の前を通り過ぎ、二人とも若いその坊さん達は、はだしでどしどし駆けて行ったんです。不思議なこともあるもんだとぼんやり私は見送っていましたがね。念仏はだんだん細く微かに、やがて聞えなくなったんですよ。後で調べたら、あすこは昔大きなお寺があったところらしいんですね、河原の坊といわれるところでしたよ。土台の石なんかもあるという話でしたよ。何百年か前の話でしょうねえ、天台か真言か古い時代の仏跡でしたでしょうねえ。        森荘巳池『宮澤賢治の肖像』   

 

<訪れてくる亡くなった妹トシ>

・このように「河原坊」での体験にとどまらず賢治の不思議な体験の証言が残されています。

 

 最愛の妹であり、唯一の理解者であった妹トシは、死後、賢治の前に何度も現れますが、このことについても、親友の佐藤隆房が聞き書きしています。次の言葉は、賢治が、農学校の生徒の照井謹二郎に語ったというものです。

 

「僕は妹のとし子が亡くなってから、いつも妹を思ってやすむ前には必ず読経し、ずっと仏壇のそばに寝起しているのだが、この間いつものように一心に御経を読んでからやすむと、枕辺にとし子の姿がありありと現れたので、すぐ起きてまた御経を上げていると見えなくなった。次の晩もやはり姿が見え、二晩だけであとは見えなかった。人間というものは人によるかもしれないが、死んでからまた別の姿になってどこかに生を受けるものらしい。」

 

・このように宮澤賢治は、霊界や異界を見る特異な霊媒体質の持ち主であったからこそ、死後、賢治の詩や童話がこれほど(教科書に載る、映画やアニメになる、世界各国に翻訳される、など)高く評価され、またその真摯で献身的な生き方に多くの人々が共感し、今だに賢治の史跡をたずねて故郷の花巻を訪ねてくる老若男女は、あとをたたないのではないでしょうか。その生涯もまた、何度も演劇化・映画化されています。

 

<宮澤賢治をもっと知りたい人のために>

・この病床の中でも、農民たちの肥料相談を受けるなど無理をして、若くしてその生涯を閉じることになります。このように宮澤賢治の生涯は、無償の他者への奉仕――今で言うところのボランティア精神にあふれたものでした。

 

・ところで本書のテーマは、あくまで霊魂や死後の世界が本当にあるのだろうか………というものです。そのため、そうした体験をした著名人の文献や行動をつぶさに調べてまとめているうちに、いつの間にか人類への愛とか、他者への思いやりにあふれた人物紹介になっていることに気づきました。

 

 宮澤賢治にかぎらず、新渡戸稲造もそうですが、あの世や霊魂の存在を感じとられる人ほど、心やさしく他人に対して思いやりが深くなる傾向があるのかも知れません。

 

 

 

『『遠野物語』を読み解く』

 石井正己  平凡社     2009/5/16

 

 

 

<天狗伝説と寺や家の宝物の関係>

・維新当時、赤い衣を着た僧侶が二人、大きな風船に乗って六角牛山の空を南に飛び過ぎるのを見た者があったということを、佐々木は祖父から聞いています(拾遺235話)。「大きな風船」が気球であるならば、これは気球が遠野の上空を飛んだ話ということになります。実際に気球が飛んだ事実があったのかどうかは確かめられませんが、大きな風船の飛んだ話もあれば、飛行機の飛んだ話もあるというのは、着実に遠野の上空に近代文明が入り込んでいたことを表します。

 

・そもそも遠野で上空を飛ぶものと言えば、まず思い起こされるのは天狗でした。天狗は山に住む妖怪で、自在にあちらこちらを移動しました。早池峰山の前面に立つ前薬師には天狗が住むと言いますが、土淵村山口のハネトという家の主人はこの前薬師に登って、三人の大男に出会い、麓まで送ってもらったという話があります(29話)。

 

・「遠野物語拾遺」にも、天狗の話が二話あります。一日市の万吉米屋の主人が稗貫郡の鉛温泉に湯治に行って天狗と懇意になり、天狗は最後に来た時、「天狗の衣」を残して行ったそうです(拾遺98話)。もう一説は次のようになります。

 

99 遠野の町の某といふ家には、天狗の衣といふ物を伝へて居る。袖の小さな襦袢のやうなもので、品は薄くさらさらとして寒冷紗(かんれいしゃ)に似て要る。袖には十六弁の菊の綾を織り、胴には瓢箪形の中に同じく菊の紋がある。色は青色であった。昔此家の主人と懇意にして居た清六天狗といふ者の着用であったといふ。清六天狗は伝ふる所に依れば、花巻あたりの人であったさうで、おれは物の王だと常に謂って居た。早池峰山などに登るにも、いつでも人の後から行って、頂上に著いて見ると知らぬ間に既に先へ来て居る。さうしてお前たちは如何して斯んなに遅かったかと言って笑ったさうである。酒が好きで常に小さな瓢箪を持ちあるき、それに幾らでも酒を量り入れて少しも溢れなかった。酒代にはよく錆びた小銭を以て払って居たといふ。此家には又天狗の衣の他に、下駄を貰って宝物として居た。右の清六天狗の末孫といふ者が、今も花巻の近村に住んで、人は之を天狗の家と呼んで居る。此家の娘が近い頃女郎になって、遠野の某屋に住み込んで居たことがある。此女は夜分如何に厳重に戸締りをして置いても、何所からか出て行って街をあるきまはり、又は人の家の林檎園に入って、果物を取って食べるのを楽しみにして居たが、今は一ノ関の方へ行って住んで居るといふ話である。

 

・先の万吉米屋の子孫は、実際、天狗の持っていた「衣」「下駄」「網袋」「弓矢」「掛軸」「湯呑茶碗」を保管してきましたが、今は遠野市立博物館に寄贈されています。

 

・遠野南部家は八戸から移封されてきましたが、その後も無関係ではなかったはずです。藩主と寺院、民衆との間には何の関係もなさそうですが、天狗を置いてみることで、隠れたネットワークが見えてくるように思われます。

 

 

 

『コレモ日本語アルカ?』    異人のことばが生まれるとき

金水敏     岩波書店   2014/9/11

 

 

 

<宮澤賢治の「山男の四月」>

・宮澤賢治の童話「山男の四月」は、有名な童話集『注文の多い料理店』(1924年刊)に収められている。「どんぐりと山猫」「注文の多い料理店」「鹿踊りのはじまり」等、よく知られた作品がいくつも収められているなかで、「山男の四月」は今日、他の作品に比べてかなり知名度が低い。

 

・「山男の四月」の粗筋を振り返っておこう(「青空文庫」などインターネットで全文読むことができる。短い童話なので、ぜひご一読いただきたい)。

 

兎をねらって歩いていた「山男」だったが、兎はとれないで山鳥がとれた。日あたりのいい南向きのかれ芝の上に寝ころび、仰向けになって碧い空やふわふわうるんだ雲を見ていると、「なんだかむやみに足とあたまが軽くなつて、逆さまに空気のなかにうかぶやうな、へんな気もちに」なった。そして「雲助のやうに、風にながされるのか、ひとりでに飛ぶのか、どこといふあてもなく、ふらふらあるいて」七つ森までやってきた。まもなく町へ行くが、町へ入っていくとすれば、化けないとなぐり殺されるので、木樵のかたちに化けた。町の入り口にある、いつもの魚屋の前で章魚の立派さに感心していると「大きな荷物をしよつた、汚ない浅黄服の支那人」が支那反物か六神丸を買わないかと声をかけてきた。山男は「どうもその支那人のぐちやぐちやした赤い眼が、とかげのやうでへんに怖くて」しかたがない。買う買うと言うと支那人は見るだけでもいいと言い、さらに赤い薬瓶のようなものと小指くらいのガラスのコップを取り出して、薬をのめと言い、自分もかぷっと呑んだ。山男は支那人の指も細くて爪も尖っていてこわいと思ったが、薬をのんでしまった。すると自分の体が六神丸になって、行李の中にしまわれてしまった。行李の中には、先に六神丸にされた別の男もいて、話を始めた。支那人が静かにするように言うと、山男は逆に人前で「どなつてやる」と脅かした。支那人はそれは困ると泣き出した。山男はかわいそうになって、町に入っても声をださないようにすると約束した。別の六神丸にされた男は上海から来たと言い、外の支那人は「陳」という名前であることを教えた。また、そばにある丸薬を呑めば体も元通りになることを教えた。山男は、陳がひとりの子供にまた薬を飲ませて六神丸にしようとしているのに気づき、丸薬を呑んで元の大きさに戻った。陳はびっくりして水薬をのまずに丸薬だけ呑むと、背がめきめき高くなって、山男につかみかかろうとした。山男は足がからまわりし、とうとう陳に捕まれられようとしたとき、夢から覚めた。すべては春の日の夢の中の話だった。

 

 まず、この童話の主人公である、金色の目、赤い顔、赤い髪の毛をした山男とは何者か。山男は、この童話以外にも「祭りの晩」、「紫紺染について」など賢治の他の作品に登場し、また柳田国男の『遠野物語』(1910)でも幾度か触れられているように、東北地方の民間伝承につたえられる、人のようで人でない、妖怪のようなものである。『遠野物語』の山男が概して恐ろしい存在として語られているのに対し、「山男の四月」の山男は、にしね山で兎狩りをするが、兎はとれず山鳥がとれてしまい、でもそのことにすぐ満足してしまうようなのんびりした性格を持ち、町の人を恐れて木こりに化けるという小心なところがあり、また自分をだました「支那人」にさえすぐ同情してしまうような素朴な心を持った好ましい人格として造形されている。宮澤賢治自身の自我が投影されているところもあるのだろう。

 

 

 

『図解雑学 日本の妖怪』

小松和彦    ナツメ社   2009/7/17

 

 

 

 

<山奥に潜む異世界 隠れ里と神隠し>

・隠れ里、神隠しは、この世ではない「異界」にまつわる概念である。

 

<山奥や風穴の向こう側にある異界>

・隠れ里は、山奥や塚穴の奥深くなどにあるという理想郷であり、迷い家とも呼ばれる。隠れ里に迷い込んだ者は、美しい景色や美味しい食物を堪能できるが、一度そこを去ると二度と戻れない。しかし、隠れ里で得た椀を持ち帰ると、穀物が湧き出て尽きることがなく、豊かな生活を送れるという。

 風穴や竜宮淵といった場所を通して椀を借りる伝承(椀貸伝説)も、直接隠れ里には迷い込まないものの、風穴等の向こう側に異界の存在を想定していることは明らかである。

 

<隠れ里と神隠しの共通点>

・突然の失踪者があって理由もわからない場合、それはときに「神隠し」と呼ばれた。神隠しには、本人が戻ってくる場合と戻ってこない場合がある。本人が戻ってきた場合にも、失踪中のことを忘却していたり、一部しか覚えていなかったりすることがほとんどである。神隠しに遭う者の多くが子どもである点も、注目すべき点である。神隠しによる失踪期間中は山中の異界を彷徨っていたと考えられており、その原因として最も多く語られたのが、天狗による誘拐であった。心神喪失状態での発見や、場合によっては死体での発見もあることから、神隠しは人々に恐れられる現象であった。

 

・隠れ里と神隠しには、異郷訪問譚という共通点がある。隠れ里における異界がプラスのイメージをもっているのに対し、神隠しにおける異界は、死に関わるマイナスのイメージを負っているといえよう。しかし一方で、神隠しを通しての異界への訪問は、子どもたちにとって多少のあこがれを伴うものであった。

 

<山男・山姥(やまんば) 「山人」と柳田國男>

・山男や山姥を「山人」と称した柳田國男。その実在を強調する論を手放したとき、その関心は「山そのもの」へと向かっていった。

 

<山男・山姥とは?>

・「山人」と書いてまず思いだされるのは柳田國男の『遠野物語』である。遠野出身の佐々木喜善という青年の話をもとにして、1910(明治43)年に成ったこの著作は、「国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」という印象的な序文から始まる。事実、『遠野物語』には「山人」と「平地人」とが交流する話が数多く収められている。

 

・柳田にとって「山」とは中世、さらには古代の習俗がいまだに息づく空間であった。そして彼は「山人」と「平地人」に「山民」を加え、平地人は日本人の祖先とされる渡来人で、平地に定住し稲作を生業とする人々、山人は渡来人に敗れ山へ逐われた先住異民族の子孫であり、山中を漂泊している者、山民は山人を逐って山に入ったのち定住し、狩猟や焼畑を生業として生活する子孫であるとする。

 

・さらに、柳田は明治後期から大正期の山に関する論考の中で、山男・山女・山童・山姫・山丈・山姥の総称として「山人」の語を用いているが、自らの生きる現在にも山人は実在しているという考えのもとで論を展開している。しかし、この実在証明への熱気は、積極的に資料を提供してくれていた南方熊楠からの批判によって収束していく。南方は山への信仰や伝承に関心をもってはいたが、山人の実在は信じていなかった。

 

<山姥の正体とは?>

・数々の昔話に登場する山姥。その正体は人を食べる鬼女なのか、それとも豊穣の山神なのか。

 

<山に住む女性、山姥の正体>

・山姥は山母、山姫、山女郎などと呼ばれる山に住む女性である。私たちが想像する姿は、大きな口に目を爛々と輝かせ、長い髪を振り乱した老婆ではないだろうか。実際に各地で伝承された目撃談として語られたりする姿は老婆であったり美しい女性であったりする。

 昔話には山姥が登場するものが多いが、そこでは、自分のところに迷い込んできた者をとって食べようとする鬼女の姿をみせる反面、自分を手助けした者には財産を与えるといった、豊穣をもたらす山の神の姿もみせている。

 

・山姥について柳田國男は、山の神への信仰と自ら山に入った女性たちが実際にいたことにその実在性を見出した。折口信夫は、自身の「まれびと」論につなげて、決まった時季に神の祝福をもって里を訪れる山の神の巫女の姿を見出した。そして、それらを受けて従来の民俗学では、山の神が零落して妖怪化したものが山姥であるとみなしてきた。しかし、たとえば新潟県糸魚川市上路では、山姥は都から旅をしてきた高貴な女性で自分たちの祖先に幸いをもたらした実在の人物であるとして、親しみを込めて「山姥さん」と呼び祀っているなど、山姥には多様な伝承があり、その伝承を伝える人々にもさまざまな認識や意味づけがある。

 

<山姥と金太郎>

・金太郎の母親としての山姥。山中で生活する山姥だが、まったくの独り身だったわけではない。山姥の息子として有名なのが金太郎、つまり坂田金時である。

 中世後期から山姥は文芸作品に登場するが、たとえば世阿弥作の謡曲『山姥』では、越中越後境の山中で旅人を待ち受ける嫗として描かれている。そしてその後、近世初期に「金時は山姥の子である」という文言が登場し、『前太平記』には嫗姿の山姥が、自分が夢中で赤竜と通じて生まれたのが金太郎であると説明する件が入る。そもそも坂田金時は源頼光の四天王の一人として大江山の鬼・酒呑童子を退治するなど、武勇で名を馳せた伝説の人物である。英雄と異常出生と特殊な生い立ちを語る際に、母に選ばれたのが山姥だったのである。

 

 




■■■ 私が思うこと、聞いたこと、考えること ■■■

・幽霊体験は、文豪ばかりでなく、多くの大衆も経験していることかも知れません。本書の様な、有名人の体験は、本などにも載って読者の注目を集めます。「霊界ははるか遠いところにあるのではなく地上1メートルのところにある」そうです。それで、誰でも霊的な幽霊経験をするのかもしれません。そして幽霊現象は異次元の宇宙人現象ともいえるといわれます。人間の死後の世界、「あの世」、幽界や霊界、宇宙人のアストラル界やエーテル界も似ている世界といわれます。「アストラル界にもアストラルの惑星がたくさんあり、アストラル界またはアストラル次元と呼ばれる世界を構成している」そうです。「アストラル界はとても巨大です。ここに存在する全ての世界からおよそ600億人の人間タイプの生物が集まっている」といわれます。人々がアストラル界で過ごす期間は、数週間から何百年にもわたるといわれます。

 

・「アストラル界下層にいる霊たちの多くは、地球上の種々の問題を引き起こす原因となります。彼らはテレパシーで地球上の人間と交信する」といわれます。アストラル界の住人が地上にも出てくることは秘密結社の最高機密だそうです。南方熊楠は柳田国男と並ぶほどの学者ともいわれています。が、幽霊体験などを赤裸々に語るために、学界から敬遠されたともいわれます。南方熊楠は「昼夜を問わず死者の霊を目撃」できたようで、非常に特異な経験の能力を持っていたようです。

「あの世」の動きが時間を経て「この世」に起こってくるともいわれます。「あの世」も私たち一般人には、訳の分からない奇説だそうです。「あの世」も「この世」もパラレル・ユニバース(並行宇宙)のようなものだそうです。南方熊楠は「霊媒体質」でアストラル視力も発達していたのかもしれません。自ら幽体離脱したり幽霊も当たり前のように見えたといわれます。

 

・私たち一般人は、宮澤賢治の文学的な評価は詳しく知りませんが、「4次元的な作家」だったといわれます。また日蓮の法華経の熱心な信者であったともいわれます。宮澤賢治は霊媒体質の人だったそうです。霊媒体質の人は、異次元世界、異界・霊界・幽界が見えることもあるようです。普通の人でも夢の中で異次元体験をすることがあります。明晰夢はリアルに感じます。宮澤賢治はアストラル界の住人が見えることもあったようです。「アストラル界にもアストラルの惑星がたくさんあり、アストラル界またはアストラル次元と呼ばれる世界を構成している」そうです。

 

・「人々がアストラル界で過ごす期間は、数週間から何百年にもわたる」ともいわれます。コンタクティ(宇宙人から伝達接触されたという人)やチャネラー(霊的交流者)も霊媒体質の人が多いのかもしれません。UFOにしても幽霊にしても見た人と見ない人の格差は大きいそうです。「あの世」はエーテル界のことを指しているのでしょう。アインシュタインの物理学は古くなり、現代の量子力学が「あの世」の実体に迫ろうとしています。

 

・宮澤賢治は死後に有名になった人のようです。現代でも賢治人気は衰えていないそうです。宮澤賢治の不思議な話は「作り話」というよりも、霊媒体質の人がワンクッションを置いて表現したそうです。人間の死後世界の幽界や霊界から幽霊が来ると信じられています。幽霊現象は世界中にあり、現代では、カメラや動画にもその陰が撮られたりすることもあるようです。幽霊現象は、心霊現象として見られています。「進化した宇宙人は人間の肉体や精神体に憑依するので誰にも分からない」そうです。「はるかに進化した宇宙人が人間の精神体に侵入してくる時代だ」そうです。

 

・また、「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだ」ともいわれます。幽霊現象は一種の宇宙人現象として理解することも可能のようです。進化した宇宙人は、幽霊のように、幽体離脱して消えたり現れたりすることができるようです。神々も人間の精神体に憑依したり、幽霊の形態で、この世に関与するのかもしれません。「あのグレイも壁を透き通るようにして部屋に侵入してくる」そうです。幽体の宇宙人は天使のように見えません。

 

・人間の死後の世界、幽界や霊界、宇宙人のアストラル界やエーテル界も似ている世界ですが、私たち一般人は、当然認識できません。「見えない霊界は地上1メートルのところにある」という話もあるようです。米国人の死後世界、サマーランド(常夏の国)やブルーアイランドから「この世」にさまざまな影響があるそうです。「あの世」の動きが時間を経て「この世」に起こってくるともいわれます。「あの世」も私たち一般人には、訳の分からない奇説だそうです。

 

・宮澤賢治が生まれた明治29年には、明治三陸大津波が起きており、死んだ昭和8年には昭和三陸地震津波が起きています。故郷の花巻には直接影響がなかったようですが、三陸地方では大変な時代だったようです。早池峰山の異人や天狗、ザシキワラシ(座敷童子)、河童の伝承など東北地方も不思議な話が多いようです。

 

・市井の人になった天狗とのコンタクト・ストーリーもあったようです。天狗は異次元移動ができたようです。「神々も市井の人となり普通の生活をしている」ともいわれ、その超能力が示されなければ、誰にも分からないようです。宇宙人と人間の区別ができなくなったようです。遠野物語の異人や天狗も異類混血などやさまざまな方法で、人間と変わらなくなったようです。赤い顔も代を重ねると薄くなるのでしょうか。異人のネットワークもあるのかもしれません。天狗もオリオン星人系列の異星人だった可能性もあります。

 

・「中世の我が国民に大きな影響を及ぼした勝道、空海、親鸞、日蓮らの御聖人方が、金星人、すなわち明星天子と会っているという事実がある」といわれます。「往古、かの尊い釈尊が、明星天子にあったという事実、また、イエス・キリストと金星との関わり、その記録が歴然と存在している」そうです。「キリストの転生歴を持つ金星のマスター(長老)、サナンダと宇宙母船上で会見したという日本人がいた」という話もあるようです。そして、サナンダは神智学ではサナト・クマーラより上位の存在として「沈黙の監視者」と呼ばれています。どうやら、金星人が、さまざまな形態で、昔から日本の知識人や作家に影響を与えていたようです。現代でも葉巻型の宇宙母船を日本の高空で見たという人もいるそうです。

・アシュター(銀河連合の総司令官と呼ばれる存在)という存在がよく米国のスピリチュアルな本で言及されます。アシュター・コマンドというのは、現在、地球周辺の宇宙空間に滞空しているUFO艦隊の司令官アシュターならびに、主サナンダ・クマラという霊的な導きの下に存在する「光の偉大なる聖職者団」の空挺部隊だそうです。

 

・異人や天狗も異星人だったようで、アストラル界の住人だったのかもしれません。「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔」という話もあり、異人や天狗は邪悪なオリオン星人だったのかもしれません。そしてアストラル・トリップなどで自由自在に異次元を移動できるのかもしれません。米国が秘密協定を結んだのはラージノーズグレイというオリオン星人といわれています。堕天使ルシファーもオリオンからやって来たそうです。「大本教の出口王仁三郎は自分はオリオン星から来たと語っている」そうです。

 

・テレポート(瞬間移動)というのは人間には奇跡のような現象ですが、宇宙人にとって「それほど難しいテクノロジーではない」そうです。米国で宇宙人のアブダクション(誘拐)などで大きな問題となった小柄な宇宙人グレイは、「壁を透き通るようにして部屋に侵入してくる」ともいわれます。またアイゼンハワー大統領の前で、グレイが空中浮遊をしたとリークされています。あまりにもエイリアンのテクノロジーが凄まじかったので、国家安全保障上の最高機密(トップ・シークレット)の数段階上の厳秘(アバブ・トップシークレット)扱いにしたそうです。「大衆がパニックになる」ことを恐れたようです。特に宇宙人の人間タイプは、その正体が分からないようです。またハリウッド映画にもなったメン・イン・ブラック(黒衣の男たち)の超能力は凄まじく、オリオン星人ともいわれています。

 

『ペンタゴンの陰謀』(二見書房)という本によれば、米国はエイリアンの超テクノロジーを兵器などに応用しているようです。またロズウェルに墜落したUFOの事件は事実だったということです。アバブ・トップシークレットにして着々と国家の総力を挙げてエイリアンの超テクノロジーを導入研究している米国が1人勝ちになることでしょうか。またロシアやイスラエルなど世界的に異星人とのコンタクト・ストーリーがあるそうです。「エイリアン・テクノロジー・リバース・エンジニアリング(宇宙人科学技術工学)」の時代です。想像以上に進んでいるのかもしれません。エリア51で白鳥座61番星の異星人とコンタクトしていた日本人科学者もいたといわれます。「その彼らは地球から68光年離れた惑星クイントニアに住む宇宙人で母星から「エリア51」まで45分で移動できる」といわれます。

 

・こういった面にも日本的な対応がなされているそうです。「あなたはUFOや宇宙人を信じますか」という段階でしょうか。しかし、「日本はUFO後進国だ」ともいわれますが、日本でも宇宙人とのコンタクトの話もあるそうです。私たち一般人は、UFOや宇宙人について研究する時間はありませんが、UFOは人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象」だそうです。

 

・「異星人はとうに地球を訪れていて、地球人社会にまぎれ混み、密かに地球と我々の文明を監視調査し社会生活をしている」そうです。また「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」ともいわれます。「遥かに進化した高次元の高等知性体・異星人は、人間の肉体や精神体に憑依するので誰も識別できない」ようです。地球上にはかなり多くの宇宙人が「同化」して住んでいるそうです。「宇宙人と普通の人間を区別できなくなっている」時代だそうです。

 

・赤い顔をした「山男」の正体は不明のようです。岩手県の花巻市の童話作家、宮澤賢治については研究者も多いようです。amazonに「宮澤賢治」といれると2781件が分かります。現代でも人気のある作家のようです。『遠野物語』でも「山男」や「異人」は、怪奇な伝承がつきまといます。この宮沢賢治の「山男」はフィクションですが、実際にはどうも正体が分からないのです。「遠野郷の民家の子女にして、「異人」にさらわれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり。-遠野物語第三十一話」、「黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。-遠野物語第八話」ということで、「人さらい」や「神隠し」の犯人として、怖れられ憎まれたようなのです。「異人殺し」もあったようです。「山男」や「異人」と山里の人間の関わり合いはいろいろとあったようなのです。また昔は全国的に河童と人間との関わり合いもあったようなのです。

 

・「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔」という説があるそうです。そうすると「山男」や「異人」はオリオン星人かその末裔だったのかもしれません。現代の米国に現れたオリオン星人はいろいろと種類があるそうです。ハリウッド映画にもなった「MIB」「メン・イン・ブラック(黒衣の男たち)」は、オリオン星人であったともいわれています。オリオン星人もいろいろと種類があり、羽の生えたドラコ人とかグレイの長身タイプのリゲル人とか、邪悪なオリオン星人と言われるグループもあるそうです。エルダーとよばれる天使のような人間タイプのオリオン星人が小柄なグレイと共に飛来したそうです。その昔「オリオン大戦」というスター・ウォーズもあったそうです。またプレアデス星人も昔から東北地方に来ていたそうです。日本に最初に降り立ったのは、シリウス人で、彼らは東北地方の青森県を中心に、下北半島、津軽半島、十和田湖周辺から秋田県の一体に広まったようです。

 

・アメリカのダルシィの秘密基地やアメリカ政府と異星人の密約については過去において、色々と書籍で報告されてきたようです。「(標準的グレイ族)=身長1メートル20センチ前後。レティクル座ゼータ星出身。(長身グレイ族)=身長2メートル10センチ前後。オリオン座リゲル系出身。(ドラコ族)=レプティリアン(爬虫類人)で身長2メートル前後。肌の色は白くて有翼。オリオン座ドラコ星系出身。基地全体を統括する支配階級。(レプトイド族)=身長2メートル前後。恐竜から進化した地球の先住民らしい」とのこと。以上の異星人については、詳しい情報は分かりません。アメリカ政府は、ラージノーズグレイと呼ばれるオリオン星人と秘密協定を結んだといわれています。オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。

 

・オリオン星人は人類に5万年ほど進化していますが、人間タイプも多いらしいのですが、異類異形ということで、ひたすら情報は国家安全保障上の最高機密(トップ・シークレット)の数段階上の厳秘(アバブ・トップシークレット)扱いのようでした。これらの異類異形の異星人は、日本の過去の歴史におきましては、神としての眷属の龍神、鬼、羽のある烏天狗や式神など、ヒューマノイドではない異星人のようです。『遠野物語』の異人は人間タイプのオリオン星人だったのかもしれません。また米国にいるオリオン星人は「人間の魂の交換」もできるともいわれています。いわゆる『暗黒の勢力』のオリオン星人の一派なのかもしれませんが正確には分かりません。「奇妙なことに、オリオン人はかっては琴座からの移民である人間らしい存在だったが、その後レプティリアンに征服されてしまった」ともいわれます。「シリウス人はオリオン人と交戦していた。この敵対関係は今でも続いている」ようです。

 

・ところが話が複雑になりますが、オリオン座は、「光の主達」の故郷であり、「銀河系委員会」の故郷でもあるそうです。つまりオリオン座は神々の故郷であり、アルクトゥルスを中継基地に使っているそうです。地球では白人種と定義されている「エリエン」のルーツはオリオン星雲にあるといわれます。が、「『暗黒の勢力』は、自分たちの基地はオリオン大星雲にある、と私達に思いこませようとするが、彼らは、単にそこからやって来たにすぎない『落ちた者』で、依然として周辺にまつわりついているだけなのだ」ということです。「光の主達」と「暗黒の勢力」が複雑に絡み合っているようなのです。単純に言えば、神と悪魔がコンタクトしている状態でしょうか。

 

・また「私達が、いる宇宙領域において、『暗黒の勢力』と彼らが支配する悪の帝国(正式名は『正義を任ずる諸世界帝国同盟』)の本拠地は大熊座にあり、ドラコニスを主要作戦センターとしている。私達の太陽系においては、冥王星を中継基地に使い、地球から見えない方の月面を地球への侵入基地に使っているが、両基地とも昔から存在している協定に違反している。地球ミッションの人員は『連盟』にしろ『帝国同盟』にしろ、比較的少なく、その役割も大半が「監視活動と互恵的平和維持活動」に限定されている」とのことです。

 

・「“透明人”とシリウスA星人が創造し、りゅう座(ドラコ)に配置した爬虫類人」といわれていますが、“透明人”というのが神々のようです。そして「シリウス人は、別の非物質的存在の集団であるオハル評議会の創造物である」ということで、天使のようなシリウス星人も神々に創造されたようなのです。“透明人”も地球に来ているのかもしれません。「ネガティブ・グループのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こる」ともいわれています。それにオリオン星人はテレポート(瞬間移動)も自在にできますが、これが私たち一般人は、理解不能だそうです。「進化した宇宙人は人間の肉体や精神体に憑依するので誰にも分からない」ようです。現代の神話は知覚できないようです。クラリオン星人のコンタクティ、イタリア人のマオリッツオ・カヴァーロによると「爬虫類的異星人(レプティリアン)も人間タイプは知性的な顔をしている」といわれます。

 

・インターネットの電子図書館『青空文庫』で“宮澤賢治”も“柳田国男”も読めますので便利です。

 

・「山人」の実在性や正体については、柳田國男も晩年にはあまり強調しなくなったようです。「山人」や「異人」の正体は伝承だけでは分かりませんし、詳細な伝説はないようです。山姥も2メートル40センチとか、当時の人々の背丈と比較して、とても大きく、宇宙人との繋がりが窺えるようです。山人を宇宙人と結びつける説は学界にはないようです。

 

・リラ星人のエロヒムが「人間を実験室で創った」といわれます。リラ星人エロヒムのコンタクティであるフランスのクロード・ボリロン・ラエルによると遺伝子操作による「不死の惑星」に行ってきたそうです。リラ星人の遺伝子やプレアデス星人、シリウス星人、オリオン星人等の多くの宇宙人の遺伝子などが、人類のDNAに含まれているともいわれています。また「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔」ともいわれます。

 

・「異人」は、世界的にも広く存在したようなのです。「中世のドイツの領主はほとんどが異人か異人の末裔だった」ともいわれています。ドイツの異人はアルデバランの宇宙人の系列だったようです。アルデバラン星人はアーリア人の「超人」であり、金髪碧眼のゲルマンの神々だったようです。オリオン座は「神の故郷」ともいわれますが、『闇の勢力』も経由地にしているようです。「トールホワイト」とよばれる2メートルから3メートルの白人種のオリオン星人も報告されているようです。トールホワイトと米政府はコンタクトがあるようです。

 

・「遠野郷の民家の子女にして、“異人”にさらわれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり。-遠野物語第三十一話」、「黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。-遠野物語第八話」という伝承があるように“異人”はオリオン星人の系列だったようです。天狗や鬼もオリオン星人の異類異形の宇宙人だったのかもしれません。「日本の河童はグレイの一種で、現在も海底基地にいる」とイタリアのクラリオン星人のコンタクティ、マオリッツオ・カヴァーロは述べています。河童もグレイの一種で、ゼータ・レチクル星人の系列だったのかもしれません。

 

・「ゼータ・レチクル星人のグレイと、オリオン座のリゲル人の長身のグレイ、オリオン座の有翼のドラコ族、恐竜から進化した地球のレプトイド(恐竜人)」が、ダルシー基地やエリア51等のアメリカの秘密基地で活動しているともいわれます。翼のある「烏天狗」は、オリオン座の有翼のドラコ族のバイオロボットなのかもしれません。「あのグレイも壁を透き通るようにして部屋に侵入してくる」そうです。米国が秘密協定を結んだのはラージノーズグレイというオリオン星人といわれています。アメリカ空軍は133種類の宇宙人を確認しているそうです。

 

・グレイと人間の交雑種が「エササニ人」といわれます。エササニはオリオンの方向にあります。オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。「世界中の不思議なゲイの現象は、宇宙人の人格転換である」という説もあるそうです。また「シリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こる」ともいわれます。大規模なスター・ウォーズ、オリオン大戦とはどのようなものだったのでしょうか。

 

・「異界」の伝承も、農民たちの「作り話」ではなく、異次元の宇宙人の現象のようです。柳田国男も『遠野物語』は農民の作り話ではないと述べています。「人間の死後の世界と似た、アストラル界やエーテル界に進化した宇宙人が棲んでいる」ともいわれます。人間の死後の世界、幽界や霊界、宇宙人のアストラル界やエーテル界も似ている世界ですが、私たち一般人は、当然詳しくはありません。「アストラル界はとても巨大です。ここに存在する全ての世界からおよそ600億人の人間タイプの生物が集まっている」といわれます。「アストラル界にもアストラルの惑星がたくさんあり、アストラル界またはアストラル次元と呼ばれる世界を構成しています」とのこと。「人々がアストラル界で過ごす期間は、数週間から何百年にもわたる」といわれます。幽霊現象や心霊現象も「宇宙人現象」と理解すればかなり分かるようです。

 

 

 

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・ブログ名称: UFOアガルタのシャンバラ


・第2のブログ名称:UFOパラレル・ワールド

「神の国か?」「人類の原郷か?」 「天上のエルサレムか?」・・・・・・・・・

「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の殖民星が、地球か?」、「ネガティブのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こるのだろうか?」

「金髪碧眼のノルディックが住んでいたアガルタのシャンバラ情報の集大成を目指す・・・・・・・・・・」「金星蛇人と火星霊人の戦争はその後どのように展開したのだろうか」
「日本民族の神話の原郷『高天原(たかまがはら)』は、『都市型の超巨大宇宙船』なのか!?」「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔なのか」
「小人族のグレイの母船に同乗する金髪碧眼のノルディックは、”悪魔の王””ルシファー”なのか?!」

「円盤は神人や異人、悪魔の乗り物なのか!?」「天使は神の秘密諜報員なのか」「神は最初のフリーメーソンなのか」

UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象なのか。UFO問題とは、人間にとっての死の問題を解くことなのだろうか。UFOはフリーメーソンの創作なのか」

「全宇宙を創ったという“虹の神々”も地球に来ているのだろうか」

「イルミナティなどのフリーメーソン組織に入ると神に会えるのだろうか」

「国際連合の設立に動いたキリストの星、アプ星人とは」

「人は皆、記憶喪失の異星人だろうか」

「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」

「セドナ上空に見えないエーテルのシティが滞空するのだろうか」

 

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