2016年3月22日火曜日

谷に落ちて怪我をし動けなくなった男の前に山男が現れ、男を背負うと屏風のような断崖をやすやすと登って医者の門口まで運び、すーっと姿を消した。(1)


 

 

 

『日本全国 おもしろ妖怪列伝』

山下昌也     講談社   2010/8/27

 

 

 

<天狗の正体>

・ところで、天狗には1番目の大天狗に始まって、中天狗、小天狗、木の葉天狗、烏天狗から23番の水天狗までのランクがある。そして、大物の天狗には名前がつけられた。代表的な八大天狗は、愛宕神社を守護する京都愛宕山太郎坊、比叡山から移った滋賀県平良山次郎坊、飯綱法の本拠地長野県飯綱の飯綱三郎、牛若丸の師・京都鞍馬山僧正坊、伯耆大山から移った神奈川県大山伯耆坊、天狗になった崇徳院を守護するために相模大山から移った香川県白峰相模坊である。これに別格の「法起坊」を加える。法起坊は役の行者(役小角)の狗名である。

 

・大天狗の顔が赤く鼻が高いのは、そのモデルが天孫降臨の道案内の神で、「赤ら顔に鼻の長さ七握、目は鏡のように照っている」猿田彦命だという説があり、神楽での猿田彦命は天狗そのものである。また、荒ぶる神、須佐之男神の猛気が飛び出して生まれた姫神の息子の天魔雄命が、全日本の天狗の長であるという説や、超能力を得た修験者が天狗になるという説もある。

 

<最上位の天狗、愛宕山太郎坊>

・大杉の上に天竺の日良、唐の善界、日本の太郎坊という天狗の統領たちがそれぞれの眷属数万を率いて現れ、「我々は二千年も昔に仏の命を受けてこの地を領し、人々を利益する者だ」と告げて姿を消したと伝えられる。愛宕山には元々天狗が棲んでいたのである。

 

<源義経の家来、常陸坊海尊>

・恐山は青森県の北端、下北半島の中央にある霊峰だが、すぐにイタコを連想するように、死者の集まる山のイメージがある。この山に棲む天狗が常陸坊海尊である。

 常陸坊は、元は常陸鹿島神宮の社僧だったが、修験の道を極めていた。それが武蔵坊弁慶とともに源義経に仕えてからは、平家討伐から奥州に落ち延びるまで、ずっと義経の側で行動をともにしていた。その常陸坊がどうしたことか天狗になっていたのだ。

 

<常陸坊の不老不死伝説>

・常陸坊海尊は謎の多い人物で、生没年が不明なのはもちろん、経歴も園城寺(三井寺)または比叡山の僧だったと二説ある。

 

・海尊がどのようにして不老不死になったかにも諸説ある。柳田国男は、海尊が富士山に入り、岩の上にある飴のようなものを食べて不死を得たとし、林羅山は、海尊が枸杞を常食したいために不死を得て、江戸時代初期の天正期(1580前後)まで生存したという。林羅山のいう海尊とは、会津の実相寺に居た残夢という禅僧のことだが、義経に関してはまるで親しい関係だったように詳しく、合戦の様子などを見てきたように生々しく語っていたという。

 

<山本五郎左衛門(さんもとごろうざえもん)>

<妖怪はフツーの武士?>

・江戸時代中期の寛延二年(1749)に、備後三次藩(広島県三次市)の藩士、稲生武太夫がまだ平太郎といっていた時に体験した怪異をまとめた『稲生物怪録』に、妖怪の頭目として最後に登場する。が、フツーの武士の姿で、妖怪らしくない。『稲生物怪録』は絵巻が数種類あり、平田神社蔵の妖怪画では、山本五郎左衛門が三つ目の烏天狗になっている。武士の姿は仮の姿なのだろう。

 

<平太郎、妖怪に勝つ>

・平太郎はこれらの妖怪をことごとく退け、最後に現れたのが山本五郎左衛門だった。

 人品よろしく40歳ぐらいで浅黄の裃を着た山本五郎左衛門は「世界中で100人を脅せば魔国の頭になれるので、これまで85人を試し、86人目の平太郎に初めて敗れたのが残念だ」と言って、平太郎の勇気を称えた。そして、これから改めて挑戦しなければならないが、競い合っている真野悪五郎という魔が当屋敷に現れたら、「此の槌で北の柱を打ちたまへ、我来たりて貴殿に力をあわせて悪五郎を引き裂き見せ申さん」と木槌を平太郎に与えた。

 そして、庭に異形の者が集まり、一同、平太郎に礼をし、魔の乗物に山本五郎左衛門が乗って雲の中に消えたのだった。その時、乗り物から大きな髭足が出ていたという。

 

<山男>

・山男といえば、現代では山好きの人間の男のことだが、かつては各地の山に棲む怪物のような大男のことをいった。「山人」または「大人」「山丈(やまおとこ)」「山鬼」などとも呼ばれ、おおむね人間とは友好的だが、地方によっては危害を加える者もいる。

 『絵本百物語』の詞書には「背の高さ二丈(約6メートル)斗りにて、其形鬼のごとし」とあるが、解説には「六尺(約180センチメートル)より低い者はない」とあって、かなり差はあるものの、大男には変わりはない。

 同書には、「遠州秋葉(静岡県袋井市)の山奥に棲む山男の生活ぶりは分からないが、時々現れては樵の重い荷物を人里近くまで運んでくれ、謝礼の金銭を与えても受け取らない。だが、酒は好きで、与えれば喜んで呑む」、と気の良い性質ぶりを伝えている。

 同国の善良な山男の話はまだある。病人が出たので医者を呼びに行く途中で谷に落ちて怪我をし、動けなくなった男の前に山男が現れ、男を背負うと屏風のような断崖をやすやすと登って医者の門口まで運び、すーっと姿を消した。後日、男が礼を言うために、酒を携えて助けられた谷に行くと、山男が二人現れて、大喜びで酒を呑んだという。

 

<各地に伝わる山男伝説>

・津村淙庵の『譚海』によれば、相州箱根にいる山男は、裸体に木の葉や樹皮の衣を纏い、山中で魚を獲り、里で市のある日には里人のもとへ持ってきて米に替えたという。棲み処を確かめようと後を追っても、絶壁を飛ぶように去っていくので、決して棲み処を知ることはできないという。小田原の城主は、人間に害をなすものではないので銃で撃つことなどないようにと制していたので、この山男に危害を加えようとする者はいなかったという。

 青森県赤倉岳では大人と呼ばれ、相撲の力士よりも背が高く、山から里に降りることもあり、これを目にすると病気になるという伝承がある一方、魚や酒を報酬として与えることで農業や山仕事などを手伝ってくれたという。

 

・弘前市の伝承によれば、かつて大人が弥十郎という男と仲良しになって彼の仕事を手伝い、さらに田畑の灌漑などをして村人に喜ばれたが、弥十郎の妻に姿を見られてから村に現れなくなり、大人を追って山に入った弥十郎も大人となったという。

 昔の村人たちはこの大人を鬼と考えていて、岩木町鬼沢(弘前市)の地名はこれに由来するらしく、現地の鬼神社は、彼らの仕事ぶりを喜んだ村人が建てたものといわれ、彼らが使ったという大きな鍬が御神体として祀られている。

 秋田県北部でも津軽との境に住む山男を山人、または大人といい、煙草を与えると木の皮を集める仕事を手伝ってくれたといわれる。

 

<煙草の好きな山男>

・北海道の大雪山に棲む山男も煙草が好きだ。貧乏な猟師が何日も山に入ったが、獲物はゼロで食料もなくなっていた。やっと川瀬の足跡を見つけ、辿っていったが、不思議なことにいつの間にか後ろ向きに歩いていた。それに気づいた頃、カンジキで雪を踏むような大きな音がはるか向こうの沢から聞こえ、音が近づくと頭上が急に暗くなった。巨大な山男が立ち塞がり、睨み下ろしているのである。

 

・『北越奇談』にも人間と山男の交流の話がある。越後国(新潟県)高田藩で山仕事をしている人々は山男と一緒に暖をとることがよくあったという。身長は六尺(約180センチメートル)で赤い髪と灰色の肌の他は人間と変わりがない。牛のような声を出すのみで喋れないが、人間の言葉は理解できたという。裸身で腰に木の葉を纏っていただけなので、獣の皮を纏うことを教えると、翌晩には鹿を捕えて現れ、獣皮の作り方を習ったという。

 

<山男は百年前の失踪者?>

・江戸時代の初期、土佐(高知県)の白髪山に鬼に似た者がいて恐れられていた。高知県には白髪山が二つあるのでどちらか分からないが、約1500メートルと約1800メートルの山である。土佐藩家老・野中伝右衛門から「如何様にしても連れて参れ」と命が下り連行された。髪は乱れ、全身が松皮のようで鱗があった。持っている大きなマサカリで獣を一撃で撃ち殺して喰うのであるが、人に危害を加える様子はなく、化け物でも獣でもないようだった。

 

<山童 やまわろ(やまわらわ)>

<季節で移動する妖怪>

・西日本の山に棲む童子姿の妖怪で、セコ、山の者ともいわれる。見た目は十歳ぐらいだが頭髪は柿褐色で長く、全身に細かい毛が生えていて胴は短く長い足で直立して歩き、人の言葉を話すとされる。

 正体は河童で、地域によって異なるものの、河童が秋の彼岸に山に入って山童となり、春の彼岸に川に帰って河童に戻るとする伝承が多い。これは、山神が春に田の神、水の神となって農耕を守り、秋の収穫が終わると山に帰るのと似ている。

 山童は相撲好きで、牛や馬に悪戯するというから、やはり河童かもしれない。が、人間が山童を殺そうとすると、「覚」のように人の心を読んですぐに逃げてしまう。さらに、覚と同じく、人間が無意識にしたことに驚いて逃げ出すという伝承も各地に残している。

 山へ行き来する際には集団で行動し、オサキと呼ばれる決まった通り道を進むので、人がここに家を建てると怒り、壁に穴を開けてしまうという。また、矢代市の伝承では、春になって山から川へ下りる時、決まった道筋を通るが、時にはジェット機のような音をたてて鳥のように飛ぶこともあるという、また、川に戻る山童たちを見に行こうとすると、必ず病気になるともいう。

 

・山中で樵の仕事を手伝うことがあるが、お礼として酒や握り飯をあげるとまた手伝ってくれる。熊本の葦北郡では山仕事が多い時、「山の若い衆に頼むか」と言って山童に仕事を頼む、お礼は飯でも魚でもよいが、量が少なくても最初に約束した物でなければ山童は怒る。だが、仕事の前にお礼の食べ物を渡すと、食い逃げされるという。

 女の山童も仕事を手伝う。岩焼の竈の火を絶やさないように手伝ってくれた45人の女山童は、髪が黒く色白でよく働いてくれた。が、毎朝、竈に御神酒を備えることを怠ると竈の火がなかなかつかないという。また、妊娠した山童に請われるままに一日小屋を貸したところ、この家の主人がお金に困るときには、いつでも窓からお金を投げ入れてくれたという。

 

<山姫>

<長身で髪の長い美女の妖怪>

・山姫または山女は、日本の各地に伝わる妖怪で、山奥に棲み、人を殺す。姿や性質は伝承によって異なるが、多くは長身で長い髪をもつ色白の美女で、立山の山姫は天女のように美しいとされる。

 服装は半裸の腰に草の葉の蓑を纏っていたり、樹皮を編んだ服を着ていたりするともいわれるが、徳島県祖谷の山女郎は十二単衣のお姫さまの姿で、愛媛県の山女郎は子供を抱いているなど、出現する状況によって異なり、普通の人間と変わらない場合もあるから油断できない。

 青森県の山姫は肌が非常に白く、背丈が六尺(約180センチメートル)もあり、裸体のままで滝壺の岩に座って長い髪の毛を水に浸して梳いていたという。

 岩手県では、長身で背丈よりも長い髪の毛の女を鉄砲で撃った猟師が、髪の毛を切り取って下山する途中、睡魔に襲われ、そこに現れた長身の男に髪の毛を持ち去られたといい、徳島県では、盥で行水していた男を山女が婿にしようと盥ごと頭に乗せて運んだが、途中で逃げられたというから、夫がいるのだろう。

 

<各地に出没する山女>

・笑いを凶器にする山女もいる。熊本県の山女は、地面につくほど長い髪を持ち、人を見ると大声で笑いかけるという。女性が山女に出遭って笑いかけられたが、大声を出すと山女は逃げ去った。が、笑われた時に血を吸われたらしく、間もなく死んだという。

 愛媛県で山女に出遭ってくすぐられたら笑いが止まらなくなり、やがて死ぬという。

 岩手県和賀の山女は、若い娘と30歳ぐらいの叔母の二人組で、仙台から金を採りに来た二人組の男に金の在り処を教え、雪崩の下敷きにして殺した。男たちの悲鳴が消えると、二人の山女の笑い声が響いたのだった。

 

<山姥 やまんば(やまうば)>

<老女から若い美人までいる>

・各地の山に棲む老女で、「山母」「山姫」「山女郎」とも呼ばれる。性質は、人や生き物を取って食べる恐ろしいものから、人間を助ける優しいものまである。山姥と書くが、美しい若い女性だとする地方もある。さらに、山の中だけではなく人家に現れたり、川に棲み川女郎と呼ばれたりすることもある。また、山姥の夫は山爺だとか、山姥の側には山童がいるとする地方もあるので、山姥の定義は難しい。

 有名な山姥は、熊に跨がる足柄山の金太郎、つまり源頼光の四天王の1人、坂田公時の母である。伝説では、金太郎の父は山爺ではなく、山姥の夢の中に現れた赤い龍だという。

 

・謡曲の「山姥」は、山姥が旅する京の遊女に山中で宿を提供するのは、遊女を喰うためではなく、遊女の唄に乗って、輪廻の中で苦しむ自分の身の上を語るためだった。

 

<山姥の正体>

・山姥は地域によって正反対の顔を持つので、正体もさまざまだが、姥捨て山に捨てられた者だとか、山神、またはそれに関係する者だとする説がある。

 山姥が多産であり、富を生むとする伝承が多く、多産では、一度に数十人の子供を産むのは序の口で、十万近い子供を一度に宿して産むことだってあるという。山神は生産の神で多産だから、これらの地域の山姥は山神であるかもしれない。

 なお、女房を山の神というように、山神は女性とされることが多いが、例えば、猿田彦も飯綱大明神も山神の化身であるように男神もいて、所によっては対で祀られている場合もあるから、山姥と山爺が夫婦であってもおかしくはない。

 

 

 

『日本民俗大辞典』

吉川弘文館     1999/9

 

 

 

<折口信夫  1887-1953

・国文学・民俗学の研究史上、折口が果たした重大な成果の一つは、日本の神の一つの形態としてまれびとと呼ぶべき神があることを考え主張した点にある。まれびととはごく稀に、時を定めてこの世に出現するひとにして神なるものを意味し、実際に神としての言葉を述べ動作を行う。折口は、このまれびとの言動が文学・芸能の起る元となったと説くことで、独自の日本文学・日本芸能の発生論を打ち立てた。また、まれびとの故郷としての他界の観念と、まれびとの出現の場としての祭の実態とに強い関心を示し、その関連の論文を多数発表した。

 

<山男>

・山中に棲むとみられた男性異人。江戸時代の本草学では人類と異なる寓類・怪類の中にその存在を位置付けている。

 

柳田国男は『遠野物語』の中で、背丈が高く目の色が恐ろしい山男の姿を紹介する一方、近世の地方誌などから、物をいわぬが人語を解す、人間に関心を示す、餅や握り飯を好む、女性をさらう、などの特徴を拾い、山女とともに日本列島上の山人史の中に位置付けて理解しようと試みた。

 

・柳田は巨人のダイダラ坊や大人なども山男の範疇に含めたが、今日各地に伝えられる山の神像や、妖怪視された河童・山童・天狗などの伝える特徴は、本草学が伝える知識と多くの点で一致し、山男との遭遇をめぐる各種の記事や経験談にもその影響が認められる。

 

<山女>

・山中に棲むとみられた女性異人。山男と一対をなす。江戸時代の文献や各地に伝わる話では、顔色が白く、髪が地に届くほど長く、丈も高く、裸体とされ、山姥のイメージと重なる。里へ現われ、男を求め山へ連れ去ろうとしたなどの話も残る。柳田国男は山男とともに山人に含めて、日本列島史の上にその歴史を明らかにしようとしたが、実証はできなかった。

 

<山姥 やまんば>

山中に住むと考えられた女性の妖怪。山母・山女・山姫・山女郎などともいう。口が耳までさけた恐ろしい老女であるとも、若い美しい女性であるともされ、背が高い、髪が長い、目が光るなどの特徴をもつ。山姥は、人を食う恐ろしい怪物とされる反面、人間に富を与えるという福神的な性格ももつ両義的な存在である。昔話「三枚のお礼」「牛方山姥」などでは前者、「姥皮」では後者の性格が語られる。

 

・山姥に富を授かったという伝説は多い。高知県土佐郡土佐山村では、家が突然栄えることをヤマンバガツクといい、山姥神社をまつる所もある。愛媛県では山姥のオツクネ(麻糸の玉)を拾ったものが金持ちになったといい、長野県では暮れの市で山姥が支払った銭に福があるという。また全国的に山姥の子育て石・山姥の洗濯日のなどの伝承がある。

 

・金太郎を育てる足柄山の山姥は有名だが、もともと山姥に、子供を生む母性的な山の神の姿が投影されているものと考えられる。

 

<山人 やまひと>

・山に暮らしたり、山稼ぎに従事することにより、里人とは異なる容貌や気質、暮らしぶりをもつと里人から見られた人々。柳田国男は各地に残る天狗や山男・山姥などの伝説を手掛かりにして山人を先住民の子孫と考えたが、実証はできなかった。また折口信夫は山の神に仕えるために山奥に行ってそこに定住した山の神の神人と捉え、それが次第に里から忘れられてもともと山に住んでいたように考えられ異人視され、また先住民とも見られるようになったとみた。この山人が山裾へ出てきて山の産物と里の産物を里人との間で交換するのが市だとする。各地に残される山人と里人との具体的交渉を物語る逸話や伝説は、女を連れ去ったり、丈高く目が赤いなどの恐ろしい山人像を伝える一方、握り飯と交換に木出しの仕事を手伝ってくれたなどの交易・交流の跡も語っている。

 

<まれびと>

時を決めて海の彼方の常世から、人々に幸福と豊穣を授けるために訪れてくる神。折口信夫が設定した用語。折口の学問の中心に据えられた基本概念であり、まれびとの創出によって日本文学の発生と展開の仕組みが解明されるとともに、国文学および芸能史の組織が大きく構想された。折口のまれびと論は柳田国男との出会いなくして成立しえなかった。『郷土研究』の創刊によってその学問を知った折口は、直ちに「髯籠の話」(1915)を投稿する。神の依代として髯籠を捉えた折口はそこから神の居所としての異郷を導き出してゆき、「妣が国へ・常世へ」(1920)を発表し、異郷論から神そのものの追究へと進んで行った。

 

その結果発見されたのが眼に見える神、まれびとであり、その契機となったのが二度にわたる沖縄探訪であった。1921年(大正十)の探訪で楽土と楽土から訪れてくる神が沖縄には存在することを古文献を通して知る。翌々年の1923年の旅では、八重山のアンガマア、マユンガナシ、アカマタ・クロマタなど、眼に見える来訪神が盆や年越の晩などに訪れてきて、人々に祝福と教訓のことばを授けて帰ってゆく姿に出会い、現実の民俗として生活の中に生き続けているのを知った。こうした民俗に実地に触れ肉体をもった神を目の当りに見て、折口のまれびと論は大きく構想された。

 

・沖縄採訪の成果に加えて、本土にも奥三河の花祭・信州新野の雪祭など、祭のにわに登場する榊鬼をはじめとする鬼に対する考察とが一つにまとまって折口信夫はまれびと論を成立させていったといえよう。

 

海の彼方や山の奥、あるいは天空から訪れてくる神、まれびとは祭の場に臨んで、人々に幸福と豊穣をもたらす威力のあることばを発する。土地の精霊はそれに答えて服従を誓う。この神と精霊の対立が文学と芸能の発生を促した。神が命令的に宣り下すことばは「のりと」となり、精霊が服従を誓うことばが「よごと」となる。この対立は、「ことわざ」と「うた」の対立となり、また神がみずからの来歴を物語る叙事詩は道行の詞章を生み出し、貴種流離譚を創り出していった。一方、同じ論理を芸能史に展開させると、神と精霊の対立は翁ともどきの対立に置き換えられる。このように、折口のまれびと発見によって国文学と芸能史の発生から展開までの論理が導き出され、大きく組織化された。

 

<神隠し>

・喪中期間に半紙などで神棚を覆う「神を隠す」習俗と、子供などが突然行方不明となった際に、その原因としていわれる「神が隠す」信仰の二種類があるが、一般には後者をいう。隠したとするカミには、鬼・天狗・狐・山の異人などが含まれ、正体不明の場合にもの隠しという表現もある。隠されるのは子供が多いが、出産後の女性や精神に障害をもつ人の場合もある。こうした伝承には、夕暮れ時が多い。隠された後に一回だけ姿を見せる、といった一定の類型も認められる。理由のわからない行方不明を神隠しと呼ぶことには、原因を神に帰することで慰めを得るという家族の心理が働いていたと思われる。しかしその一方で、みずからが隠された体験を語った人たちの伝承が、民間に広く蓄積されてきたことも事実である。

 

・沖縄では巫女の成巫過程において、神がかった状態の女性が急に姿を消し、各地を徘徊した後に帰還して、竜宮などの他界に行ってきたと語ることがある。すでに近世の『琉球神道記』(1605)や『遺老説伝』(1745)などに数例が記録されている。東北地方の民間巫者のなかにも、ある朝突然に山の神に呼び出されて、気がついたら山中に立っていた、といった証言が聞かれる。柳田国男の『遠野物語』では、猟師が山中で行方不明になっていた村の娘と出会い、山の異人にさらわれた経緯を聞いた話が紹介されている。連れ去られる際に空中を飛翔したという体験談は各地に残されている。地域によっては、神隠しと判断された場合、住民が総出で鉦や太鼓を叩いて名を呼ぶといった慣習もあった。

 

 

 

『日本民俗大辞典』

 吉川弘文館      1999/9

 

 

 

 

<いじん 異人>

1)社会集団の成員とは異質なものとして、その外部の存在として内部の成員から認識された人物。折口信夫は、海の彼方にあると信じられている他界、常世から、定期的に来訪する霊的存在をまれびとと呼んだ。また岡正雄は、年に一度、季節を定めて他界から来訪する仮面仮装の神を異人と呼び、メラネシアと日本に共通する現象として指摘した。

 

・従来の民俗学では、秋田のナマハゲや沖縄八重山のアカマタ・クロマタといった、村落あるいは社会の外部から来訪した幸福をもたらすまれびとや、六部・山伏をはじめとする遍歴する宗教者などを対象とし、異人歓待や異人殺しの伝承を中心に、対象社会の個別事例にそって分析がすすめられてきた。これに対して、特定の時代や地域に限定されず、通文化的な分析を可能にする概念として、異人という言葉が使われ始めた。小松和彦は、異人を4つに類型化している。

 

・第1に、ある社会集団を訪れ、一時的に滞在し、所用が済めばすぐに立ち去っていく人々で、遍歴の宗教者や職人・商人・乞食、旅行者、巡礼者などがこれにあたる。第2に、ある社会集団の外部からきて定着するようになった人々で、難民、商売や布教のために定着した商人や宗教者、社会から追放された犯罪者、強制的に連行されてきた人々などである。

 

・第3に、ある社会集団が、その内部から特定の成員を差別・排除する形で生まれてくる人々で、前科者や障碍者がその例である。第4に空間的にはるか彼方に存在し、想像上で間接的にしか知らない人々で、外国人や異界に住むと信じられている霊的存在なのである。このように、異人は、ある集団が異質の存在だと想定し始めた人物認識が生じたときに生ずる概念である。

 

2)外国人に対する呼称。もとは優れた能力の持ち主や別人・他人として使われる言葉で、外国人に対して使われる言葉ではなかった。しかし加藤曳尾庵の『我衣』によると18世紀後半以降蝦夷地に南下したロシア人に対してはじめて使われたと思われる。

 

・対外観の変化に伴い、米・英などから相ついで漂着した異国船の乗組員も対象となり、1859年(安政6)の横浜開港後は中国人・朝鮮人を除いた外国人の総称として定着する。野口雨情作詞「赤い靴」の「異人さんに連れられていっちゃった」という歌詞に表われるように、どこから来たともわからない外国人との認識を含む。

 

<異界>

・人間が周囲の世界を分類する際、自分(たち)が属する(と認識する)世界の外側の世界。その認識の主体は個人よりも、集団を想定する場合が多い。民俗社会で、霊魂が行く世界、つまり他界(来世)だけでなく、自分たちの社会の外側に広がる世界である。他界が時・空間両方の認識であるのに対し、異界はより空間的なイメージとして把握される。たとえば妖怪は、死後の存在である幽霊と区別されるが、彼らが住む世界は異界である。

 また現代社会では、特定の社会集団から見た異質な社会集団の生活・行動空間を異界と呼ぶ場合もある。この言葉は民俗語彙ではなく、分析概念であり現代の流行語ともなっている。異界という語は、人間が分類体系を作り上げる際の、構造論的思考と関連する。

 

・また内部社会の成員とは異なる外見や風俗習慣を持つ人間は、異界の住人、異人と呼ばれる。異人は外国人だけでなく、芸能民・山人など外側から訪れる人人も含まれ、時には妖怪視され差別された。異界の観念は、境界の観念と深く関わる。橋・坂・峠・辻などの境界の場所は、異界への回路であり、両義的な空間である。

 

 

 

『秘密結社の日本史』

海野弘   平凡社   2007/9

 

 

 

<折口信夫の<まれびと>論>

・<特定のおとづれ人>というのは、折口によれば、<まれびと>であり、彼方からやってくる神なのだ。蓑笠を着けた人は神であり、<まれびと>である。したがって、スサノオも<まれびと>なのだ。

 折口は<まれびと>を神であり、「古代の村村に、海のあなたから時あって来り臨んで、其村人どもの生活を幸福にして還る霊物」といっている。

 

<まれびと>は折口学の根本となることばである。彼は1921年、23年の沖縄の旅でそれを発想したといわれる。彼方からやって来る神とそれを迎える土地の精霊。両者の間に行われる神事、そこから文学と芸能が生まれる。

 

・この<まれびと>こそ、実は秘密結社であり、折口は、<まれびと>論において、日本の秘密結社を先駆的にとらえたのであった。しかし折口自身、それについてどのくらい意識していたかわからないが、あまり発展されず、結社としての<まれびと>は埋もれてしまった。<まれびと>の原型になったのは、沖縄の八重山のアンガマア、マユンガナシ、アカマタ・クロマタなど。異装して訪れて、祝福を与えて帰っていく民族神を知ったことであった。

 

・アカマタ・クロマタは、八重山群島で、稲の豊作をもたらす仮面仮装の来訪神である。この神事のために、村人から選ばれた祭祀集団がつくられている。閉鎖的な秘密結社で、入るために厳しい審査を受ける。入社式があり、内部には階梯があり、初年者をウイタビ、2年目をマタタビ、それ以後をギラヌムという。これはメラネシアなどの見られるプリミティブな秘密結社が日本にも入っていたことを示している。他には男鹿半島のナマハゲなどが知られる。

 折口は、蓑笠を着て、鬼のような面をつけてあらわれる来訪神を<まれびと>と考えた。<まれびと>は、秘密の異界とこの世を往来する。そして蓑笠を着けてあらわれるスサノオは<まれびと>とされる。

 

・スサノオを<まれびと>の密儀を行う秘密結社と見ると、いろいろ理解できることがある。スサノオは大国主命に、さまざまな試練を与えるが、これは結社への入社式の試練と見られる。

 折口信夫は、笠をかぶってあらわれる来訪神<まれびと>として、スサノオ、隼人、斉明記に出てくる鬼などに触れた。隼人は、異民族で、天孫民族に征服され、宮廷の雑役をしたり、芸人として使われていたらしい。また竹を編んで、籠や笠をつくっていたという。

 

・神話の中には、日本文化の最古層に沈んでいる海洋民族の秘密結社のきおくがひそんでいる。折口信夫はそれを、まれびと。と呼んだ。<まれびと>の秘儀の中の、ほかひ、語り、芸能、占い、そして秘密の技などを持ち歩く人々の集団の中に、日本の秘密結社の原型がある、と私は思うのである。

 

<日本に秘密結社はあるか?>

・なぜに日本に秘密結社はない、とされたのだろうか。島国であり、単一民族で、万世一系の天皇制だから、秘密結社が存在する余地がなかったと考えられたのだろう

 

・後の歴史学は、日本の歴史も一本の流れではなく、複数の流れであることを明らかにしたはずだ。それにもかかわらず、<秘密結社>が見えてこなかったのは、戦後もずっと、戦前・戦中の史観の呪縛が解けていなかったことになる。

 

・綾部恒雄が触れているように、戦前にすでに、岡正雄は「異人その他」(1928)で、メラネシア、ポリネシアの伝統的秘密結社が日本文化の深層に沈んでいることを語っていた。それは折口信夫の<まれびと>の考えにつながってゆく、画期的な視野を持っていた。

 

・ここには、なぜ今<秘密結社>なのか、という問題へのヒントも示されている。<秘密結社>とは<異人><まれびと>(外からやってくる人・神)といかに出会うかを問いかけてくるものなのだ。

 

・だが、岡正雄の提案はこたえられず、日本は戦争に突入してしまい、<日本の秘密結社>は封印されてしまった。問題は、戦後になってもその封印が解けなかったことだ。戦争に敗れた日本はさらに自らに閉じこもり、異人とのつき合いに臆病になってしまった。

 

 

 

『異人その他』 

(岡正雄) (岩波書店)    1994/11/16

 

 

 

<異人>

・異人もしくは外人は、未開人にとっては常に畏怖の対象であった。あるいは彼らは、異人は強力な呪物を有していると考えて畏怖したのであろう。あるいは悪霊であるとも考えたのであろう。

 

・自分の属する社会以外の者を異人視して様々な呼称を与え、畏怖と侮蔑との混合した心態を持って、これを表象し、これに接触することは、吾が国民間伝承に極めて豊富に見受けられる事実である。山人、山姥、山童、天狗、巨人、鬼、その他遊行祝言師に与えた呼称の民間伝承的表象は、今もなお我々の生活に実感的に結合し、社会生活や行事の構成と参加している。

 

 

 

『異人・河童・日本人』 (日本文化を読む)

(住谷一彦・坪井洋文・山口昌男、村武精一)

(新曜社)  1987/11

 

 

 

 

<異人その他><日本民族の起源>

アメリカ大陸の神話の中にスサノオ神話と同質のものが入っているらしい。もしそうだとすれば、スサノオ神話の歴史的な遡源は3万年近くまでさかのぼってしまうことになります。

 

ストレンジャー(異人)が主役を演じる。

 

・大人(おおびと)というようなストレンジャーがあり、山姥が暮れに市に出るとその市が終わる、という話がある。

 

・経済史の中で、経済的な事象の中に「市に山人、異人、山姥、鬼が出現し、何程か市行事の構成に散ずるといふ事。つまり交易の相手たる『異人』の問題が考へられる」と書いておられます。要するに、ひとつの社会の対象化するために、そういうふうな異人が出現することが、いかに重要だったかということが、このへんで、明らかにされていると思います。

 

 

 

『秘密結社』

綾部恒雄  講談社    2010/10/13

 

 

 

 

<異人と祭祀的秘密結社>

・メラネシア又はポリネシアの社会生活の概念となるものはいわゆる秘密結社である。

 

・そのようなメラネシアやポリネシアの秘密結社の考察は、その様相、変型、フォークロア化の点で、日本文化史に与える暗示はきわめて深いと述べている。

 

1. 異人が幾度にか、季節を定めて訪来したこと。

 

2. 異人は先住民より亡魂、又は死者そのものと考えられたこと。

 

3. 異人は海の彼方から、来るものと信じられたこと。後には、山中の叢林より来るとも信じられるに至ったこと。

 

4. 異人は畏敬されつつも平和的に歓待されたこと。

 

5. 異人は食物の饗応、殊に初成物を受けたこと。

 

6. 異人は海岸地に住まずして山中の叢林に住みしこと。

 

7. 異人はdual  organization の構成の原因となりしこと。

 

8. 異人が土民の女と結婚する必要ありしこと。

 

9. 異人とその女との間に出来た子供が特殊な社会的宗教的性質を有せしこと。

 

10. 異人は入社式、男子集会所の起源をなしたこと。

 

11. 異人はその異人たることを表徴する杖、及び「音」を有せしこと。

 

12. 仮面が男女二つあること。女異人が山中に住むということ。

 

13. 異人が訓戒、悪事摘発をなし、豊作をもたらし、又はもたらさしめんことを任務としたこと。

 

14. 異人が季節殊に収穫季、冬至に関係したこと。 

 

15. 異人は季節が来ると、その出現を期待されたこと。

 

16. 異人若しくは神は常に村にとどまらないと信じられたこと。

 

17. 異人の出現の際は女子、子供は閉居したこと。

 

18. 異人のタブーが財産の起源となったこと。

 

19. 異人がフォークロア化して遊行歌舞伎団となったこと。

 

20. 遊行人は異装し、杖と音とを有し、饗応を強制し、或は掠奪を敢えてし得ること。

 

21. 遊行人が神話、神の系譜を語り、或は之を演技で表現すること。多く季節と関係して。

 

22. 遊行歌謡団から伊達者(manwoman)が発生したこと。

 

23. 彼等は民間信仰に於いては、侮蔑されつつも亦高き階級に属すとされたこと。

 

・すでに触れたように、岡の考察はメラネシアの社会史を範例として行われたのであるが、これらの異人にまつわる表象、状況、発展について暗示された諸項目は、アフリカの祭祀的秘密結社の成立の事情を辿ることによっても、確認することができるのである。

 

                                                                                     

 

 

『天孫降臨 / 日本古代史の闇』 

コンノケンイチ (徳間書店)  2006/12/8

 

 

 

 

シリウス星系(龍)対オリオン星系(牡牛)

世界各地の神話や伝説を調べると、BC4000~3000年ごろ「牛神」と「龍神」という2種の異星人が地球に来ていたようで、流れは大きく二つに分かれていた。

 

 牛神が活動した本拠地は、現在の西インドとギリシア地方で、それがインド各地の「聖牛伝説」や「ギリシア神話」として今に伝えられている。

 

・メソポタミアの神話にも「天の神」と呼ばれた「牡牛の神々」が登場し、その起源もシュメール文明に始まっている。バビロンの主神マルドゥクも、また旧約聖書にも記されるカナンの神であるバールの父エルも牡牛の神である。この流れは、ギリシアやエジプトにも飛び、ゼウスも牡牛の神である。白い牡牛の姿で美女エウロベに近づいた。豊穣の神ディオニュソスも、エジプトのミンも牡牛である。豊穣の神だけではない。メソポタミアの大地母神イシスも牡牛の姿で現れ、ギリシアの大地母神ヘラも牡牛の目を持つ神で、このようにシュメールからの流れの主神全てが牡牛だった。

 

・原始密教(雑密)の発祥地インドでも、インダス文明の時代から現代まで牛は長く崇拝されてきた。モヘンジョダロの遺跡からBC2000年以上と思われる聖牛の印象や図象・彫像が発掘され、当時すでに牡牛への信仰が存在していたことが判明している。

 

・彼らは、「驚嘆すべき牡牛なす双神」と表現され、発進母星は65光年先の牡牛座(地球から観測する最も明るく輝く恒星アルデバラン)にあると述べられている。牡牛座の近くにはプレアデス星団(スバル座)もありオリオン星系に属する。

 

・一方の龍神はどうだろう。発進母星は地球から約8.7光年離れたシリウス星系でとくに地域を限定せず、全地球規模で活動していたからである。私達の銀河は直径が10万光年あり、その意味では龍神の発進母星シリウス、牛神のオリオンはお隣の星、隣接する恒星といってよい。

 

・前記したインド最古の文献『リグ・ヴェーダ』には天上(宇宙)での両者の凄まじい戦闘が微にいり細をうがって描かれている。そこではテクノロジーの差なのか、圧倒的に牛神が優勢だったようである。

 

 

 

 

『図解雑学 日本の妖怪』

小松和彦    ナツメ社   2009/7/17

 

 

 

<山奥に潜む異世界 隠れ里と神隠し>

・隠れ里、神隠しは、この世ではない「異界」にまつわる概念である。

 

<山奥や風穴の向こう側にある異界>

・隠れ里は、山奥や塚穴の奥深くなどにあるという理想郷であり、迷い家とも呼ばれる。隠れ里に迷い込んだ者は、美しい景色や美味しい食物を堪能できるが、一度そこを去ると二度と戻れない。しかし、隠れ里で得た椀を持ち帰ると、穀物が湧き出て尽きることがなく、豊かな生活を送れるという。

 風穴や竜宮淵といった場所を通して椀を借りる伝承(椀貸伝説)も、直接隠れ里には迷い込まないものの、風穴等の向こう側に異界の存在を想定していることは明らかである。

 

<隠れ里と神隠しの共通点>

・突然の失踪者があって理由もわからない場合、それはときに「神隠し」と呼ばれた。神隠しには、本人が戻ってくる場合と戻ってこない場合がある。本人が戻ってきた場合にも、失踪中のことを忘却していたり、一部しか覚えていなかったりすることがほとんどである。神隠しに遭う者の多くが子どもである点も、注目すべき点である。神隠しによる失踪期間中は山中の異界を彷徨っていたと考えられており、その原因として最も多く語られたのが、天狗による誘拐であった。心神喪失状態での発見や、場合によっては死体での発見もあることから、神隠しは人々に恐れられる現象であった。

 

隠れ里と神隠しには、異郷訪問譚という共通点がある。隠れ里における異界がプラスのイメージをもっているのに対し、神隠しにおける異界は、死に関わるマイナスのイメージを負っているといえよう。しかし一方で、神隠しを通しての異界への訪問は、子どもたちにとって多少のあこがれを伴うものであった。

 

山男・山姥(やまんば) 「山人」と柳田國男

・山男や山姥を「山人」と称した柳田國男。その実在を強調する論を手放したとき、その関心は「山そのもの」へと向かっていった。

 

<山男・山姥とは?>

・「山人」と書いてまず思いだされるのは柳田國男の『遠野物語』である。遠野出身の佐々木喜善という青年の話をもとにして、1910(明治43)年に成ったこの著作は、「国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」という印象的な序文から始まる。事実、『遠野物語』には「山人」と「平地人」とが交流する話が数多く収められている。

 

・柳田にとって「山」とは中世、さらには古代の習俗がいまだに息づく空間であった。そして彼は「山人」と「平地人」に「山民」を加え、平地人は日本人の祖先とされる渡来人で、平地に定住し稲作を生業とする人々、山人は渡来人に敗れ山へ逐われた先住異民族の子孫であり、山中を漂泊している者、山民は山人を逐って山に入ったのち定住し、狩猟や焼畑を生業として生活する子孫であるとする。

 

・さらに、柳田は明治後期から大正期の山に関する論考の中で、山男・山女・山童・山姫・山丈・山姥の総称として「山人」の語を用いているが、自らの生きる現在にも山人は実在しているという考えのもとで論を展開している。しかし、この実在証明への熱気は、積極的に資料を提供してくれていた南方熊楠からの批判によって収束していく。南方は山への信仰や伝承に関心をもってはいたが、山人の実在は信じていなかった。

 

<山姥の正体とは?>

・数々の昔話に登場する山姥。その正体は人を食べる鬼女なのか、それとも豊穣の山神なのか。

 

<山に住む女性、山姥の正体>

山姥は山母、山姫、山女郎などと呼ばれる山に住む女性である。私たちが想像する姿は、大きな口に目を爛々と輝かせ、長い髪を振り乱した老婆ではないだろうか。実際に各地で伝承された目撃談として語られたりする姿は老婆であったり美しい女性であったりする。

 昔話には山姥が登場するものが多いが、そこでは、自分のところに迷い込んできた者をとって食べようとする鬼女の姿をみせる反面、自分を手助けした者には財産を与えるといった、豊穣をもたらす山の神の姿もみせている。

 

山姥について柳田國男は、山の神への信仰と自ら山に入った女性たちが実際にいたことにその実在性を見出した。折口信夫は、自身の「まれびと」論につなげて、決まった時季に神の祝福をもって里を訪れる山の神の巫女の姿を見出した。そして、それらを受けて従来の民俗学では、山の神が零落して妖怪化したものが山姥であるとみなしてきた。しかし、たとえば新潟県糸魚川市上路では、山姥は都から旅をしてきた高貴な女性で自分たちの祖先に幸いをもたらした実在の人物であるとして、親しみを込めて「山姥さん」と呼び祀っているなど、山姥には多様な伝承があり、その伝承を伝える人々にもさまざまな認識や意味づけがある。

 

<山姥と金太郎>

金太郎の母親としての山姥。山中で生活する山姥だが、まったくの独り身だったわけではない。山姥の息子として有名なのが金太郎、つまり坂田金時である。

 中世後期から山姥は文芸作品に登場するが、たとえば世阿弥作の謡曲『山姥』では、越中越後境の山中で旅人を待ち受ける嫗として描かれている。そしてその後、近世初期に「金時は山姥の子である」という文言が登場し、『前太平記』には嫗姿の山姥が、自分が夢中で赤竜と通じて生まれたのが金太郎であると説明する件が入る。そもそも坂田金時は源頼光の四天王の一人として大江山の鬼・酒呑童子を退治するなど、武勇で名を馳せた伝説の人物である。英雄と異常出生と特殊な生い立ちを語る際に、母に選ばれたのが山姥だったのである。

 

 

 

 

『柳田国男の忘れもの』

 柳田国男を確立された像として読むのではなく、彼の作品と対峙する方法で、帰納的とされる柳田の学問的方法が直感的でもあり、いかに未完成で新しい挑戦をめざしたものであったのかを立証する。

  松本三喜夫  青弓社   2008/3

 

 

 

<山人に思いをめぐらす>

 もう一つの民族「山人」

・日本の国民の成り立ちやそこに暮らす人々の生活を考えるとき、「アイヌ」という存在を等閑に付すことによって「一国民俗学」を追及することは可能と思われた。しかし、いわゆる「日本人」と居住の地や空間を同じくしているもう一つの民族が日本には存在していると柳田国男は考えた。それが彼のいう「山人」である。

 

・つまり柳田は課題を共有化するために疑問を提出したが、その疑問についてだれからの解答もなく依然として疑問のままだというのである。

 

・結論を先にのべるようになるが、ただ柳田は山人の存在を証明できなかったところに、山人論の致命的限界があったといえるし、それゆえに柳田の山人論は文学的であると評されるゆえんでもある。

 

・山人について、もっとも要領よく彼の考え方をまとめているのは『妖怪談義』に収められている「天狗の話」であり、講演の記録である「山人考」である。「天狗の話」では、いまなおこの明治の末期の時期に「我々日本人と全然縁のない一種の人類が住んでいる」、これは「空想ではない」こと、そして「平地と山地とは今日なお相併行して入り交わらざる二つの生活をしている」としている。

 

・人びとは山中の幽界を畏怖するあまりに、理解が容易でない現象を天狗の仕業の話として帰してしまうこと、山人は本州、四国、九州の山中に分布していること、教科書には日本の先住民族が次第に追い払われて北へ退いたかのごとく記しているがそれは正しくないこと、そして山人の特徴などに柳田はふれていく。柳田は現状として「きわめて少数ながら到る処の山中に山男はいる」とする。彼の実感としては「いわんや人の近づかぬ山中は広いのである」といい、山中にはいまなお人びとの理解を超えるものがおり、それが山人という存在であると考えた。

 

『山の人生』そのものの内容は、神隠しの話や狐、天狗などいわゆる不可思議な話の見聞談や資料によって構成されている。

 

・『遠野物語』は直接的に山人論を展開しているものではないが、内容的には、深い山で山男や山女に出会う、若い女が行方知らずになる、その女が何年かのちにときとして姿を見せるという話のほか、オクナイサマやオシラサマ、座敷ワラシの話、山にすむ狼や猿の話、淵の主や河童の話など、119話から成り立っている。またその拾遺には、類似の229話が収録されている。

  この作品はまことに不思議な作品で、読み進んでいくと次第に自らが異次元のなかへと引きずりこまれていくような感覚さえ覚えさせられる。

 

しかしながら柳田自身ものべているように、そこに記載されているのは架空のことでもつくり話でもなく、遠い過去のことでもない、まさに「目前の出来事」であり「現在の事実」であった。そこにこの作品の意味もまたあった。

 

・柳田は人びとが忘れ去ろうとしていた時代をひとつの記録として残したのだった。物語のなかには、山男や山女などの話が豊富に散りばめられ、柳田は明らかに平地人とは異なる人びとの存在を意識していたことを十分にうかがわせる。

 

・このように、柳田はさまざまなところで山の神秘や不可思議を意識している。ときにはそれを山の神といい、また山男などとものべながら説明しているが、そこには明らかに平地人とは異なる人びとの存在、つまり山人がいるからこそ平地人にとって不可思議が発生するのだと考えるようになっていく、柳田としては、明らかに山人の存在に信念を抱いていくようになる。

 

・それでは、柳田の考える「山人」とは一体どのような存在だったのだろうか。以下、柳田の山人像を見てみるが、そのとらえ方は、時代により、住んでいる場所により、また姿・形によるなどまちまちである。

  柳田の山人像は、大別するとおおむね次の六つのとらえ方があるだろう。①山人とは「国津神」の末裔である、②先住民族と農耕民族との比較から、先住民族である、③あとから入ってきた平地人に駆逐された存在である、④農耕民など定住民に対する漂白民である、⑤人びとの目の前に現れる姿としての山男、山女、山童、山姥、山姫、山丈などである、⑥動物、とりわけ狒々(ひひ)を見誤ったものとして理解され区分できよう。

  まず「国津神」についてだが、柳田は「山人考」のなかで、日本が単一の民族から成り立っているのではなく、数多の種族の混成であるという考え方を前提としている。

 

・柳田によれば、前九年後三年の役のころまでに東征西伐、つまり天津神による日本の同化事業が終わることになるという。そのなかで柳田は被征服民として、土蜘蛛や大和の国樔(くず)、そして陸奥の夷民などにふれていく。土蜘蛛がどのように天津神によって同化されていったかについては、坂東眞砂子の小説『鬼に喰われた女ー今昔千年物語』(集英社)の第十篇に滅ぼされた者の怨念という視点から興味深く書かれている。

 

 

 

『国際化時代と『遠野物語』』

石井正己     三弥井書店     2014/9

 

 

 

「『遠野物語』における人間と妖怪のエコロジー   金容儀」

 

<人間と妖怪のエコロジー>

・私は20092月に柳田国男の『遠野物語』を韓国語で翻訳して紹介した。

 

・『遠野物語』で語られる人間と自然の共生において、特に私が興味を持ったのは、人間と妖怪の共生である。『遠野物語』には多様な妖怪が登場している。私の調査によると、『遠野物語』に収録されている119話の話の中で、妖怪が登場する話は合わせて73話にのぼる。『遠野物語』は、「妖怪物語」と言っても過言ではないだろう。

 

<『遠野物語』における妖怪伝承の類型>

 

山の怪には、山人、山男、山女、山神、山姥などが登場する。動物の怪には狐、鹿、猿などがある。家の怪にはオクナイサマ、オシラサマ、ザシキワラシ、カクラサマなどがある。水の怪の典型的なものが河童(川童)である。雪の怪としては雪女があげられる。

 

<山に棲む妖怪>

・「山の怪」の中でも、特に山男や山女が頻繁に登場している。山男と山女は、それぞれ一人で現れる場合もあり、山男と山女がいっしょに登場する事例を取り上げてみたい。

 

(事例1;第3話)

・山々の奥には山人住めり。栃内村和野の佐々木嘉兵衛という人は今も七十余にて生存せり。この翁若かりしころ猟をして山奥に入りしに、遥かなる岩の上に美しき女一人ありて、長き黒髪を梳りていたり。顔の色きわめて白し。不敵の男なれば直に銃を差し向けて打ち放せし弾に応じて倒れたり。そこに駆けつけて見れば、身のたけ高き女にて、解きたる黒髪はまたそのたけよりも長かりき。のちの験にせばやと思いてその髪をいささか切り取り、これを綰ねて懐に入れ、やがて家路に向いしに、道の程にて耐えがたく睡眠を催しければ、しばらく物蔭に立寄りてまどろみたり。その間夢と現との境のようなる時に、これも丈の高き男一人近よりて懐中に手を差し入れ、かの綰ねたる黒髪を取り返し立ち去ると見ればたちまち睡は覚めたり、山男なるべしといえり。

 

・(事例1)には、山男の姿形について具体的に語られていないが、『遠野物語』の他の事例と合わせて考察すると、山男は背が高くて目がきらきらしているのがふつうである。

 

・即ち『遠野物語』の第7話、第28話、第29話。第30話、第92話に登場する山男は、例外なく背が高くて目が鋭いという特徴を持っている。そして山女の姿形は、長い黒髪に顔の色が極めて白いという特徴を持っている。

 

・また『遠野物語』には、山男に近い存在として山の神が語られている。『遠野物語』の第89話、第91話、第102話、第107話、第108話などに山の神が登場するが、ここに登場する山の神の姿形は背が高くて顔が赤く、目が鋭いという定型化されたイメージで語られている。即ち山の神のイメージは山男のイメージと重なっていることがわかる。これは遠野の人々の間で、山男と山の神が同類の存在として認識されていたことを意味する。

 

<この世とあの世を往来する亡霊>

・妖怪の類型から言うと、亡霊は山の怪に次いで第二位を占めている。それらの中でも、第22話、第23話、第54話、第77話、第78話、第79話、第81話、第82話、第86話、第87話、第88話、第99話などは、現実世界(この世)に現れた亡霊をその親戚にあたる人や知り合いの人が目撃したという筋になっている。つまり目撃者(あるいは話者)が出会った亡霊の話がかなり具体的に述べられている。

 

 これも一種の人間と妖怪の「共生」と受け止めることができるであろう。即ち少なくとも『遠野物語』の世界では、この世とあの世は完全に断絶されておらず、何かのきっかけがあれば、亡霊(死霊)がこの世に現れ、人間との共生をはかっていたと言える。

 

・逆に人間のほうがあの世に出向いた後、この世に戻ってくる場合もある。例えば『遠野物語』の第97話はいわゆる臨死体験に関する話である。死んだと思われた菊池松之丞という人があの世を体験してから、この世に戻ってくる。

 

・(事例2:第54話)は、川井という村の長者の奉公人が山に木を伐りに行って、水中に斧を取り落したことがきっかけになって、水中という異郷を訪問し、23年前になくなった主人の娘に出会った話である。

 

・長者の奉公人が水中を訪問したことによって、「その方身上良くなり、奉公をせずともすむように」なったところは興味深い。なぜならば説話の世界では、主人公が異郷を訪問したことによって、異郷のもの(援助者)の助けによって金持ちになるというモチーフが多いからである。つまり人々の間で、異郷とは現世に富をもたらす世界として認識されていたのである。

 

<人間の家に棲む妖怪>

・『遠野物語』には、家の怪として、オクナイサマ、オシラサマ、ザシキワラシなどが伝えられる。これらの妖怪はどれも家の興亡を左右する家の神としての属性をも持っている。

 

<河童のエコロジー>

・河童は日本の水の怪の代表的な存在である。河童を素材にしたキャラクター商品が出回り、漫画やアニメーションなどにも頻繁に取り上げられていることを考えると、日本人の間にかなり親しまれている妖怪であることがわかる。

 

・一般に河童の属性としては、駒をひく、肝を抜く、相撲を好む、富を授ける、キュウリを好むなどが取り上げられるが、それら河童の属性は、人間と河童の間に行われてきた交渉ないしは共生を意味すると言える。つまり人間側から見て、河童とは駒をひく厄介な存在、子どもの胆を抜く恐ろしい存在であるが、交渉がうまくいった時には、富を授けてくれるありがたき存在でもあったのである。

 

<事例7:第55話>

 

・川には川童多く住めり。猿ヶ石川ことに多し。松崎村の川端の家にて、二代まで続けて川童の子を孕みたる者あり。生まれし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。その形くわめて醜怪なるものなりき、女の婿の里は新張村の何某とて、これも川端の家なり。その主人人にその始終を語れり。かの家の者一同ある日畠に行きて夕方に帰らんとするに、女川の汀に踞りてにこにこと笑いてあり。次の日は昼の休みにまたこの事あり。かくすること日を重ねたりしに、次第にその女のところへ村の何某という者夜々通うという噂立ちたり。始めには婿が浜の方へ駄賃附に行きたる留守をのみ窺いたりしが、のちには婿と寝たる夜さえくるようになれり。川童なるべしという評判だんだん高くなりたれば、一族の者集まりてこれを守れどもなんの甲斐もなく、婿の母も行きて娘の側に寝たりしに、深夜のその娘の笑う声を聞きて、さては来てありと知りながら、身動きもかなわず、人々いかにともすべきようなかりき。その産はきわめて難産なりしが、或の者のいうには、馬槽に水をたたえその中にて産まば安く産まるべしとのことにて、これを試みたれば果たしてその通りなりき。その子は手に水搔あり。この娘の母もまたかつて川童の子を産みししことありという。二代や三代の因縁にはあらずという者もあり。この家も如法の豪家にて何の某という士族なり。村会議員をしたることもあり。

 

・(事例7)は、人間と妖怪の間に行われた様々な交渉の中でも、婚姻を媒介とした交渉を物語っている。いわゆる「異類婚姻譚」に属する話で、松崎村に住む川端家の女が河童の子をみごもった話である。類話でも、ほとんど河童のほうが男性、人間のほうが女性として語られているが、(事例7)でも、河童のほうが男性、人間のほうが女性になっている。

 

<『遠野物語』における妖怪伝承の特徴>

・以上『遠野物語』の妖怪伝承について概観した。『遠野物語』に伝わる妖怪の特徴として、おおよそ以下の三つをあげることができるであろう。

 

 第一に、妖怪が現れる場所として、山の中が圧倒的に多いことである。

 

・遠野の人々の間でも、山は妖怪などが棲んでいる非日常的な空間として認識されていた。多くの場合、妖怪に出会った人たちは、山の中に仕事場を持っていた人たちである。即ち岩焼きや狩りを生業としていた人たちによって、妖怪に出会った体験が語られている。

 

・第二に、話に登場する妖怪の姿形がかなり具体的に述べられていることである。これは『遠野物語』に限らず、日本の妖怪伝承の一つの特徴であると言えるであろう。例えば山男は、背が高くて目が鋭いという定型化されたイメージで語られる。また山女のイメージは、長い黒髪に顔の色が極めて白いという特徴を持っている。他の妖怪の場合も、ほとんど決まったイメージで語られている。

 

・第三に、人間と妖怪の共生である。もともと妖怪とは非常に恐ろしい存在であるが、前近代の共同体に欠かせないダイナミックな共同体を作ってきたといえる。

 

 

 

<●●インターネット情報から●●>

 

「青空文庫」『遠野物語』

 

「五四」 閉伊川(へいがわ)の流ながれには淵(ふち)多く恐ろしき伝説少なからず。小国川との落合に近きところに、川井(かわい)という村あり。その村の長者の奉公人、ある淵の上なる山にて樹を伐るとて、斧(おの)を水中に取(と)り落(おと)したり。主人の物なれば淵に入りてこれを探(さぐ)りしに、水の底に入るままに物音聞ゆ。これを求めて行くに岩の陰に家あり。奥の方に美しき娘機(はた)を織りていたり。そのハタシに彼の斧は立てかけてありたり。これを返したまわらんという時、振り返りたる女の顔を見れば、二三年前に身まかりたる我が主人の娘なり。斧は返すべければ我がこの所(ところ)にあることを人にいうな。その礼としてはその方身上(しんしょう)良(よ)くなり、奉公をせずともすむようにして遣(や)らんといいたり。そのためなるか否かは知らず、その後胴引(どうびき)などいう博奕(ばくち)に不思議に勝ち続(つづ)けて金溜(かねたま)り、ほどなく奉公をやめ家に引き込みて中(ちゅう)ぐらいの農民になりたれど、この男は疾とくに物忘れして、この娘のいいしことも心づかずしてありしに、或る日同じ淵の辺(ほとり)を過(す)ぎて町へ行くとて、ふと前の事を思い出し、伴ともなえる者に以前かかることありきと語りしかば、やがてその噂(うわさ)は近郷に伝わりぬ。その頃より男は家産再び傾(かたむ)き、また昔の主人に奉公して年を経たり。家の主人は何と思いしにや、その淵に何荷(なんが)ともなく熱湯を注そそぎ入れなどしたりしが、何の効もなかりしとのことなり。

 

 

 

○下閉伊郡川井村大字川井、川井はもちろん川合の義なるべし。

 

「九七」 飯豊(いいで)の菊池松之丞(まつのじょう)という人傷寒(しょうかん)を病み、たびたび息を引きつめし時、自分は田圃に出でて菩提寺(ぼだいじ)なるキセイ院へ急ぎ行かんとす。足に少し力を入れたるに、図らず空中に飛び上り、およそ人の頭ほどのところを次第に前下(まえさが)りに行き、また少し力を入るれば昇ること始めのごとし。何とも言われず快(こころ)よし。寺の門に近づくに人群集せり。何故(なにゆえ)ならんと訝(いぶか)りつつ門を入れば、紅(くれない)の芥子(けし)の花咲き満ち、見渡すかぎりも知らず。いよいよ心持よし。この花の間に亡(な)くなりし父立てり。お前もきたのかという。これに何か返事をしながらなお行くに、以前失いたる男の子おりて、トッチャお前もきたかという。お前はここにいたのかと言いつつ近よらんとすれば、今きてはいけないという。この時門の辺にて騒しくわが名を喚(よ)ぶ者ありて、うるさきこと限りなけれど、よんどころなければ心も重くいやいやながら引き返したりと思えば正気づきたり。親族の者寄り集(つど)い水など打ちそそぎて喚(よ)び生(い)かしたるなり。

 

 

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