2015年7月21日火曜日

小野田さんのルバングでも本当の使命は何だったと思いますか。Kは「推論だが」と前置きしたうえで答えた。「残置諜者としての任務を果たしたわけです。しかし僕は彼の本当の使命は“マル福金貨”を守ることにあったと思う」


 

『小野田寛郎は29年間、ルバング島で何をしていたのか』

「帝国陸軍最後の軍人」が守り通した秘密  

斎藤充功   学研    2015/5/27

 

 

 

・軍服を脱ぎ(昭和18年以降になると軍服で勤務した卒業生がほとんどであった)。背広や現地人の服装をまとい、中国大陸や満州、北方、南方地域などの日本軍が進出した全戦線で謀略戦や情報戦、あるいは諜報戦、宣伝戦、遊撃戦(ゲリラ戦)などの特殊工作を展開したのが、中野学校の卒業生たちであった。

 

・それから6年後の2014年(平成26116日、肺炎で小野田はこの世を去った。91歳だった。結局、小野田の口からルバング島の知られざる真実を聞くことはできなかった。

 だが、小野田が発したあの言葉は、その後も私の頭から離れることはできなかった。

「ルバング島のことだが、今まで誰にも話していないことがあるんだ・・・・」

 もしかしたら、小野田は誰にも話していないルバング島での29年間の真実を、ルバング島の極秘任務の真相を私に話してくれようとしたのではないか――。

 ここから小野田寛郎の真実の姿を追跡する取材が始まった。

小野田はあのとき、私に何を話そうとしたのだろうか。

そして、小野田はルバング島で29年間、いったい何をやっていたのかーー。

 

・堀の記述をみれば、情報班の別班の任務はスリリングだったことが窺える。そして、山路長徳少佐が指揮する「山路機関」が、1942年(昭和17)末、敵の女性スパイを確保して、“2重スパイ”に仕立て上げたという秘話も、堀は同書で次のように書いている。

 本間兵団(注・第14軍の軍司令官で戦後、処刑された本間雅晴中将の指揮する部隊)がマニラに進入したとき、軍参謀の部屋から本間兵団の重要書類を盗もうとした、英国の仏人系美人スパイのリタを捕えて、これに整形手術をさせ、別人の顔に仕立てて遂に日本のスパイとして、マッカーサーが比島から退却に際して残していった米軍の残置諜者を暴き

出し、これに徹底的な打撃(主として処刑)を与えたのも山路機関であった。(注は著者)

 中野学校は「謀略は誠なり」の精神を教育理念としていたが、堀の記述にもあるように、戦地では、スパイ活動によって拘束した敵の工作員を処刑していたことも明らかにされている。

 

30万を超える兵力を要していたとはいえ、堀の分析によれば、方面軍の戦力は兵員、火力ともに米軍の3分の1程度の戦力しかなかったとされる。このような戦況下にあったフィリピン戦線へ小野田らは派遣されたのである。小野田が着任したのは、方面軍参謀部情報班だったが、正式な申告は、マニラから南に100キロほど離れたリパに司令部を置く第41軍隷下の第8師団(弘前)だった。この師団はルソン島南部を防衛する中核師団として奮戦しているが、終戦直前には米軍によって全滅寸前まで追い詰められていた。最後の師団長は、第41軍司令官兼務の横山静雄中将(陸士24期)だった。

 

<残置諜者としての戦い>

・潜伏を決して以降の小野田は、中野学校で仕込まれた諜報員としての本領を発揮し、部下3人を率いて島内で残置諜者としての活動を開始する。

 かき集めて所持していた武器・弾薬は「38式歩兵銃3丁、99式小銃1丁、14年式拳銃2丁、軍刀1本、手榴弾8個」で、実弾は「歩兵銃と小銃弾合わせて2300発、ルイス式旋回機銃弾600発(飛行機搭載の機銃)」(『たった一人の30年戦争』より)だった。小野田らは、これらの武器と装備で米比軍と交戦するつもりでいたが、実戦を経ずして日本は無条件降伏した。対米戦争に日本が負けたという情報を、小野田が半信半疑ながら知ったのは、米軍機から撒かれた“降伏ビラ”によってだった。1945年(昭和2010月末のことである。

 

 

<帰国後に巻き起こった空前の“小野田ブーム”>

・フィリピンにおけるすべてのセレモニーが終わってから3日後の、1974年3月12日午後4時、小野田は日本に帰還した。

 当日羽田国際空港の第2スポットに、日航機326便は駐機した。空港の送迎デッキには、小野田の帰国を祝う7000人を超える人々が、手に手に日の丸の小旗を振って、万歳を三唱していた。

 

・複雑な心情に揺れ動いていた小野田を尻目に、報道合戦はますます過熱していった。そんな最中に舞い込んだのが、週刊誌『週刊現代』からの手記の執筆依頼だった。講談社が所有する伊豆の別荘で、口述筆記するゴーストライターと生活を共にしながらの執筆だった。

 1974年(昭和49)7月にスタートした連載のタイトルは「闘った 生きた」。帰国からわずか4ヵ月後の手記連載という、異例の速さだった。

 だが、帰国後の猛烈な環境の変化で小野田は心身ともに疲弊したため、日本の生活に嫌気がさし、帰国から半年後には次兄が経営しているブラジルのマットグロッソにある牧場に、雲隠れしてしまった。

 

<シ―グレーヴが説く「山下財宝」伝説>

・フィリピンの金塊にまつわる有名な話に「山下財宝」伝説がある。

山下奉文大将率いる日本軍が、終戦時にフィリピンの地下に莫大な量の金塊を埋め、戦後に引き上げようとしたものの、そのままの状態で眠っているという、いわば都市伝説のような話であり、戦後も詐欺話の枕詞として流布してきたという経緯がある。

 

・第2次世界大戦末期、日本軍はアジア各国から略奪した金・財宝をフィリピンに隠したというのである。

 

<フィリピン金塊譚と小野田寛郎の接点>

・そして“奇譚”ともいうべき、フィリピン金塊譚のバックボーンに関して、1章を割いてまで検証した理由は、小野田寛郎の知られざる任務、つまり、彼が日本が敗戦したという事実を知りながら、ルバング島に潜伏し続けた理由と密接に関係するからである。

 山下は取材の際、私にこう言った。

「フィリピンには、ふたつの種類の金塊がある事実を認識して頂きたいのです。ひとつは、“機関”によって計画的に隠匿された大量の金塊。もうひとつは、軍によって隠された軍資金です」

 ふたつの金塊譚が合体して、途方もない量の金塊がフィリピンに眠っているという「山下財宝伝説」が形成された。

 そして、シーグレーヴは『GOLDWARRIORS』で、小野田の任務を“皇族によって隠匿された金塊を監視すること“だったと書いた。しかし、私は中野学校関係者の取材を通して、小野田に課せられた任務は、シーグレーヴが説く任務とは違うものだったのではないかという考えに至った。

 では、小野田の任務とは何だったのかーーそれは、山下の証言にあった“軍によって隠された軍資金”を守ることだったのではないか。そして、その軍資金とは、“マル福金貨”と呼ばれた、ゴールド・コインだったのではないか…………。

 

<運命のゴールド・コインーーマル福金貨>

<「福」という文字が刻印された金貨>

<「彼の使命はマル福金貨を守ることにあったと思う」>

・――小野田さんのルバングでも本当の使命は、何だったと思いますか。

Kは「推論だが」と前置きしたうえで答えた。

「残置諜者としての任務を果たしたわけです。しかし僕は、彼の本当の使命は、“マル福金貨”を守ることにあったと思う。

 戦地は終戦末期になると軍票はまったく使えず、物資の調達はマル福(金貨)でやっていた。杉兵団がルソンからルバングにまる福を運び込んだのは、尚武集団の命令で軍資金の安全を考えたうえでの秘策だったと思う。目的は軍資金の隠匿。ちょうど、小野田が派遣された時期に運び込んだのではないか」

 

<師団司令部から届いた“重要なブツ”>

・小野田が「日本は戦争に敗け、終戦を迎えた」という事実を認知していたことはまちがいない。にもかかわらず、日本の敗戦を認知していた彼が、ルバング島に29年間も潜伏し続けていた理由は、我々が与り知ることのできない“特殊な任務”を彼が背負っていたからだとしか考えられない。

 その“特殊な任務”とは何かーーそれが、前出のKの証言にもあった「マル福金貨を守ること」だったのではないか。

 

<“虚像”という重い十字架>

・小野田は昨年1月、入院先の築地・聖路加国際病院で91歳で亡くなった。

 19743月に帰国して以来、小野田は自身の思惑とはまったく別の次元で創られた「英雄・小野田寛郎」という“虚像”を、あらゆる場面で演じ続けてきたのではないかと思う。

 

・小野田寛郎は、29年間、ルバング島で何をしていたのかーー。

 この問いに対する私の見解はすでに述べた。山下の見解が正しいのか私の見解が正しいのか――それは読者の判断に委ねたい。いずれにしろ、本書で明らかにした小野田の実像は、残置諜者としての任務を全うした、命令に忠実な、紛うことなき「帝国軍人」であった。その事実はけっして揺るがない。

 29年間の潜伏と引き換えに小野田が得たものは何だったのだろうか。ブラジル移住の資金も、隠匿された金塊から得たという話も一部では囁かれた。しかし、それは違うだろう。当時、出版界で小野田の手記の印税は「数千万円から1億円」と噂され、話題となった。おそらく、移住の資金は手記の印税から捻出されたはずだ。

 

 

 

『天皇の金塊』

高橋五郎  学習研究社   2008/5

 

 

 

<明治以降の日本における最大のタブーと欺瞞>

・「金の百合」と称せられる“巨大資金”がわが国には隠匿されている。戦争を繰り返した大日本帝国が、“天皇の名”のもとにアジア各地から強奪した戦利品の集大成である。現代の日本社会をも動かしつづけているという、この略奪財宝の実態とは果たして何なのか?{金の百合}を軸に見えてくる、これまで決して語られることのなかった、明治以降の日本における最大のタブーと欺瞞を白日のもとにさらす。

 

・繰り返すが、ほぼ150年前のいわゆる“近代ニッポン”の始まりは国民のための近代社会の始まりとはまるで無関係だったということだ。要するに明治維新を革命と讃えている間は、大正・昭和・平成と続く時代の真実は見えないようになっているのである。

 

<ヒロヒト名義の大量金塊がフィリピン山中に今も隠匿>

・「あの戦争の最中も、昭和天皇のマネーはバチカン系の金融機関で運用されていたものだったよ」。私が元ナチス・ドイツのスパイ(スペイン人ベラスコ)から、昭和天皇の名義とされる「天皇の金塊」=秘密マネーがバチカン系の銀行で運用されていた――こんな話を聞かされたのは1980年(昭和55年)の初頭だった。

 

・ベラスコ(南欧系、熱血漢)は戦時中、戦費の調達目的で秘密交渉を担当したナチス親衛隊大将で保安諜報部外務局長の「RSHA」ワルター・シューレンベルグ(北欧系、青白き天才)と共によく銀行に出向いていた。訪問先はドイツ国立銀行ライヒスバンクとスイスに新設された銀行――金塊を担保に、参戦国全ての戦費融資に協力する唯一の“戦時”バンク、国際決済銀行(通称BIS)だ。

 

・ドイツ国防軍情報部(アプヴェール、長官カナリスはシューレンベルグと犬猿の仲)に所属するベラスコはSSシューレンベルグの活動エリアよりも広く、ドイツ国内はもとよりスペイン、イタリア(バチカン教皇国)、日本も含んでいた。

 

・ベラスコが機関長を務めた情報機関(TO)は、歴史と宗教上の経緯から南米スペイン語圏の大小の諸国と太平洋の島嶼フィリピン諸島を活動の範囲に含んでいたのだ。

 

・私はベラスコが勿体をつけて語ったバチカン・マネーの話を聞いてからほぼ数年後の1988年頃、今度は乾き切ったシュールな金塊話を日本人の国際金融ブローカーたちから聞かされることになる。それは昭和天皇(日本皇室)所有で知られた金塊が天文学的規模で現在もフィリピン山中に隠置されているというもの。天皇家名義の金塊のほかにバチカン名義の金塊も含まれるともいう。

 

<“霞ヶ関埋蔵金”こそ実は「天皇ファンド」「天皇の金塊」の利息分>

・福田新総裁が誕生して、民主党が参議院を制している環境のなかで道路特定財源の扱いを巡る攻防が喧しい。そんな中で元自民党幹事長の中川秀直が「予算が足りなければ“霞ヶ関埋蔵金”を使えばいいじゃないか」と発言。これが2007年(平成19年)末の永田町のちょっとした話題になった。中川のいう埋蔵金はいわゆる「M資金」などとも呼ばれた出所不明の部類の資金のことなのだが、それについて新聞はもとより、政府実力者たちすら本当のこと=「金の百合」をまったく知っていなかったようだ。

 

<マルコス大統領が「金の百合」を換金するには黄金商売人一族の裁可が必須>

・フェルディナンド・マルコス。彼は一介の弁護士からフィリピン大統領に成り上がった立志伝中の人で、大統領の座を「金の百合」資金で買い取った人物でもある。その後ろめたい秘密を炙りだす最初で最後のキッカケが「マルコス裁判」だった。マルコスはこの裁判で大統領の座から失墜する。民間人の山師が掘り起こした「金の百合」の一部をマルコスが強奪したことから争われたその民事訴訟裁判は、マルコス被告に賠償金430億米ドルを支払わせた。

 

・賠償金の原資もまたマルコスが地下サイトから秘密裏に回収した「金の百合」の一部が生み出したカネで賄っている。マルコスが大統領時代に地中から回収して換金、内緒で懐に入れたカネはおよそ16300億米ドルにものぼっていた。

 

<「黄金ファンド」は「四ツ谷資金」「キーナン資金」「M資金(吉田資金)」>

・「黄金ファンド」(基金)は、1946119日の“東京裁判”(極東国際軍事裁判)をまるで待ちかねていたかのように動かした。裁判向けの経費支出は、フィリピン山中から初めて金塊を堀り起こしたアメリカの将官(前述)であったサンティとランスデールの上官で日本占領軍司令部G2のチャールズ・ウィロビー将軍が担当した。ウィロビーは「黄金ファンド」を「四ツ谷資金」「キーナン資金」、そして、のちに両資金を合体させる通称「M資金」に分けて支出した。「四ツ谷資金」とは当時の歓楽街で、無法者がはびこる新宿四ツ谷界隈をもじった呼び名だといわれる。

 

・たとえば、中国、満州それに朝鮮半島方面にスパイを送り込んだり、国内の左翼活動家や団体を弾圧する指揮現場が四ツ谷周辺にあったからだとも言われる。基金は反共作戦に動員する右翼活動家や暴力団を支援する資金にも使われると同時に、左翼勢力にも裏面で渡された。日本の共産党が戦時下も戦後もアメリカ共産党と教会経由の資金援助で活動していたことはよく知られている。

 

<昭和天皇の国師、三上照夫は物理霊媒の亀井三郎と双璧の博士>

・三上は毛沢東、周恩来の学者ブレーンたちと協議して日中国交回復時の対日賠償請求を中国側に断念させた人物だ。三上は3人のニッポン人国際法学者を同行、中国側の専門家たちとの間で日中の歴史(戦争)問題を事前に片付けて田中角栄の訪中をスムーズにした。

 

・その外交交渉の裏舞台で三上は「兵馬俑の共同開発をしないか」。中国側からそんな話を持ちかけられた。三上が共同発掘を断った理由は「地中に意念が残されていて危ないからだ」とのことだった。ここで、国師三上照夫の人物像について、三上を慕った周辺の人物たちが知る範囲と、三上が私に直接語ってくれた範囲で説明しておこう。

 

・終戦時、三上は大正から昭和にかけて活躍した京都の仏教学者(文学博士)でのちに禅の巨匠と呼ばれる今津洪嶽(18411965)の愛弟子であり、ユダヤ・キリスト教の経典をへブライ語で通読する若者の1人として、皇居に招かれて昭和天皇にユダヤ・キリスト教とは何かを進講し

ている。

 

<三上が物理霊媒力を備えた若者だったことを知る人は少ない>

・日本で稀有な能力が研究者の手で改めて明かされた人物は昭和初期のいわゆる物理霊媒師の亀井三郎。本稿はすでに故人になった亀井三郎の超能力者ぶりを例に、三上照夫が備えた物理霊媒能力を説明しておこう。物理霊媒という超能力は、たとえば物体に手を触れないでその物体を空中浮遊させたり、距離と無関係の遠い場所にある物体やあらゆる状況を鮮明に透視する能力のことだ。こうした超能力を三上は備えていた。

 

 

 

1923年(大正12年)日本心霊科学研究所を創設した浅野和三郎は、亀井三郎の超能力ぶりを知り、人物亀井の出現はペリー提督の黒船登場にも勝る、と驚嘆したと伝えられている。ちなみに浅野和三郎は日本心霊科学の父と呼ばれた人物だ。

 

・亀井は彼らの面前で数種の楽器を空中浮遊させ、それぞれの楽器から音を鳴らして見せた。また床に置かれた紫檀製の重いテーブルを空中に浮揚させ、そのテーブルを数人掛かりで床に引き戻させたが、テーブルは天井に張り付いたまま動かなかった。

 

・昨今のテレビ番組が紹介している「超能力者」たちのそれらのようにも見えるが、亀井の能力は似て非なるものだった。亀井には心霊の存在をカタチで現す能力もあった。霊媒亀井の鼻孔から溢れ出る白い固形の流動物に人間の顔写真(いわばプリントゴッコに写った写真)のシールを貼ったような著名な人間の顔が次々と現れる霊力だ。

 

・専門家たちはその現象をエクトプラズムと呼んでいる。つまり、見えない霊を見えるカタチに変える物質化現象のことだ。亀井は心霊人間であって娯楽向け手品師ではない。超能力ぶりを示している場面は大手新聞にも掲載されている。

 

・三上照夫は文学博士、経済学博士で、東大・京大・大阪大教授を歴任し、佐藤から中曽根まで7代、22年間内閣ブレーンを務めるとともに、亀井三郎と同じ古神道の世界に生きる“超能力者”だった。その三上に亀井は接触、三上が主宰する古神道系団体「御上教苑」で活動した。亀井は自らも神霊界や古神道の勉強道場「白日教苑」を支援者を得て進めていたから三上とはすぐに共鳴した。

 

・「先生(三上)は私が娘時代に8畳間ほどのお部屋で私の父とお話をされている間に、お部屋の片隅に置いた私の人形を、お部屋の反対側の隅っこに手も触れずに移動させました。私は驚きましたが今はもう驚きません」

 

 1992年頃、私は三上が上京するたびに三上身辺のお世話係を務めている中年女性からこの話を聞いた。私は天皇の国師三上がそれまで黙して語らなかった三上の一部を知ったものだった。

 

<「黄金ファンド」の存在と活用法を熟知の三上照夫は松下幸之助や歴代総理の指南番>

・三上青年がGHQ占領中の皇居訪問以来再び皇居に招かれて天皇の国師として仕えてきた事実は現在もごく内輪の関係者が知るのみだ。早すぎた晩年を迎えて鬼籍に入った三上が、その直前に自身から実は、と天皇に仕える立場を語ったのを聞かされた内輪の人々のほかには知られていない。天皇の侍従長、入江相政が三上を大切にしたという説とその逆の説もあるが、真実を知る者はいない。

 

・三上は次の皇太子徳仁(浩宮)親王の先生役を再び務めるつもりだと私に嬉しそうに語っていたものだった。昭和天皇の国師のみならず佐藤栄作首相からその後に続く歴代の首相の相談に乗ってきていた。

 

・三上に相談を続けてきた実業家の1人に松下幸之助がいた。松下は三上から「帝王学」を15年間教えられてきた。佐藤政権以来の大蔵、通産、外務など主要各省の上級官僚たちも毎年正月には、内政、経済、外交などの見通しを三上から示唆されていた。

 

・三上は「黄金ファンド」の存在と活用方法をよくよく心得ていた。三上の周辺のごく内輪の人も「黄金ファンド」(秘密資金)の存在を知らなかったが、三上がしばしば口にする「産業育成資金」(前出)については周辺の人々も頭の中では知っていた。周辺の人々はおそらく今も、三上が口にしたアメリカに積んである「産業育成資金」、それが「黄金ファンド」のことで、“天皇マネー”に端を発した秘密資金だとは気づいていないだろう。

 

 <ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)からの情報>

小野田 寛郎(おのだ ひろお、大正11年(1922年)319 - 平成26年(2014年)116日)とは、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は予備陸軍少尉。旧制海南中学校・久留米第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒。

 

情報将校として大東亜戦争に従軍し遊撃戦(ゲリラ戦)を展開、戦争終結から29年目にしてフィリピン・ルバング島から帰還を果たす。

 

 




■■■ 私が思うこと、聞いたこと、考えること ■■■

・「小野田寛郎」といっても今の若い人で知っている人は、非常に少ないと思われます。終戦後も30年間、フィリピンのルバング島で、最後は一人でゲリラ戦を闘っていた「中野学校」の残置諜者です。小野田寛郎さんと「フィリピンでの日本軍の金塊や金貨」の話を結びつけるのは、本書が最初のようです。フィリピンでの戦争は、私たち一般人は、「戦史家」ではないので詳しいことは知りません。特に、「フィリピンにおける日本軍の軍政」も機密事項だったので、分からないことが多いようです。

 

・ちなみに、移住した小野田牧場のあったブラジルのマットグロッソには、沖縄等の移民が多い地域だそうです。戦後生きていたといわれる、ナチスのヒトラーも最後はマットグロッソという場所に移り住み1984年に95歳で亡くなったと伝えられています。

 

・戦争中や戦後の大混乱のドサクサのことで何事も正確には分からないようです。欧州でも戦後の大混乱の中で、ナチスのヒトラーの金塊・資金にまつわるさまざまな動きがあったようです。戦争中には偽札も発行されたようで、経済面での破壊活動も激しくあったようです。このような話はどこまでがナンフィクションなのかもよくわかりません。戦争にまつわる資金のことは軍事機密で書類も焼却されるのでしょう。諜報機関にまつわる資金関係は各国とも分からないようになっているようです。それこそトップシークレットなのでしょう。ましてアバブ・トップシークレットでは何も分かりません。

 

・宇宙人情報のように国家安全保障上の最高機密(トップ・シークレット)の数段階上の厳秘(アバブ・トップシークレット)扱いのものもあるのでしょうか。宇宙人情報は各国の諜報機関と結びつき、秘密は保たれているようです。諜報機関と宇宙人は馴染みがあるそうです。『天皇の国師:知られざる賢人三上照夫の真実』(宮崎貞行)(学研)という本がありますが、エスパー(超能力者)と天皇の話についてもよく分かりません。戦前の帝国陸軍や海軍のスパイ活動についても不明なことが多いそうです。

 


・私たち一般人には、現代の「世界のスパイの実態」については理解不能なことが多いようです。「諜報機関は国家にとって最も重要な死活の国家組織だ」そうです。が、その諜報機関も日本には存在しませんので、「諜報機関のない国は北朝鮮の拉致事件にも無力だった」とも非難されています。「諜報機関のない国は既に国益を大きく損ねている」そうです。日本国の「失政」も増えており日本政府の劣化が懸念されています。なぜか諜報機関の設立については、国会の動きが分かりません。諜報機関の設立は集団的自衛権の法律よりも重要な案件だそうです。
国家経営の実務に精通したベスト&ブライテストのテクノクラートの英知を結集した「国家改造計画」が求められているそうです。
 

・公安調査庁の元部長によれば「日本は諜報機関のない世界的に珍しい国だ」そうです。真面目な官僚や政治家も「諜報機関を作れ」と声高に叫び動いていないそうです。「諜報機関のない国は始めから負けている」ともいわれます。北朝鮮の拉致事件も解決されていませんし、巨額な被害額の「振り込め詐欺」の犯罪者も一網打尽になっていません。私たち一般人には、「この程度の問題も解決ができないのか」と不思議に思います。

 

・警察に非難が殺到しない日本的な状況のようですし、大新聞社の活動も私たち一般人には、十分、分かりません。それこそ税金の無駄遣いをやめて、諜報機関の設立・運営資金にしたらよいそうです。今話題の豪華な新国立競技場も誰が資金を出すのでしょうか。限られた予算、限られた処遇、増えない税収、十分でない福祉予算を削る財政赤字ということで、将来の「消費税20%」が当然のごとく有識者の間では議論されています。

 

・「諜報機関のない国は国家競争から最初に脱落する」ともいわれます。諜報機関が機能していないため、拉致事件や詐欺グループの暗躍など、国民を不安にすることが多すぎるそうです。スパイのノウハウについても日本は後進国のようです。「中野学校」のスパイ技術レベルは当時ではかなりのものだったようです。安全保障の問題も肝心の諜報機関なしで、海外に自衛隊を派遣するのでしょうか。世界の諜報の世界は「スパイ教育を受けたネィティブ・スピーカー・コンプリート・バイリンガルでないと使いものにならない」過酷な世界だそうです。脳天気(ノー天気)な日本人は犠牲者になるばかりのようです。

 

・「警察がしっかりとしておれば、拉致事件は起こらなかった」と元警察官僚が述べているそうで、私たち一般人には、理解不能なことが多いようです。私たち一般人は、仕事が忙しくて、さまざまな社会問題を詳しく勉強している時間がありませんが、「警察の不甲斐なさ」には驚きます。政治家は選挙民の対応に追われて、勉強ができないそうです。警察は捜査能力も高いとはいえないそうですが、警察幹部によると「予算や警察官や刑事の要員が足らない」そうです。先進国のように諜報機関が政治を引っ張らないと国際問題に適切に対応できないそうです。拉致事件の場合のように政治家の非力ぶりが窺われます。

 

・ジェームズ・ボンドの007シリーズの映画で世界的に知られる英国情報部には、対外部門のMI6と国内部門のMI5があるそうです。高度な諜報機関が英国では機能していますが、様々な事件が起こっているようです。「殺人許可証を持つと言われる女王陛下の秘密諜報員」もロシアのスパイ団の動きをつかめてはいないそうです。冷戦が終わったと言われますが、また米露の対立がウクライナ等をめぐって鋭く対立してきています。

 


・ロシアも旧共産圏も「核兵器による恫喝」は、忘れてはいないようです。甘い国際感覚と貧弱な語学力では国益を大きく損なうこともありましょう。社会の遅れた面、非近代性、後進性、頭の古い面が予想以上に多くなってきています。なぜ改革が遅れているのでしょうか。本当に優れた官僚や政治家が登用されてこなかったからでしょうか。
「日本は先進国だろうか」という声も街中では増えてきているようです。「女性の登用も先進国とはいえない」そうです。女性の眼から見ると「政治や経済の後進性」を痛切に感じることでしょうか。


 

・「天使は神の秘密諜報員である」という説もあるそうですが、諜報機関と何か異星人でも関係しているのでしょうか。「日本の知識人が欧米人を理解できないのはフリーメーソンを知らないからだ」そうです。グローバルな世界になりつつありますが、「グローバル化」には、十分に対応できていないそうです。

 

 

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・ブログ名称 UFOアガルタのシャンバラ


・第2のブログ名称:UFOパラレル・ワールド

「神の国か?」「人類の原郷か?」 「天上のエルサレムか?」・・・・・・・・・

「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の殖民星が、地球か?」、「ネガティブのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こるのだろうか?」

「金髪碧眼のノルディックが住んでいたアガルタのシャンバラ情報の集大成を目指す・・・・・・・・・・」「金星蛇人と火星霊人の戦争はその後どのように展開したのだろうか」
「日本民族の神話の原郷『高天原(たかまがはら)』は、『都市型の超巨大宇宙船』なのか!?」
「小人族のグレイの母船に同乗する金髪碧眼のノルディックは、”悪魔の王””ルシファー”なのか?!」

「円盤は神人や異人、悪魔の乗り物なのか!?」「天使は神の秘密諜報員なのか」「神は最初のフリーメーソンなのか」

UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象なのか。UFO問題とは、人間にとっての死の問題を解くことなのだろうか。UFOはフリーメーソンの創作なのか」

「全宇宙を創ったという“虹の神々”も地球に来ているのだろうか」

「イルミナティなどのフリーメーソン組織に入ると神に会えるのだろうか」

「国際連合の設立に動いたキリストの星、アプ星人とは」

「人は皆、記憶喪失の異星人だろうか」

「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」

「セドナ上空に見えないエーテルのシティが滞空するのだろうか」

 

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