2014年11月22日土曜日

中世の語り物に本地物と呼ばれるジャンルがある。それは神々の来歴を語る物語で悲惨な運命に翻弄され辛酸をなめた人物が神になるという筋書きが共通する。南北朝期に成立した『神道集』の甲賀三郎の物語もその一つである。


 

 

『日本神さま事典』

三橋健 白山芳太郎  大法輪閣   2005/9

 

 

 

<甲賀三郎>

・中世の語り物に、本地物(ほんじもの)と呼ばれるジャンルがある。それは神々の来歴を語る物語で、悲惨な運命に翻弄され辛酸をなめた人物が神になるという筋書きが共通する。南北朝期に成立した『神道集』にみえる甲賀三郎の物語も、その一つである。

 

・甲賀三郎は、その名のとおり甲賀出身の三人兄弟の末子で、名を諏訪(よりかた)といった。春日姫という姫と結ばれて幸せな生活を送っていたが、伊吹山で巻狩りをしたときに、姫を魔物にさらわれてしまう。三郎は、なんとか蓼科山の地底に囚われていた姫を助け出したが、姫の忘れ物を取りに戻ったところを、姫に横恋慕した兄たちによって地底に閉じ込められてしまった。

 

・仕方なく地底を歩き始めた三郎は、大きな人穴を見つけ、その先を進むと日本にそっくりの国に出た。その国で三日過ごした後、また歩き始めると再び人穴が現われ、その先には別の国があった。このようにして、七十三の人穴と七十二の国を通り過ぎ、やがて維縵国(ゆいまんこく)という国に行き着いた。

 

・そこは地底の一番奥の国で、好美翁(こうびおう)という翁が支配しており、鹿狩りを日課としていた。その国で、三郎は好美翁の末娘、維縵姫と結ばれて平穏な日々を送っていた。だが、やがて三郎は、地上に残した春日姫のことを思って涙するようになる。そこで、維縵姫の計らいにより、地上に帰る手立てを好美翁に伝授してもらうことになった。

 

・やがて、三郎は苦難に耐え、蛇体となって地上に戻って来る。そして、甲賀の笹岡の釈迦堂で人間に戻る方法を知り、ようやく元の姿に返る方法を知り、ようやく元の姿に返ると、春日姫との再会を果たした。しかし、この世界を嫌って平城国という国に飛び去り、そこで神としての力を得て、再び衆生を救うために日本に戻り、三郎は諏訪大明神(諏訪上宮)、春日姫は諏訪下宮と現れた。ここに、人間として苦労を重ねてきたからこそ、人間の苦を我が苦として理解し受け止めてくれる慈悲深い神が誕生したのである。

 

<妖怪・幽霊>

・民族学者柳田國男は、妖怪とは自然への畏怖の発露であり、また神が零落した姿と考えた。このような妖怪の中でも、「鬼」や「河童」などはその代表格である。「鬼」は元来、中国で死者を指す語であり、日本へ伝わった後、「隠」、つまり陰なる邪な存在として人を喰う魔物などとされた。また、河童も元は中国の河の神「河伯」であったともいわれている。

 

・一方、幽霊とは恨みを残した者の霊魂を指し、我が国ではそのような霊を古くより「御霊」神として祀ってきた。

 

 

(インターネット情報によると)

「ユ井万国」
・「ユ井万国というところに広大な岩屋があり、岩屋の中の池に金剛力士が岳という名の島があり、島には三千世界に影を落とす釈千段トキマサシカ木という木が生えているという。その木のいちばん上の枝には太陽が羽根を休めて止まっており、つぎの枝には月が羽根を休め、その下の枝には星が休んでいる。その木の根方ではお宮を造って、岩根の大将軍として祀っている。(中略)昔は太陽が七つ、月も七つあったという。ところがスイという名の鬼が来て、太陽を六つ、月も六つ、呑み込んでしまった。もし残された太陽と月を呑み込んでしまったら、日本は常夜の国になってしまう。そこで、五つの剣を五方に投げたところ鬼の首を打つことができた。太陽や月を呑み込んだ巨大な鬼の死体から、両眼を取り、片眼を正月の奉射(ぶしゃ)の的とし、片眼を鏡とした。そのほか面の皮以下、体の部分からは万物が化生した。」
祭文収集 渡辺伸夫


※この場合の「スイ」という鬼は中国の神話にある巨人「盤古」のことと言われる。ここには日本の記紀が書いた「大月姫型」「射日神話」「常世思想」「日月星の三つの宿神」「宿曜」などの要素が同時に存在する。

 

・ちなみに、日本の神楽に今多い、「天の岩戸開闢」や「五行」のモチーフは近世以降にまでは遡れないと言う。それ以前には、大将軍モチーフ、南方系神話の方が多かったそうである。大将軍は「だいじょうごん」と読み、半島経由の南方神話であるか?

 

・「維縵国は、天地の果てにあるゆったりとした国の意味で、中国起源の伝説。ただし、出雲系神話の地下の国、根の国(黄泉)が融合している。」と解説にあるから、上記の甲賀三郎話には三輪伝説と出雲神話がないまぜになっており、蛇の化身としての諏訪大明神が近江の甲賀から来たということになるが、その諏訪大明神説話を持ち込むのは九州の阿蘇家ではないかと思う。
というのも、同じ九州に三輪系の緒方氏がいて、これがやはり三輪、苧環型神話を持つからである。

 

・下記の「ユ井万国」についても鹿児島での採集だとあるので、やはり阿蘇氏に関わる説話か?
いずれにせよ、南方系神話の出所は九州であることは間違いなく、それを持ち込むのはやはり長江から雲南あたりの少数民族に違いない。

 

中国起源の維縵国が、日本では地下の黄泉の国に変化しているのが注目点。
その意味では下記の記事の方が天国=維縵国=扶桑・蓬莱としてはより中国の原型に近いか

 

(別のインターネット情報によると)

・維縵国(ゆいまんこく)は、天地の果てにあるゆったりとした国の意味で、中国起源の伝説がその元とされています。

日本にこの考え方が渡った際、「根の国(黄泉)」とイメージが混同され、維縵国(ゆいまんこく)はあの世のイメージとなりました

本編でも維縵国は黄泉の国として書かれています。

 

・維縵国には東西南北に四季の扉があり、その扉は外側からしか開くことが出来ないそうです。

そのあたりも、作中のネタとして使われて頂きました。

 

「古事記」や「日本書紀」では、根の国(黄泉)は出雲にあるように書かれているそうですが、熊野信仰においては、紀の国(紀伊半島)にも黄泉の国への入り口があるとされているそうです。

 

維縵国(ゆいまんこく)は、きっと広大な土地だったのでしょうね。

 

(別のインターネット情報によると、)

『神道集』の神々  第五十 諏訪縁起事

・人皇第三代安寧天皇から五代の孫に、近江国甲賀郡の地頭・甲賀権守諏胤という人がいた。 奥方は大和国添上郡の地頭・春日権守の長女で、甲賀太郎諏致・甲賀次郎諏任・甲賀三郎諏方という三人の息子がいた。
父諏胤は三代の帝に仕え、東三十三ヶ国の惣追捕使に任ぜられた。 七十余歳になった諏胤は病床に三人の息子を呼んだ。 そして、三郎を惣領として東海道十五ヶ国、太郎に東山道八ヶ国、次郎に北陸道七ヶ国の惣追捕使の職を与えた。 諏胤は七十八歳で亡くなり、三十五日の塔婆供養の三日後に奥方も亡くなった。


・父の三回忌の後、甲賀三郎は上京して帝に見参し、大和国の国司に任じられた。 甲賀三郎は春日郡の三笠山の明神に参詣し、春日権守の歓待を受けた。 そして、春日権守の十七歳になる孫娘の春日姫と巡り会った。 その夜、甲賀三郎は春日姫と夫婦の契りを交わし、近江国甲賀の館に連れ帰った。

ある年の三月、甲賀三郎は一千余騎を伴い伊吹山で巻狩を行った。 甲賀太郎は五百余騎、甲賀次郎も三百余騎を伴って加わった。 三郎は北の方を麓の野辺の館に住まわせ、狩の様子を観覧させた。 八日目に上の山に二頭の大きな鹿が現れたと報告があり、三郎は上の大嶽に登って行った。


・麓の館で北の方が女たちに今様を歌わせていると、美しい双紙が三帖天下って来た。 北の方がその双紙を見ていると、双紙は稚児に姿を変え、北の方を捕らえて逃げ去った。 甲賀三郎は天狗の仕業だろうと考え、二人の兄と共に日本国中の山々を尽く探し回ったが、北の方を見つける事は出来なかった。
そこで、三郎の乳母の子である宮内判官の助言で、信濃国笹岡郡の蓼科山を探してみる事にした。 そこには大きな人穴があり、春日姫が最後に着ていた着物の片袖と髪の毛が見つかった。


・甲賀三郎は簍籠に八本の縄をつけ、それに乗って人穴に入っていった。 簍籠を降りて東の人穴を進むと、小さな御殿の中から春日姫が千手経を読む声が聞こえた。 甲賀三郎は北の方を連れ出すと簍籠に乗り、家来たちに縄を引き上げさせた。 ところが、北の方は祖父から貰った唐鏡を置き忘れてしまったので、甲賀三郎は引き返して再び人穴に入った。


・甲賀次郎は弟を妬んでいたので、縄を切り落として三郎を人穴の底に取り残した。 そして、春日姫を甲賀の舘に連れ込み、宮内判官経方をはじめ三郎の一族二十余人を殺戮した。 残った家臣たちは次郎に臣従を誓った。 甲賀太郎は次郎が父の遺言に背いた事を知り、下野国宇都宮に下って神と顕れた。
甲賀次郎は春日姫を妻と定め、政事を行った。 しかし、姫は次郎に従おうとしなかった。 怒った甲賀次郎は家来に命じ、近江の湖の北岸、戸蔵山の麓で春日姫を切らせることにした。 そこに宮内判官の妹婿である山辺左兵衛督成賢が通りかかり、春日姫を救い出して春日権守の邸まで送り届けた。 その後、春日姫は三笠山の奥にある神出の岩屋に閉じ籠ってしまった。

・その頃、甲賀三郎は唐鏡を取り戻して簍籠の所に引き返したが、縄は切り落とされており、殺された一族の死骸が転がっていた。 三郎は地下の人穴を通って好賞国・草微国・草底国・雪降国・草留国・自在国・蛇飽国・道樹国・好樹国・陶倍国・半樹国など七十二の国を巡り、最後に維縵国に辿り着いた。
三郎は維縵国の王である好美翁に歓待された。 好美翁には、八百歳・五百歳・三百歳になる三人の姫君がいた。 三郎は末娘の維摩姫を妻とし、この国の風習に従って毎日鹿狩りをして過ごした。


・十三年と六ヶ月の年月が流れたある日、三郎は夢に春日姫を思い出して涙を流した。 維摩姫は「あなたを日本にお送りしましょう。私もあなたの後を追って忍び妻となり、衆生擁護の神と成りましょう」と云った。
三郎は好美翁から鹿の生肝で作った千枚の餅をもらい、それを一日一枚づつ食べながら日本に向った。 契河・契原・亡帰原・契陽山・荒原庭・真藤山・杉原・真馴の池・暗闇の地・おぼろ月夜の原を経て、千枚の餅を食べ終えて信濃国の浅間山に出た。


・三郎は甲賀郡に戻り、父の為に造った笹岡の釈迦堂の中で念誦していると、子供たちが「大蛇がいる」と云って逃げた。 三郎は我が身が蛇になった事を知り、仏壇の下に身を隠した。


・日が暮れた頃、十数人の僧たちが法華経を読誦し、甲賀三郎の物語を語った。 それによると、甲賀三郎が蛇身なのは維縵国の衣装を着ているためで、石菖を植えている池の水に入り四方に向いて呪文を唱えれば脱ぐ事ができるという。 三郎はその話に従って蛇身を脱して人身に戻った。 僧たちは白山権現、富士浅間大菩薩、熊野権現などの神々であった。


・三郎は近江国の鎮守である兵主大明神に導かれて三笠山に行き、春日姫と再会した。 二人は天早船で震旦国の南の平城国へ渡り、早那起梨の天子から神道の法を授かって神通力を会得した。 その後、兵主大明神の「日本に戻って衆生守護の神に成って下さい」という求めに応じ、天早車に乗って信濃国の蓼科山に到着した。

・甲賀三郎は信濃国岡屋の里に諏訪大明神の上宮として顕れた。 本地は普賢菩薩である。
春日姫は下宮として顕れた。 本地は千手観音である。
維摩姫もこの国に渡って来て、浅間大明神として顕れた。
甲賀三郎と兄たちは兵主大明神が仲裁した。
甲賀次郎は北陸道の守護神と成り、若狭国の田中明神として顕れた。
甲賀太郎は下野国宇都宮の示現太郎大明神として顕れた。
父甲賀権守は赤山大明神として顕れた。
母は日光権現として顕れた。
本地は阿弥陀如来・薬師如来・普賢菩薩・千手観音・地蔵菩薩等である。

上野国の一宮は狗留吠国の人である。 《以下、
上野国一宮事とほぼ同内容なので略す》

・諏訪大明神は維縵国で狩の習慣があったので、狩庭を大切にされる。 四条天皇の御代、嘉禎三年[丁酉]五月、長楽寺の寛提僧正は供物について不審に思い、大明神に祈念して「権実の垂迹は仏菩薩の化身として衆生を済度されるのに、何故多くの獣を殺すのでしょうか」と申し上げた。 僧正の夢の中で、供物の鹿鳥魚などが金色の仏と成って雲の上に昇って行き、大明神が
 野辺に住む獣我に縁無くば憂かりし闇になほ迷はしむ
と詠まれ、 「業尽有情、雖放不生、故宿人天、同証仏果」 と四句の偈を説いた。 寛提僧正は随喜の涙を流して下向された。

 

 

諏訪大明神

・上宮は諏訪大社・上社本宮(長野県諏訪市中洲)
下宮は諏訪大社・下社で、秋宮(諏訪郡下諏訪町武居)・春宮(諏訪郡下諏訪町下ノ原)の二宮から成る。
上宮の祭神は建御名方神。
下宮の祭神は八坂刀売神・建御名方神で、事代主神を配祀。
式内社(信濃国諏方郡 南方刀美神社二座並名神大)。 信濃国一宮。 旧・官幣大社。
史料上の初見は『日本書紀』(持統天皇五年[691]八月辛酉)の「使者を遣はして、龍田風神・信濃須波・水内等の神を祭る」。

・『古事記』によると、天照大神は八百万の神々と相談して、建御雷神と天鳥船神を葦原中国に遣わした。 二神は出雲国の伊那佐の小浜(稲佐の浜)に降り、大国主神に天孫に国を譲るよう申し入れた。 大国主神の息子の事代主神が先ず帰順し、青柴垣に身を隠した。 建御名方神は国譲りに抵抗して建御雷神と争い、科野国之洲羽海(信濃国の諏訪湖)に逃れてついに帰順した。

 





■■■ 私が思うこと、聞いたこと、考えること ■■■

・甲賀三郎伝説は色々なパターンの伝承があるようです。そして、後世に話が書き換えられることも多いようです。地上から異界に入るというストーリーは、天狗に連れられて異界に入るというストーリーと似ています。甲賀三郎伝説も『ガリヴァー旅行記』のように、一種の宇宙旅行記の話と解釈もできるようです。さまざまな異星を移動したようです。「大きな人穴を見つけ、その先を進むと日本にそっくりの国に出た」という話はパラレル・ユニバース(並行宇宙)のことでしょうか。「天早舟」、「天早車」というのは、「空飛ぶ円盤」のことでしょうか。神々や天使のような「かなり進化した宇宙人」は、この世の「時穴」や「人穴」を通してあの世に自由自在にテレポート(瞬間移動)できたのかもしれません。また宇宙人は人間には想像できない長寿の者が多いようです。この世の「人穴」や「ドア」「戸口」を通って、“異世界”に入るというストーリーはファンタジー物語に多いようです。

 

・「宇宙を3歩で歩くというインドの神々」の神話は、異次元移動を容易にできる宇宙人の話なのかもしれません。また、人間も異世界に行くとそこで変容し、超能力を持つともいわれます。現代でも宇宙人がテレポート(瞬間移動)できる現象は、人間にとっては奇跡の現象のようです。しかし、テレポート(瞬間移動)は異星人にとって「それほど難しいテクノロジーではない」そうです。

 

・したがって、宇宙人情報は、アバブ・トップシークレットのようです。米国が宇宙人情報を国家安全保障上の最高機密(トップ・シークレット)の数段階上の厳秘(アバブ・トップシークレット)扱いにしたのも、宇宙人の超テクノロジーがあまりにも凄まじかったのが原因だそうです。あの小柄なグレイがアイゼンハワー大統領の前で「空中浮揚」をしたそうです。そして「空飛ぶ円盤」の物質化・非物質化を見せたそうです。米国政府と秘密協定を結んだラージノーズグレイというオリオン星人は、人類に5万年進化しており、「人間の魂の交換」ができるそうです。ちなみに3万年進化しているリラ星人のエロヒムが「人間を実験室で創った」といわれます。

 

・現代でも宇宙連合などや異星人に案内されて少数の者が宇宙旅行をしているともいわれます。また、オリオン星人と秘密協定を結んでいる米軍は、当然ながら異星に向っており、膨大な情報が蓄積されていると思われます。そして「エイリアン・テクノロジー・リバース・エンジニアリング(宇宙人科学技術工学)」によって、テクノロジーの面で断然、優位に立っているそうです。

 

・異星人は、コンタクティ(宇宙人から伝達接触されたという人)の過去を知っていることが多く、あの世でコンタクティを選んで、この世でコンタクトするようなのです。もちろん、他の事例として、グレイなどの小柄な宇宙人と偶然に遭遇することも多かったようです。「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔」ともいわれます。日本人には太古から多くの異星人の遺伝子が混じっているようです。「中世のドイツの領主はほとんどが異人の末裔だった」ともいわれています。宇宙人と人間の関わり合いは太古からあったようです。

 

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・ブログ名称: UFOアガルタのシャンバラ


・第2のブログ名称:UFOパラレル・ワールド

「神の国か?」「人類の原郷か?」 「天上のエルサレムか?」・・・・・・・・・

「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の殖民星が、地球か?」

「金髪碧眼のノルディックが住んでいたアガルタのシャンバラ情報の集大成を目指す・・・・・・・・・・」「金星蛇人と火星霊人の戦争はその後どのように展開したのだろうか」
「日本民族の神話の原郷『高天原(たかまがはら)』は、『都市型の超巨大宇宙船』なのか!?」
「小人族のグレイの母船に同乗する金髪碧眼のノルディックは、”悪魔の王””ルシファー”なのか?!」

「円盤は神人や異人、悪魔の乗り物なのか!?」「天使は神の秘密諜報員なのか」

UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象なのか。UFO問題とは、人間にとっての死の問題を解くことなのだろうか。UFOはフリーメーソンの創作なのか!?」

「全宇宙を創ったという“虹の神々”も地球に来ているのだろうか」

「イルミナティなどのフリーメーソン組織に入ると神に会えるのだろうか」

「国際連合の設立に動いたキリストの星、アプ星人とは」

「人は皆、記憶喪失の異星人だろうか」

「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」

「セドナ上空に見えないエーテルのシティが滞空するのだろうか」

 

 

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